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山本七平語録

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キリスト教

論題 引用文 コメント
内心の伝道
『静かなる細き声』
 「戦争が終わった。言論の自由が来た。堰を切ったように軍部への批判がはじまった。しかし軍部への伝道ははじまらなかった。おそらく蓄積された『内心の伝道』がなかったのであろう。だがそれは他人事ではなく、私自身もその一人であった。批判の時代、一億層批評家といわれる時代がきた。・・・だがそう言った批判は伝道ではない。
批判とは外部から行うことであり、伝道とはその中に入って、その中の人のわかる言葉で語ることである。・・・相手を批判したところで、達成できることではない。・・・もちろん批判はできる。しかしそれは『内心の伝道』をもっていることでなく、時には逆に、相手と自分の間を遮断してしまうにすぎない。そして、そういう相手にタッチしないことが、なにやら自分の中に、清浄な信仰を保っていることの証拠であるかのように錯覚する。・・・そしてこの『内心の伝道』を失ったとき、それは個人としても宗教団体としても、その生命を失ったときであろうと私は思う。」
(中略)
「いま、教会から批判されている集団、たとえば神道連盟、自衛隊、天理教、統一協会等々といった団体、こういう団体から聖書の話を聞きたいと言われれば、私は喜んで出かけていく。天理市に泊まり込んで、天理教の本部の講堂で聖書とキリスト教について語ったこともあれば、神主さんの大会でも、聖書の話をした。また自衛隊でも統一教会でも、呼ばれれば、私は出かけていった。
「誤解されるからやめた方が・・・」といわれることもある。だが私には、なぜそう言われるかが理解できない。いまの教会には、この人たちに招かれたらこう語りたいという、外部への『内心の伝道の言葉』をもう持っておらず、あるのは『内心の批判』だけなのであろうか。」
この言葉は、「信徒の友」(日本基督教団出版局)に連載された「私の歩んだ道」に記された”ことば”です。
本サイトの「年譜」に見る通り、三代目キリスト教徒である山本七平さんは、幼いころより聖書に親しみ、中学生のときに「聖書学」と出会いました。ここから山本聖書学がスタートしました。
興味深いエピソードとしては、降伏後の捕虜収容所では、米軍の配った聖書は手にせずミサにも参加しなかったそうです。また、敗戦後、妹の舟子さんが亡くなったときは、神に対する挑戦状のような激しい言葉を書き付けています。
その聖書理解は、専門学者の目から見れば、間違っているところもあったと指摘されますが、その苛烈な戦争体験を経て到達したその独自の聖書理解は、山本七平さん自身の生き方と軌を一にして、私には極めて示唆に富むものでした。
また、ここに記された、「外部への『内心の伝道の言葉』を持つ」ということですが、山本七平さんは、その評論活動において、自らがキリスト教徒であることをほとんど感じさせませんでした。これもまた驚きですが、それは、こうした「信仰」に支えられていたのです。

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