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『映画の戦後』を読んで | |||||
川本三郎 著 <七つ森書館>
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映画日誌に「「ハリウッド・テン」の一人として禁固刑に処されたのち、転向を表明して権力に屈したエドワード・ドミトリクに対する映画の作り手たちの心遣いがあったような気がしてならなかった。」と記していたら、川本三郎の『映画の戦後』<七つ森書館>を参照するよう勧められ、図書館で借りてきた。 第二部「アメリカの光と影」に「エドワード・ドミトリク―泥だらけの弁明」(P194)との稿があって「なぜ転向したのか。なぜ、<ハリウッド・テン>から離脱したのか。これについては、ドミトリクは、アーサー・ケストラーなどの転向体験を参照しながら、教条主義的な共産主義に幻滅したことを挙げている。ただこの弁明は、エリア・カザンの弁明と同じように、保身のための弁解と受け取られても仕方がないものがある。 むしろ、わずか六ヵ月とはいえ刑務所に入れられた屈辱感、そこから一日も早く出たかったと告白していることのほうが説得力がある。当時、彼は、マデリン夫人と別居中で、新人女優ジーン・ポーターと愛し合っていた。恋人はいる。仕事は評価される。経済的にも恵まれ、自家用飛行機まで持つ。アメリカン・ドリームの具現者である。それが一九四七年九月、一枚の召喚状によって一気に崩れ去った。手錠をかけられ、刑務所に入れられた。殺人者たちと労働をさせられた。 この挫折、屈辱から一日も早く脱出したいと思うのは自然である。」(P201)と記されていた。 だが、転向後もメジャー映画会社が元ハリウッド・テンを忌避するなか「ようやくハリウッド復帰出来たのは、リベラルなインディペンデントのプロデューサー、スタンリー・クレイマーが『ケイン号の叛乱』の監督に起用してから。…クレイマーとしては、赤狩りの標的にされたドミトリクを救いたいという気持ちがあったようだ。『ケイン号の叛乱』は興行的には大成功をおさめ、ドミトリクは復帰がなった。…しかし、ドミトリクは左右からの批判にさらされ続けた。…<密告者>の烙印は終生、消えなかった。一九八八年、バルセロナ映画祭に出席したドミトリク夫妻は、そこでジュールス・ダッシンとその同調者によって人民裁判のような屈辱的な批判を受け、妻のジーン・ポーターはあまりの攻撃に耐えられずに満座のなかで泣き出したという。 復帰後のドミトリクは、この屈辱との戦いの連続だったのだろう。そう思って…『ケイン号の叛乱』を見直すと、…ホセ・ファーラーの姿にドミトリクの泥だらけの弁明を見る思いがする。」(P202~P203)と綴っていた。 ここに言うホセ・ファーラーの姿というのは、ホセの演じた、クイーグ艦長を追い詰めた弁護人グリーンウォルド大尉が酔ったままに「過酷な戦闘経験を積んできているクイーグ艦長がそのPTSDとして負ったと思しき偏執症に対する想像力を欠いたままに士官たちが艦長を蔑ろにしたことを…咎める」姿(拙日誌)を指しているように感じた。だが、それは川本の言うような“ドミトリクの泥だらけの弁明”というよりも、拙日誌に記した“ドミトリクに対する映画の作り手たちの心遣い”だったような気がしてならない。 あとがきに「本書は、これまで書いてきたさまざまな映画批評のなかから、七つ森書館の上原昌弘さんが取捨選択して構成してくれた」(P268)と記してあった本書を通読すると、先に読んだ初出二〇〇一年三月の「エドワード・ドミトリク―泥だらけの弁明」よりも、'70年代に書いた「大衆の反乱、知識人の戦慄―ハリウッド赤狩り論」(P175)が遥かに読み応えがあって、同稿にて「この映画を抜きにしては、ハリウッドの赤狩りは語れない、と思う。」(P177)として言及している『ケイン号の叛乱』における「赤狩りの底にひそむ…東部インテリへの大衆の反感(アンチ・インテレクチュアリズム)…に、ある部分、共鳴していたからこそ、あのホセ・ファーラーのどんでんがえしを用意しえた」(P182~P185)との指摘には唸らされた。共同脚本としてのドミトリクの名はないのだから、彼が用意したと解することについては留保したいが、ドミトリクの背景が踏まえられているに違いないとは僕も思う。そのうえで『ケイン号の叛乱』から転じて『十二人の怒れる男』を「東部知的エリートとアメリカ大衆、という構図の中で見てゆくと実に興味深い映画」(P186)として論じ、『イージー・ライダー』につなげていっている論考に大いに共感を覚えた。 そして、第二部「アメリカの光と影」で同稿と前後する形で「エドワード・ドミトリク―泥だらけの弁明」を挟んでいる、初出が一九八四年二月の「異邦人の裏切り―エリア・カザンと赤狩り」(P204)を読むなかで重なって来るマッカーシーとドナルド・トランプに、先ごろNHKBS録画で観た『BSスペシャル“トランプ主義”私の理由』でも今一つ釈然としなかった部分がすとんと腑に落ちてくるようなところがあった。マッカーシー旋風の核心が必ずしも反共ではなかったように、トランプ岩盤支持の核心は反リベラルではないわけだ。「マッカーシーの名を一躍全米に知らしめた一九五〇年二月のウェスト・バージニアにおける演説」(P224)を僕は知らなかったが、「わが国を敵に売り渡してきたのは、恵まれない人々ではなく、この地上で最も富のある国民が提供してきたあらゆる恩恵――立派な家庭、最高の大学教育、政府部内の立派な職――これらの恩恵に浴していた連中である。このことは国務省の場合、もっともよくあてはまる。口に銀の匙をくわえて生まれてきた良家生まれの英才たちこそ、もっともたちの悪い連中なのである」(P224)との弁を読むと、そのままトランプ元大統領のものと錯覚しそうに感じた。「マッカーシーは…選挙違反に次ぐ選挙違反を重ねて上院議員になった悪名高い政治家である。…『マッカーシー伝』…によれば、第二次大戦で実戦に参加したことなどないのに平気で「海兵隊のヒーロー」というウソのイメージを作り上げて選挙戦を戦った、上院議員になってからも議場で同僚議員を「マヌケ」「バカ」呼ばわりするなど傍若無人のならずものぶりを発揮し、ワシントンの政治記者によってワースト1の上院議員に選ばれた。…にもかかわらずこの三流の政治家が反共十字軍のヒーローにのし上がった。…マッカーシーの演説は予想外の反響を呼んだ。…「タイミングが絶妙だった」からだ。…アメリカ人の多くが不安にかられ始めていたとき、マッカーシーがいかにも大衆受けするどぎつさで反共宣言をした。誰もマッカーシーの演説の真偽など問おうとしなかった。ただマッカーシーの反共アピールに、ようやくこの政治家がわれわれの不満を代弁してくれたと興奮して、彼の演説を支持した。」(P208~P209)といった記述を読むと、トランプ現象そのものだという気がした。 第一部「戦後映画の光芒」で面白かった稿は、「太平洋戦争中にアメリカ映画の上映が禁じられていた時代のほうが映画史から見れば特殊、異常な時代だったのであり、大正時代からアメリカ映画は実は長く日本人に親しまれていた」(P38)ことを具体的に綴っていた「「聖林」に酔った日本人」(P31)、映画作品の分析として実に卓抜しているように感じた「文学と映画―松本清張原作『張込み』を見る」(P95)。好い本だった。 | |||||
by ヤマ '24.10. 1. 七つ森書館 | |||||
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