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『大いなる決闘』(The Last Hard Men)['76] 『七人の特命隊』(Ammazzali Tutti E Torna Solo)['68] | |||||
監督 アンドリュー・V・マクラグレン 監督 エンツォ・G・カステラーリ | |||||
半世紀ぶりに再見した『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』['73]から三年、『大いなる決闘』は、ビリーに脱獄されるパット・ギャレット保安官を演じていたジェームズ・コバーンが、今度は脱獄囚プロボの側を演じて、因縁のある元保安官サム・バーゲードとの恨みの決着をつける作品だった。筋立てそのものより、いろいろ興味深いものが映し出されて面白かった。まるでスケール感のない決闘だったのに、邦題に「大いなる」としているのは、おそらくはサムを演じたチャールトン・ヘストンが牧童頭を演じていた、本作に十八年先駆ける『大いなる西部』['58]からのあやかりなのだろう。 一筋縄ではいかない七人の脱獄囚を率いるプロボの重しの掛け方が、腕っぷしや非情さで脅すのではなく、「忘れるな、俺は頭が切れる、お前たちよりずっと回転が速い」というものだったのは、新世紀を迎え時代が変わっていることを印象づける西部劇だったからのような気がした。 プロボの右腕になっていたシーザー・メネンデス(ホルヘ・リヴェロ)が入獄したのが1897年とのことだったから、前世紀初頭の物語となるわけだが、屠殺牛を運ぶ貨車に大きな氷を幾つも積んで冷蔵車両にしているのが目を惹いた。軍が飛行機を導入するらしいといった話も出てきていた。自動車どころではない。また、復讐であれ、因縁であれ、過去に囚われている古い世代のプロボ&サムに比して、その世代には決して真似のできないタフガイぶりを発揮していたハル(クリストファー・ミッチャム)が印象深かった。 恰好を付けたり、強がったり粋がったりするところの全くない優男風でありながら、勇敢さも機敏さも冷静さも備えていたのだが、それゆえの道理に適ってはいても、恋人のスーザン・バーゲード(バーバラ・ハーシー)が目前で輪姦されるのを耐え、プロボの仕掛けた挑発に乗せられかかっていたサムを腕づくで制し、「大事なのは彼女の命です、あとは何とかなります」と言って、恋人の父親から「君は見かけよりもタフなんだな」と観直されていた。伝統的な西部劇では、決してあり得ないタフガイ像を提示していたように思う。 それにしても、信用ならぬリーロイ(ロバート・ドナー)に対して用がなくなれば、プロボ自らさっさと始末する運びを辿るようなチームではありながらも、脱獄囚チームは、またしても七人というのが目を惹き、一年余り前に観た怪作『七人の特命隊』を想起した。 同作は、オープニングから最後に至るまで「なんじゃ、そりゃ」の連発で押し通されて呆気に取られるスペイン製マカロニ・ウエスタンだった。原題は、どうやら最も無理筋キャラクターである、南軍大尉とも北軍大佐とも言えそうな男リンチ(フランク・ウォルフ)の言った「皆殺しにして一人で戻ってこい」を意味しているようだが、はなから筋立てなどどうでもよく、とにかく見せ場を連ねることと、意表を突くことに執心したような映画だった気がする。 チャック・コナーズの演じた主役の悪党クライド・マッケイのみならず、七人が七人とも悪党なのだが、クライドとリンチのほかは、あまり悪党に見えない。早撃ちホーギィ、爆薬屋デッカー、怪力ボガード、ナイフ使いのブレイド、軽業キッドにしても、技もキャラもきちんと立っている好演だったのに、その使い方と話の運びがあまりに粗雑で勿体ない気がした。 両作に通じる七人という設えは、「七人の…」というタイトルを付ける付けないによらず、やはり『七人の侍』['54]以降の作品ゆえなのだろう。 | |||||
by ヤマ '23. 5.15. DVD観賞 '22. 1.10. BS-TBS土曜映画劇場録画 | |||||
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