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船尾には大型の舵輪があります。これは帆走用のもので、舵輪の両側に1名ずつ計2名または2名ずつ計4名が付いて操作するようになっていました。 内部に動力機関を持っていなかった時代の船は、帆の状態を確認しながら舵を取る必要があったため、船尾に操舵装置が設けられていました。船によっては舵取装置が船尾内部にあって窓を通して確認するものもありましたが、特に19〜20世紀の帆船はこのように視界の良い船尾の一番上の甲板に装備される形式が一般的でした。外側がオレンジ色に塗装されている舵輪の覆いは、荒天下に船尾から覆い被さる大波から操舵員が海にさらわれるのを防止するためのもので、頑丈な構造になっています。 帆走の際はこの場所が操船指揮の中心になります。風上側の甲板の端、画面で舵輪の両脇に見えている白いフェンスの風上に当たる側の端に当直航海士官が立ち、前から3番目のミズンマストの一番上の帆であるロイヤルスルの状況を常に監視していました。その帆に受ける風向きが変わると帆やヤードの調整や操舵の指示を与えていました。 船尾舵輪の前にあるジガーマストは、前の3本のマストより付ける帆が少ないために操作する動索も少なく、よってピンレールは両舷側だけでマストの基部にはありません。動索を固定するピレイング・ピンがマストの周囲に直接付けられているのが特徴です。 |
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保存船の紹介はこれで終わりです。船内に関しては述べる余裕がありませんが、状況は極めて良好です。毎年2月12日の進水記念日には機関室や船尾の倉庫、船首のセイル・ロッカーなどの特別公開が実施されています。 保存状況は最初にも述べたように最高級のレベルですが、横浜の日本丸と比較して立入禁止区域が少し多い事が残念です。階段が細くて急なアフターブリッジの天蓋は仕方ないとしても、ウェルデッキの右舷側半分が現在はそっくり立入禁止になっているのはちょっと理解できません。せめて露天部だけでもぐるりと見て回りたいものです。 また、1990年の一般公開の開始当初は残存していた、レーダーの導波管やフォアブリッジ背面のデイリータンク、アフターブリッジ上の空中線引込口など、特徴的な装備がいくつか撤去されている点も残念に思います。恐らく大阪での回航公開を断念した時点で撤去されたものと考えますが、最終状態のままできるだけ現状維持として欲しかったものです。 船の外観は右舷側からしか接近して見ることができません。船を係留するビットが設置されている関係で左舷側にもコンクリート製の突堤があるのですが、幅は2m程度しかなく手すりもないため、当然の事ながら立ち入りは禁止されています。左舷側面は湾の対岸に回れば遠景から何とか見られますが、港の内側方向に当たる左舷後方は全く見ることができません。 一年を通して太陽は左舷側の位置にあるため、特に晴天の日は強い逆光に白い船体の影が強調されてとても見にくくなってしまいます。横浜の初代日本丸が左右両舷から見学できる事とは対照的で、大規模な改修工事をこの場所で行う事ができない以上やむを得ないのかもしれませんが、かかる配慮が無いのは非常に残念に思います。 |
2002/09/12 暫定版公開 2003/07/21 内容増補 2004/02/25, 2006/12/25 一部訂正 |
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