あとがき


ルシタニア号最後の航海(2001/06/04)

第一次大戦中の1915年5月7日、
英国の豪華客船ルシタニア号はドイツのUボートの雷撃を受けて撃沈された。
犠牲者1198名の中に
当時中立国だったアメリカ人の乗客124名が含まれていた事から、
世論は激高し、やがて米国は参戦、
膠着状態だった戦局は次第に連合国側に傾いた…

 世界史の教科書にも載っている有名な事件ですが、この船の最後に関しては沈没当時から様々の「疑惑」が囁かれていました。その中でも最大の疑惑は、全長 250m3万5千屯の大型客船、しかも仮装巡洋艦への改造を前提に設計されタイタニックよりも更に不沈対策が徹底していた船が、わずか1本の命中魚雷で18分足らずで波間に消えた点でした。特に論議を呼んだのが魚雷命中直後の爆発で、密かに積み込んでいた弾薬が命中のショックで誘爆し、それが沈没を早め犠牲者を増やしたのではないかという説も強く主張されていました。その真偽を探るべく、タイタニックを発見したロバート・D・バラード博士率いるチームによって1993年に海底探査が行われました。この一部始終と、生存者の証言や当時の写真などによって構成されたナショナルジオグラフィックのDVDが先日東芝から発売され、早速取り寄せて見ました。

 博士の海底探査はガダルカナル海域の記録まではビデオも調査レポートの和訳本も出ていたのですが、それ以降のものは日本語版は全く出なくなってしまいました。私はルシタニアは調査終了直後に概要を読む機会がありましたが、調査の全容と映像はこれが初めてで非常に興味深いものでした。



 戦艦大和にしろ、タイタニックにしろ、海底に沈んでいる船はどれも悲惨なものですが、アイルランド南部のキンセール湾オールド岬沖19kmの海底に沈んでいるルシタニア号は魚雷を受けた右舷を下に横たわっていて、船体中央部に大きな亀裂が走り前後がゆるいVの字型に折れ曲がっています。しかも船体の幅が浮かんでいた当時の半分ぐらいしかなく、上甲板から上の構造物は跡形もありません。わずか100m足らずの水深で爆撃を受けた訳でもないのに、上部構造物をなぎ払って船体を横倒しにして巨大な万力で押し潰したような感じで沈んでいます。DVDでは詳しく述べられてはいなかったのですが、船体の長さが水深の2倍以上あったために船首が着底した時には船体の後半部はまだ海上にあり、着底の衝撃と船が沈んでゆく圧力によって上部構造が崩れ落ち船体が横に押し潰されたのではないか、という推測がなされたと聞いています。それにしても凄惨な状況です。

 魚雷を受けた右舷側は船体の下敷きになって全く状態が判らなかったそうですが、少なくとも左舷側の船体からは爆発など内部からの衝撃で損傷を受けた跡は見られませんでした。上で述べたようにルシタニア号がわずか20分足らずで沈没して果てた有力な原因の一つとして、密かに積んでいた弾薬が魚雷命中のショックで誘爆したのではないか?という説が当時から挙げられていましたし、魚雷命中の直後にボイラー室付近で爆発が有った事は目撃証言が有りました。しかし、倉庫に船体の外板を吹き飛ばして沈没を早めるほどの武器弾薬が積まれていたのならば左舷側や船底にもひどい損傷の跡が有っても不思議ではありませんが、その痕跡は認められませんでした。

 沈没に至った爆発が海底の状況から弾薬の誘爆に代わって考えられる合理的な原因として、ルシタニア号は燃料に石炭を使用していたのですが、その石炭庫がちょうど魚雷が命中した付近の内側にあり、イギリスに到着直前で空に近かった石炭庫が魚雷命中の衝撃で粉塵が舞い上がると同時に引火し、炭坑のような粉塵爆発を起こして右舷側の船体を破壊したのではないか?という推測がなされました。これは非常に興味深かったのですが、いずれにせよ撃沈の原因を完全に解明する要素は何も得られなかったそうです。

 撃沈当時イギリスはルシタニア号の武器輸送を否定し、ドイツを非難しました。タイタニック号と同じく多くの人命が失われた惨劇でしたが、タイタニック号が「事故」であったのに対し、この船の撃沈は戦争の犠牲であり、その責任は個人や船会社ではなく全ての人類が負う重い「犯罪」でした。

「原因が石炭であれば軍需品を載せていた責任が薄れてしまう。
 でも私は今回の探査に満足しています」

 この博士の最後のナレーションが、強く印象に残った映像でした。


ルシタニア号は1907年に竣工し、姉妹船のモリタニア号と共に史上初めてタービン機関を装備した当時世界最高速の豪華客船でした。第一次大戦勃発直後にいったん英国海軍に徴用されたものの、石炭補給の問題から仮装巡洋艦への改装は見送られ、そのままアメリカとの定期航路に就いていました。撃沈当時は軍事物資を積まない中立国の乗客を乗せた非武装の客船はUボートの攻撃対象外とされ、戦後、潜水艦の艦長は戦犯行為に問われました。魚雷命中直後の爆発は攻撃側でも目撃され、それを以て禁制品である軍事物資を搭載した輸送船であり攻撃は合法であったと主張しましたが、米国の軍法会議では退けられました。

 しかし、英国側にも禁制品の軍事物資の輸送疑惑を始めこの事件に関しては不審な点が少なくなく、米国の対独感情を悪化させるために意図的にUボートの待ち受ける海面に誘導して撃沈させたのではないかとする「謀略説」まである位で、それがこの船の最期をいっそう不可解で重苦しいものにしています。
 ただし、アメリカの第一次大戦への参戦はルシタニア号撃沈の2年後で、一般的に言われている「直接のきっかけ」ではなかったようです。ただ、参戦に当たってはこの事件が国民の士気高揚の宣伝材料に用いられたそうです。


  ルシタニア号の組立キットはグンゼ産業(旧ジーマーク)の1/350のインジェクションと、BANGモデリングから1/700のレジンキット、それとエアフイックス1/600で姉妹船のモリタニア号のインジェクションキットが発売されていました。いずれも模型店では現在入手困難なようですが、グンゼ版の1/350は時折定価前後でオークションに出てくるようです。1976年に世に出たキットで、手すりが板状にモールドされていたりプロムナードデッキの支柱の処理など問題点も少なくありませんが、この中では一番楽に見栄えの良い仕上がりが期待できると思います。

展示会、2題(2000/07/24)

 7月の第3週末に大阪へ行ってきました。一つはザ・ロープオーサカが例
年この時期に開催している木製帆船模型展示会、もう一つは日本中の有力模
型サークルが集結して今年初めて開催される艦船模型合同展示会という、2
つの大きなイベントの見学で、なかなか有意義な時間が過ごせました。

 ザ・ロープオーサカの展示会は阪急ターミナルビルの17階展示会場で行わ
れたもので、個人展も含め全36隻が出品されていました。私が一番関心があ
る19〜20世紀の帆船ではこれといって興味を引くものはありませんでしたが、
中に一つ、帆船ではなかったのですが「BAY FLOWER」という1933年に建造さ
れた英国の遠洋大型トロール漁船の1/70の作品が印象に残りました。作者の
方にも少し話を伺ったのですが、「ModelShipwright」誌に掲載された図面
を元に製作した全自作模型という事で、非常に上品な仕上がりになっていま
した。この時代の漁船は戦時中は軍に徴用されて対潜監視任務に就いたもの
も有ったそうですが、立体化された作品は今まで見た事がありませんでした。
「浪漫工作」Webのコウ中村さんが見たら涙を流して喜んだだろうになぁと、
これを見ただけで大阪に来た甲斐がありました。
 全体的には工作の技量は高く、前述のBAY FLOWERのようにアイテム的にオ
リジナリティの高い作品も見られたのですが、「木製」である事にこだわり
過ぎるあまり、かえって模型としてのリアリティが薄くなっている(ちょう
ど海沿いの観光地で売られている木製の船の置物を精巧にしたような感じ、
と書けば感じ取れるかもしれませんが)違和感を感じた作品もありました。

 艦船模型展示会の方は時間があまり無く、全ての作品をじっくり見る事が
できなかったのですが、「OGI Web Site」の荻原博也氏の作品や「大艦巨砲
主義者の部屋」の栗又信一郎氏、「模型の館」の遠藤和彦氏など、日頃リン
クでお世話になっている方々の作品を直に見ることができたのは有り難いこ
とでした。また、未完成会のコーナーでわずか40日で仕上げたというエレー
ル1/400リシュリューの作品には驚きで、これは作者の方を呼んでいただい
て少し話を伺ったのですが、キットの内容を力でねじ伏せたようなもの凄い
作品(とても40日で上げられるようなしろものではないのですが…)で、つ
くづく世界は広いと痛感した次第です。
 あと「ザ・コンパス」というサークルが出品していた 1/200の商船のペー
パーモデルも印象的でした。これも作者の方に話を伺ったのですが、ウイン
チやデリックの滑車に至るまで全て紙製との事で、戦艦大和の大型模型と比
較しても遜色のない精巧で完成度の高い内容でした。また1/700商船の模型
はコンパスのコーナーの回りにも何隻か有ったのですが、関心が持てないの
か熱心に見てゆく方が軍艦に比べて少ないように見えました。

 全体の印象は以上の通りですが、2つの展示会を通して見てひどく気にな
る事がありました。帆船も商船も軍艦も艦船の大きな歴史の発展過程の中で
生み出されたものであるにもかかわらず、関心を持つ「層」があまり噛み合
っていないように感じたのです。艦船模型と言いながら「艦」と「船」に愛
好者の興味の方向が完全に割れてしまって、片方はもう片方に興味を示さな
い…それが分野全体の底の浅さとして現れているのではないかと、そう思う
のです。そこをもう少し考えない限り、特に艦船模型合同展示会の方はいく
ら人と作品数が多くパンフレット冒頭のごあいさつの文章に書かれた「艦船
模型の素晴らしさと楽しさ」を理解させる事はできても、”奥深さ”を一般
の人に感じ取ってもらうことは難しいのではないかと、そんな印象も受けた
見学でした。


長谷川藤一氏の思い出(2000/04/06)

 栗又信一郎氏の「大艦巨砲主義者の部屋」で、長谷川藤一氏の訃報を知り
ました。超一流の技量を持った艦船模型界の重鎮であり、1970-80年代に艦
船模型を志した者にとって、模型誌で氏が手掛けたWL製作記事に受けた影
響は非常に大きいものでした。また、森恒英氏亡きあとグランプリ出版の軍
艦メカシリーズの編集を引き継ぎ、「日本の航空母艦」を世に送り出すなど
あまりにも多くの仕事を残した方でもありました。私も長谷川氏の製作記事
で鍛えられた一人で、直接お会いする機会はとうとうありませんでしたが、
模型作りの先生と仰ぐに等しき方でした。

 私が長谷川氏のWL製作記事を知ったのは、矢矧改造の軽巡大淀のスクラ
ッチ(フジミのキットが出る前のことです)が最初でした。まだ市販のキッ
トすら満足に作れない子供だったにもかかわらず、大型のカッターナイフを
握って矢矧の船体とついでに指先まで切り刻んでいた記憶があります。その
後に発表した青島の戦艦山城の徹底工作も見事としか言い様のない内容と作
例で、これも記事を読むなり模型屋に走ってキットを買ってきて、切り貼り
したものです。

 大淀も山城も記事を参考に何とか完成まで持ち込んだのですが、前者はか
かる大改造に全く腕が追いつかず、後者は艦橋をほとんど自作する所まで手
を入れたのですが、強度対策を何もしていなかったために引っ越しの際に潰
された箱の中で上部構造物が全壊してしまい、泣く泣く廃艦処分にした記憶
があります。まだ本格的に船の模型を始める前のことでしたが、その下地は
この頃に作られていたのかなと、今になって思います。

 長谷川氏の作例は大変ていねいで、キットの特徴を生かしながら誇張と省
略のバランスも取れた美しいものばかりでした。またその製作記事も豊富な
知識と工作技術を下敷きに「こうしたら良くなる」というスタンスに立った
もので、工作量が多くとも記事を読めば作例と同じような作品ができるので
はないかと思わせる、不思議な説得力を持ったものでした。工作技術が全然
無いにもかかわらずあの頃の私が無謀な切り貼りに挑んだのは、そのためだ
ったのかもしれません。

 長谷川氏の新しい作品と記事に永遠に触れる事がなくなってしまったとい
うのは残念でなりません。昨今の模型誌の艦船記事の内容を思うに、もっと
もっと活動して欲しかったと、痛切に思います。


上総湊海軍工廠に思うこと
〜1/500復権の可能性〜(1999/08/11)

 1971年にウォーターラインシリーズの最初のキットが発売されるまで、艦
船の組立模型といえば日本模型の一連のキットを指していました。1/200と
1/500を主なラインナップとし合計30種以上発売されたのですが、1978年の
空母飛龍を最後に開発は途絶え、新作の見込みはほとんどありません。

 日模の1/500は根本的な問題のある初期のキット(高雄型重巡、大和・長
門型戦艦)を除けば基本設計が優れているのですが、発売当時驚異的と言わ
れた細部のモールドも最近は1/700にすら見劣りするのが現実で、内容的に
かなり辛くなってきました。しかしディテールアップを図ろうにもより精巧
なパーツも無ければエッチングすら入手が困難で、手の込んだ模型を作ろう
と考えるとむしろ1/700の方が手軽にできるのが、1999年の現状です。


 ガレージキットメーカーの上総湊海軍工廠が、空母大鳳を皮切りに旧日本
海軍艦艇の大型キットの発売をWeb上で告知しています。これまでは米国の
Blue Water Navy以外に日本艦の大型レジンキットはほとんど無かっただけ
にこの動きは非常に興味深いのですが、気になる事があります。
それは縮尺が1/500である、ということです。

 米国Blue Water NavyやClassic Warships、英国White Ensign Models
など、欧米の艦船ガレージキットメーカーは縮尺を1/350と1/700にほぼ集約
しつつあり、1/350のパーツは1/700に次いで発売量が多くなっています。こ
れは海外の艦船模型関係のWebを回れば感じ取れると思うのですが、

 先日発売された「大鳳」では、日模1/500翔鶴型空母を1隻潰す事が前提
になっているそうですが、流用可能な部品の大半は最近の1/700にも見劣り
する内容です。それならば縮尺を1/350として田宮の大和型戦艦を指定した
方が、更に良い部品が調達できる(しかも潰した部品はアフターサービスで
再請求できる)上にエッチングパーツも揃っており、また輸出を視野に入れ
た販売も容易になったのではないかと思うのです。

 ただ、1/350と1/500では販売価格や型のメンテナンスでかなり差が出る事
も考えられますし、メーカーに直接確かめた訳ではありませんが、艦船模型
の主流から外れつつある1/500に、もう一度人を呼び込もうという狙いがあ
るのかもしれません。
 いずれにせよ、他に優れた部品の調達が現状では難しいのですから、縮尺
が1/500である限り自社のキット「だけが」売れれば良いという姿勢では、
恐らく今の愛好者を引き込むのは難しいと思います。1/500全体を1つのジ
ャンルとして盛り上げる事まで視野に入れて販売戦略を練らない限り、いく
らアイテムの目新しさや考証の深さを売り物にした所で、所詮「1/700より
大きいレジンの塊」だけで終わってしまう危険性をはらんでいると考えます。
そのためには、まず1/500の武装パーツ(特にシールド付高角砲や機銃類の
リニューアル)と汎用のエッチングパーツを愛好者に安い価格で提供して、
「1/500は1/700より精密な模型が容易に作れるのだ」という意識を、1/700
を物足りなく感じ始めた人たちに与える事が第一だと考えます。その意識が
広がった時に初めて、1/500は1/350や1/700と並んで愛好者に作られるよう
になるのかもしれません。


 私自身は、正直言えば「何を今更1/500?」という思いが強いですし、そ
れは世界的な流れから取り残される感が否めないのですが、新しいものが何
も無ければ朽ちてゆくだけですし、その意味でも上総湊海軍工廠のキットは
1/500復権の可能性を含んでいると感じます。そのためにも、メーカーには
レオナルドのコンテストや学研のムック云々を宣伝する以前に、志を高く持
ってキットを送り出して欲しいと願います。

※上総湊海軍工廠のWebアドレス
http://www.amaha.or.jp/kazusaminato_kaigunkousyo.htm

1998年のあとがき


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