あとがき(1998)


・雑記(1998/12/30)

 12月の26-27日に掛けて、所用で東京に行っていました。用件が済んだあ
と幾つかの場所に行きました。

 西山洋書は銀座店・池袋店共にこれといった掘り出し物はありませんでし
た。最近は特に回転が速いというか、今年出た本でも棚に見つからないもの
が少なくなく、今年の春に出た Naval Institute Pressの Battlecruisers
(John Roberts著)すら見当たらなかったのは愕然(まあ、あれは第一次大戦
の英国巡洋戦艦に興味のある人にはおいしい資料ですが ^^;)もので、少し
ショックでした。

 ショックといえば、渋谷の東急ハンズにも行きましたが、学生時代はあそ
こを全部見て回るのに5,6時間は平気だったのに今ではたったの2時間で
身体がギブアップ。体力のなさを実感する有様(T_T)。
 ここでは少し工具を買ってきました。

 

いずれもルーターの刃先で「#1」と書かれたカッターは刃先が玉状にな
っていてえぐり取ることができます。現在製作中のフッドでは使う機会がな
いと思いますが、例えばWLの艦橋など甲板がブルワークの高さまで盛り上
がっている部品を、ブルワークの部分だけを除いてえぐり取るような作業が
簡単にできます。この刃先が3mm以下のものは地元のDIY店にも模型店に
もなく、幾つか買ってきた次第です。また「#411」と書かれたものは、
先端がカップ状になっていて内側に刃があり真鍮棒の先端を丸める事ができ
ます。価格は写真の通り、そんなに高いものでもありません。

 また、蒲田駅前のユザワヤに行って創作人形用の髪の毛の素材を買ってき
ました。これはAKラボ〜球体関節人形〜という創作人形の Webページを開
設している日高りよう氏へアクセスして御教示頂いたもので、
http://www.jade.dti.ne.jp/~ak-labo/
 本絹のすが糸70cm×19g@1,000、ストレートヘアで糸の細さは人毛と変
わりがありません。白は自由に染色することができるそうなので、濃い茶色
系統に染めればWLへの応用も面白いと思います。



 張り線はまたその段階になったら調理実演の部分で述べることにしますが、
手元の写真を見ても後部マスト付近の索具を除いては実艦の全景を移した写
真にはほとんど写っていません。White Ensign Modelsのページで紹介され
ている Jim Baumann氏の作例
http://dspace.dial.pipex.com/white.ensign.models/jbhood/jbhood.htm
 これを見ても、あまり太い糸では逆にバランスを失ってしまうような印象
を受けます。それで、実艦写真の写り具合に合わせてメインでこの糸を使い、
デリックのワイヤーや後部マストには多少太い糸を張ろうと考えています。

 今年はこれでおしまい。来年こそは調理実演部門の完成を目指したいもの
です。


・タイタニックの神話と現実。(1998/09/14)

 例の映画の影響で世界で最も有名な船になった感がある「タイタニック」
ですが、私は船そのものには昔からあまり興味はありませんでした。当時世
界最優秀の高速豪華客船だったモリタニア号と比べると大きいだけで外観上
の魅力に乏しく、処女航海で沈没した負のイメージも強くて模型を作る予定
はありません。ただ、タイタニックに関する書籍には読み物として興味を引
くものが多く、良く読んだものです。その中でも特に印象的だったのはこの
本でした。

☆「タイタニックは沈められた」
 ロビン・ガーディナー&ダン・ヴァンダー・ヴァット/共著、内野儀/訳
 1996年7月30日第一刷発行、303P、ISBN4-08-773252-5、集英社刊

 これはタイタニック号沈没の大惨事に関して徹底的な再検証を行ったもの
で、乗員の過失から船会社の保険金詐欺疑惑、そもそも北大西洋の海底に真
っ二つになって沈んでいるのは本当に「タイタニック号」なのか!?という怪
談級の仮説まで、事実経過から考えられるあらゆる可能性について述べられ
ているものです。

 タイタニックにはオリンピック号という、先に建造された「ほぼ同型の」
姉妹船がありました。外観上はほとんど見分けが付かなかったといいます。
この船がタイタニックが沈む約7ヶ月前に英国海軍の巡洋艦と衝突事故を起
こして船尾に損傷を受け(この事故で被った建造費の1/6近い修理費には
保険が降りず、裁判沙汰にまでなった海軍からも結局賠償は取れなかった)、
さらに2ヶ月前にスクリューブレードの1枚が航行中に脱落する事故を起こ
して航海が中止になったことがありました。後の調査でこれらの船に使われ
た鋼鉄が氷点下近い水温でもろくなる特性が判明したのですが、この脱落事
故は修理したばかりの船尾に、航海に致命的な程の損傷を与えたのではない
か。著者はこの点に注目して、以下の仮説を提示します。

 ここで既に数回の事故で船に掛けられた保険がほぼ失効状態だった上に、
船便のキャンセルによって損害を被っていた船会社が、スクリューブレード
の脱落事故の調査で修理されたオリンピック号の船尾が強度的に充分でない
ことを知ったら、その大修理の費用と既にスケジュールが組まれていた航海
をキャンセルする(代わりを勤める船は無かったという)損害を回避する方
法として、完成直前のタイタニック号の「名前」をオリンピック号に付け替
えてその予定通りの航海に出し、本物のオリンピック号を試験航海ができる
程度に修理してタイタニックの名前であの惨劇の処女航海に向かわせたので
はないか…

 …加えてその航海で氷山に意図的に接触させて沈ませ、近くを航行する船
に乗員乗客を救助させれば、以上の問題は全て解決する。本物のオリンピッ
ク号はタイタニック号沈没に伴う保険金でそのものが減価償却され、健全だ
ったタイタニック号はオリンピック号の「名前」でその後23年間働き続ける。
 氷山の警報が出ていたにもかかわらず回避行動も減速も行わず突っ込んで
(船長にはそうしなければならない理由は無かったという)、結果的に氷山
に接触して沈んだ訳ですが、それを産み出すために取った行動が予定よりも
早く近づくまで気がつかなかった氷山に突然に遭遇した為に、どの船の救助
も間に合わず多数の犠牲者が出た。つまり最悪の事態に発展した保険金詐欺
の疑惑がそこに有るのだ、と…

 これが疑惑の核心部分の要旨です。後の海底探査で沈んだ船が発見され、
膨大な数の写真とフィルムに遺品も引き揚げられたのですが、タイタニック
号の名を明確に示したものはその中には無かったといいます。

 もちろん保険金詐欺や船そのもののすり替えに関する仮説は状況から示さ
れる可能性の一つで明確な根拠はなく、私自身は船そのものをすり替えたと
いう仮説は疑問に思っています。客船は同型姉妹船であっても内装は異なっ
ているのが普通ですし、いくら見分けが付かないとはいえ造船所の大半の人
間に知られずに船をすり替える事が可能だったとは思えません。ただ、タイ
タニックの資料は設計図も含めてほとんど残っていない(現在図版として紹
介されているのは大半がオリンピック号のものです)のもまた事実ですし、
このような視点から事故の背景を探った本は私の知る限り初めてでした。

 そして、この本ではタイタニック号が沈没に至る経過でのさまざまな謎や、
船長を始めとする乗組員の経歴、船主、船会社・造船所の社長の人物像と船
への係りなど、事故の背景が下手なミステリー小説顔負けの展開で提示され
てゆきます。この本で初めて知った事も多かったのですが、そこから浮かび
上がるのは船が沈んでいる海の底と同じくらい真っ暗な闇でした。

タイタニックが就航した当時、
 姉妹船オリンピック号に起因する多大な負債が船会社に存在したこと。

タイタニックの航海は事故の前から人為的なトラブルが多発し、
救助活動も決して最善を尽くしたものではなかったこと。

 沈没後の査問会は事故に対する責任追求が充分でなかったばかりか、
証言者の言動には買収の疑惑を生むほど不自然な点があること。

そして、
これらの問題は
「運命的な悲劇」という神話によって
全て覆い隠されていること。
1,500名近くが亡くなった大惨事にもかかわらず…

 タイトルには「沈められた」とありますが、これは上で示した疑惑と共に
いわゆる「不慮の災害」ではない人為的な過失や錯誤がタイタニックが沈む
前にも、沈む時にも、沈んだ後にも山積していた事を示しています。いわゆ
る、一般的に言われている機械文明の発展で高慢になった人類に対する神の
警告でも運命でもない、惨事の本質は人間の故意による過失だと。
 そこに、この本の価値があると思います。


・ウェブページ1周年感謝(1998/07/01)

 このページも7月で設立丸一周年になります。艦船模型限定、スケールも
ばらばら、掲示板もない貧弱な内容に加えて今年の前半は更新もままならな
かった状態にもかかわらず、6.600名近い方の訪問があった事は誠に感謝に
堪えません。

 1周年を機に若干構成を変更しました。まずメインメニューの「案内板」
を削除し、代わりに「キット雑感」を載せました。模型店の案内はできれば
もっと細かくやってゆきたい事ですが、久しく更新が中断している現状を考
慮し、一時棚上げという形で削除に至った次第です。これはまた形式を考え
た上で再開できれば、と考えております。
 「キット雑感」は、1991年以降、PC-VAN模型倶楽部SIGへ書いた新製
品に対する感想と、ウェブページ設立後に特設案内で紹介した新製品や書籍
などに関する感想の再録から成ります。知識的・財政的な問題で全ての艦船
キットや書籍を網羅することはできませんが、興味を引いたものについては
書いてゆきたいと思っております。

 調理実演の方はなかなか前に進みません。当初予定の1年半から、このペ
ースでは2年以上掛かるのではないかと考えております。これは気長に見て
いただけたら、と思います。


・勝った者と負けた者と(1998/06/14)

 1998/04/04日付の雑記について、もう少し。

・ビスマルクの直撃弾が火薬庫の誘爆を引き起こして爆沈したフッド
・わずかな航空機の魚雷が致命傷になったビスマルク
・チャンネルダッシュの独艦隊に突っ込んで全滅したソードフィッシュ隊
・陸上攻撃機に撃沈されたプリンス・オブ・ウェールズ
・沖縄特攻の途上で撃沈された戦艦大和

 前に「因果応報」と書きました。が、ビスマルクを除いては回避不可能な
惨劇ではありませんでした。フッドは本来ビスマルクと戦うべき戦艦ではあ
りませんでしたし、チャンネルダッシュのソードフィッシュは指揮系統の混
乱が結果として単独攻撃の悲劇を招いてしまいました。プリンス・オブ・ウ
ェールズは艦隊指揮官が日本の航空兵力に認識があれば撃沈だけは避けられ
たかもしれませんし、戦艦大和に至っては連合艦隊の参謀をしても成功の可
能性はほとんど無かった作戦でした。

 勝った者にも負けた者にも「教訓」は突きつけられます。ビスマルク後の
ドイツ海軍然り、プリンス・オブ・ウェールズ後のイギリス海軍然り。しか
し、戦艦大和の沖縄特攻で日本海軍は何の教訓を得たのでしょう?

 戦艦大和の沖縄特攻は、日本や沖縄の為という事以上に「海軍の体面」の
ためという要素が非常に強いものでした。仮に航空攻撃をかいくぐり米軍の
戦艦を何隻か道連れにしても、目的通り沖縄本土に乗り上げて砲撃を加えた
り輸送船団を撃破しても、それが沖縄戦の戦局に影響を与える可能性はほと
んどありませんでした。旧日本海軍の歴史の最終頁を野垂れ死にから書き換
えて美化するために払った代償が、3,000名以上の犠牲者と戦艦大和以下の
艦艇と日本近海の護衛艦艇に使われるはずだった重油で、これがこの作戦の
「本質」です。
 当時の状況は私なりに理解しているつもりですし、彼らの戦い自体が無意
味だというのは死傷した将兵に対する冒とくでしかありませんが、乗員の9
割近くが還らなかった絶望的な状況で超人的に戦った将兵に対する想いと、
かくも無謀な作戦で多くの将兵と軍艦を亡くしてしまった事に対する責任の
所在は分けて考える必要があると思うのです。

 いつの世にも状況を合理的に判断できる組織が勝利を導くのだろうと思い
ます。それを極端な精神主義にすり変えた所に日本軍の悲劇があった訳で…
末端の日本兵の超人的な戦いに関しては敵側の多くの人も述べていますが、
位が上がるにつれて無能になってゆくという事も同時に指摘されています。
金融機関の不良債権問題、証券不祥事、官民癒着の接待漬け…このへんの民
族性は今も本質的には何にも変わっていないように感じます。せめては、
サッカーだけでも世界から何か教訓を汲み取ってきてもらいたいものです。


・雑記(1998/04/04)

 以前、本屋で二見文庫の「太平洋戦争99の謎」を読んでいたら、マレー
沖海戦の謎でちょっと首をかしげる記述がありました。曰く、

>大戦末期に日本軍の攻撃機がことごとく撃墜され戦果が上げられなかった
>のに、「ワン・ショット・ライター」と呼ばれたほど被弾に弱い1式陸攻
>に英国の2戦艦が撃沈されたのは、ろくな回避行動も取らず対空砲火も弱
>かったからだろう。


 マレー沖での勝利は英国側に問題があって、それを日本側が過信したこと
がミッドウエー海戦の敗戦につながったのだ…という論旨です。大戦末期の
米国海軍の空母を中心とする輪型陣のレーダー管制による対空射撃+護衛戦
闘機群による強力な対空網と、航空攻撃の戦艦に対する優位性が充分認識で
きていなかった海軍のわずか2隻の戦艦と4隻の駆逐艦の艦隊を同一に論じ
ること自体ムチャクチャですが、この時に「英国側の視点」で言われるよう
な問題が有ったのか、考えたら日本語で書かれた本はあまりありません。

 マレー沖海戦で撃沈されたプリンス・オブ・ウェールズとレパルスの、英
国側の証言を集めた戦記本としては、以下のものがあります。

「戦艦 −マレー沖海戦−」
M・ミドルブルック P・マーニー共著/内藤一郎訳/早川書房刊(1979)

 400Pを越えるハードカバーです。この中で、艦歴が古く大戦初頭の船団
護衛を無事にこなしたことからレパルスの乗員の士気が比較的高かったのに
対し、プリンス・オブ・ウェールズの方は進水から就役までの間に爆撃や事
故などのトラブルが続いた上に、初陣のビスマルク追撃戦で英国海軍の象徴
たるフッドを目の前で撃沈され、しかも主砲の故障で満足な攻撃を行えない
まま多数の直撃弾を食って撤退せざるを得なくなった(しかも同艦がビスマ
ルクに与えた重大な命中弾は当時公式には認定されなかった)事からフッド
を見殺しにした「疫病神」とまで噂されたこと、極東派遣の直前に行われた
マルタ島への強行輸送作戦の護衛でイタリア空軍の空襲を撃退し損害がほと
んど無かったことから、戦艦が航空機に対して全力で防戦すべき必要性を英
国海軍が受け取らなかったこと、マレー沖で日本の攻撃機が低空で雷撃コー
スを取って迫っていたその時にも艦隊司令官に双発機による雷撃の認識が無
かったこと、司令官は最後まで戦闘機の派遣要求を出さなかったこと、等々、
非常に興味深い内容です。

 マレー沖海戦のプリンス・オブ・ウェールズは、戦闘が始まってすぐに最
初の魚雷がビスマルクと同じように艦尾に命中し、推進軸を支えていたブラ
ケットが破壊されて高速回転していたシャフトがはね上がって船体との付け
根の部分を損傷して機関室と発電室に浸水するという他にほとんど例のない
損害を受け、結局はそれが致命傷になりました。左舷側のスクリュー2軸が
停止し、5つあった発電室のうち4つが浸水や魚雷命中のショックで機能し
なくなったために艦の後部の電力供給が断たれ、8基の高角砲のうちの6基
と操舵室の機能が停止してしまい、この時点で運命は決まってしまいました。

 プリンス・オブ・ウェールズが沈没したとき、総員退去に充分な時間が有
ったにもかかわらず、フィリップス司令官とリーチ艦長は運命を共にしまし
た。日本海軍の艦長の多くがそうであった例と並べて「ノーサンキュー」と
退艦を拒否したという話が有名ですが、本を読む限りそんな証言はどこにも
ありません。ここは非常に微妙な言い回しになっているのですが、少なくと
両者とも明確に退艦を拒絶した事実はないものの、司令官に関しては
脱出する意志があればその余裕はあったし、艦長は司令官に忠実に従ったが
ために退艦が遅れたのではないか、との推測がなされています。両者共、沈
没後に遺体となって漂流しているのを目撃されていますが、その時には救命
胴衣を着用していたとあります。

 85機が参加した日本の攻撃機は3機撃墜、28機が損害を受けましたが、
プリンス・オブ・ウェールズが攻撃の早い段階で操舵の自由を失い高角砲も
2基しか動かなくなった事を考えると、もし魚雷の命中が遅れるか違う場所
でそれらが長い間機能していたなら、日本側の損害はずっと多いものになっ
ていたはずです。しかも日本側には護衛の戦闘機は付いていなかったのだか
ら、もし艦隊司令官が戦闘機の派遣要請を出していれば戦闘の様相はもっと
違ったものになっていたはずです。同著でもこの点を強く指摘しています。
(艦隊が航空攻撃を受けている事をシンガポールに打電したのはレパルスの
艦長の独断に依るもので、それを受けて11機の戦闘機が到着した時には既
に2戦艦とも沈没した後だった)

 ビスマルク追撃戦のあと、敗北を喫したドイツは主力艦を味方の航空援護
が受けられる英国海峡へ白昼に突破させ、その後艦隊による大きな作戦行動
は取ら(取れ)なくなりました。勝ったイギリスはビスマルクと同じように
護衛なしのソードフィッシュで攻撃を掛けましたが、護衛戦闘機と対空砲で
全て叩き落とされエズモンド大尉以下多くの兵を失いました。プリンス・オ
ブ・ウェールズもまたマレー沖で沈み、やっと航空機の戦艦に対する優位性
を認識させられます。そして勝った日本は3年半後、何が起きるか百も承知
で戦艦大和以下の艦隊を護衛戦闘機なしで沖縄に送り出し、3000名以上
の将兵が何の成果もないまま失われました。米軍側の人的損失はマレー沖海
戦の日本より少ないものだったといいます。因果応報というにはあまりにも
悲惨な結末でした。

 戦争は、かくもむなしいものだという事を痛感させられます。せめては模
型だけでもその勇姿と運命を共にした将兵を思い起こさせるものであればと、
そう思います。


・雑記(1998/01/01)

 昨年の末に東京へ行く機会があり、空いた時間に 西山洋書 ・神田の文華堂
書店(古書店)へ行ってきましたが、これといった掘り出し物はありませんで
した。

 日本の軍艦や商船の場合は一般に出回っている資料が限られているため、基
本的な本を揃えておけば大丈夫(ただし明確な裏付けのない「伝聞」には注意
する必要があります)ですが、外国艦や帆船の場合は使っている資料の内容が
模型の内容を左右するといっても過言ではないと思います。組立キットの内容
が実艦を正確に反映していると限らないのは1/700WLを数多く作られた方な
ら身にしみて感じておられると思いますが、帆船や外国艦にも同じことが当て
はまります。しかし、帆船はともかく、外国艦の「決定的な資料」はその大半
が既に絶版になり書店ルートでは入手できないのが実情です。

 和書の場合は書名さえ判れば前述の文華堂書店や神田古書店街(※)を丹念
に見て回れば(価格は別にしても)入手できる機会は比較的多いし、実際掘り
出したものも少なくないのですが、洋書古書となると名著と呼ばれたものです
ら入手は難しくなります。作ろうとする模型や分野に対して「何を押さえてお
くべきなのか」という情報は電話さえあればインターネットで内外から手軽に
取り寄せる事ができますが、在庫情報をチェックして購入するとなるとまだま
だ問題が多いのが現状です。
 だから、新刊書籍で「これは!」と思うものが出たら早めに押さえるのが一
番だと思うのですが、その取捨選択は容易なことではありません。フッドの製
作実演で触れたように実際に手に取らないと自分が作ろうとしている模型に対
して必要なものかどうかわからないものがほとんどですし、いざ工作に入ると
大枚を払った資料があまり役に立たず、バーゲンでついでに買った本の1枚の
写真が重要な情報を提示することがある始末で、だからといって全ての資料を
購入することもできません。幸い、インターネットによって洋書も輸入キット
の内容も日本に入荷する前に内容に関する情報が流れてくるようになったのは
有り難い事ですが。

 昨年はホワイトエンサインの1/350フッドで全てが終わってしまいました。
1/700とは「次元の違う世界」で私自身楽しんで取り掛かっていますが、問題
となる部分も少なくありません。資料的な問題は全くないのですが、後半本業
が多忙になった事もあって製作ペースが落ちてしまったので、今年は何とか完
成を目指したいものです。

※神田古書店街については こちら へ。


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