調理実演:2005年5月8日



製作は3月の段階から見た目ほとんど変わっていません。

世界の艦船2005年6月号p50〜51に、1961年7月23日撮影の
トランス・パシフィック・ヨットレース参加当時とされる初代海王丸の写真が2枚掲載されています。
船名からどちらも海王丸である事に間違いはないのですが、
少なくともp50とp51は同時期に撮影された写真ではありません。

p51はフォアマストにレーダーの装備が無く、また頂部に方位探知ループアンテナも無いことから、
もしこれがハワイ水域で撮影された写真であるならば、
フォアブリッジが現在の形に改修された1958年春からフォアマストに方位探知アンテナが装備された59年春までの間、
この間にハワイに航海したのは58年5月から8月までの1度しかなく、
従って1958年夏頃のものではないかと推測します。

p50は1961年秋の改修で装備されたとされる右舷ウェルデッキの舷門が見当たらない事から、
恐らくトランス・パシフィック・ヨットレース参加当時の写真で間違いないだろうと考えます。
上の図はp50とp51の写真の相違点を加えて描いてみたものです。

そして、この写真で興味深いのはマストとマストの間の三角帆が14枚も貼られている上に
1枚が畳まれた状態で写っている点で、
三角帆は1955年に帆装を復旧した際に戦前の定数15枚から9枚に減らされたとする資料があり、
戦後撮影と判定できるもので10枚以上装備された写真はこれまで見た事がなかったため、
三角帆9+四角帆18+最後尾の2枚=計29枚が戦後の定数と考えていました。

トランス・パシフィック・ヨットレースでの海王丸は弱風で速度が落ちた上に、
ホノルルのゴール直前では逆風で行き足を止められてしまい、
佐野桂船長の回想でも可能な限り帆走によるゴールインを目指したとあるため、
あるいは通常使用しない三角帆も全て張って
ようやくホノルル港に到達した当時の写真なのかも知れません。

他にもレーダースキャナの高さとか
p51の写真でアフターブリッジに装備されていた方位探知機のアンテナが
日本丸のそれより高く大型のものであった事とか
この写真2枚でなかなか有意義な連休が過ごせました。

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