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『紀ノ川 花の巻・文緒の巻』['66] 『女の一生』['67] | |||||
監督 中村登 監督 野村芳太郎 | |||||
先に観た『紀ノ川』は、明治三十二年の豪勢な嫁入り舟の序章で始まった、いささか物々しい導入部からしてやや鈍重に感じたが、172分の長尺を飽かせず見せる《女の一生》だった。中村監督作品は、『智恵子抄』['67]を観ているだけなのだが、外連味のない風格のある画面作りだったような気がする。昨年は、神保町シアターで「映画監督・中村登――女性讃歌の映画たち」という“生誕110年記念上映”があったようだ。 明治・大正・昭和の三つの時代を、家に依存し心身を捧げて生きた花(司葉子)が、時代の価値観の変化などといった観念的なものとは異なる身近な子供たちの有様によって己が来し方を振り返り、“家霊”を守り継ぐ生き方を清算すべく家財の一切を処分して、政治家の夫を亡くした旧家の女当主の身を解く姿が印象深かった。 才色兼備で琴や華道にも長け、懸賞作文の一等賞となり活字にもなっていた花は、世が世なれば、夫の敬策(田村高廣)以上の政治家になったに違いない女性だったが、義弟の浩策(丹波哲郎)が苛立ちを覚えるほどに内助の功に徹する賢夫人ぶりで、その隙のなさが夫にも窮屈さを与えて別宅に愛妾を構えさせてしまう程だったわけで、学才を継いだ娘の文緒(岩下志麻)の反抗と批判に悩まされていたことのみならず、妻母としての精励の報われぬ《女の一生》だったような気がした。 興味深かったのが、劇中に示された時代表示のテロップで、明治三十七年の日露戦争、大正十年の原敬暗殺、大正十一年の日本共産党結党、大正十三年の皇太子成婚、昭和三年二月の第一回普通選挙、昭和六年の満州事変、昭和十五年の日独伊三国防共協定、昭和十九年のサイパン玉砕、昭和二十一年の天皇人間宣言が示されつつ、当該時事には劇中で一切触れられなかったことだ。 そして、敵わぬ母の花に対してあれだけ反抗的に臨みながら、家庭を持ち、娘を持つにつれ、次第に最もよく花を継承する娘になっていく感じを見せていた、これまた明治生まれとなる女性、文緒の姿が印象深かった。 新人として早瀬久美の名の出てきたことが目を惹いたが、文緒の妹かずみとして中学生くらいの態で一場面に出てきただけだったように思う。病弱で結婚後ほどなくして早世していたが、出演場面は一箇所に留まっていた気がする。 すると「嫁入りの場面で、武満が司葉子の地元の葬式の曲をながしたため、武満は松竹の契約解除に。」と教わった。嫁入り場面で葬送曲だったというのは、いわゆる「結婚は人生の墓場」ということなのだろうか。それが理由での契約解除なら何とも無粋極まりないが、妙に口実のような気がした。真の理由は他にあったのではなかろうか。 また「感慨深い感想ですね。昨日mixiで、『マダム・イン・ニューヨーク』のラストも、今なら違うラストかもね、女同士でお話ししていました。多くの女性は、こうやって力を蓄えていたんだと思います。お書きの文緒も、母を継承し理解しながら、少しずつ意識を変えて、下の世代に伝えてきたんじゃないかな。先達の頑張りがあって、今の女性の在り方があるんですから、報われずとも、尊い人生だと、今を生きる私たちが敬意を持たねばと思いますね。」とも寄せられた。『マダム・イン・ニューヨーク』のシュリデヴィは、司葉子以上に素晴らしく魅力的だった覚えがある。本作は、有吉佐和子の小説の映画化作品だが、真谷家に嫁ぐ前の紀本花の名前で活字になった文章を娘の文緒も孫の華子(有川由紀)もが、それぞれ密かに見つけて読み継ぐ場面があった。寄せられたコメントの趣旨が込められた場面だったのだろうと思った。 花の死まで描いた『紀ノ川』と違って、タイトルは一生ながら弥生伸子(岩下志麻)の最期までは描かれずに、生まれて間もない孫を抱いている姿で終えていた翌年製作の『女の一生』は、明治三十二年の嫁入りから始まった『紀ノ川』に対して、昭和二十一年の伸子の退院から始まる乳姉妹の物語だった。二時間の邦画に序曲が付いていて意表を突かれたが、「序奏」というテロップのみの黒一色の画面で奏でられるハープと思しき楽曲がなかなか味わい深くて好かった。 有吉佐和子の『紀ノ川』に対して、こちらはモーパッサンなのだが、野村芳太郎、山田洋次、森崎東による脚本の換骨奪胎がなかなか巧みで、『紀ノ川』同様いかにも日本の旧家らしい没落物語にもなっていたように思う。序奏を琴にせず竪琴にしてあるところに機知とリスペクトを感じた。書棚にある旺文社文庫で確認すると、原作小説は日本の明治期に当たる1883年の作で、1819年にサクレ・クール修道院の寄宿女学校を卒業しての帰郷から始まっていた。江戸・明治・大正・昭和、古今東西変わらぬ、男のろくでもなさに痛めつけられる《女の一生》というわけだ。苦労を重ねるのは伸子ばかりでなく、民(左幸子)にしても、はる美(左時枝)にしても同じだったような気がする。 それにしても、全くろくでもない御木宗一(栗塚旭)に、軟弱で情けなくて甘ったれの弥生宣一(田村正和)だった。二人ともに坊ちゃん育ちが仇になっているという造形だったような気がする。嬉し涙を流して喜んだ結婚ながら、自分より先に手を付けていた乳姉妹を孕ませた夫への怒りに「あの人の子どもなんか生みたくない」と叫んでいた伸子の宣一への溺愛というか執着が、何とも哀れだった。それに引き換え、お民は立派で、人は「生まれより育ち」を体現していたように思う。昭和三十九年当時の示談金二千万円がどのくらいになるのか調べてみたら、日本銀行換算方式で「106.6(令和5年)÷22.5(昭和39年)=4.73倍」だったから、約一億円だ。思ったより少なかった。 また、『鬼畜』['78]で印象深かった小川真由美vs岩下志麻が、既に十年前に画面に登場していたことが目を惹いた。図らずも特典映像の「特報」には「『紀ノ川』『智恵子抄』に続いて大松竹が送る文芸大作」とのテロップが現われ、今回のカップリングは、当時の松竹の謳い文句に沿っていたことにも驚いた。 合評会では、『紀ノ川』の女三代に連なる《女の一生》の哀しみと、『女の一生』の乳姉妹における艱難辛苦を描いた作品のどちらがより支持を集めるか楽しみだった。花の哀しみと伸子の哀れ、いずれも遜色ないような気がするけれども、強いて挙げれば、乳姉妹の女同士の連帯よりも、一代を超える連綿を偲ばせていた『紀ノ川』のほうに僕は投じることにしようと思っていた。 結果は、女性の連帯を描いた作品を好むと思しき二人が思い掛けなくも『紀ノ川』支持を表明して、そちらに軍配が挙がった。しかも二人が揃って大差で『紀ノ川』だと表明したものだから、なおさら驚いた。やはり十九世紀のフランス文学を戦後日本に置き換えた話に無理があり、違和感が拭えなかったとの意見だったが、その部分については、同じく大差で『紀ノ川』としたもう一人のほうは「観終わるまでずっとモーパッサン原作とは知らなかった」ということで、オープニングクレジットで表示されてたじゃないかとの突っ込みを受けていて可笑しかった。ともあれ大差二名僅差二名の四人全員一致で『紀ノ川』支持となった。 談義をしていて面白かったのが、『紀ノ川』で文緒が幼い弟から「大きい姉さん、エエ気持ちか?」と問われて「エエ気持ちやで」と答えていた風切る自転車走行に対して「この恥知らず。村じゅう走り回って来たんやね!」と花が烈火のごとく怒っていた理由について、自分に反抗ばかりしている娘が叔父の浩策には懐いていることが気に入らないなか、その新家から自転車を借りて来て乗り回していたからだと解しているという意見があって、大いに意表を突かれた。 この場面に対しては『二十四の瞳』で自転車に乗って通勤する女先生が村人から顰蹙を買っていた場面を思い出すまでもなく、新家から借りたことではなく、女が自転車に乗ることの破廉恥に怒ったのだと僕は解していたからだ。むかし『二十四の瞳』を観て自転車如きになぜ目くじらを立てるのか訝しんだ挙句、もしかすると女性がサドルに跨って自転車を漕いで股間を刺激することが理由の一つにあったのではないかとの考えが稲垣足穂の著作あたりを読んでいて思い当たったことがあったからだ。『二十四の瞳』の舞台となった戦前昭和の時代に先駆ける大正十一年のことなれば、尚更だろうと得心していたものだから、すっかり驚いた。敢えて「エエ気持ちか」との台詞を入れているあたりに作り手の意図したニュアンスが窺えるような気がするが、むろん弟はその歳からして左様な思惑などなく風切り疾駆することの気持ちよさを問うていたわけだが、本作の作り手にはその思惑あっての台詞だという気がする。この「エエ気持ち」遣り取りの台詞が原作にもあるのか、気になった。 司・岩下両女優の老けメイクの見事さが印象に残ったという話も出た。美貌女優が揃ってそれを許したことへの賛辞も挙がっていたが、岩下志麻の演じた伸子は、昭和二十一年から四十二年の二十年間であそこまで老け込むのは、それこそ忍従やつれがあるにしても、四十路にしては些か老け過ぎだと思う。司葉子の演じた花は、真谷家に来てから五十年と言っていたから、古稀も過ぎているわけで相応かと思えるものだった。 『女の一生』の最後の場面で、はる美の存在を受容し、遺児を抱くことができるようになった理由の一番は、はる美が亡くなったことにあるという気もするが、民のおかげという面が拭えないわけで、乳姉妹として立てていた彼女の面目には、とても心打たれるところがあったのだが、大差で『紀ノ川』に軍配を上げた二人には乳姉妹というのは、伸子の母(長岡輝子)が言っていたことであって、二人の関係には姉妹よりも主従関係のほうが色濃くて、それを引き摺っている姿が気に障ったようだった。だが僕は、もちろん対等ではないものの、互いの“乳姉妹意識”ゆえに二人には、かつての主従を超えた関係があると受け取っていたので、いささか驚いた。伸子を哀れな境遇から立ち上がらせたいという真摯な気持ちを持っていた人物は、民だけだったように思うし、それは従者としての忠節などではなかったように僕は感じている。 | |||||
by ヤマ '24.10.26,29. DVD観賞 | |||||
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