【備考】初代海王丸の
外観の移り変わりについて(暫定版)(3)


 (1)船首楼キャプスタンを動力式に換装、及び操作コントローラーを設置(82年春)
 (2)レーダースキャナ1基増設、保護フェンス形状変更(83年秋)
 (3)フォアマスト先端に帆装標識灯を設置(76年秋)
 (4)メインマストの空中線用ヤード撤去、ミズンマストの同ヤード取付位置変更(81年春)
 (5)フォアブリッジ下部船室正面の窓を3枚から2枚に変更(78〜79年)
 (6)フォアマストとブリッジの間に帆装教習用のミニヤード設置(82年秋)
 (7)ウェルデッキ1番倉口前のウインチを撤去(81年秋)
 (8)ウェルデッキブルワーク外側の係船桁を撤去(83年春)
 (9)フォアブリッジ右舷下にタックブーム新設(77年春)
 (10)フォアブリッジの天蓋を木甲板から鋼甲板に変更(78〜79年)
 (11)2番倉口背面のウインチを撤去しデイリータンクを新設(77年秋)
 (12)メインマストのデリックブーム撤去(77年秋)
 (13)ウェルデッキ左舷側に炭酸ガスボトル室設置(81年秋)
 (14)実習生出入口前のキセル型通風口撤去(77年秋)
 (15)実習生出入口天蓋甲板に緑塗装実施(推定、78〜79年)
 (16)実習生出入口天蓋の通風口の形状変更(77年秋、及び78〜79年)
 (17)煙突前右舷側の小型のキセル型通風口1基撤去(77年秋)
 (18)煙突背面のデイリータンク撤去(77年秋)
 (19)機関室天窓背面の大型通風口の形状変更(77〜79年)
 (20)アフターブリッジ正面両舷のキセル型通風口撤去(77年秋)
 (21)アフターブリッジ天蓋の空中線引き込み口の形状変更(77年秋)
 (22)船尾手動舵輪前のエンジンテレグラフ撤去(77年秋)

 現在までに市販された初代海王丸関係の写真資料や書籍は1975〜83年頃のものが多いようです。ただし、この時期は代船建造計画の進展をにらみながら船の延命作業に腐心した跡が見受けられ、わずか8年余の間に外観に関する部分にも細かい改修を繰り返しています。ここに記した改装工事の大半は五十年史の入渠工事記録に記載がありません。各装備品の改修(推定)時期は、最初に記した調査研究雑報別冊の追補記録と、実船の工事仕様書の残存分、及び撮影日が確定している写真や各資料の出版日からさかのぼって同じ写真に同時に写っているものとそうでないもの、という形で判断しています。図は1976年から83年10月に大阪で開催された世界帆船まつり参加当時までの変遷を示しています。

 海王丸/日本丸共に、船尾舵輪前の左舷側コンパスの左脇にエンジンテレグラフが装備されていましたが、海王丸は1977年秋の入渠工事、日本丸は1975年のオペスル関連工事の際に撤去されました。機走時の操船指揮はフォアブリッジで行うため、ここに装備されていた理由はわかりませんが、撤去されるまで船尾での接岸や応急操船のカリキュラムが考慮されていたのかもしれません。また海王丸のアフターブリッジ正面の吸気口は他のものと同様に時期によって形状や数に違いが見られます。日本丸のキセル型吸気口の多くが最終時まで残存したのに対して、海王丸は77年秋の入渠工事で上甲板後部区画の通風改善工事が行われた際にその多くが撤去されています。

 フォアブリッジの天蓋は1978〜79年頃と考えられる写真から緑色に写るようになります。そのため、この時期に木甲板からデッキコンポジション(鋼甲板+塗装)に変更されたようです。五十年史の入渠工事記録には記載がないのですが、海王丸財団が発行した冊子「海の貴婦人帆船海王丸」(1990)のp10下段、1981年頃と考えられる船上写真から、それがわかります。

 また、この写真や83年秋の大阪世界帆船まつりの記録写真では、実習生出入口の天蓋もフォアブリッジと同じく緑色に見えます。ところが、この部分の木甲板からデッキコンポジションへの変更は1985年秋に航海訓練所が作成した入渠工事仕様書に記載され、木甲板の現状図が描かれています。この記述が正しいとすれば70年代末〜85年秋迄は木甲板を緑色に塗っていた事になりますが、手持ちの資料や映像・写真では甲板の材質が判然としません。前述の「海の貴婦人帆船海王丸」の写真やNHKの番組映像では甲板の高さは確かに木甲板が貼られていた位置と同じですが、甲板の繋ぎ目やコーキングなどは全く確認できません。

 大阪世界帆船まつり以降の外観上の大きな変更は、まず1984年春に船首楼甲板先端にピストンホーンが設置され、続く85年春の入渠工事の際にウェルデッキ2番倉口周辺の4本のキセル型通風口が撤去され、代わりに第一教室壁面に接した天窓上にキノコ型の通風口が1本設置されました。そして同年秋に船首像が従来の唐草模様から女性像に換装されました。

 (1)船首像を二代目に移設し建造以来の唐草模様に変更(1989年春)
 (2)船首及び船尾に船体固定用のビット設置(90年春)
 (3)レーダーからフォアブリッジへの導波管を撤去
 (4)フォアブリッジ天蓋上のSOSブイ撤去(90年春)
 (5)ウェルデッキの2番倉口に見学用の船内入口を設置(90年春)
 (6)ウェルデッキのギャベジタンク及び直上の投入口の撤去(90年春)、及び炭酸ガスボトル室を撤去(時期不明)
 (7)フォアブリッジ天蓋の甲板を鋼甲板から木甲板に(時期不明)、再び鋼甲板に変更(2006〜08年)
 (8)操舵室背面の通風口撤去(90年春)
 (9)操舵室へのラッタルを船首側から船尾側に付け替え(90年春)
 (10)後部のデイリータンクを撤去
 (11)甲板上の手動キャプスタン計3基を動力式に換装(90年春)
 (12)実習生出入口天蓋の通風口の形状変更
 (13)煙突頂部のミズンロアステイの防熱管を撤去
 (14)調理室排気筒撤去(2007〜10年)
 (15)アフターブリッジ天蓋の空中線引き込み口撤去(時期不明)、甲板を木甲板から鋼甲板に変更(2006〜08年)
 (16)ミズンマストの空中線用ヤード撤去(90年春)
 (17)各救命ボートの内部を修繕の上一部復旧、冬期間以外カバーを外して公開に変更(2011〜12年、図示省略)
 (18)レーダースキャナと方位探知機以外の電波計器アンテナ撤去、大半の空中線アンテナを撤去(図示省略)
 (19)フォアマスト以外の静索の各マストへの固定方法を金具のソケット方式に変更(図示省略)
 (20)船体各所に消防配管・消防用ホース・消火栓等設置(図示省略)
 (21)船体水線下外板に防触アルミ60基設置(2013年、図示省略)

 図は1989年の現役引退最終時から2015年現在までの外観上の大きな変更点を示しています。

 初代海王丸は現役引退後、当初は富山県新湊市(現射水市)と大阪市で4年半毎に交代で公開する計画でした。その遠距離移動の関係だったのか、1990年4月に一般公開を始めた当時の写真を見る限りでは、船首像を2代目に移設して建造当時のものに戻し、法令の関係で船体各所に消防配管・消防用ホース・消火栓などを増設した以外に、現役当時と外観上の違いはそれほどありませんでした。2015年現在では2番倉口背後のデイリータンクや電波計器のアンテナ・空中線の大半が撤去されていたり、静索のマストへの固定方法が二代目と同じソケット方式に変更されているなど多少の相違はありますが、依然多くの部分で現役当時の面影を留めています。

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2004/02/25 暫定版公開
2004/04/10, 05/28, 07/17. 08/19, 2005/05/07, 2006/02/17, 2007/03/30, 2008/11/17, 2011/03/05,
2015/12/30, 2016/02/04, 2017/11/04 一部訂正

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