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調理実演:1/350英国客船モリタニア号を作る
その1:キットについて
2003/01/01


実船について

 モリタニア号は1907年に英国のキュナード社が建造した、当時最も大きく、かつ最も速い豪華客船でした。

    The only wqy to cross
 船が海を渡る唯一の手段であった20世紀初頭の時代、ヨーロッパとアメリカを結ぶ北大西洋航路に於いて、最も速い客船には速達郵便を始めとする通商の主導権と名誉が与えられました。やがてそれは一船会社の思惑や採算を越え、その国の工業力と文化水準を他国に誇示する国家的な役割をも担ってゆくようになります。モリタニア号と姉妹船のルシタニア号は、当時最も速かったドイツのカイザーウイルヘルムII世級客船を完全に凌駕する目的で、イギリス政府の補助を受けて建造された船でした(※注1)。大きさは史上初めて3万総トンを越え、主機関には当時実用化され始めた蒸気タービンを大型の豪華客船としては最初に採用し、竣工後すぐに北大西洋横断速度記録(ブルーリボン)をドイツから奪還します。

 そして、大きさこそ1911-15年に建造されたタイタニックとその姉妹船に譲ったものの、横断速度記録は1929年にドイツのブレーメン号によって破られるまで22年間も保持する事になりました。それは工業力が飛躍的な発展を遂げた20世紀初頭という時代を思うに、驚異的なことでもありました。

 第一次大戦中モリタニア号は英国政府に徴用され、軍隊輸送船や病院船として活動し、戦後再び北大西洋航路に復帰しました。1931年以降はクルーズ船として活動しましたが、1934年に引退し、その翌年解体されました。28年間の生涯で北大西洋航路の横断速度記録を更新すること実に12回、そしてブレーメン号にタイトルを奪われた後も自己記録を1度更新しています。船の歴史の中でも特筆される、最も偉大な一隻でした。

Mauretania
(1907-1935)
全長240.79m/全幅26.82m/31,938総トン(排水量44,640トン)
速力26ノット
乗客:一等563名、二等464名、三等1,138名/乗員:802名

キットについて

 フッドが20世紀前半の「英国の軍事力の象徴」なら、このモリタニア号は「海運力の象徴」という訳で、フッドを作っていた当時からずっと、次はこの船を作りたいと考えていました。同じ4本煙突の客船ですが、私自身はタイタニックよりも、船室が低くてバランスが取れた外観や大西洋横断記録を取った実績もあって、このモリタニア/ルシタニアの方が好きな客船です。

 プラ製組立キットに於ける「客船」の扱いは帆船以上に低く、主なものといえば1960年代に発売されたレベルとエアフィックス社のキット、そして80年代初期のWLの氷川丸と新田丸級客船くらいしかありません。そして90年代末にタイタニックが市場にあふれた事を除けば、他はボックススケールで幾つかの船が発売された程度に留まっています。総じて発売時期の古いキットが多く、組みにくい上にモールドや細部の表現も現在の目では辛いものも多いのですが、何より軍艦で言う所の戦艦大和やビスマルクに相当するような船が何故かモデル化されていない−ドイツのブレーメン・オイローパやフランスのノルマンディといった超豪華客船すら揃わないのが現状です。これでは模型に対する興味も広がりません。

 そして上で示した通りモリタニア号は船の歴史上最も偉大な船の一つですが、他の客船と同様に組立キットの数は非常に少なく、エアフィックスの1/600が唯一のインジェクション・キットでした。これは80年代の始め頃にグンゼ産業からも国内販売され、内容はモールドと組立に難はあったものの、実船の特徴を良く捉えていたキットでした。他にはBANGモデリングから1/700のレジンキットが出ていましたが、内容は承知していません。

 今回の製作に当たっては、日本のGマーク社が1977年に発売し後にグンゼ産業が生産を引き継いだ、姉妹船ルシタニア号の1/350組立キットからの改造という形を取ります。Gマーク社は1970年代の中頃〜末期にかけてプラの組立キットを発売したメーカーで、他社には無い独特のラインナップと綿密な考証が特徴でした。これは当時の日本の大型艦船キットには珍しい完全ディスプレイモデルでスケールも1/350でしたが、まだ田宮のシリーズが出る前のことで、当時は数多いボックススケールの一つという捉え方しかされていなかったような記憶があります。

 キットの内容に関しては、手すりのモールドや金メッキの錨鎖など時代的なズレを感じる部分もありますが、基本的には非常に優れたもので、四半世紀過ぎた現在もなお立派に通用します。パーツ割は以下の通り。


  • 船体(右舷・左舷)
  • シェルターデッキ(前方・後方)
  • ボートデッキ、サンデッキ
  • 1等船室ボートデッキ内壁(左舷・右舷)
  • 1等船室プロムナードデッキ内壁(左舷・右舷)
  • 1等船室シェルターデッキ内壁(右舷・左舷)
  • 2等船室プロムナードデッキ内壁左舷、同シェルターデッキ内壁右舷
  • 2等船室シェルターデッキ内壁左舷、同プロムナードデッキ内壁左舷
  • 1等船室外側フェンス(左舷・右舷)
  • 2等船室外側フェンス(左舷・右舷)
  • Aパーツ(金メッキ)
    • 飾り台支柱、ネームプレート、プロペラスクリュー、錨
  • Bパーツ(透明)
    • 飾り台支柱台座、天窓
  • Cパーツ
    • 舵、ビルジキール、缶室吸気口天蓋、温水タンク、真水タンク
    • ボラード、アンカーウインチ、ボートウインチ、救命ボート
    • 船橋内壁背面、無線室、2等ラウンジ内壁(正面・背面)
    • 1等シェルターデッキ内壁背面、同プロムナードデッキ内壁背面
    • 2等シェルターデッキ内壁正面、同プロムナードデッキ内壁正面
    • アッパードッキングブリッジ基部、マスト台座、ほか
  • Dパーツ
    • エディプレート、煙突一式、船橋天蓋、同内壁(右舷・左舷)
    • 2等ラウンジ天蓋、同内壁(右舷・左舷)
    • 1等ボートデッキ内壁(正面・背面)
    • アッパードッキングブリッジ甲板
  • Eパーツ
    • マスト、ヤード、見張り台、デリックブーム、クレーン
    • ボートダビッド、階段手すり、旗竿、船尾ウインチ、ほか
  • Fパーツ
    • 1等プロムナードデッキ、2等プロムナードデッキ、同ボートデッキ
  • Gパーツ
    • 各部手すり、マストシュラウド
  • 飾り台
  • デカール
  • 旗(紙製)
総部品数 353個


 ルシタニア号のキットは1907年竣工時の状態のようです。Uボートに撃沈された1914年の最終時では、缶室吸気口が一部キセル型のものに変更されていたほか、タイタニックの沈没に伴い救命ボートが折り畳み式も含めて大幅に増設されていました。

 ルシタニア号とモリタニア号の船体設計は同一で、客室や公室の配置もほぼ同じですが内装には違いがありました。模型を作る上で問題となる外観上の大きな相違点としては、缶室吸気口やハウス正面の形状などが挙げられますが、サンデッキの天窓の形状と配置や船室の窓の形など、細かいレベルでも違いがあるようです。キットはハウス正面が完全に別部品になっていない事や、缶室吸気口のフタが他の部品と一緒のパーツグループになっていることから、最初からモリタニア号の発売は考慮されていなかったように考えます。


外箱の仕様
(Gマーク版)

グンゼ産業版の箱絵の構図もほぼ同じで、
左上にR.M.S LUSITANIAと
黄色の文字で書かれていました。

なお、グンゼ産業版は現在生産されていないようですが、
模型店などではまだ見掛けますし、
ヤフー等のオークションサイトでも
当時の定価(6,000円)以下でよく出ているようです。




キットの内容
画像をクリックすると拡大します
(880*560、別窓が開きます)

 以降、次の項にて。

※注1
 この船が当時の常識を越える大きさと速力を必要とした理由として、こう説明している資料は少なくありません。建造費は一船会社が背負える額ではなく、ゆえに戦時に特設巡洋艦として徴用する事を前提にイギリス政府が補助金を出したのですが、その背景として当時ドイツの高速客船は戦時に於いては有力な特設巡洋艦となる軍事的な脅威があった(実際は戦力にはなりませんでしたが)こと、また米モルガン財閥の資本下にあったホワイトスターライン社の台頭によって、キュナード社の地位低下は英国の通商にも重大な影響を与えるという経済的な面からの脅威もありました。

 しかし、キュナード社は速度記録よりも「安全で確実な定時運行」を重視する姿勢を創業以来取り続け、ライバル会社が高速力の客船を投入しても、スケジュールや安全性を崩してまで既存の船に高速力を無理強いする事はなかったといいます。 そして、当時速力19〜20ノット・1万5千総トンの客船4隻のローテーションで週1便が理想的と捉えていた運行形態を、1隻減の3隻で実現可能にするという経営戦略から、25ノット3万総トン客船の計画が練られたという事情もありました。キュナード社は3隻目の高速客船として1914年にアキタニア号を建造しましたが、これは45,647総トンとモリタニア/ルシタニア号より一回り大きかった反面、23ノットと速力はやや劣っていました。


※注2
 この船の綴りは「Mauretania」で、アフリカ東部にあった古代都市の名前が由来になっています。和名はモーレタニア、モーリタニア、モレタニア、モリタニア等と資料によって別れていますが、本製作では「モリタニア」とします。

 ちなみに、船主のキュナード社は末尾が「〜ia」で終わる言葉を自社の客船に命名する事を創業以来の慣例としていました。この慣例が無くなったのは1936年に竣工した「Queen Mary」以降のことになります。

 なお、厳密にはこの船は「初代」で、キュナード社は1939年に同名の客船を建造しています。二代目モリタニア号は35,738総トンとそれほど大きな船ではなく、高速記録を出す目的もありませんでしたが、第二次大戦中は輸送船として活動し、戦後Queen Mary,Elizabeth両姉妹の補助的な船として、1965年に引退解体されるまで北大西洋航路で活動しました。