『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』(Joker: Folie à Deux)
監督 トッド・フィリップス

 ジョーカーは、アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)のなかにある別人格であることを根拠にして減刑を図ろうとしていた弁護士をアーサーが解任したように、アーサーにとってジョーカーこそは自身の傷みの具現であったのだけれども、リー・クインゼル(レディ・ガガ)と巡り会って、初めて恋をしたことで、もはや自分は“悪の聖者”ジョーカーではなくなったと自認したことから、リーのみならず全てを失うことになってしまうという、ある意味、前作以上に、とことん哀しいアーサー物語だったような気がする。

 本作をもってミュージカル仕立てとする向きもあるようだが、ドラマ自体を歌や踊りによって表現するミュージカルと違って、本作では、すべてがジョーカーという別人格ではないアーサーの妄想なり実際の行動、耐えがたい現実からの逃避をも越えた離脱なり遊離状態を示す彼の主観世界として現れるのだから、ジャンル的には決してミュージカルではないような気がする。

 だが、それだけに歌唱場面が見せどころ聴かせどころであるのは間違いなく、ホアキンの歌う決して上手くはないものの深みのある歌唱による♪フォ・ワンス・イン・マイ・ライフ♪♪イフ・ユー・ゴウ・アウェイ♪、リーがアーサーの心を打つ♪クロス・トゥ・ユー♪でレディ・ガガがみせる圧唱が実に印象深かった。確かビリー・ジョエルの♪マイ・ライフ♪も流れたように思うが、まさにアーサー・フレックのマイ・ライフとして前作の悲痛を継いで、きっちり片を付けた天晴れな完結だと思った。

 五年前の前作ジョーカーを観たときにアーサーは結局、何人殺したのだろうかと記したことについてもきちんと回答がされていて、六人の殺人で起訴されていて知られざる母殺しも含めた七人だったことに我が意を得たりで満足した。

 するとSNSでおっしゃる通りですね。ですからジョーカー meet ダンサー・イン・ザ・ダークだと僕は書きました。ビリー・ジョエルの「マイライフ」はカーラジオから流れてましたね。🙂とのコメントが寄せられた。二十一年前に観たシカゴ』['02]の拙日誌目に映る総ての事々がミュージカルになって見えてしまう姿には『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のセルマを想起させるところがありながらも、セルマの夢想が辛い現実を生き延びるうえでの支えとしての逃避であったことに比べ、ロキシーの場合は野心への強い執着を表していた。と綴っているような意味合いでのmeetということなのだろう。そう言えば、♪マイライフ♪は確かにカーラジオからだったような気がする。それなら、時代設定としては'80年頃という感じだったのかもしれない。
by ヤマ

'24.10.25. TOHOシネマズ9



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>