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日本独文学会退会の表明

2020年12月24日、2009年から所属していた日本独文学会を退会しました。退会理由は「当学会の会員である限り、誇りを持って教育活動、研究活動に従事することができないため」です。 わたしは2020年1月に学会内部の問題を理由に当学会での活動を停止しましたが、退会を決定した理由は同年10月に発生した日本学術会議問題への対応です。当問題への学術団体の対応は、公共に関するものであることから、以下に退会に至った経緯を記し、当学会の非学術的な態度に抗議するとともに、自身の研究者・教育者としての態度を表明します。
 
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1.日本独文学会の活動を停止した経緯
 わたしは2011年度・12年度、15年度・16年度に当学会の行事の実行委員を、17年度・18年度にこの行事に関連した論集の編集委員を務めた。これらの業務において、以下に一部の例を挙げるとおり、多くの不正・不当な行為があった。まず概要を挙げ、その後に詳細を報告する。これらを証明するメールおよびスクリーンショットは、正当な請求に応じて開示できる。
  • 概要
    • 2015年度・16年度の実行委員長=17年度・18年度の編集委員長(以下、委員長)が長期間の仕事放棄を繰り返した。このことによる不利益の責を委員と執筆者の一部が不当に中丸に帰した際も、委員長はこれを放置した。中丸は、委員長が無理なく仕事ができるよう、何度も委員会内で対策を取ったが、いずれも効果がなかったため、当行事担当理事に報告し対応を求めた。委員長は、委員からのメールをすべて無視していた時期に、担当理事からの進捗状況の問い合わせに対しては、遅延はあるが作業は続けているとする虚偽の報告を複数回行なった。また、問い合わせをした執筆者に対しても偽りの刊行予定時期を述べたり、メールを無視したりした。後述の新会長介入後、査読・ネイティヴチェック・編者校正が終わっていない原稿、招待講師が掲載されていない執筆者リストと併せ、自身の名前がトップクレジットされた奥付を出版社に送付した。2年間の編集作業期間中、当委員長が活動したのは総計4か月程度であり、この間に行ったのは、1本の論文の査読、1度の編集会議の開催、目次・奥付の作成のみである。
    • 2017年度・2018年度の当行事担当理事(任期は2019年6月まで。以下同)が、編集委員長の仕事放棄に関する中丸の報告を客観的根拠がないとして対応しなかったため、論集の刊行が8か月遅れた。編集委員長の虚偽が判明し、本人も仕事放棄を認め、新会長が介入したのちも、担当理事は自身の判断ミスを一切認めず、委員長の仕事放棄を事実認定しなかった。
    • 2017年度・18年度の庶務理事が、2019年6月の理事会において、中丸と面談したところ感情的で手が付けられなかった、という虚偽報告をした。実際には、この件に関する庶務理事との面談は行われていない。庶務理事の報告の虚偽が発覚したのちも、新旧理事会で訂正は行われなかった。
    • 2017年度・18年度の会長が、編集委員長の行為を所定の手続きを経ることなく独断で「ハラスメントではないと認定」し、対応を求める中丸の行為を独断で「ハラスメント」であると認定した。2019年6月の理事会で中丸が主張していないことを、中丸の主張として報告した。また、学会開催期間中に、他の会員たちに対し、中丸の独文学会会員向けのSNS投稿について、以下のような虚偽伝達、誹謗中傷、脅迫、学会の私物化発言、差別発言をした。中丸は庶務理事との面談のような自分に都合の悪いことは隠しており、研究者としてあり得ない。中丸は会長のメールを不適切に引用しており、研究者としてあり得ない。学会の長たる自分を中傷したので学会として対応する。中丸が学会を訴えるなら、学会は中丸を当該投稿を理由に名誉棄損で訴える。中丸にカウンセリングを受けさせるよう家族に伝えるべきである。以上について、会長は、編集委員長の仕事放棄、庶務理事との面談未実施、および引用が適切になされていることが明らかになった後も、一切の訂正を行わないばかりか、2019年以降の理事会でも中丸に対する中傷・揶揄を継続した。
    • 2019年度・20年度の会長(以下、新会長)は、委員長の報告が虚偽であることを確認し、匿名で編集作業に介入した。この際、2017年度・18年度の会長、庶務理事、担当理事が虚偽報告を行った2019年6月の理事会の議事録を改竄した。また、約束に反し、委員長の仕事放棄の事実認定・中丸の名誉回復を行わなかった。執筆者・新理事会に対して、中丸が編集作業を続けたことを隠匿し、自分が全作業を行ったかのように報告した。さらに、査読付き論集であるにもかかわらず、一つの論文の査読、複数の論文のネイティヴチェック、全論文の編者校正をせずに論集を刊行しようとした。中丸が協力者を募ってネイティヴチェック・編者校正をしたところ、一つの論文に重大な瑕疵が見つかった。新会長との協議・賛同を経てこの論文の掲載を取り消す決定をしたところ、新会長は執筆者に対し、自身の関与を隠匿するための虚偽報告および情報操作を繰り返し行った。
    • 上記の虚偽報告・誹謗中傷について複数の理事・会員に報告したが、全員が問題ないと主張した。虚偽報告・誹謗中傷の訂正・対応は行われなかった。
    2011年度・12年度実行委員会における不当な酷使、責任転嫁
  • 2011年6月24日に、2011年度・12年度実行委員長(後述する2019年度・20年度会長と同一人物)より、実行委員への就任を突如依頼された。この際、仕事内容、仕事量、繁忙期、その年の特殊事情の説明はなかった。本務校の上司への相談や熟慮を許されず、「実は、確定した委員会名簿を早々に理事会に提出し、承認を受けねばなりません。ぜひぜひ、前向きの素早いお返事を!いい経験になります!」と、依頼受諾の返事を急かされた。
  • 同実行委員会では、職分を越えた仕事を過剰に負担させられた。他の分掌の仕事を大量に押し付けられたほか、2012年3月の合宿に使用するホテルとの連絡係として、料金交渉を強要された。この料金交渉は、以下の経緯で行われた。前年までと違うホテルの使用により料金体系が変わったが、実行委員会は、金額シミュレーションをすることなく前年までと同じ条件で参加募集をした。参加者確定後に中丸(会計補佐)がシミュレートしたところ、大幅な赤字が予想された。実行委員会はわたしに赤字の責任があるかのような論調を作り、ホテルに対する料金交渉をさせた。確かに、参加募集前にシミュレーションをしなかったことについて、わたしに落ち度がないとはいえない。しかし、会計や委員長、実行委員経験者にも、わたしと同等かそれ以上の落ち度がある。当時は自分に責任があると考え料金交渉を遂行したが、自身が若手を育てる中堅の立場となった現在の観点からは、本来は他の者が負う責任までわたしに負せたこと、(仮にわたしに責任がある場合にも)専任職に就いたばかりの若手にイレギュラーな事態への対応を一任することは不当であると考える。
  • この件に限らず、当学会の行事では若手の搾取が横行している。これは、当学会の会員数、とりわけ専任教員数が激減し、若手を動員しなければ行事が成立しないためである。2015年度・16年度の実行委員会には大学院生が2名含まれていたため、わたしは委員長に「大学院時代は研究に専念できる最後の時期なので、長期間にわたる雑用をさせるべきではない」と述べたが、聞き入れられなかった。若手研究者の育成は、学会行事の主目的の一つである。行事を維持するために若手から膨大な研究時間を奪うことは、目的と手段の逆転であり、学問の未来に対する無責任な振る舞いである。
    2015年度・16年度実行委員長=17年度・18年度編集委員長による仕事放棄と理事会への虚偽報告
  • 2015年度・2016年度の実行委員を依頼された際、わたしは2度断った。最終的に引き受けたのは、実行委員長(2015年度・16年度実行委員長と2017年度・18年度編集委員長は同一人物。以下「委員長」と表記)が、2011年度・12年度実行委員長と違い、わたしを「雑用係」ではなく「研究者」として評価していたからである。しかし委員長は、長期間の仕事放棄を繰り返した。数か月間連絡を無視することが4年間で3度(2015年9月~2016年2月、2018年4月~8月、2018年11月~2019年6月)あり、3度目の放棄では、16名分の原稿を理由なく半年以上放置した。わたしは委員長の補佐的な立場にあり、実行委員会・編集委員会において、委員長や委員に負担の少ない環境を整えるだけでなく、折に触れてリマインドを出したり、進捗状況を報告したりしたが、いずれも効果がなかった。
  • 「2015年度・16年度実行委員=17年度・18年度編集委員による責任転嫁、誹謗中傷、業績詐称」で述べる委員の言いがかり、および、他の委員2名および執筆者1名が作業の遅れについて中丸を非難したことについて、委員長は説明と注意を約束したが、それがなされないまま、3度目の仕事放棄が開始された。
  • 委員長は、担当理事に対して自身の仕事放棄を隠匿し、2019年1月から5月にかけて、遅れているが作業は進めているとする虚偽報告を複数回行なった。また、編集作業を放置する一方で、2019年6月8日に他学会で口頭発表をするなど自身の業績作りには腐心した。理事会では後に、委員長が体調不良であったという論調を作り、委員長を批判したわたしを非難したが、委員長はこの時期に授業、学内業務、他学会での発表を行っており、編集作業ができない状態であった可能性は低い。また、事情により作業ができない場合には、理事会および編集委員会に事情を説明し、作業の代行を依頼する必要がある。わたしはこれ以前に委員長が事情により作業ができない時期(2016年10月~11月、2018年4月~7月)に、業務の大半を代行した。当時の委員長の状況からも、これまでの経緯からも、体調不良によりスムーズな作業ができない者をわたしが責め立てたという根拠のない憶測に基づく非難は不当である。
  • 執筆者の一人は、2019年4月末前後に刊行予定時期について編集委員会に問い合わせをした。編集委員長は近日中に刊行予定である旨を返信し、掲載証明書の作成を約束した。しかし、掲載証明書は送付されず、後述の新会長への引継ぎもなされなかった。
    2015年度・16年度実行委員=17年度・18年度編集委員による責任転嫁、誹謗中傷、業績詐称
  • 編集作業の過程で編集委員の一人がわたしへの責任転嫁と邪推を繰り返した。委員長の2度目の仕事放棄が4か月を迎えた2018年8月、当該委員とは別の委員の主導で、委員同士の意見交換の場がいくつか設けられた。中丸とのやり取りにおいて、当該委員は、委員長は他人に対し悪意を持たない人間であり、メールの無視も悪意に由来しないので、返事が来ないことにありもしない悪意を読み込まないよう提言した。わたしが、悪意の有無は問題にしていないこと、必要な指示がないことによる実質的な阻害が生じていること、わたしよりも委員長の裁量が増える今後の進捗が危ぶまれることを説明したところ、当該委員は、編集委員長は自身のリスペクトの対象であるため、少しでも悪く言われることや進捗に関する信頼性を議論されることは耐えられないという趣旨の発言をした。2018年4月以降、わたしは、編集委員長の担当作業が全くなされていないことから、全体宛てにリマインドや進捗状況の報告をしてきた。これに対し、当該委員は、作業マニュアルと行程表を参照して各自が仕事をすれば困らないので、リマインドや進捗状況の報告をしないよう提案した。なお、この作業マニュアルと行程表はわたしが作成したものである。
  • 2018年8月、わたしを除く委員たちと委員長による話し合いの結果、委員長がその後の作業を主導・統括し、わたしは委員長の指示のもと一委員として作業を続行することが決定した。後に判明したところでは、当該委員はこの席上で、委員長の仕事放棄の理由をわたしの主導・統括に求める立場から、委員長による主導・統括を提案した。
  • 2018年9月以降、委員長は編集作業を主導・統括したが、10月以降、連絡・指示は遅れがちになった。査読完了を受けての編集会議は、当初の予定(9月もしくは10月)より遅れて2018年11月17日に、委員長、中丸、ネイティヴ2名の計4名で開催された。委員長は、他の委員に編集会議の開催を通知しなかった。会議終了後、委員長の指示のもとにわたしが編集会議の結果を他の委員に報告したところ、当該委員が、編集会議の結果を待たずに、連絡を担当する執筆者に査読完了・掲載決定の連絡をしていたことが判明した。この論文は編集会議で掲載が決定したため、結果的には問題とならなかったが、当該委員は、わたしが作成した行程表に書かれていた掲載決定予定日が「10月末日」であるために間違いが生じたと主張し、9月以降わたしが行程表の更新をやめたこと、わたしが編集会議の開催を通知しなかったことを非難した。わたしは委員長に、当該委員への説明と注意を求めたが、なされなかった。
  • 後述の新会長介入時の2019年6月20日付けメールで、当該委員は、新会長に対し「去年の12月以降編集委員長である××〔引用者註:敬称なし〕と編集委員との連絡が完全に途絶えており、現在の進捗状況が全く把握できていません。こちらから再三進捗状況の報告と刊行遅延の理由を尋ねても、一切返答がありませんでした。これまでは××一人が出版社との連絡役を務めていましたが、昨年末以降その仕事は事実上放棄され、その間の編集作業はほとんど進捗しなかったと推測されます。このことに鑑み、××一人が指示役となり出版社と交渉を行う現在の編集体制を再編して頂きたく、ご検討頂けないでしょうか。少なくとも編集委員長に一切の連絡が付かない現状では、編集委員会として正常な業務を行うことは不可能です。及ばずながら、私も出来る限り今後の編集作業には協力させて頂きます。」と述べた。その上で、中丸が作成し整理・管理していたDropboxの共有フォルダを自分の一存で新会長と共有した。中丸が当該委員に対し、2018年8月の話し合いで委員長に統括を任せる決定をし、3度目の仕事放棄後も何の対策も取らなかった委員会の責任を追及したところ、当該委員は中丸に対し感情的な非難を行った。その後、当該委員は編集作業を行わなかった。当該委員が、委員長の統括続行という不合理で非現実的な提案・決定をした自身の責任に言及しないばかりか、新会長という権力者が介入すると、一切の批判も議論も許さないほどの「リスペクト」の対象であったはずの委員長に責任のすべてを帰し、呼び捨てにしてまで貶めたことを、わたしは心から軽蔑する。仮にこの委員が、この段階でも新会長に対し、悪いのはすべて中丸で、委員長への非難は許さないと述べたならば、わたしは彼をここまで軽蔑しなかった。
  • 2021年10月8日現在、当該委員は所属大学教員紹介ページの「著書」欄に当論集を個人の「編纂書」として掲載している。実際には、当論集の「編者(Herausgeber)」は日本独文学会、「主導作業者(Leitung)」は中丸、ネイティヴ委員2名、委員長の4名、当該委員は「共同作業者( Mitwirkung)」6名のうちの1人である。「筆頭作業者」や他の「共同作業者」はおろか、「編者」である日本独文学会すら掲載しないことは、業績の詐称にあたる。
    2017年度・18年度当行事担当理事による報告の不当な取り扱い・事実の非認定
  • 2019年1月に委員長の仕事放棄を担当理事に報告し、対応を求めたところ、担当理事は、委員長の上記報告を理由に、わたしの主張を客観的根拠がない、事実と認定できないとして対応しなかった。委員長は、刊行予定時期が過ぎるたびに、担当理事に対して同じ報告を繰り返した。わたしは、刊行予定時期になっても作業が全く進んでいないこと、委員長が仕事を放棄していることを示す複数の証言を集め、その都度対応を求めたが、担当理事はこれを、遅延だけでは対応できない、仕事放棄は事実と認定できないとしてすべて退けた。
  • 論集刊行が見込めないため、2019年4月に執筆者のうち大学院生・任期付き専任教員に対し、状況を説明し、投稿先変更の検討を勧めた。このことについて、担当理事は 2019年5月14日付けのメールで以下の通り評価した。「執筆者4名に××論集への投稿を取り下げるよう提言なさったことについては、担当理事としてやはり残念に思います。今から新たに投稿先を見つけるのでしたら、(特に査読付きの学術誌ならそれなりに時間がかかるので)結局のところ××論集の方が早いという可能性が高いのではないでしょうか。さらには、中丸さんご自身は若い執筆者のためを考えているのだとしても、端から見ると(意地悪な見方かもしれませんが)、××先生に対する復讐をしているようにも見えかねません。」
     虚偽もしくは根拠不充分な報告を繰り返すのみならず、「復讐」という私利私欲のために若手研究者を利用するという評価は、わたしの人格に対する最大限の侮辱である。
  • 編集委員長の仕事放棄が半年に及んでもなお、担当理事は遅延だけでは対応できないという主張を変えなかった。このため、2019年5月14日に、以下の理由で委員長の行為をハラスメント認定し、職を解くよう提案した。
    1. 委員長が仕事の放棄を繰り返し、中丸を、極めてタイトな時間に大量の仕事をする状況に置いた。
    2. 仕事上必要なメールを繰り返し無視した。委員に対し必要な指示を与えなかった。
    3. 中丸は委員長が無理なく仕事ができるよう、繰り返し体制の改善を提案してきた。委員長は、その都度、謝罪し、提案を受け入れ、態度を改善すると約束しながら、その約束を繰り返し破った。
    4. 遅延により、複数の執筆者や編集委員が、本来編集委員長に向けるべき非難を中丸に向けた。中丸は、委員長に彼ら・彼女らに対する状況説明を繰り返し求めたが、委員長はこれをすべて無視した。
    5. 委員長が担当理事に対して虚偽の報告をすることは、中丸が担当理事に対し虚偽報告をしたと主張することにあたる。
  • この際わたしは、提案の主目的はハラスメントの認定ではなく、編集委員会の再編と編集作業の平常化であることを申し添えた。同時に、当行事で参加者から実行委員へのハラスメント、実行委員から参加者へのハラスメント、参加者同士のハラスメントが横行しているため、それについて対策を行うよう進言した。
  • この間に、委員長は、担当理事からのメールにも返事をしなくなった。2019年6月1日に担当理事がわたしの情報提供により委員長の電話番号を入手したところ、委員長は出版社に原稿を送った、2か月後の刊行を予定している、中丸に謝りたいという趣旨の発言をした。これを受けて、担当理事は、中丸に編集作業の継続を求めた。わたしは、この間に作業が進んだ形跡がないため、出版社に原稿を送ったことは虚偽の可能性が高いこと、直近に送ったとしても2ヵ月で刊行するのは難しいことを理由に、編集作業への復帰を拒否した。また、これまでに謝罪は何度も繰り返されたが、仕事放棄はやまなかったため、謝罪を受けることも拒否した。
    2017年度・18年度会長による主張内容の歪曲および不適切なハラスメント対応
  • 2019年6月6日に、会長は理事会で編集委員長の行為をハラスメント案件として取り上げないという報告をわたしにしたうえで、その理由を以下のように書いた。「××さんが編集業務を遅延させてしまったことはご本人も認めて謝罪しているところであるが、それは、通例の判断基準に照らし合わせて、「ハラスメント」ではないと認定した。」「仕事をしないことをハラスメントだと認定していけば組織は運営できなくなります。そもそも、日本独文学会の活動は会員のボランティアで成り立っているので、その仕事が遅延したときに、なんらかの処罰を与えるということは、学会の性質にそぐわないということをご理解ください。また、中丸さんが要求されていることは、××さんを理事会の席上で激しく叱責することで、たとえ中丸さんが感じておられることが「ハラスメント」だとしても、それをハラスメント行為で返すことになり、そうするとハラスメントの応酬になります。そのような行為に理事会としては与することはできません。また、最新のメールでは、××さんが現時点で原稿をすべて出版社に送ったと担当理事を通じて会長に報告したことについて、その内容を虚偽だと断罪しておられますが、私としては客観的な証拠がない以上、委員長からの報告の内容を疑うことはできません。」
     会長の対応には、以下の問題がある。
    1. わたしの主張を「遅延をハラスメント扱いしている」と歪曲した。主張の要である編集委員会の再編と編集作業の正常化には一切触れず、「処罰」の面を強調した。そのうえで、わたしが組織運営の原則や学会の性質を理解していないとする主張を展開した。学会の運営原則や実態を理解せず、些細なことをハラスメント扱いするという評価は、わたしの能力・人格を著しく否定するものである。
    2. 遅延と仕事放棄・虚偽報告は全く異なるものである。委員長は、編集委員会発足時以来、自分の担当作業である出版社との連絡、ドイツ語圏招待講師2名・アジアゲスト1名との連絡を全くしておらず、2018年12月から2019年6月まで、複数の委員からの指示を仰ぐメールや作業を依頼するメールにも返信をしなかった(招待講師からの問い合わせメールを何度も無視していたことも後に判明した)。会長は担当理事とともに、仕事放棄を遅延であると議論をすり替え、委員長の報告の信憑性の確認もせず、多忙な中努力してもやむを得ず遅延してしまう者をわたしが叱責し、理事会に不当に対応を要求しているとする悪質な印象操作・情報操作を繰り返し行なった。
    3. 委員長の行為を本人の報告だけをもとに「「ハラスメント」ではないと認定」する一方、わたしの主張・行動について「ハラスメント行為」であると、独断で認定した。客観的根拠や具体的な進捗状況の報告を伴わない委員長の報告は無条件に信じる一方で、わたしが提出した、全く進捗がない証拠や複数の編集委員・執筆者の証言を一切根拠として認めない対応はアンバランスである。
    4. 「出版社に送れる段階にない原稿が複数あるため、出版社に原稿を送っていない可能性が高く、仮に直近に送っていたとしても、今後2か月以内に刊行できる可能性は低い」とするわたしの主張を「客観的な証拠がない」「断罪」と評価した。客観的な証拠なく何らかの断罪をするという評価は、わたしの研究者としての能力を否定するものである。
    5. ハラスメントの認定・非認定は、調査委員会の設置、関係者への聞き取り調査、複数の視点からの精査を経なければ下すことはできない。
  • 出版社への確認等の最低限の調査すら行わないこと、調査委員会を立ち上げず独断で認定を下すこと、申し立て内容を著しく歪曲すること、申立者を申し立てをしたという理由で貶めること、後述の通り申立者を貶める目的でそのことを複数の者に公表すること、これらすべては、ハラスメント対応において、絶対にしてはならない、決して許されない行為である。
    2019年6月7日の理事会における担当理事・会長・庶務理事による虚偽報告
  • 2019年6月7日の理事会において、担当理事から、委員長が出版社に原稿を送ったという趣旨、会長から、ある委員が遅延をハラスメントであると騒ぎ立て対応に困っているという趣旨、庶務理事から、その委員と長時間にわたり面談したが感情的で手が付けられなかったという趣旨の報告がなされた。またこの席では、詳しい経緯は伏せられたまま、中丸が謝罪を拒否した、担当理事に長文メールを送ったという報告がなされた。「中丸が遅延をハラスメント扱いしている」という報告を受け、理事会ではセクハラ、パワハラに関する議論がなされた。
     わたしが遅延自体をハラスメント扱いした事実、この件で庶務理事と面談した事実はない。また、わたしは委員長からセクハラを受けておらず、当時はこれをパワハラとは認識していなかった(パワハラとは上下関係を背景とするハラスメントであり、委員長の虚偽報告は上下関係に由来するものではないと認識していた)。従ってセクハラ、パワハラを訴えた事実もない。
    2017年度・18年度庶務理事による虚偽報告および情報の不適切な扱い
  • わたしは、本件の一年以上前である2018年7月7日に、理事会の依頼を受け、全くの別件で当庶務理事と面談した。この面談は、当学会の社団法人化に伴う、会長からの意見募集に端を発する。社団法人化以前の当学会では、理事当選者の辞退は認められていなかったが、社団法人化に向けた会則案に「死亡、病気、出産、在外研究等、特段の事情」を理由とする辞退規定の文言があった。わたしは意見募集を受け、2018年5月19日に、ハラスメント加害者との同時当選を辞退理由として認めるよう提案した。この提案は、本来的なハラスメント対応により理事会が疲弊することを避けるための次善の策であった。これに対し、会長から、2018年5月21日・23日付のメールで、ハラスメント対策をしたいので事例を聞きたいという依頼があった。わたしは、(1)事例提供は苦痛を伴うことがあるため、提案に事例提供が伴う前例としない、(2)二次被害の発生、すなわち、情報提供者が些細なことをハラスメント扱いする面倒な人間であるという印象を他の会員に抱かせることがないよう留意する、という条件のもと、庶務理事と面談した。この時期には上記委員長の仕事放棄は問題化しておらず(1度目の放棄は対策が功を奏して状況が改善され、2度目の放棄は始まったばかりで影響が少なく、わたしが問題と感じていなかったため)、面談時に事例提供していない。面談時に挙げたのは、後述の「揶揄・冷笑・嘲笑」で挙げた事例の一部、「研究者として価値がないので雑用をするべきだ」と発言するモラハラ、地方支部における会計不正、幹事会での取り決めの無視、わたしが被害を受けた事例ではないが、学会行事における身体接触を伴うセクハラ、専任教員から非常勤教員に対する職を失わせるレベルのパワハラなどである。これらの事例報告において、わたしが感情的になった事実はない。むしろ庶務理事が、自身と同じ大学に所属する会員に対し否定的な印象を述べるなどの扇動をした。仮に、庶務理事が当面談でわたしを感情的だと感じたとしても、庶務理事の理事会報告には以下の問題がある。
    1. 編集委員長について話していないため、当該理事会における報告は不必要である。
    2. 面談の目的、経緯、時期を説明せず、本件での中丸の依頼に理事会が対応したと理事会出席者全員に誤解させた。
    3. 挙げた事例には複数の被害者・加害者がおり、その中には理事会出席者も含まれる。複数の事例関係者が出席する場で面談について述べること自体が不適切である。
    4. わたしの提案の趣旨は、ハラスメント対策で理事会が疲弊するのを望まないとするものであり、面談は理事会の依頼により実施された。この前提を隠蔽・歪曲することで、わたしが些細なことをハラスメント扱いし、理事会に過剰な要求をしたかのような、悪質な印象操作を行った。
    5. 面談の条件(2)を破った。
    6. ハラスメント対策のための事例提供を目的に提供された情報を、提供者に断りなく、別の目的(提供者の人格および提供者の別件についての証言の信憑性の判断材料)に使用した。
  •  わたしは複数の理事や助言者に対し、庶務理事との間で編集委員長の仕事放棄に関する面談は実施されていないことを報告した。これに対し、彼らは以下のような認識を示した。庶務理事は中丸が大変な思いをして気の毒だと発言するなど同情的なのに中丸がそれを悪く取るのは理解が足りないからだ。忙しいので情報を混同したからと言って責めるべきではない。この件での面談とは明言していないので嘘はついておらず訂正の必要もない。面談したこと自体は事実なので問題ない。中丸が委員長以外のハラスメントについても担当理事宛のメールで言及しているため、庶務理事にとっては本件と面談の件は連動しており、1年以上前の面談であることや経緯の説明をせずに理事会で面談についての報告をすることは自然である。会長と庶務理事は中丸の報告事例を些細なことと受け取った可能性が高く、そうであるとすれば、些細なことをハラスメント扱いする面倒な者として理事会で提示することは当然である。庶務理事も女性として日本独文学会でセクハラを受けてきたと推察されるため、中丸の訴えを真剣に聞こうとしたに違いない。
     なお「2017年度・18年度会長による脅迫・虚偽報告・誹謗中傷・差別発言」でも述べる通り、会長はある委員に対し、庶務理事とわたしが「40分間」の面談をしたと述べた。2018年7月の面談は2時間前後と所要時間が大きく異なるため、庶務理事が、2018年の面談について意図せず説明不十分な言及をしたために誤解を招いたのではなく、意識的に虚偽を述べた可能性が高いことも指摘しておく。
  • 2019年6月7日の理事会終了後、庶務理事は「申し立てをされた方の思いをきちんと聞くべきであるという意見が理事会上で出されましたので、現理事会の一員として、一度お目にかかってお話を伺わせていただければと存じます。現理事会の任期は明日をもって終了しますので、私も明日で庶務担当理事の任を外れますが、直近であれば(以下略)」という連絡をした。わたしは、すでに会長が「「ハラスメントではない」と認定」したにもかかわらず、理事会で本件を「ハラスメント問題」として取り上げたことに戸惑っていること、本件を解決することなくなされる学会全体のハラスメント対策には興味がないこと、わたしが求めているのは事実の認定であり、「思い」を伝えたいわけではないことを理由に、面談を断った。加えて、「中丸が言うことは客観的事実と認められない」「編集委員長の言うことを疑う客観的根拠がない」という会長と担当理事の判断基準が不公平であること、彼らがわたしの主張を歪曲したことを述べた。これに対し、庶務理事は「今回の件につき、申し立てを受けた現理事会構成員の一人として、メールではなく、直接、中丸さんご本人に会ってお話を伺いたいと考え、昨日ご連絡さしあげた次第です。」と面談の提案を繰り返した。わたしは、上記判断基準のもとでなされる面談で元庶務理事がわたしの主張を正しく理解する可能性は極めて低いこと、仮に正しく理解した場合にも、すでに理事ではないため問題の解決につながらないことを理由に、面談を断った。一方、庶務理事が理事会でわたしとの別件での「面談」について報告したことはわたしには通達されず、庶務理事とのメール交換より後に、複数の匿名・非匿名の理事会出席者の証言で明らかになった。
     庶務理事の提案には、以下の通り不審な点が3点ある。第1に、編集委員長の行為は会長によって「「ハラスメント」ではないと認定」されている。その認定を引き継ぐのであれば、「思い」の調査は不要である。会長の認定を覆して調査を行う場合には、会長もしくは新会長からわたしへの報告と経緯説明が必要である。庶務理事からも、調査を行うことにしたという説明はなかった。第2に、次期理事会の案件とするのであれば、面談は後任の庶務理事に引き継ぐのが妥当である。任期が切れた後で「現理事会の一員として」(つまり、すでに解散した理事会の一員として)面談を行うのは不自然である。第3に、中丸の「思い」を聞くべきだという意見が出た、それを受けて庶務理事の面談が決定した、と主張したのは庶務理事のみである。複数の匿名・非匿名の理事会出席者には、できる限り詳細に議事内容を証言するよう依頼したが、このやり取りについて証言した者はなかった。後述する担当理事の報告でも、このことについての報告はない。加えて、証言した理事会出席者全員が、庶務理事が2019年に編集委員長の仕事放棄の件で長時間にわたり中丸と面談したと認識していた。その際に、庶務理事が感情的で手が付けられなかったと報告したのであれば、中丸が「感情」を吐露したと認識するはずである。そのうえで、庶務理事に対し、任期終了後に「思い」を聞くために二度目の面談を要求する意見が出るとは考えにくい。
     これらを踏まえ、面談の提案は、理事会での議論に起因するものではなく、庶務理事が理事会での議論を捏造し、独断で提案した可能性を指摘する。彼女がこの提案をした理由は明らかではないが、自身が理事会で報告した「面談」の経緯や内容が明らかになったときに備え、「編集委員長の仕事放棄について面談を行った」という既成事実を事後的かつ早期に作ろうとしたと推察される。メールのやり取りではなく直接会うことに固執したのも、「面談」という既成事実を作ることが目的であれば辻褄が合う。メールと違い、やり取りの履歴が残らない面談であれば、印象操作も容易である。
    2017年度・18年度理事=元共同研究者による人格否定・脅迫
  • 2019年6月8日の日本独文学会全国大会懇親会、および、学会終了後のメールにおいて、独文学会の理事でもある元共同研究者から本件についてのコンタクトがあった。当該理事は、当時、中丸が編者を務める独文学会とは別のプロジェクトの論集(以下、プロジェクト論集)への寄稿を予定していた。当該理事はそれ以前に中丸と共同研究をしていたが、研究会の運営に際して状況にそぐわない提案や物理的に不可能な要求をする、一つの提案・要求を呑むとエスカレートする、提案・要求を断ると「本気で××を研究するなら××するのは当然だ」などと論点をすり替え人格を否定する、中丸の研究者としての能力を低く見て雑用を押し付けるなどの問題行動があった。一方、プロジェクト論集の元となる企画に貢献したため、中丸は共編者たちと協議の上、当該理事と話し合いをし、編集方針に異を唱えないことを条件に寄稿を依頼していた。
  • こうした中、当該理事は、6月10日付けのメールで「独文学会との闘いは、今後どうなりそうですか?獲得目標をどうするか等、固まっていたら教えてください。私のできる範囲で支援しますので」と書いた。中丸は、理事会には委員長の仕事放棄の判断材料となるすべての情報を提供したのでこれ以上は何もしないこと、理事会の虚偽報告によって失われた名誉の回復を重んじること、事実が明らかになるためには委員長の仕事放棄がさらに長期化するほかないことを述べた。これに対し、当該理事は、「自分の憶測が正しかったことを証明したいがために、論集の刊行が今よりもっと遅れることを願う・・・みたいな感じになっているのは、本末転倒もいいところ」等、中丸が至らないとする点を縷々指摘し、ハラスメントについて「自分の訴えに確信があるのだったら、堂々とそれをメインに主張するべきです」等と扇動した。わたしは理事会に対し、ハラスメント対策を主目的とする意見を一度も出していないため、当該理事の指摘や主張は的外れである。プロジェクト論集の刊行を控え、議論の泥沼化を避けたいことから、わたしはやり取りの継続を拒否した。これに対し、当該理事は、道義的に間違っている者の企画に業績欲しさに手を貸すことはできない、当該理事すら説得できないあやふやな論理の持ち主が理事会に勝てるはずはないので、理事会と戦うのか戦わないのか態度を明らかにしろ、それができないならばプロジェクト論集への寄稿を取り下げる、等と脅迫した。当該理事との建設的なやり取りは不可能で、反応すれば、これまでの経緯や本来の論点を無視して議論をすり替え、一見正論と見まがうレトリックを用いて人格攻撃を続けることが目に見えていたため、わたしは返信をしなかった。一方、出版社・共編者と協議し、こちらから依頼した原稿をプロジェクト外の理由で断ることはできないとの結論に達し、当該理事の提出済み初稿にコメントをつけて返送した。2019年7月30日、当該理事は、出版社に対し、プロジェクト論集寄稿論文を取り下げると連絡した。中丸・共編者・出版社は、依頼時から取り下げに動じない体制を作っていたため混乱は生じなかった。
  • 理事会にハラスメント対策を要求したいのであれば、当該理事には、理事として議題にする権利と義務がある。要求はわたしにさせ、自分は「できる範囲で支援」する姿勢は卑怯であり、理事会との交渉を「闘い」に読み替え、わたしを煽って楽しむ態度は悪趣味である。当該理事が自身の主張の矢面に中丸を立たせようとしたこと、学会内で孤立し困っている者を支援すると言いつつ追い詰める言動、相手の道義性への軽々しい断罪、独文学会とは無関係なプロジェクトを巻き込んだこと、そして何より、安全圏から浅薄な正義感を満たすために他の研究者が数年にわたり手塩にかけてきたプロジェクトを盾に脅迫したことを、わたしは絶対に許さない。論文の取り下げをちらつかせればわたしが困り、当該理事に泣きついて思い通りに行動するだろうとする評価も侮蔑的である。
  • この頃まで、わたしは、個人の人格と研究者としての能力は切り離して評価すべきと考えていた。才能ある研究者のキャリアがセクハラやアカハラの告発で途絶えることを望まない立場から、わたしはハラスメントに対して寛容であり、当該理事や会長や助言者を悪く言う者に対して彼らを擁護してきた。彼らが研究者である以上、人格がどうあれ、研究態度と能力についてだけは尊重しあえると考えていた。しかし、当該理事を含む学会理事らの態度は、他者を軽んじるが学問には忠実な態度ではなく、自分の感情を満たし地位を保全するためなら平気で事実を歪曲し、他者も学問も軽んじ利用する態度である。学会での評価が高い者の研究能力にも現在では疑問を抱いている。些末な例だが、当該理事は、2019年6月11日付のメールで、ゼミ論集を刊行する出版社について「あそこは日本人が書いたドイツ語に対してがっつり語学チェックをしますので。『ドイツ文学』の日本語版が誤字脱字だらけなのに対し、ドイツ語版はそうでもないのは、そういう理由です」と事情通のように述べたが、実際には、出版社による語学チェックは行わなれなかった。学会における高い評価や地位は、必ずしも研究能力だけで定まるのではなく、不確実・不正確な情報であっても威圧的に述べマウントを取ること、権力者にすり寄ること、能力ある者に無能のレッテルを貼って貶め利用すること、引き上げれば他者が困惑するほどの価値が自分の仕事にある(もしくは他者がそれほどに無能である)と根拠なく過信すること、相手が困ることを得々と行い支配の手段とすること、そして、そのような者を周囲の者たちが信奉し利益を得ることで確立することに思い至った。
  • なお、以下は当該理事の言動を許す根拠にはならないが、6月8日から11日にかけてのやり取りにおける齟齬の直接の原因は、当該理事が会長・庶務理事・担当理事の虚偽報告を通じて中丸の主張を認識したことである。当該理事の原稿未掲載がプロジェクト論集に良い結果をもたらしたことや、当該理事を含む複数の独文学会会員との関係断絶が中丸に良い結果をもたらしたことは、会長・庶務理事・担当理事・委員長・新会長の虚偽報告が、彼ら・彼女らに対し、中丸の人格・能力に関する評価を貶め、多くの人間関係を壊したことを擁護しない。
    2017年度・18年度会長による脅迫・虚偽報告・誹謗中傷・差別発言
  • 2019年6月6日にわたしが委員長の仕事放棄と理事会の対応をSNSでつながりのある独文学会員に限定投稿したことについて、会長が、春季研究大会開催中である6月7日に、会場校の敷地内で、委員の一人に対し、学会の長たる自分を公の場で中傷したからには学会全体として対応する、中丸は庶務理事との面談のような自分に不利な情報は隠しており研究者として不適格である、過剰反応するので家族に連絡を取りカウンセリングの受診を勧めるべきだ、という趣旨の発言をした。また、わたしが裁判を検討していると根拠なく思い込み、中丸が学会を訴えるなら、学会も当該投稿を理由に中丸を名誉棄損で訴えると発言した。加えて、理事会出席者の一人に対して、わたしが会長のメールを間接引用であるにも関わらず「 」に入れて直接引用として取り扱っており、引用のルールを守っていないので削除させろと主張した。実際にはわたしは「 」は使っていないため、会長のこの主張は虚偽である。なお、現在に至るまで学会や会長からわたしに対し投稿削除の正式な依頼はない。
     会長の発言には、以下の極めて重大な問題がある。
    1. 「対応する」「訴える」を、問題解決のための提案としてではなく、相手を黙らせる意図で発することは脅迫である。
    2. 仮にわたしの投稿が中傷にあたるなら、相手が会長か否かに関わらず、学会は何らかの対応をする必要がある。「中傷」の相手が会長であるという理由で、SNS投稿が学会としての対応の対象になるとする主張は、学会の私物化にあたる。
    3. わたしは委員長の仕事放棄の件で庶務理事と面談していないため、そのことを委員に言わなかったことを根拠とした非難は、根拠のない誹謗中傷にあたる。会長は、委員に対し、庶務理事は中丸の依頼を受けて40分間の面談をしたが、そのことを知っているかと尋ねた。委員が知らなかったと答えると、会長は、そうでしょう、理事会はきちんと対応しているのに、中丸さんは自分に都合の悪いことは一切言わないような人なんです、研究者としてあり得ない、何にでも過剰に反応するので、家族に連絡が取れるならカウンセリングを受けさせるよう言うべきだ、と発言した。会長発言を信じ込んだ委員は中丸に不信感を抱き、人間関係に亀裂が生じた。2018年7月に実施された面談の時間が「40分間」でなかったことは、「2017年度・18年度庶務理事による虚偽報告および情報の不適切な取り扱い」で述べたとおりである。
    4. わたしはSNS投稿で不適切な引用をしていないため、不適切な引用を行なったとする主張は、根拠のない誹謗中傷にあたる。
    5. カウンセリングを勧めることは、この文脈においては、わたしが相手ではまともな対話は成立しないという評価を意味する。会長発言は、わたしに対してだけでなく、カウンセリングを必要とする者に対する強い差別意識の表れである。
    6. わたしは2019年6月8日に、会長からの依頼を受けて不適切な引用があるSNS投稿を削除するよう助言した理事会出席者に対し、SNS投稿と編集履歴を提示し、引用が正しく行われていることを証明した。しかし会長は、SNS投稿の削除依頼を取り消さなかった。もしくは、当理事会出席者は会長に対し、引用が正しくなされていることを伝えなかった。2019年6月28日には、後述の新会長が会長に対し、庶務理事による面談が行われていないことを伝えた。しかし会長は、委員に対し、発言の訂正を行わなかった。
    7. 会長発言の直接の受け手である委員、および、中傷・脅迫の対象である中丸が、社会的にも学会内でも会長より明らかに弱い立場にあることは、この問題をさらに深刻かつ悪質にするものである。
  •  会長の発言について複数の理事に報告したところ、いずれも、理事会の席上での発言ではないため対応する必要はないという見解を示した。しかし、根拠のない誹謗中傷、脅迫、学会の私物化、差別発言、とりわけ、会員の研究者としての人格・適性を虚偽に基づいて否定する発言はどのような場であっても許されない。加えて、これらの発言は、学会会場となった大学の敷地内という公の場で、学会の長としての立場を明言したうえでなされている。理事会の席上での発言でないことは、学会・理事会・会長が会長発言の責任を逃れ得る理由にはならない。会長は会員による選挙で選ばれた理事の中から互選されるため、会員の理事選出責任および理事会の会長任命責任が問われるべき事例である。
  • 2019年6月のSNS投稿を会長にリークしたのは、2015年度・16年度日本独文学会関東支部長である。わたしは当支部会で幹事を務めていた。当支部会では、幹事の一人(「2017年度・18年度庶務理事による虚偽報告および情報の不適切な扱い」で言及したセクハラ・パワハラ加害者)が、幹事会で諮るべきことを幹事会での議論を待たず外部に対して一方的に通達する、幹事会での決定が特段の理由なく、議論も経ずに破られる、会計書類の紛失と紛失した事実の隠蔽、使途不明金の発生、選挙不正が行われた。支部長は、これらを問題視したわたしの前では問題を起こした幹事を批判したが、当該幹事を含む他の幹事や会長に対してはわたしを貶めた(なお、この時期に関東支部長は中丸と有志が開催する長寿祝いを受けた)。また、2016年12月の関東支部会総会において、当支部の下部組織かつドイツ語教育部会の共催組織である、ドイツ語教育研究会の扱いが議題となった。同研究会は、長年地道に活動してきたが、関東支部の活動が活性化したことなどから継続の意義が低下していた。当時ドイツ語教育部会理事であった2017年度・18年度会長は、「もうこんなものいらないから、教育部会は共催を外すことにしました」と発言した。わたしは、同研究会は「こんなもの」ではないこと、関東支部の活性化は同会の地道な活動に負うところが大きいこと、同研究会の解散は「いらないからなくなる」のではなく、発展的解消と位置付けられるべきであることを確認したうえで、切りのいい開催回数まで関東支部による研究会と共催扱いとし、同研究会の意義と功績を確認する機会を設けたのちに解散することを提案した。この提案は総会で可決され、関東支部長は解散式で同研究会主催者に花束を贈呈する旨を提案した。しかし実際には、何らの審議を経ることなく、ドイツ語教育研究会は次の回から共催組織としての名称を抹消される形で解散した。
  • 理事会における複数の理事の虚偽報告、庶務理事による事実の歪曲、会長の不適切発言、それらに対する他の理事および会員の態度の背景には、強い女性蔑視が存在する可能性がある(なお、委員長の行為とその背景については、わたしは当時も今もセクハラとは認識していない)。虚偽報告から浮かび上がるわたしの人格・能力は、論理的・客観的な議論ができない、委員長を逆恨みして理事会や執筆者を巻き込むなど感情的で自己中心的である、理解力がなく聞く耳も持たない、というものである。わたしに対して寄せられた批判には、わたしが一名の匿名情報提供者の一面的な情報を鵜呑みにし、理事会を誤解しているというものもあった。実際にはわたしは、複数名の情報提供者の証言と関係者のメールや証言を精査して状況を判断した。また、理事会での報告が虚偽であったことは、誤解ではなく、当事者を含む複数の理事も認めるところである。複数の理事による虚偽報告がまかり通る一方で、わたしの提示した事実は常に「誤解」や「一面的な理解」と見なされたこと、理事による虚偽が発覚したのちも訂正の動きが全く見られなかったこと、訂正や事実認定を求めることが「断罪」「叱責」にすり替えられたことの背景として、女性はヒステリーである、理解力が低い、論理的・客観的でないという偏見を理事会構成員たちが共有していた可能性を指摘する。つまり、報告者が、わたしの言動の中から、意識的もしくは無意識的に上記のイメージに合致する箇所を抜粋・誇張して報告した可能性、報告を受けた側が、わたしが女性であるという理由で虚偽報告に疑念を抱かず、事実が明らかになった後も、中丸/女性は本来そのような人格であり、虚偽報告により拠出された像と大きく異なっていないと判断した可能性が否定できない。彼ら・彼女らが、わたしの行動に常に個人的・感情的な動機を求め、具体的な問題解決策ではなくわたしの「気持ち」への対処を問題にすることで、わたしの主張や行動を矮小化したことは、それを傍証する。
     そもそも、女性から「ハラスメント」という言葉が出るだけで、それを短絡的にセクハラに結びつける不用意な認識は、それ自体がセクハラの温床である。仮にわたしの主張が「遅延がハラスメントである」ならば、その主張内容はわたしの性別とは無関係である。性別と主張内容がこれほどまでに安易に結びつけられる環境でなされた、面談時のわたしが感情的で手が付けられなかったとする庶務理事の発言は、「2017年度・18年度庶務理事による虚偽報告および情報の不適切な扱い」1.~6.の問題に加え、女性差別を明らかに助長させるという点、同性を貶めたという点においても、極めて悪質である。
    2019年度・20年度会長(新会長)による議事録改竄・虚偽報告・事実の隠蔽
  • 2019年6月7日の理事会の交代で新たに会長に就任した会員(2011年度・12年度実行委員長と同一人物。「新会長」と表記)が出版社に確認したところ、原稿を送ったとする委員長の報告が虚偽であると判明した。これを受け、新会長は匿名で編集作業を補助する形で介入した。新会長は2019年6月20日、何の説明もなく、ただ、自分が補助をするので状況を報告するよう編集委員会に依頼した。わたしは、6月20日の電話によるやり取りと、6月27日の日本独文学会事務局での面談において、名誉の回復と事実の認定を条件に、新会長に各原稿の状況を報告し、新会長が担当する出版社・執筆者とのやり取りを除くすべての編集業務を担当することを約束した。新会長との交渉により、トップクレジットは委員長からわたしに変更された。しかし、新会長は、委員長の仕事放棄という事実の認定と報告、理事会における虚偽報告の訂正、原稿を放置された執筆者への状況説明をしなかった。編者校正およびネイティヴチェックの依頼と取りまとめは、新会長が行わなかったためわたしが行った。またわたしは、新会長の指示のもと、表紙の画像の選定・使用許可の手続き、ネイティヴ委員とのやり取り、目次・序文・奥付の確認など表に出ない煩雑な作業をすべて行なった。しかし、新会長は、執筆者および一部の理事に対し、わたしの担当を「スケジュール管理」という言葉で報告し、実質的な編集作業の大半を担ったことは一度も報告しなかった。正規の理事会の場では「スケジュール管理」の報告すらしなかった。理事会での新会長の発言・非発言は、理事会からの正式報告ではなく、匿名情報提供者からの情報提供で明らかになった。
  • 理事会での複数の偽証が明らかになったものの、匿名情報提供者を含む複数の理事会参加者から提供された情報は断片的であったため、議事内容を確認するため、わたしは2019年6月27日に新会長と上述の面談をした。事前に、新会長に議事録の閲覧を求めたところ、新会長はこれを規定上できないとして拒否したが、議事録を確認したうえで理事会当日の話をすると約束した。しかし、中丸が面談に訪れると、議事録はまだ作成されていないと述べた。2019年6月29日付のメールには、よく探したら議事録があったが、自分の記憶に間違いはなかったと書かれていた。理事会構成員からの報告によると、その後、正式に発行された議事録からは、本件に関する記録がすべて削除されていた。
     記録文書に関する発言が短期間のうちに二転三転すること、新会長の一存で議事内容を削除することは、組織運営上許されないことである。文学の学会が、文字テクストを主な対象に真実を追求する文学研究者の集団であることに鑑みれば、新会長の行為はより一層悪質である。
  • 新会長の介入後、委員長は突如、出版社に原稿を送付して混乱を招いた。これらの原稿は半年以上手を加えられていないものであり、その中には、査読を終えていない論文、ネイティヴチェックを受けていない論文も含まれていた。編者校正もなされていなかった。執筆者紹介一覧には委員が収集した一般執筆者のみが掲載され、委員長が収集を担当するはずだったドイツ語圏招待講師2名、アジアゲスト2名の紹介は掲載されていなかった。委員長が唯一作成したのは目次と奥付であり、奥付には委員長の名前がトップクレジットされていた。これを受け、新会長は、理事会・執筆者に、委員長が出版社に原稿を送ってくれたと報告した。2019年6月7日の理事会における数々の虚偽報告(庶務理事との面談に関する虚偽、わたしの主張内容の歪曲を含む)のうち、唯一なされた訂正は、委員長が出版社に原稿を送った日付のみである。またこの訂正は、2019年6月28日の正式な理事会の場ではなく、理事会終了後に旧理事を集めて非公式に行われた。
  • 匿名情報提供者の証言によれば、新会長が委員長のクレジットを残すと報告した際、元会長はそれで訴え出た方は納得したのかと発言し、理事会において、わたしが一人でヒステリーを起こし続けて困るとする風潮を継続させた。理事会終了後の懇親会の場では、ある理事が2017年度・18年度担当理事(2019年度・20年度の新理事会では庶務理事だが、当表明文では継続して「担当理事」と表記)が大変であったとして労った。これに対し、担当理事はみんな仕事が忙しくて疲れてるんですよ、と発言し、懇親会出席者に対し、わたしが編集委員の仕事が忙しくてパニックになり、委員長を逆恨みし、それを晴らすために理事会に無理難題を押し付けたという印象を与えた。これを受け、複数の理事によりわたしに対する揶揄が行われた。このように、新理事会においても、旧理事会から引き続き理事を担当した複数の会員を中心に、わたしに対する誹謗中傷は続けられた。
  • 論集の元となる合宿ゼミはドイツ語圏から招いた招待講師を中心に構成される。このため、招待講師の論文は論集の極めて重要な構成要素として位置づけられる。招待講師の一人は、新会長の介入以前に、編集委員長に対し、刊行時期等などについて複数回メールで問い合わせをしたが、編集委員長は返信をしなかった。このことで立腹した招待講師は、新会長の介入により作業が再開された後も、ゲラ校正と執筆者紹介作成を拒否した。新会長はこれに対して謝罪も説明もしなかった。ゼミの目的は、日独の人材交流にある。招待講師に無体を働き気分を害した編集委員長の行為は言うに及ばず、一切のフォローをしない新会長の行為も、ゼミ本来の目的を逸脱し、長く続いた当ゼミの価値を損なう無責任な行為である。
    編集委員=理事による職権乱用・責任逃れ
  • 編集委員の中には理事(後述の「揶揄・冷笑・中傷」において、中丸を「嫌われ役」と述べた会員)もいた。2016年度に実行委員会に加わった当理事は、理事会で委員長の仕事放棄を証言しなかっただけでなく、本件が問題化すると編集委員を辞任した。わたしは編集委員会発足時の2017年5月12日に、編集委員会における作業分担を決定するため、当理事と面談した。当理事は勤務校の役職や日本独文学会の別行事の実行委員を務めるなど多忙であったため、わたしは編集委員ではなく査読者として参加することを提案した。当理事はこの提案を受け入れたが、後に、委員長に対し、編集作業は行わないが編集委員としてクレジットするよう働きかけた。
  • 2019年8月に編集委員辞退を新会長から報告された際に、わたしが当理事に対し説明を求めたところ、2019年8月10日付で「当時のやりとりの詳細は覚えていないので、コメントは避けておきます。どちらにしろ、編集委員としての仕事はしていませんので、クレジットを外していただくようおねがいした次第です。」と返信した。編集委員になるかどうか、なる場合にどのような仕事をするかはキャリアに関わる問題であり、就任の経緯を覚えていないのは不自然である。また、当理事は他の編集委員たちが行ったような編集作業や執筆者との連絡等はしなかったが、編集委員として、委員長の仕事放棄を早い段階から知っていた。仕事放棄に際して委員会内で何ら働きかけをせず、理事会でも一切の証言をしない一方で、理事の立場を利用して編集委員を外れ、事後的に責任追及を逃れる行為は、卑劣である。
    新会長による論文編集における不当行為・不正行為
  • 新会長は、2019年6月27日の面談時には、執筆者や出版社とのやり取りは自分が一括して行うが、編者校正には人手が必要なので編集委員会に声をかけると明言した。しかし実際には、一部の論文のネイティヴチェック、全論文の編者校正を省略して論集を刊行しようとした。出版社に原稿を送る前の最終チェック、初校校正、再校校正の際にも、ネイティヴチェックと編者校正を行わず、出版社にそれらを依頼することもなかった。また、2018年11月の段階で査読に通らず、同年12月に再提出された論文について、半年以上待たせたのに不採用とは言えないという理由で、掲載に疑問を呈する査読者に対し、当該論文を査読に通すよう指示した。わたしは、新会長から最終校である三校のチェックを依頼されたため、2019年9月15日以降、ドイツ語を母語とする編集委員に声をかけ、協力者に謝金を払って査読・ネイティヴチェック・校正を行なった。その結果、査読に通らなかったが新会長の助言で掲載が決定した論文に、複数の不適切な引用(信頼できない文献を引用している、引用元の主張として書かれていることが実際には主張されていない、直接引用として示されたキーワードが該当ページにない、引用元の書籍が存在していないなど)が見つかった。不適切引用は主に日本語文献からのものであり、ドイツ語ネイティヴの査読者がチェックしきれなかったものである。これを受け、新会長・査読者・一部の編集委員と協議のうえ、一定の手続きを経て、2019年10月10日にこの論文の掲載を取り消す決定をした。
  • 新会長は、自身も9月29日以降、掲載取り消しの協議に加わった。その一方で、新会長は、執筆者との連絡をわたしにさせようとした。執筆者との連絡係は新会長であることを理由に、わたしが執筆者のやり取りを新会長に任せる旨を伝えたところ、新会長は、執筆者に対して、10月2日付のメールで「編集委員会より、次のような依頼が届きました:>校正刷りをチェックした結果、注のなかに多くの誤り、不正確な情報、典拠として不適切なものが見つかりました。〔中略〕注の修正をお願いいたします。期限は一週間後とします。よろしくお願い申し上げます。とのことです」と自身の関与を隠匿し、その後も、すべての指示が「編集部」「編集委員会」によるものであることを繰り返し強調した。10月10日、新会長は、出版社に当該論文の削除を依頼した。
     10月19日・20日には独文学会の秋季研究発表大会が開催され、新会長と執筆者は大会会場で顔を合わせる可能性があった。新会長はわたしに対し、10月17日付のメールで「明後日の学会で本人にお会いしたとき〔中略〕、不採択の件は話さないで、編集委員会の結果待ち、とだけ話をしておくつもりです」、10月18日付のメールでは「会場では、書きましたように、結果については伝えません。結果をお伝えする時も、「編集委員会としての厳密な協議をした結果として送られてきた」とのみ付言しようと思います」と、自身の関与を隠蔽する旨を繰り返し明言した。わたしは新会長に研究大会第一日目の10月19日夜に執筆者へのドイツ語通知文を送った。新会長は10月20日6時12分付の中丸宛メールで「意を尽くした文章で、誰がどう見ても正当な判断だと考えると思います。私もまったく異存ありません」と受領連絡をし、10月20日15時34分付の執筆者宛てメールで「学会ではお疲れさまでした。帰宅しましたら、先日のゲラチェックに関しまして、論集編集委員会より、下記の通りのメールが届いておりましたので、お伝えいたします。はなはだ残念な結果ですが、厳密な審査と協議の結果であると愚考いたします」と連絡した。このように、新会長は、掲載取り消しがもっぱら「編集委員会」によることを繰り返し強調し、再査読の経緯や編集委員会から再査読結果を受け取った時期について複数の虚偽を述べ、自身の関与を徹底的に隠匿した。
     新会長はわたしに対し、事実の認定と名誉の回復を約束しながら、レトリックを駆使し、編集作業の再開など人に喜ばれる行為を報告する際にはわたしの関与を隠蔽もしくは過小に提示する一方、掲載取り消しなど嫌がられる行為の責任をすべてわたしに帰した。
  • 匿名情報提供者によると、2021年2月の理事会で中丸の退会が報告された際、新会長は「残念だ」とコメントした。新会長が少しでも中丸を人間として見ていれば、恥ずかしくてできないコメントである。
  • 新会長の一連の行為について、助言者に報告したところ、助言者は以下のような詭弁を弄した。中丸は被迫害感が強く気の毒である。新会長がわたしの仕事継続を理事会で報告しなかったのは、理事会において評判の悪いわたしを再度関わらせることへの批判を避けるためと推察されるので、新会長に落ち度はない。査読や編者校正はなされるべきであるが、三校校正で大量の校正をすることは非常識である。新会長にとっては、決着すると思われた矢先に新たな問題が浮上したことになり、無関係なふりをするのは当然である。問題のある論文の掲載・不掲載については、査読者に全責任があり、掲載を助言したり、不掲載を認めたりした新会長には一切の責任がない。新会長の「帰宅しましたら」には、「何月何日に帰宅したら」という日付の記述はないため、新会長が掲載取り消しを知った時期を偽ったとは認められない。
     これらの詭弁は、理事会における虚偽報告が許されるか否かという正義と手続きの問題を、わたしが「被迫害感」を覚えるかどうかという感情の問題にすり替えている。その上で、新会長が、わたしに編集作業を続行させない権限や、掲載取り消しを含む三校校正を出版社に伝達しない権限を行使するのではなく、理事会および執筆者に対して複数の虚偽を述べたことを全く正当化できていない。テクストを厳密に読むことを職業とする文学研究者である助言者が、非論理的かつ相互に矛盾する言説をもって新会長を擁護したことは遺憾である。特に、研究大会終了直後のメールにおける「学会ではお疲れさまでした。帰宅しましたら」を、2019年10月20日以外の帰宅時と解釈するのは不可能である。日付未記入が期日を偽らないことを意味するという弁明は、研究者にあるまじき幼稚な、醜悪の一言に尽きる妄言である。
    元担当理事による事実の歪曲・隠蔽
  • 作業再開後の2019年7月3日、担当理事からわたし宛に、次のような報告がなされた。「理事会では、かなりの時間を割いて、中丸さんの訴えについて、議論が行われました。」「限られた時間のなかで、理事会メンバーが、さまざまな角度から中丸さんの訴えについて真剣に検討し、意見を出し合ったことは間違いないことです。このようなことが今後起きないように、××ゼミの委員会の組織の在り方を今後見直すべきであるという提案や、ハラスメントなどの訴えの窓口を作る方向で検討すべきであるという提案もなされました(この提案は新理事会にて引き取って積極的に検討することが表明されました)。」「結果として、中丸さんが求めているようなかたちで、理事会が××先生を断罪したり、罷免したりする、ということにはなりませんでしたが、それは中丸さんの訴えに信憑性がないとして退けたことを意味するわけではありません。訴えは深く受けとめたけれども、それを事実として認定するには、編集委員全員の聞き取りを必要とするなど、膨大な作業が必要なので、軽々にそれを行うことは不可能である、ということです。」「新会長は、中丸さんのこれまでの貢献に応えるためには、着実に論集の刊行を実現し、そのなかで中丸さんのお名前をクレジットすることだと考えておられます。」「会長ご自身が、今後は××出版社とのやり取りを主導することで、論集の早期刊行を実現するつもりでおられます。」
     この報告は、以下の点で不誠実かつ不正確である。
    1. 訴え内容の歪曲や虚偽報告により、的外れな議論をしたことを隠蔽している。
    2. わたしの要求は、委員長の罷免もしくは交代による編集委員会の正常化である。これを、理事会による「断罪」にすり替えている。
    3. 担当理事がわたしの報告(編集委員・執筆者の複数の証言を伴うもの)を根拠がないとして退け続け、対応をしなかったために作業再開・刊行が大幅に遅れたことに言及していない。
    4. 出版社に原稿が届いておらず、委員長が新会長に対し仕事放棄を認め、新会長が介入したにもかかわらず、委員長の仕事放棄を事実認定しないのは奇異である。
    5. 事実認定に必要な証言者数を変更した。新会長介入以前の2019年5月30日のメールでは、事実の認定には委員長および「編集委員会のメンバーの少なくとも半数以上から状況を聞きとる必要があると思われますが、それは理事会には不可能な作業である」と主張していた。必要な証言者数が変更されたのは、この間に委員長が新会長に対して仕事放棄を認めたほか、編集委員9名のうち5名が証言をし「半数以上」がそろったためと推察される。そもそも、10名程度(この時点では残り4名)に対する聞き取り調査を不可能とする主張は詭弁である。
    6. 中丸の情報提供や作業続行の価値を認定していない。
    7. 中丸が若手執筆者に原稿取り下げを提案した際に担当理事がなした、中丸が若手執筆者に不利益を与えた、復讐のために若手執筆者を利用したとする誤った判断・妄言・侮辱を撤回していない。
    8. 新会長が作業をし、中丸の名前をクレジットすると述べている。匿名情報提供者によると、新理事会出席者も新会長がすべての作業を一人で行なっていると認識していた。作業を放棄するがクレジットは要求する(またはそれを了承する)人物としてわたしを提示することは、わたしの人格を著しく侮辱する虚偽である。
  • 担当理事と近いところにある助言者は、担当理事が体調が悪い中委員長にコンタクトを取ろうと必死であったこと、中丸の気持ちに沿いたいと発言していたことを理由に、わたしが担当理事の誠実さや懸命さを認めず、至らないところを責め立てていると評価した。しかしわたしは、努力した結果失敗したことや、至らなかったことを責めたことは一度もない。わたしは他人の誠実さを論じられるほど立派な人間ではないと自認しているため、以下のような議論は普段はしないが、助言者に、次のように質問した。担当理事は、2019年6月7日の理事会において、会長と庶務理事がわたしの主張を歪曲したことや、庶務理事との面談が行われていないことを知りながら、その場で訂正しなかっただけでなく、事後的に同助言者に相談もしなかった。また、委員長の仕事放棄が明らかになった後も、事実認定を拒否し、自身の過失を認めず、わたしの名誉を回復しなかった。わたしの考えではこれらの行為は誠実ではない。一方、委員長と連絡がつかなくなれば、作業を進めているとする委員長からの言質、すなわち、対応不要であるとの自身の主張の根拠を失うため、自身を守るために必死になったという説明は成立する。以上の指摘に対し、助言者は同じ主張を繰り返すばかりで、納得できる説明はなかった。
     助言者は「中丸さんには、「理事会の席上で自分の名誉が傷つけられた」ということと、「理事会に出ていた人たちが、その後、いろいろな場所で自分の名誉が傷つくようなことを言った」ということの区別はつきにくいでしょうが、少なくとも、理事会の席上では、間違った情報に基づいてではあったにせよ、中丸さんの献身的なお仕事に感謝しつつ(それも、中丸さんのお考えでは、けしからぬことになるでしょうが)、しかしまたそういうことが起こってしまったことを問題にしつつ、それなりに話し合いがなされました。繰り返しになりますが、中丸さんをそこで非難した人はいませんでした。ご不満は当然いろいろとおありでしょうが、独文学会の理事会も、ありとあらゆる誤解や無理解や行き違いの果てに行われているものでもありまして、残念ながら、それらのすべてを訂正しながら運営を進めていくことは不可能です。」とも述べた。わたしは理事会の外ではなく、理事会においてなされた事実と異なる報告の訂正を求めたため、このコメントは的外れである。同時にこのコメントは、「理事会に出ていた人たちが、その後、いろいろな場所で自分〔引用者註:中丸〕の名誉が傷つくようなことを言った」という部分は事実であることを傍証している。
     助言者は、学会運営にはトラブルや嫌なことがつきものであり、自分の受けた不利益だけを声高に叫ぶべきではないとも主張した。また別の助言者は、当学会行事には今後二度と関わりたくないというわたしの報告に対し、「尽力した結果、もうかかわりたくないというのは、そう珍しくはないとはいえ、とても残念なことです」とコメントした。これらからうかがえるのは、これまでにも当学会で類似のトラブルが多発していたこと、当学会がそれらを何の対策も取らず放置していたことであり、当学会における差別と排除が組織的・構造的で、かつ常態化していたことである。尽力した者が二度と関わりたくないと考えるような状況が多発する現実に、よくあることだという暴論で蓋をし、保身を優先して組織を疲弊させる行為は、組織人として極めて無責任である。
  • 2020年11月2日に、編集委員の一人が中丸の求めに応じ、担当理事に連絡をした。中丸は「理事・執筆者・編集者・査読者による傍観、虚偽」で後述する通り、2019年6月7日の理事会出席者宛てに、2020年1月25日に意見書を提出した。当該委員の連絡は以下のとおりである。中丸の意見書に対し、理事会が返事をしないと聞いた。意見書の内容については自分も情報を咀嚼できていないが、以下については事実である。編集作業は、委員長からの返事がなく、度々滞った。中丸も自分も一度編集委員を辞退したが、2018年夏に他の委員の呼びかけで話し合いが行われ、委員長のもとで仕事を再開した。しかし、2018年11月に委員長からの連絡が途絶えた。上記に関しての対応、フォローは中丸が一人で行った。実質的な編集の仕事も中丸が統括して行った。「スケジュール表の作成から委員全員の背景事情を踏まえて均等に仕事を振り分けるなど、挙げたらキリがありません」。これを踏まえ、「(旧あるいは現)理事会が彼女〔引用者註:中丸〕の功績を認める、また編集委員会の立て直し等の行動が遅れた旨を認める正式な文書を送」ることを求める。
     このメールに対し、担当理事は、同年11月4日に、新会長と庶務理事2名をCcに入れ、以下のような返答をした。「××さんが「事実」としてお書きくださった3点については、過去に私が××ゼミ担当理事だったときに行った中丸さんや××先生とのやりとり、また××さんからの情報などと一致しており、それを集約して報告すれば、現理事会でもその通り認定されると考えます。これについて××会長および庶務理事の先生方と協議したところ、次回の理事会(2021年2月)で会長からこの件について事情を説明し、了承をえた上で、中丸さんの××ゼミ論集刊行にあたっての多大なる功績を確認し、それに対しての感謝の気持ちを表す書面をお送りする方針で一致しました。2020年1月に出された中丸さんの意見書は、メールの宛先上、前理事会に宛てられたもので、内容的にも前理事会の構成員を主たる対象としていました。ですので、現理事会でできることは何かと検討したところ、上記のような方針となりました。」
     あらゆる点において、おぞましいという一言に尽きる対応である。中丸に対しては、どれほど証言を集めてもその都度条件を変えて事実認定しなかったのに対し、従順な当該委員に対しては簡単にその条件を覆している(なお、当該委員の記述は、中丸が担当理事に対し2019年5月までに当該委員の名前を出して伝えた証言と同内容で、新規の情報はない)。また、中丸は、2020年1月25日付意見書で、(組織としての旧理事会ではなく)旧理事会出席者らに対し、旧理事会への要求の本来の内容、庶務理事との面談未実施、新会長介入後も編集作業の大半は中丸が担当したことを報告し、事実を正しく認識すること、同意見書の非受信者に対し研究者としての誠意をもって事実誤認を訂正することを求めた。新理事会が何らかの対応をするのであれば、旧理事会から未完了の論文刊行事業を引き継いだ組織として、新旧理事会の瑕疵を認める必要がある。担当理事は、中丸が解散後の旧理事会に組織としての対応を求めるという不可能なことをしたかのようなロジックを用い、「現理事会でできること」へと論点をすり替えるばかりか、具体的な内容を伴わない「功績」に「感謝」することを提案した。この提案は、以下の4点を意味する。1点目、事実認定を委員長の仕事放棄に限定し、担当理事自身、委員長、会長、庶務理事、新会長による虚偽報告は訂正しない。当該委員の「編集委員会の立て直し等の行動が遅れた旨を認める」要求にも応えない。2点目、委員長の仕事放棄についても「事情を説明」、つまり新会長のレトリックを駆使した口頭伝達で済ませ、文書には記載しない。3点目、中丸が担当した仕事について、漠然と「多大なる功績」と記載し、具体的な編集作業には言及しない。すなわち、新会長が介入後にすべての編集作業を行ったとする虚偽は訂正しない。新会長介入時に、中丸が各原稿の状況説明に際し提示した条件(新会長が新旧理事会・執筆者に対し、委員長の仕事放棄の事実、中丸と旧理事会との実際のやり取り、中丸が編集作業の現状を正確に認識しているという事実、新会長介入後も編集作業を続行するという事実を報告し、名誉を回復すること)を事後的に満たすこともしない。新会長が編集作業をせずに論集を印刷・製本しようとしたことや、中丸に煩雑な作業や執筆者に恨まれる役割を押し付けたことにも言及しない。4点目、中丸が感謝状を受け取れば新旧理事会の責任は無効となり、担当理事・新会長は面倒な委員を上手く黙らせ問題を解決した手腕を評価される。受け取らなければ中丸がいつまでも面倒なことで騒ぎ立て怒っているという論調を継続させることができる。
     上記の通り、この感謝状は、発行されても事実認定・名誉回復の機能を持たないのに加え、2023年3月16日現在に至るまで、発行されてすらいない。中丸は担当理事の返答を当該委員から知らされないまま、2020年12月に当学会を退会したが、退会は事実認定をしなくて良い理由にも、当該委員に対し理由の説明をすることなく感謝状発行を取りやめる理由にもならない。
    理事・執筆者・編集者・査読者・会員による傍観・虚偽
  • 前述の通り、論集刊行後の2020年1月25日、虚偽報告が行われた理事会の出席者全員に、事実の報告と意見をメールで送った。理事の一人(担当理事と近いところにある助言者)から、理事の多くは中丸を気の毒だと思っているのに、このようなメールを出せばやはり感情的だと思われる、中丸は助言者の偏った見方を鵜呑みにしているが、人によって受け止め方も異なるので、「余裕を持って『エレガント』 に主張」するようにという連絡があっただけで、他の受取人からのレスポンスはなかった。
  • 複数の助言者や執筆者が、わたしが担当理事らとのやり取りを対面ではなくメールでしたことを齟齬の原因として指摘した。しかし、庶務理事、新会長、編集委員長、編集委員、関東支部長らと対面・口頭で行ったやり取りはすべて、わたしのいない場所で、全く異なる内容で提示された。メールのやり取りがなければ、わたしは、これらの虚偽性を立証できなかった。一般論として、メールでのやり取りがニュアンスの齟齬を生む事例はあるが、本件の問題は、やり取りの方法やニュアンスの受け取り方の差異に由来するのではなく、公の場で虚偽報告と誹謗中傷をすること、二枚舌を使うことを誰一人問題視しない学会の姿勢に由来する。なお、顔を知っている相手に対しては悪いことができないので対面で意見交換をするべきだったという主張に対しては、本件における虚偽報告者、傍観者たちが、対面および口頭のやり取りでは友好的に振る舞ったこと、わたしの尽力で行事が正常に進行している際にはわたしを誉め、感謝し、談笑し、その一部(「2015年度・16年度実行委員=17年度・18年度編集委員による責任転嫁、誹謗中傷、業績詐称」「編集委員=理事による職権乱用・責任逃れ」の委員を含む)は感情面やプライベートでも良い関係を築いていた相手であることを指摘する。
  • 理事会とのやり取りは、執筆者、査読者、編集委員に随時報告した。執筆者・編集委員の一部は、委員長の仕事放棄中には証言を寄せたが、論集刊行後は理事会に対し何のコメントもしなかった。執筆者の一部は臆面もなくわたしへの感謝を表明したが、理事会を批判した者、新会長がわたしの作業内容を過少に報告したことを指摘した者はおろか、新会長に経緯の説明を求めた執筆者すら一人もいなかった。以下に二例を挙げる。
  • 理事でもある執筆者は、委員長の仕事放棄中は新会長に対し仕事放棄が事実である旨を告げ、介入するよう助言したが、新会長介入後は、中丸が編集作業をしていることを知りながら、新会長にも、理事会にも、事実を報告するよう求めなかった。わたしは、非常勤講師や大学院生など弱い立場にあるならばともかく、常勤教授・理事である当該執筆者には意見する責任と権限があると考えた。また、当該執筆者からの非常勤講師依頼や複数回にわたる共同研究の経緯から、当該執筆者が中丸に好意的であるとも期待した。論集刊行後、当該執筆者に、新会長に正しい経緯の報告を助言するよう求めたところ、当該執筆者は多忙であるという驚くべき理由でこれを拒否した。理事として受け取った2020年1月25日付意見書にも反応しなかった。2022年、当該執筆者は担当理事を共著者に加えた論集を刊行した。
  • 別の執筆者(執筆当時は大学院生)とは、年の離れた友人としての交流があった。当該執筆者に対して、わたしは、早い段階から委員長、会長、新会長の言動を報告するとともに、他の大学院生執筆者に対する対応を相談していた。当該執筆者は、仕事放棄の発生中には担当理事に対し、当該執筆者の原稿状況・編集委員会からの連絡(がないこと)について証言をした。しかし、新会長介入後は、新会長に対して一切の説明を求めず、証言もしなかった。さらに、当該ゼミとは別の大型行事後、会長を中心とする飲み会に誘われるまま出席した。論集刊行時に、中丸が執筆者全員に対する失意を述べ、中丸に「感謝」し美談にすることは許さない旨を伝えた。当該執筆者が中丸に連絡を取ったことを受け、2020年4月11日と28日に意見交換をした。当該執筆者は、理事会他に意見をすることはできないし、独文学会をやめることもできないが、自分が現在手掛けている仕事が終了したら、二度と独文学会には行かない、と述べた。中丸は、独文学会に行かないことが就職その他に多大な悪影響を及ぼすこと、中丸は業績が必要な非常勤・大学院生のことを考えて論集の刊行に最後まで関わったのであり、その対象が学会からドロップアウトすることは本意ではないことを述べた。当該執筆者は、中丸のためではなく、自分に対するけじめとして、自分で決めて、もう学会には行かない、と述べた。これを受け、わたしは、当該執筆者がほかの場所で業績を作れるよう、できる限りの後押しをした。しかし、当該執筆者は、その後も、学会誌への投稿、研究大会での発表を行った。このことを確認したところ、当該執筆者は、中丸が専任職にない者に対し過剰な要求をしたかのように論点をすり替えたばかりか、中丸の言うとおりにするならば、自分は独文学会をやめ、会員である指導教員や友人らとも縁を切らなければならない、自分は研究者をやめるしかない、さらには、自分は「生きているのも恥ずかしいような存在なのに死ぬ覚悟もなくのうのうと生き続けている」などと脅迫した。中丸が友人関係を解消したところ、当該執筆者は、当該執筆者も中丸も入っていた共同研究グループのメンバーに対し、研究大会への参加を中丸が叱責したため友人関係を解消したと報告した。
  • 2023年10月、2021年度・22年度会長が、2023年の理事会における引継ぎの席上で、2019年度・20年度会長および23年度・24年度会長により、「まさに中丸さんがネット上で報告している状況がリバイバル」して自身と自身に近い会員が被害に遭った、「当時,中丸さんがハラスメントを受けた上,それを認めさせるのにひとりで戦わなければならず,そして公平な議論の場もないままハラスメント加害者に仕立てあげられてしまったことを考えると,本当に忍びがたい思いで一杯」であるとし、中丸の件に関する2023年度・24年度会長の関与を質問した。当表明文を読み、その内容を事実であると認識しながら、会長であった2年間に理事会における事実の確認もわたしの名誉回復もせず、自分が困った立場に置かれたら、わたしを利用して自身の敵対者に不利な情報を集めようとした。今後の自身の係争において同趣旨の問題としてわたしの件を扱うとの事後的な約束すらしないこの態度は、わたしのことを尊厳と知性と感情を持った人間ではなく、利用可能な道具として貶める態度である。
  • 当表明文公表以降、一定数の会員が、わたしに対し、「独文学会に批判的な気持ちを持っている」「独文学会を変えていきたい」「何もできなかったが心配していた」「これからは独文学会と距離を置いていくつもりだ」「自分もいずれやめたい」等と述べ、あたかも味方のように振る舞った。本件について独文学会を批判せず、退会もしない会員は、わたしに対する加害者である。人間には優先順位や事情や考えがあるため、理事および当該論集の編者・執筆者を除く会員が、独文学会のわたしに対する不正行為を、批判や退会の対象と看做さないことをもって当該会員の人格や能力を判断することはできない。しかし、自身の加害行為の対象であるわたしに対し、自身の事情への理解や加害性の免責を求めるのは筋違いであり、二枚舌を使い分けて、独文学会とわたしの双方に良い顔をするのは卑劣な行為である。
    揶揄・冷笑・嘲笑
  • 最後に、当学会の極めて悪質な問題として、真剣に仕事をすることやその結果に対して、しばしば揶揄・冷笑・嘲笑が向けられたことを指摘する。たとえば、2011年度にホテルとの料金交渉を成功させたことについて、怖い、金に汚い、今後の面倒な交渉事はすべて中丸に任せるべきだ、中丸は当該行事の中興の祖だ、2012年度委員会の会議の場で委員長が失念していたことを指摘したことについて、当行事を牛耳っている、委員長に手綱をつけて引っ張っている、2015年度・16年度の委員を引き受けたことについて、実行委員の仕事が大好きである、関東支部での問題を批判したことについて、怖い、問題を起こす相手と激しくやり合うので面白い、(中丸は2017年3月に関東支部を退会したが)中丸の精神は関東支部に生き続ける、といった言葉で、多くの会員がいる場で揶揄された。これらの発言は、複数の会員により、懇親会など学会の公式行事の場において、長時間にわたり、繰り返し行われた。その場に居合わせた者の中に、抑止した者、あるいは抑止を試みた者は一人もいなかった。わたしが反論した際、ある会員(「編集委員=理事による職権乱用・責任逃れ」で挙げた委員・理事)は、笑いながら「どのような仕事にも嫌われ役が必要だ」と窘め、わたしの反論を阻止した。
  • 2021年8月27日に「例の文書についてだけど、僕は書き手のことを知っているから彼女の学会退会をめぐる彼女なりの真実を記したものとして受け取って面白く読んだんだけどそうでない人からすると学会の問題を告発して改善を要求したように見えるんだろうな」、8月31日付で「学会退会の記事についての質問、たぶんごく少数の人が何度も送ってきていると思うんだけど、そんなに気になるんなら書いた本人にメールすればいいのに」「これ同僚の体調不良の件なのか学会退会記事の件なのかわかりませんでした。質問するときは話題の明示を心がけましょうね」という公開ツイートがあった(2021年10月4日現在、アカウント非公開。プロフィール欄に自身のresearchmapへのリンクを掲載)。ツイート投稿者とわたしはたしかに同じ研究室に所属していた時期があるが、それは中丸の博士号取得(2010年3月)まで、すなわち、当表明文公表の約10年前まであり、その期間の大半は中丸の独文学会入会(2009年)よりも前である。その後は近しく接しておらず、本件についての情報提供や意見交換もしていない。彼が他の会員よりもわたしのことをよく知り、理解しているかのような書き方は不正確であり、彼が第三者に対しわたしにメールをするよう勧め得るような関係性は存在しない。これらは、実際には何も知らないツイート投稿者が当表明文に書かれていない諸事情を知るかのように仄めかすことで閲覧者の興味・関心を引こうとする不誠実なツイートである。
     加えて、ツイート投稿者は、退会の直接の原因ではないが、学会のあり方に大きな疑問を抱かせた一人である。たとえば彼は、関東支部幹事の選挙について、自分が幹事になりたくないので、当落ラインにいると予想される中丸に投票したところ当選したと、わたしに対して口頭で述べ、同趣旨のツイートを公開した。また、2016年度の合宿ゼミに参加し、その準備段階において、実行委員会が作成したコピーの状態が悪いこと、中丸がツイート投稿者に事務連絡をする際に過失により敬称をつけ忘れたこと、そのことについて謝罪したことなどを、公開ツイートで逐一揶揄した。合宿ゼミ開始直前には、自身は合宿ゼミのテーマや参加者との交流には興味がなく、良い宿泊施設に安価で滞在するために参加するという趣旨のツイートもしており、講演や討論会の間も常にスマートフォンで閲覧・書き込みをしていた。この人物は、わたし以外の会員たちについても、しばしば、口頭では固有名を挙げて、ツイッターでは知る者が読めば対象を特定できる形で、交際・結婚・離婚・不倫・妊娠といったゴシップや、公表前の就職情報などを嘲笑を交えて拡散している。引用したツイートからは、同僚の体調不良というプライベートでセンシティヴな内容を公開ツイートしたこともうかがえる。「面白く読んだ」という書き方も含め、他者の人生や真剣な行動を常に揶揄し、冷笑し、嘲笑し、茶化し、娯楽として消費する態度、複数の会員がそれらを面白がる傾向、このような会員たちのために真面目な会員たちがボランティアで委員をして行事を成り立たせる不公平な構造は、上述した多くの問題群とも深く結びつくものである。
 学会とは、研究者が互いに研鑽し、業績を出すための互助組織である。提出された原稿を長期間にわたって理由なく放置すること、理事会で虚偽を報告すること、学術論文としての基準を満たさない論文や校正不充分な論文を「査読付き論文」として刊行することは、学会の存在基盤を揺るがす行為である。加えて、研究者の仕事は、事実を探求し表明することである。自分が述べたことが事実でないと判明したら、誠意をもって速やかに訂正する必要がある。また、事実であっても、その一部だけを誇張したり、誤解を招くような伝え方をしたりして印象操作をすることは許されない。口頭発表や研究論文の場でなくとも、どのような事情や理由があろうとも、自分以外の者にも落ち度があろうとも、ボランティアや匿名であろうとも、断り切れずに引き受けた仕事だとしても、事実を表明しなくてよい理由にはなり得ない。それは、研究者としてのアイデンティティを放棄することである。
 
 複数の虚偽報告・誹謗中傷・差別発言・論文刊行に関わる不正行為が明らかになったのちも、当学会の会員は誰一人として、編集委員長や理事会を直接批判しなかった(SNS投稿に対しては、3名が理事会への批判もしくは中丸への賛同をコメントした)。それどころか、複数の会員が「善意」からわたしに助言したのは、これ以上自分の印象を悪くしないため、反論せずに仕事を続けることだった。本来であれば、事実の認定や名誉の回復は、従順な態度と引き換えに「してもらう」ことではない。わたしの態度がどうあろうと、理事会の威信にかけて「するべき」ことである。恩讐を超えて一日も早く論集を刊行すべきだ、事実認定・名誉回復よりもまずは論集の刊行を優先するべきだと主張する者も複数名いたが、わたしの報告に適切に対処せず、みすみす半年間の原稿放置を招いた彼ら・彼女らに、早期の刊行を主張する資格はない。加えて、事実の認定と名誉の回復は、編集作業と同時並行でなされ得ることである。そのような大事なことを後回しにするような人や組織が、事後的に事実の認定や名誉の回復をするはずがない。助言者たちが、虚偽報告によって名誉を棄損されたわたしが加害者であるかのような前提を作り、態度の変更を勧めたのは不当である。この助言は「善意」から行われている分、一層悪質である。助言者たちは「善意」に胡坐をかいて問題の本質と自身の差別・排除への加担を自覚しないまま、被害者と加害者を逆転させ、被害者を黙らせ、加害者を守り、問題を矮小化するからである。
 しかしわたしは、刊行まで、以下の3つの理由から助言に従った。1つ目は、当時は、わたしが加害者であるかのような前提も含めて、助言を正しいと判断したこと。最大の理由である2つ目は、「ドイツ語論集の筆頭編者」という業績を諦められなかったこと。業績を求めること自体は、仕事をした以上当然のことである。これまでの理事会の対応を鑑みると、クレジットに関する約束が守られる保証はなかった。新会長がわたしに無断で出版社と連絡を取り、クレジットの順番を変更または中丸の名前を削除することをわたしは警戒し、刊行まで新会長を刺激することを避けた。新会長の執筆者・出版社への連絡でわたしをCcに入れるよう要求したのも、彼を牽制するためである。3つ目は、関わった者たちへの誠意である。編集委員を引き受けた責任を最後まで果たしたい、助言者たちの「善意」に応えたい、大学院生・非常勤講師が適切な時期に業績を作る機会を奪ってはならない、学会の査読付き論集である以上、最低限の水準は確保しなければならない、という考えである。
 現在の観点からは、以下のように考える。まず、「善意」(の皮をまとった隠蔽工作)に応えられない/応えないことに罪悪感を抱く必要はない。彼らが本当に善意を持ち合わせているなら、わたしではなく理事会に対し、虚偽報告を訂正し、事実を認め、わたしの名誉を回復するよう働きかけるべきである。彼らはわたしにも落ち度があると指摘した。しかしわたしに落ち度があることは、理事による虚偽報告・誹謗中傷・差別発言・不正行為が許されることを意味しない。彼らは、反論せずに我慢して仕事を続ければいつか理解される、反論すればやはり感情的だと思われると主張した。しかし、わたしは委員長が何度も仕事を放棄する状況下で我慢して仕事を続け、理事会にも最大限の配慮をしながら対応を求め、新会長の下でも反論せずに仕事を続けた。その仕事に対し、虚偽報告・誹謗中傷・差別発言・不正行為で応えたのは理事会であり、このような助言、および、わたしの態度が悪いので「味方」が離れたとする発言は、もはや暴論である。執筆者たちに配慮する必要も皆無だった。彼ら・彼女らは、理事会とのやり取りに関するわたしの報告を受け、わたしに感謝しながら(つまり、わたしに対してはわたしの報告を事実だと認め、新会長ではなくわたしが編集作業をしたことも知りながら)、新会長に対し、自分たちの原稿の数か月間にわたる放置、新会長の突然の介入、わたしの作業に関する過小報告、編者校正の省略について、一切の説明を求めなかった。自分のために仕事をした人間だけでなく、自分の原稿も粗末にした彼ら・彼女らへの配慮など不要だった。「ドイツ語論集の筆頭編者」という業績は確かに魅力的だが、もっと早く編集委員をやめて、別の業績を作る方が効率的だった。そして、日本独文学会では、刊行物に最低限の水準など求めていなかった。新会長が申し出た「編集作業の補助」とは、査読・ネイティヴチェック・校正という基本的な作業すらせずに印刷・製本して、面倒な問題に幕を引くことである。その結果得られた「日本独文学会編の論集の筆頭作業者」という業績は、失ったものとかけた手間には到底見合わない。唯一わたしを擁護する要素があるとすれば、編集委員を引き受けた以上、執筆者、新旧理事会、新旧会長がどうあれ、刊行まで責任を持つべきだということだけだ。
 助言が無責任で不誠実で不正確であるとしても、それに従ったのはわたしの判断である。この助言に従わなければ、わたしは誇りまで失うことはなかった。最後まで仕事をすることは、不正を許し、当学会の差別と排除に加担し、新会長や助言者たちに言いくるめられて雑用係兼「嫌われ役」として利用され、自分を貶めることに他ならなかった。編集委員を引き受けた責任を果たすことと、事実を事実であると表明し、差別的・排他的構造を是正し、仕事の完遂を誇ることを両立できない日本独文学会は、悪質で異常な組織である。
 
 委員長が最初に仕事を放棄した時点でわたしが委員を辞任せず、委員会内で対応策を取り、理事会に対応を求め、理事会の虚偽報告が発覚したのちに多くの理事や助言者に働きかけ、2020年1月25日に旧理事会構成員宛てにメールを出した理由は、学術組織である日本独文学会においては、事実を事実として表明すること、一定の水準の論集を適切な時期に刊行すること、他の会員を年齢・身分・性別・立場を問わず対等な関係として尊重することが、全会員の、見解の相違や性格上の相性を超えた共通認識だと勘違いしていたからである。わたしの提示する事実や見解が理事会のそれと異なるなら、理事会は自身が正しいと考える事実を提示して反論すべきである。しかし、理事会は、わたしの報告や意見を繰り返し黙殺し、虚偽の報告を重ねることで、理事会の依頼を受けて最後まで仕事をした会員を、いつまでも騒いでいる面倒な者として扱い、何が事実で何が事実でないかを明らかにするのを避けることで、理事会内の平穏を保つことを選んだ。
 理事会に対し2020年1月にメールを出さなければ、あるいは、この表明文を公表しなければ、わたしは仕事が忙しくてパニックになった会員として、腫れもの扱いされる一方で同情も得られたのかもしれない。しかし、わたしは仕事が忙しいくらいでパニックになるほど無能ではく、理事会や執筆者を利用して委員長に復讐するほど低俗でもない。他人が置かれた多様な状況に一切の配慮をしないほど下品ではなく、委員長を吊るし上げるために時間を使うほど暇でもない。他人に丸投げした仕事のクレジットを要求するほど業績に貧してもいない。ある助言者は、理事会はわたしに同情的であるのに、わたしが理事会を誤解しているとの主張を最後まで変えなかったが、わたしをそのような能力・品性・人格・性質の持ち主と提示したうえでの同情は、唾棄すべき侮辱的行為である。仮にわたしの行動に間違った部分があるとしても、そのような認識のもとで同情されるよりも、正しく理解されて批判されることを選ぶ。
 理事会は常に、わたしが対策や問題解決を求めることを、失敗した者を過剰に責め立てること、努力や誠意を認めないことであるかのような論調で貶めた。これらの評価は、仕事ができる中丸が、頑張っても仕事ができない委員長や担当理事を責め立てているという前提のもとになされており、仕事が忙しくてパニックになったり、客観的事実を提示できなかったり、様々な誤解を膨らませたりする無能な委員という評価と矛盾している。かつ、これらはいずれも、わたしの身には覚えのないことである。様々な性質・能力・事情を持つ者で構成される組織における行き違いやトラブル、研究・授業・学内業務と並行しての学会業務における停滞や遅延を100%防ぐのは不可能である。こうした中で、性質や能力や事情により失敗した結果をわたしが責め立てたことは一度もない。わたしが批判したのは、その結果を受けても、虚偽を述べ、詭弁を弄し、お涙頂戴に訴えて、同じ主張・行動・失敗を繰り返すことである。責任ある行為とは、あるいは努力や誠意とは、実現の見通しを立てずに最後までやると決意表明することや、最初の主張に固執することや、不正・不当な振る舞いでその場をしのぐことや、相手を黙らせて問題がないかのように見せかけることや、理解の皮をかぶった感情論に走ることではない。どんなに格好が悪くても、恥ずかしくても、できないことをできない、分からないことを分からない、間違いを間違いと認めて、被害を最小限に抑え、遂行可能な方法を考えて実行することである。わたしがどの段階においても一貫して主張してきたのは、正しい現状認識を共有し、実効性のある具体的な対策をとることである。これらを叱責や断罪や非難と読み替える評価は、不正確であるだけでなく、問題を解決する気のない無責任な態度の表れである。
 
 わたしは、編集委員長が一度目の虚偽報告をし、担当理事がそれを承認した際に、一度は編集委員を辞退した。委員長が原稿を何十年放置しようと放っておくつもりだった。担当理事に再度、委員長の仕事放棄を報告したのは、授業でギリシア悲劇『アンティゴネー』とその派生作品群を扱い、学生に対しては立派な話をしながら、自分は不正を見過ごすことが恥ずかしくなったからである(このことは、担当理事宛のメールにも書いた)。『アンティゴネー』をはじめとする、真実や正義や理想のために自分の存在を賭す者たちの物語が好きで、わたしは文学研究者を志した。真実や正義や理想とされていることは本当に真実や正義や理想なのか、どうすれば本当の真実や正義や理想が実現できるのかを、研究を通じて繰り返し問い直してきた。研究の世界で真実を追求しながら、生活世界では事実に対し口を閉ざすことはできない。それは研究者としての自分を殺すことである。会員の仕事と能力に最低限の敬意も払わない卑劣な学会内でうまく立ち回るために、研究者としての自分を殺し続けることは、わたしにはできなかった。

2.日本独文学会の退会を決定した経緯
 以上の経緯から、わたしは、日本独文学会の行事への不参加を決定した。一方、スウェーデン文学者であるわたしがドイツ語教員として大学で教える以上、独文学会会員という身分は対外的に必要と考えられた。退会するとしても、ドイツ語論文などドイツ語教員としての看板を作成した後が望ましかった。また、これまで他大学で担当した非常勤授業は、いずれも独文学会会員から依頼されたものである(2019年度ですべての非常勤が終了したのは、この件とは関係なく、2020年度の在外研究(コロナ禍により中止)による)。事情を知らない会員が退会を知ることで、非常勤職が得られなくなることや共同研究を阻害されることが危惧された。
 2020年1月の段階では、ドイツ語教員としての立場と研究者としての今後のキャリアを考え、これ以上の波風を立てないため、学会行事には参加せず、会員の身分は保持することにした。
 
 しかし、日本学術会議問題に関する当学会の対応を見て、わたしは当学会に所属し続けることが恥ずかしくなった。加えて、新型コロナウィルス関連報道を見るにつけ、もし明日死ぬとしたら、日本独文学会会員として死にたくないという考えが強くなった。
 
 わたしが問題視したことは3つある。1つ目は、学術会議問題についてのある会員の2020年10月4日付のメーリングリストへの投稿を契機とした荒らしの発生である。荒らしはメーリングリスト運営に必ず伴うリスクであり、運営側は、具体的な荒らし対策案をあらかじめ準備し、発生時には迅速かつ実効性のある対応をとる必要がある。しかし、担当者が、マナーや利用規約を守るように呼びかける投稿をしただけで(つまり、誰の、どのような投稿がマナーや利用規約に違反しているかを、運営側が責任をもって明らかにせず、メーリングリスト参加者に推測・忖度させ、全員の見ている場でその「違反者」を糾弾しただけで)何の解決策も取られなかった。10月9日まで荒らしメールの送付は続き、その数は約40件に上った。
 学術会議問題という未曾有の問題に研究者が一丸となって対処すべき状況下で、このような醜悪な内部分裂が生じること、建設的な議論がなされないこと、荒らしのような基本的な問題すら解決できないことから、当学会には、今後も対外的・対内的な諸問題に対する有効な対応はできないと確信した。
 
 2つ目は、学術会議問題に対する声明の出し方である。たとえば北ヨーロッパ学会は、報道直後の2020年10月4日に会長声明を出し、それを学会ホームページの目立つところに載せ、10月30日の理事会で「理事会声明」、11月7日の総会では本来の予定とは別に時間を取って審議をして「学会声明」へと位置づけを強化した。会員に対しても声明文が簡素である理由の説明をしたうえで周知を依頼し、その後の経過についても定期的に報告がある。これに対して、独文学会の声明は、他学会の声明が出そろい、むしろ声明を出さない方が少数派となった2020年10月17日付けで、他の掲載情報に埋もれる形でひっそりと出された(ホームページの新着情報欄への掲載は19日)。また、「日本学術会議第25期推薦会員任命拒否に関する人文・社会科学系学協会共同声明」に参加学協会として名を連ねている(共同声明の11月6日初版には記載がなく、12月2日改訂版で追加)ものの、2021年1月21日現在、ホームページでの周知はなされていない。
 声明や参加表明を出す時期や出し方は、理事会・総会の開催予定時期やホームページの仕様にも関わる。したがって、時期や掲載場所だけで、学会の態度や責任のあり方を判断することはできない。また、一斉に条件反射的な声明を出すことがかえって同調圧力に屈することだという立場、首相による任命拒否を支持する立場から声明を出さないことは尊重されるべきである。研究者は社会の雑事に紛れず、象牙の塔にこもって研究を洗練するべきだという考え方、芸術や学問は道徳や倫理を超えるとする考え方もある。わたしが敬愛する作家や芸術家の中にも、道徳的・倫理的には許容できないが、すぐれた作品を作り出す者は存在する。研究者が善悪の彼岸で学問を全うするなら、その正義はわたしの正義とは異なるが、覚悟を持って遂行される一つの正義である。しかし、当学会がそのような信念や理想や正義や覚悟を持ち合わせないことは、学会の仕事を阻害するような虚偽報告を訂正しないこと、事実認定さえすれば効率的に進展する事象を保身を優先して停滞・複雑化させること、新会長が最低限の行程も経ずに論集を刊行しようとしたこと、編集委員長のメール無視により気分を害したドイツ語圏招待講師に対して一切のフォローをしなかったこと、不適切引用を行う執筆者に繰り返し媚びたことから明らかだ。論集と直接の関係はないが、理事会における研究大会での発表申し込み審議の際に、その分野の複数の理事が開催の水準に満たないとして難色を示したシンポジウムが、申し込み者(「2017年度・18年度庶務理事による虚偽報告および情報の不適切な扱い」で言及したセクハラ・パワハラ加害者)と仲の良い理事(わたしのSNS投稿を会長にリークした2015年度・16年度関東支部長)の強力な後押しにより審査を通過したとの報告も、匿名情報提供者から寄せられた。これらの事例と照合すると、日本独文学会の声明、および共同声明への参加を周知しないことは、学術会議問題に危機感をもって誠実に対処する気はなく、声明を出さなかった・共同声明に参加しなかったという批判、声明・参加に対する批判の双方を避けるために、できる限り目立たない方法でなされた無責任な声明・参加と判断せざるを得ない。

 3つ目は、声明文の内容である。独文学会の声明文は「憂慮」(北ヨーロッパ学会、上代文学会のような「抗議」ではない)の理由として日本学術会議法第二章第三条を挙げている。もちろん、法律は遵守されるべきであり、法律の条文を根拠として任命拒否を批判すること自体に問題はない。しかし、たとえば上代文学会は、津田左右吉の『古事記』『日本書紀』研究が国策に反するとして弾圧されたことを挙げるなど、上代文学研究の立場から任命拒否を批判した。ドイツ文学の研究者は、どのような時代の、どのようなテーマを研究するとしても、ナチズムを避けて通ることはできない。これは、ナチ時代のドイツと現在の日本を安易に比較せよということではない。むしろこうした場でなされがちな安易な比較に異を唱えることも含めて、ドイツ文学研究の立場から、現代日本の状況に対して責任ある発言をすることが、学術団体としての日本独文学会に求められる存在意義である。自身の立場を表明することなく法律を持ち出すことは、法律という権威を笠に着ることに他ならない。
 
 この醜態を見たとき、わたしは、当学会の会員である限り、胸を張って授業をすることはできないと悟った。わたしは教員が立派な人間であるべきだとも、教員に過度な立派さを求める風潮が正しいとも考えない。しかし同時に、わたしたちは、好むと好まざるとにかかわらず、「先生」と呼ばれる社会的立場にある。一定の立場にある者はそれに見合う責任を果たさなければならない。日本学術会議問題に際して勇気をもって学術団体の名に恥じない行動をとること、そのことを通じて教え子たちに学問と言論の自由が保障された未来を残すことは、教員としてのわたしたちの責務である。
 
***

 学会行事での出来事については、わたしが当事者であるがゆえに中立的に判断できない部分や、もともとの人間関係に起因する複合的な問題がある。内部の者にしか分からないことも多く、わたしだけの視点をもって、学会外部に向けて100%フェアに問題を伝達することはできない。またわたしは、自分だけの考えや行動がすべて正しかったとは、当時も今も考えていない。
 ただ、一つだけ明言できるのは、編集委員長の仕事放棄に始まる一連の不正行為・不当行為について、会員の誰一人として、一度たりとも、何が事実で何が事実でないのか、何が正しくて何が間違っているのか、自分の責任で判断・表明しなかったということだ。彼ら・彼女らの言動はすべて、その場しのぎの稚拙なそれであり、自分がその一瞬だけ嫌な思いをしないという一点に起因する。そこに、学問の過去・現在・未来に対するいかなる責任も、他の会員に対する最低限の敬意も見出すことはできない。メーリングリストの荒らしに係る対応も、学術会議問題に対する声明も同様である。

 彼ら・彼女らは、査読付き論集としての水準を満たした論集を適切な時期に刊行する、メーリングリストを正常に運営する、権威ではなく真理に従って学会活動をする、といった公の目的よりも、人に嫌われたくない、自分のプライドを傷つけたくない、面倒なことに巻き込まれたくない、嫌いな相手の言うことを聞きたくない、立場が上の会員の機嫌を取りたい、といった個人的な感情を優先した。研究活動で身に着けたスキルやレトリックを、真実追求という本来の目的のためではなく、言い逃れるため、ごまかすため、煙に巻くため、言いくるめるために使用した。会員であるわたしの報告・意見に一度たりとも正面から向き合わず、虚偽を述べ、事実を隠蔽し、詭弁を弄し、論点をずらし、二枚舌を使い、無視し、わたしに議論が成立しない人格であるとレッテルを貼り、わたしを「嫌われ役」に仕立てて、保身に汲々とした。ある助言者(日付未記入が期日を偽らないことを意味すると述べた助言者)は、懇親会における揶揄に際してなされた「嫌われ役」という発言について、発言者は中丸を貶めたつもりはなく、逆に、必要な嫌われ役をやっていて偉いと褒めたのではないかと述べた。唾棄すべきおぞましい発想である。「嫌われ役」など必要ないように、知恵を持ち寄り具体的な対策を立てるのが、民主的な組織のあるべき姿である。それでも「嫌われ役」が必要な時は、立場ある者が引き受けるべきである。不必要な「嫌われ役」を発生させ、わたしに押し付けるのみならず、その仕事に関わりのない会員たちの前で笑い話にすることに、一縷の正当性も認められない。弱い立場の者を「嫌われ役」に仕立てて全体の平穏を保つことを良しとする組織、しかも、それが憶測や忖度や雰囲気によって決まる組織は、学術団体ではあり得ない。
 日本学術会議問題への対応によって、当学会が、内部に対してだけでなく、外部に対しても責任ある判断・言論・行動をする気概および能力がないことが明らかになった。当対応における、日和見的で、事なかれ主義の態度に、わたしは、教育者としての最小限の自負も、研究者としての最低限の矜持も、見てとることはできなかった。
 
 学会に所属し、年会費を支払うことで、その存続・発展に寄与することは、学会の理念や活動に賛同することを意味する。当学会においてそれは、組織的・構造的な差別と排除に加担することと同義である。加えてわたしは、当学会で10年間積極的に活動することで、差別と排除を常態化させた当学会の発展を助長し、不正行為・不当行為を認識したのちも地位保全のために事実に対し口を閉ざすことで、その存続に加担した。そして、それを是とし、現在も差別と排除を再生産し続ける会員たちから非常勤職を得るという恩恵を受けた。
 退会をこのような形で表明するのは、一部の者が言うように専任職にあってこれ以上業績を作る気がないからでも、北欧文学研究に注力するのでドイツ文学の業績を必要としないからでもなく、また、学会に復讐するためでも、心情を吐露するためでも、被害を訴えて同情を得るためでもない。どんなに困っても、人間にはやるべきことがあるからだ。日本学術会議問題における当学会の声明の出し方を批判する以上、そして、ドイツ語教員としての立場や研究者としてのキャリアのためと嘯き、波風立てない会員として同声明に加担した以上、この退会表明は、自身が成した恥ずべき行為の責任をとり、研究者として、教育者として、そして人間としての誇りと尊厳を回復するために不可欠である。
 わたしは現在、他学会・他組織で業績を発表している。これらの成果は、日本独文学会が本来わたしにとって不要であることを意味するのではなく、わたしが、誇れる自分自身に対して退会および退会表明という決断を絶対に後悔させないために、また、当表明文公表後も共同研究、仕事の依頼、研究会への参加を継続・開始する人たちに報いるために、そして、事実を事実として表明することで研究活動・教育活動ができなくなる前例を決して作らないために、覚悟を持って仕事を続けていることを意味する。
 
 学術とは、様々な情報を収集・精査して事実を見極め、その事実を論理的に考察し、冷静な議論を重ねて真実に至り、研究者自身の責任において表明する営為である。税金や授業料を原資として研究・教育・学会活動をする以上、わたしたちには社会に対し、これらの営為を誠実に遂行し続ける義務がある。
 日本独文学会の非学術的態度に退会をもって抗議し、ここに報告することで、わたしは、ドイツ文学者・ドイツ語教員としての責任を、最後まで誇りを持って全うすることを表明する。

2024年4月1日追記
同日をもって、当声明文へのリンクをトップページから関連業績欄に移動しました。トップページから削除する理由は、掲載から3年がたち、中丸については独文学会との関係・無関係が十分に周知されたためです。記事自体を削除しない理由は、独文学会の会員や理事の多くがこの表明文を目にし、事実であると認識しながら、未だ誤った理事会報告の訂正をせず、中丸の名誉を回復しないからです。当声明文は、独文学会が謝った報告を訂正した際、独文学会が解散した際、当ホームページを閉鎖する際のいずれかに削除します。
2020年12月24日 中丸禎子
最終加筆・修正 2024年4月1日