『結婚しようよ』['07]
『せかいのおきく』
監督 佐々部清
監督 阪本順治

 汲み取り式の便所から掬った糞尿による施肥を行う映画を奇しくも続けて観た。

 先に観た『結婚しようよ』は、2008年公開の映画に何して長寿手帳を貰った僕が中学時分の拓郎の大ヒット曲を映画タイトルに持ってきたのだろうと思わされた作品だったが、観てみたら、なんと拓郎の歌オンパレードの映画で、しかも内容的には、およそ当時の拓郎のイメージとは掛け離れた、家族主義の父親人情物語で、いささか呆気に取られた。ますます以て当時何ゆえ拓郎だったのだろうと不思議に思っていたのだが、最後に2006年のつま恋コンサートの場面が現れて得心した。サプライズゲストとしてステージに登場した中島みゆきが♪永遠の嘘をついてくれ♪を歌い、拓郎とデュエットをして後に語り草になったライブの翌年に製作された映画だったわけだ。

 タイトルにすら記憶のない作品だったが、公開当時の、僕がちょうど五十歳で娘が二十歳過ぎの大学生だった時分に観たら、どのように感じたのだろうという思いが湧いた。それというのも、香取卓(三宅裕司)が“我が家の唯一つのルール”として掲げていた夕食は家族四人揃って食べることが、他人事に思えなかったからだ。我が家の場合、子供が幼い時分は夕餉を家族揃って摂りたいというのは妻のほうの希望で、他にはあまり要望などしない妻だったから、最大限、それに応えていた記憶がある。朝、子供たちが僕の出勤を見送りながら「ハヨウ、カエッテキテヨー」「オソウナッタラ、イカンデェ」と言ってくれる毎日のなかで、午後六時の帰宅を遅いと子供に責められる、憐れなほどに幸せな父親が今この国に何人いるだろう、などと記したものが手元に残っている。1987年、僕が二十九歳のときで、長男五歳、次男三歳、長女の生まれた年のものだ。

 独身時分に観たら、とてもじゃないが食傷してしまいそうな映画だったが、そのような事々を思い出しながら観たものだから、ある種の感慨を呼び起こされた。

 気になったのは、不動産会社に勤めて現場一筋の香取卓が上司から何とかしてくれと押し付けられていた裏の山に産廃処理場がある物件の話だったが、同時期に観た映友によればその後なんにも触れられてないように思うけど🤔とのことで、僕もそのように感じている。どうしてそのような艶消しネタを放り込むのだろう。なぜ編集で切らないのか、気が知れなかった。菊島夫妻(松方弘樹・入江若葉)に売ったように思わせておいて、実はそうではなかったとして見せるようなことをわざわざしなくてもいい気がした。リストラやら配置転換の話の入れ方も中途半端このうえなく、除いたほうがましだと思った。シンプルに家族の話として編集するほうが似合っている映画だと思う。

 佐々部監督の作品ではチルソクの夏を大いに支持しているが、それ以外は、どちらかと言えば苦手な作り手だ。他にはこれまでに半落ち『カーテンコール』『出口のない海』『夕凪の街 桜の国』『三本木農業高校馬術部』『日輪の遺産』ツレがうつになりまして『東京難民』『八重子のハミング』と観ているが、『チルソクの夏』以外で日誌にしているのは『半落ち』と『ツレがうつになりまして』しかない。なかなか触発力のある作品を撮るようには思うのだが、僕が苦手としているのは、多分、彼の作品が好みだという映友の言っていた語りすぎの語り足らず的な“蛇足”の付き纏う語り口によるところが大きいのかもしれない。


 翌日観た『せかいのおきく』では、四年前に観た半世界の“せかい”は、とても響いてきたのに、こちらの“せかい”は、ちっとも響いて来なかった。いま流行の循環型社会のようなところが主題的にはあるのかもしれないが、最後に青春の連呼をされてもなぁとの思いが湧き、妙に釈然としなかった。

 オープニングにいきなり肥溜めがアップで映り、肥の話だからモノクロにしたのかと得心したのだが、第二章「むねんのおきく」だったかの章末のカラーカットが肥溜めのアップになって驚かされた。序章「江戸のうんこは、いずこへ」だったかの章末カットが、いきなりカラーで現れて、おきくの桃色の花をあしらった着物姿が映ったときよりも驚いた。序章から第七章に至るまで判を押したように章末はカラーだったのに、終章だけカラーにしなかったのは、青春連呼による色づきに最早、色は要らないということでもなかろうが、何だかなぁとの思いが残った気がする。

 章題は、順に、むてきのおきく、むねんのおきく、こいせよおきく、ばかとばか、ばかなおきく、せかいのおきく、おきくのせかい、だったように思うけれども、おきくのせかいは、終章だったかもしれない。いずれにしても、章題も何だかピンと来なかった。

 安政五年から文久元年までの江戸時代ではなく、二十一世紀を舞台にしていた『結婚しようよ』でも、菊島夫妻が汲み取り式による施肥を行う話が出てきていたから、二日続きの肥溜め話となったわけだが、僕が幼い頃、むしろ肥と呼ばれることのほうが多かった糞尿を矢亮(池松壮亮)も中次(寛一郎)も、糞呼ばわりするばかりで、肥とは決して言わなかった気がする。敢えてそうしたのかもしれないが、矢亮が中次から兄ぃと呼ばれる契機になった経過のなかにおいては、糞ばかりではいけないような気がした。汚穢屋などという商いがあったとは、ついぞ知らなかったが、手広くやっていれば、確かに農家一家の手勢ならぬ尻勢では用が足りなかったのだろう。

 それにしても、糞尿の売り手側が値を釣り上げようとするとは恐れ入った。また、元棺桶屋の箍屋を演じた石橋蓮司が矍鑠と演じていたことが好もしく、印象深かった。そして、遠い日に覚えのある臭いをしばしば想起させられたことが、まことに敵わなかった。

 また、チラシに記載された[ものがたり]にはある時、喉を切られて声を失ったおきくと記されていたが、おきくの喉は自害未遂によるものだと思っていたので、切られたのかと吃驚した。元棺桶屋の孫七が中次に向って、懐刀を握って父源兵衛(佐藤浩市)を追ったおきくをなぜ止めないと質したあと、武家のしきたりとか自分にも止められないがと言っていたのは、既に父上とは呼ばずにおとっさまと言うようにはなっていても、武家の娘として後を追う覚悟のことだろうと思っていたからだ。切られたとすれば、切ったのは源兵衛を呼び出した三人の侍のほか考えにくいが、おそらくは主命の元に心ならずも討ったがゆえに去り際に頭を下げていたと思しき家中の者が、その娘にまで手を掛けるだろうかとの疑念が湧いた。口封じなら、とどめを刺さなければ、読み書きの師匠もできる武家の娘の口を封じることなど出来ないわけだから、いかにも腑に落ちない。

 これについては、幾人かの映友が助太刀に行っての返り討ちだと解したとのコメントをくれたが、助太刀のつもりで後を追ったというのは、無論そうだろうと僕も思っているけれども、返り討ちということは、おきくが(何故か場所も知っていて)すぐさま追いついたことになるので、妙に釈然としない気がする。源兵衛がまだ死ぬ前の立ち回りに間に合って返り討ちにあったとすれば、僕には娘の助太刀を源兵衛が容認するとは思えないし、源兵衛が斬られたばかりで三人組の立ち去る前に間に合っての敵討ちに対する返り討ちだと観るのも、源兵衛を討った侍の黙礼が亡骸の前ではなかったことからすれば、殺害してすぐさまその場を離れたことを示しているような気がするから、タイミング的に釈然としないものが残るように思う。

 僕としては、(探し回ってようやく)おきくが見つけた時点で、源兵衛は既に殺されていたと受け取っているから、返り討ちというのは思い掛けなかった。映友には、自害なら遺体の側でするはずだとの思いもあったようだが、最初から自害のために追って行ったのであれば、亡骸の傍で果てるだろうが、そうではなかっただろうから、ある意味、どうしてこういう次第になってしまったのだろうと呆然とした時間があったように思う。それが灯篭(だったと思うが)に凭れて腰掛けた図の持つ意味のように感じた。自害を試みたのは、それから後のことだから、むしろ父の亡骸の傍にまで寄って行くより、その場でのほうが自然な気がする。もっとも、映画では明示されている部分ではないから、受け取りの問題だとは思うけれども。



*『結婚しようよ』
推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/5629665293799674

*『せかいのおきく』
推薦テクスト:「シューテツさんmixi」より
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984975778&owner_id=425206
by ヤマ

'23. 5. 9. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画
'23. 5.10. TOHOシネマズ3



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