初代海王丸を見に行く(その1)


 初代海王丸は同型船の日本丸と共に公立の商船学校の練習生を育成する目的で1930年に建造された練習帆船で、1989年に二代目海王丸と交代する形で引退しました。永久保存先として名乗りを上げた各自治体の中から当初は富山県新湊市と大阪市が4年半毎に交代で一般公開する予定でしたが、大阪は後に保存公開の権利を放棄しました。

 新湊市は海王丸が係留されている富山新港の一角を海王丸パークとして整備を進めると共に、ボランティアによる総帆展帆(全ての帆を広げるイベント)や海洋教室の開催など、積極的な活動を進めています。また、保存状況は日本の保存船の中でも最高レベルのもので、引退後十数年経過した現在も現役当時の姿の多くを残しています。横浜の日本丸と共に19〜20世紀の帆船の構造を理解する上で最良のものです。
注:
左側の写真はクリックすると1024*768に拡大した画像を表示します。画像サイズが非常に大きいので、回線速度の遅い方や混雑時には注意して下さい(番号矢印がある画像は抜きで表示します)。リンクで示されている画像も注釈がないものは全て、1024*768のサイズです。また、撮影日の記述がない写真は全て2002年〜2003年に撮影したものです。


 海王丸の係留場所の正面は、シェルスペースと呼ばれる貝の形を模したスペースになっていて、現役当時の木製ヤードがモニュメントとしてその外側を取り囲む形で展示されています。説明板によれば現在海王丸に装備されているのは鋼鉄製のものという事で、これは当時の帆船のヤードのディテールを直接間近で見学できる貴重な展示です。左の写真に写っているのは、フォアマストのアッパーゲルンヤード(一番前のマストの上から2番目のヤード)です。ヤードの金具類は現役当時のまま残っているようですが、チーク・プロック(直上のシートチェーンを折り返す滑車、詳細は後述)は外されています。

 スペースから海王丸の方向に降りてゆく階段の途中にフォア・トップゲルンマスト(一番前のマストの最も上の部分)が展示されています。これもヤードと同様に鋼鉄製と取り替えられたものです。



 海王丸のフィギュアヘッド(船首像)は、初代日本丸が引退した後の1985年秋の入渠工事の際に唐草模様から婦人像のものに取り替えられました。しかし船にマッチしていない印象がぬぐえず、当時強い違和感を覚えたものです。1989年に引退した際に船首像は二代目に移設され、現在は往時の唐草模様に戻っています(移設された船首像は2004年10月に起きた座礁事故の際に流失しました)。

 またフォアマストのトップ直下にあるレーダースキャナは、当初は1基だけでしたが、1983年秋に2基に増設され、防護フェンスの形状も一部変化しています。現在市販されている初代海王丸の模型は全て1基の時代を想定しているので、現在の写真と比較する際には注意が必要です。




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