調理実演:2005年12月11日


初代海王丸船首左舷側のアンカーベッドと主錨(2003年3月20日撮影:富山県新湊港)
(12/11)

製作は7月の段階からほとんど進んでいません。

先日、初代日本丸の船長を務めた橋本進氏にお会いする機会があり、
現役当時の実船の運用や装備品などに関して色々とお話を伺いました。
橋本氏は1976年にニューヨークで開催された米建国200周年記念帆船パレードに於いて
日本丸の船長として大任を果たされたほか、船舶関係の著作も多い方です。

初代日本丸/海王丸の建造当時の船体線図は戦後所在がわからなくなり、
著書の「帆船図説」(海文堂刊)に掲載されている線図は
米建国200周年パレード参加の改装の際に数百万円の費用を掛けて実船を実測して再作成されたものであること、
外観上の相違点でも述べた日本丸の各ヤード先端の白塗装は
夜間に先端が容易に把握できる目的で施されたもので、
ニューヨークのパレードで各国の船が塗装しているのを見た橋本船長が
それにならって実施させたものであることなど
興味深い話を伺うことができました。


初代日本丸/海王丸は戦争中に帆装を撤去した際に
船首のアンカーベッドから主錨を海中に投入する装置(タンブラー)を撤去したため、
主錨を甲板上に引き上げて固定しておく事しかできなくなり、
帆船として復帰したあとも
緊急の際に海中への即時投入ができませんでした。

そのため、入出港時や帆船パレードの際には
事前に船首のクレーンを用いて主錨をアンカーベッドから外し
水面近くまで下げて航行せざるを得なかったのですが、
事情を知らない人の中からは「他国の船と比べて慎重の度が過ぎる」という批判もあったと聞きます。

船の運用には必ず理由があったはずですが
写真や映像だけで判断しようとすると
時に実際とはかけ離れた考えに及んでしまうことがあります。
(船や所属の組織に関する知識がない場合は特に)

今回の製作はそういう部分も含めて、船とは何かということを
少しでも整理できないかなとも考えています。


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