表紙 このウェブページについて 連絡板 ブログ(別窓表示) 完成品 調理実演 キット雑感 リンク 自己紹介
昭和18年7月下旬の軽巡阿武隈について
その1:序論及び船体

はじめに

 今回製作したのは昭和18年7月下旬、キスカ島撤退作戦当時の軽巡洋艦阿武隈ですが、タミヤの1/700WLキットや模型誌等の作例とは細部がかなり異なります。

 製作の根拠の主たる部分は昭和17年4月20日佐世保工廠製図の完成図で、広島県呉市の大和ミュージアムに於ける公開資料の中に含まれているものです。具体的には以下の内容の図面が公開されています。

1. 舷外側面及上部平面(四枚ノ内一)昭和17年1月末現在
2. 艦内側面及上甲板諸艦橋平面(四枚ノ内二)昭和17年1月末現在
3. 艦内側面及上甲板諸艦橋平面(四枚ノ内二)昭和18年5月末現在
4. 下甲板船艙甲板船艙平面(四枚ノ内三)昭和18年5月末現在

 この他に、諸要部横断、入渠用図附船底諸孔位置図、船体寸法表などが公開されているほか、五十鈴の船体線図は阿武隈も共通とされています。

 このうち1.は私自身始めて見るもので、端末検索で出てきた時には力一杯のけぞりました。開戦の頃の阿武隈の姿を示したものですが、艦首のアンカーレセスが記入されていなかったり、写真資料から明らかにシールド付きであるはずの2・3番煙突間の大型吸気口上の2.5m測距儀がシールド無しだったりと、一部には疑念もあります。しかしながら、今まで阿武隈として捉えていたタミヤ1/700キットとかけ離れた内容に仰天し、ゆえにこの資料を基に模型を作ってみようと考えたのが今回の製作の動機です。

 阿武隈のキットは上で触れたタミヤの1/700WLがありますが、図面に従うならば艦橋から後部マストまでの甲板上の配置は煙突と大型吸気口と主砲の位置以外は大部分が異なるということになります。つまり、この公式図を考慮しないでタミヤのキットの是非を論じても意味がないのです。実際の製作に於いてタミヤではなくアオシマ1/350長良からの改造になったのは、フルハルでかつスケールが大きければ省略の幅が狭くなる理由からです。

 2.と3.はタイトルは同じですが履歴の日付が異なります。2.は学研太平洋戦史シリーズNo.32 軽巡球磨・長良・川内型に掲載されている図面とほぼ同じものです。3.の方は艦橋平面のレイアウトが一部異なり、21号電探の設置に伴ってトップマストが後傾して描かれているほか、魚雷発射管室上の25mm三連装機銃の増設とそれに伴う中央甲板右舷側後端の延伸、及び2ヶ所に兵員待機所が描かれています。また7番砲塔はそのままで艦橋等への単装機銃の記入もありません。

 この学研本と異なる内容の図面が21号電探装備当時、すなわちキスカ島撤退作戦の頃の阿武隈を示しているのかどうかですが、幾つかの点で後述する作戦時及び終了後の写真と一致することと、それなりに根拠があることがらであれば従来の概念と異なった形で示すのも模型の面白さで、かつ不鮮明な写真のディテールを推測するためにも有効なので、明らかに実態を反映していないと認められる部分以外、この内容に従って作ることにしました。

船体について


 船体は基本的には公式図に、艦底の諸孔の位置と形状は入渠用図の内容に従っています。公式図には艦首のアンカーレセスが記入されていませんが、存在が写真から明白なので表現しています。また図面上での舷外電路の設置位置も開戦前や真珠湾攻撃当時の写真では一部違うようなので変更しています。

 外板に関しては5500トン軽巡の外板展開図が見当たらなかったため、各艦の写真を元に推測でモールドを加えました。合わせのラインは単純なものとしましたが、その後重巡羽黒や駆逐艦各型の展開図を見る機会があり、それらから推測すると艦底部のラインはもっと複雑な構成だったかもしれません。

 アオシマ1/350球磨/長良型のキットの舷窓の位置は全体的にやや低く、艦首部は本来であれば各甲板のシャーラインに合わせて上に弧を描くところが直線に並んでいます。埋めてフライホークの舷窓エッチングを貼るのが最も手っ取り早い方法で、本製作でもそのように処理しています。

 喫水線は満載喫水線の位置で塗り分けたつもりでしたが、どうも違和感があったため再チェックしたところ、公試常備状態での水線位置で塗ってしまっていました。つまり、実際の喫水線の塗り分け位置は模型より更に1.5mmほど上に位置します。これは上部構造物の取り付けがほとんど終わってから気が付き、船体の再塗装は既に不可能で、実艦よりもやや乾舷が高くなってしまいました。最も基本的な事柄でミスがあったのは痛恨の限りです。

 アオシマ1/350球磨/長良型のキットの問題点の一つとして、艦尾水線下の形状が実艦と異なる点が挙げられます。具体的には艦尾端での船体の深さが約1mm不足、艦尾水線下の形状も内側にえぐれ過ぎ、加えてシャフトプラケットの支柱も1〜1.5mm程度長いため、結果として舵と船体の間の隙間が大きくなっているほか、スクリューが艦底外板からかなり離れた位置に付いてしまいます。スクリューの先端と艦底外板にほとんど間隔が空いていない事は、魚雷で艦尾を失った名取の損傷修理中の写真からもわかります。

右舷外軸側スクリュー付近に於ける艦尾形状の比較
(この画像はクリックすると別窓で拡大表示します)


 根本的な解決法は艦尾艦底部を一旦切り離し、プラ板を挟んで1mm下げさせると共に、船体線図を元に艦尾にパテを盛って整形し直すしかありません。今回の製作では実行しましたが、労力がかかり過ぎる割に効果は無く、艦尾水線下の形状がわかる写真がほとんど残存していない事もあって、キットのままでも正直言ってあまり違和感は感じませんし到底お勧めできるような修正作業ではありません。


 スクリューブレードの先端に位置する外板と舵に保護亜鉛板を付けています。詳しい説明は省略しますが、形状や枚数の違いはあれ複数の金属素材が水線下にある船には構造上必ず装備されているものです。しかしながら、これが表現されている模型はほとんど見当たりません。本製作では5500トン軽巡の設置状況を示す資料や写真が手元に無いため、大和ミュージアムで公開されている軽巡矢矧の入渠用図に記されている設置状況を参考にして表現しています。

 以降、次の項にて。