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『ポルノ時代劇 忘八武士道』['73] 『殺し屋人別帳』['70] | |||||
監督 石井輝男 | |||||
先に観た『ポルノ時代劇 忘八武士道』は、先ごろ『十一人の賊軍』を観たと言うと映友が「こちら、武士道からスピンオフしてこんなのを観た👇」と『武士道シックスティーン』を挙げてきたのが可笑しくて、「『ポルノ時代劇 忘八武士道』とかも、どうよ(笑)。」と返したら既に観ていて、「こんな映画もう作られないですよね!😀 すごいんです。」とのことだったので、未見の石井監督作品として宿題のままだったところから貸してもらったものだ。 いかにも石井監督らしい禍々しさを遺憾なく発揮した怪作で、これほど夥しい数と頻度で裸の女性たちがのべつ幕無しに出てくる映画は初めて観たように思うのだが、ポルノが「性的興奮を起こさせることを企図したエロ表現」だとすれば、ポルノ時代劇と銘打ちこれほど裸の女体が登場しながら、およそ通常には性的興奮など催されそうにもない映画になっていることに、呆れを通して感心させられるパワーが漲っていて恐れ入った。 その最大の功労者は、ほとんど全編を裸で演じていたに近い女忘八の、お紋(ひし美ゆり子)を始めとする五人だったような気がする。小池一夫原作・小島剛夕画の漫画『忘八武士道』は、'70年代に読んだ覚えがあって、白首袈裟蔵(伊吹吾郎)が明日死能(丹波哲郎)に説く忘八が、現在公開中の『八犬伝』の「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」と違い、「孝・悌・忠・信・礼・義・廉・恥」だったことや死能が試しに掛けられていた記憶は微かにあるものの、死能が束ねる女忘八の活躍はすっかり忘れていた。 それにしても、足抜け女郎の折檻場面に始まり、“女陰開き”なる女体調教や借金のかたに武家娘を“達磨抱かせ”の競りに出す場面、大勢の湯女の大浴場での男たちへの接遇場面、売春を主業としている茶屋風情、夜鷹・比丘尼事情、耐熱装束をまとって業火の上を転げて鎮火した後の火照った身体を水浴で冷ませたり、敵対する黒鍬者(内田良平)との格闘を裸身で繰り広げる女忘八のアクション場面、外人女郎に責めを掛ける役回りを奪い合うキャットファイト場面、挙句の果ては、老中にも顔の利く吉原総名主の大門四郎兵衛(遠藤辰雄)を迎える新年の饗宴に並んだ御節料理の漆塗り御膳を前に数十人の女郎が全裸で居並び囲んでいた場面といった数々が、わずか81分のなかに押し込められていて、圧巻だった。録画を貸してくれた映友の弁も宜なるかなと思わずにいられなかった。骨と皮になるまで男の精を吸いつくす骨皮責めなるネーミングにも笑った。 翌日観た『殺し屋人別帳』は、『忘八武士道』に三年先立つ作品で、禍々しさの点からは比較にならない程にオーソドックスな任侠映画だった気がする。人別帳とのタイトルに相応しく、数々の殺し屋のまさに色とりどりと言うべきスタイルを見せることに主眼があって、筋立てなど二の次、三の次といった態の映画だったように思う。 凄腕のはずが黒岩剛蔵(田崎潤)に呆気なく出し抜かれて早々に退場していた宇野木(小池朝雄)はじめ、抜け目ないはずが、組長になるや娘(小川ローザ)に形無しで、妙に間の抜けていた黒岩、「あまりにもお馬鹿さん」のフレーズゆえと思しき♪フランシーヌの場合♪をいつも口笛で吹いていたカッコマンの鉄(佐藤允)、大正琴での流しを生業とする八人殺しの鬼寅(嵐寛寿郎)が人別帳に名を連ね、クレジットに(新人)と添えられていた渡瀬恒彦の演じていた流れ者の真一の故なき別格扱いが釈然としないばかりか、松葉杖を手放せない貧しきヴァイオリニストなどという些か解せない境遇のナオミ(太田ナオミ)との疑似兄妹を装う純愛なる不純物を盛り込んだ構成には失笑したが、あちこちで擽ってくる造り自体は愉しかった。 キャラクターで美味しいところを持って行っていたのは、竜神一家を継ぎながら先代の遺言で堅気稼業に転じた息子の統一(吉田輝雄)を立てつつ、任侠道を貫く木口を演じていた中谷一郎だろう。統一の妻(藤田佳子)の気っ風に惚れ、黒岩組に盾突いて木口ともども殺された壷振り美枝(英美枝)との最期がいい。 | |||||
by ヤマ '24.11.16,17. TOEI.ch録画 | |||||
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