『めまい』(Vertigo)['58]
監督 アルフレッド・ヒッチコック

 本作に五年先んじるナイアガラ['53]を先ごろ観たばかりだったことも手伝って、僕が生まれた年に製作された本作の三十八年前ぶりの再見を果たした。

 最初にロゴがモノクロ画面で現れ、「え!カラー作品じゃなかった?」と驚いた。唇の接写から目に転じて渦巻く紋様が色鮮やかにシャープに映し出されるタイトルバックが目を惹いて始まったことに一安心というか納得した。記憶にあったキム・ノヴァクは、もっと凄絶なまでの美女だったから、「あら? こんなもんだっけ?」と少々拍子抜けしたが、彼女の演じるマデリン・エルスターは、ジェームズ・ステュアートの演じるジョン・“スコッティ”・ファーガソンとの親密度を増していくにつれ、どんどん艶やかになっていったことに感心した。そういう見せ方だったのだろう。印象に残るのは、やはり最も美しいときのものだ。

 それにしても、元刑事のファーガソンのいかにもな鈍臭さが、「まぁ、ジェームズ・スチュアートだからなぁ」と思いつつも、気になった。同僚警官を殉職させて退職した身の割に、経済的な余裕をかましている姿が何だかいい気なもんだと思わせる部分が作用した面があるかもしれない。また、本人でさえ自覚がなかったと思しき高所恐怖症を、旧友とはいえ、どうしてガビン・エルスター(トム・ヘルモア)が知っていたのかと腑に落ちなかった。

 腑に落ちないという点では、エルスターに棄てられた身であるにもかかわらず、ジュディを名乗ったマデリンというかマデリンに扮していたジュディが、自分がマデリンであったことを隠しつつ次第にバレていくことを避けようともしない拗らせ女子ぶりが目につき、少々萎えた。

 ファーガソンを“スコッティ”と呼ぶマデリンと、“ジョニー”と呼ぶミッジことマージョリー・ウッド(バーバラ・ベル・ゲデス)の対照が少々哀れで、確かにミッジの描いた、彼女同様に眼鏡を掛けたカルロッタ・バルデス像による当てつけというのは流石に如何なものかとは思ったが、ファーガソンの朴念仁ぶりに呆れた。ただ、画面の見せ方は、やはり天晴れなもので、120分超えは少々長過ぎだけれど、ヒッチコックならではの映画だとは思った。

 仄聞したところに拠れば本作は、『世界の批評家が選ぶ偉大な映画50選』の第1位に選ばれたこともあるのだそうだ。そこまでの作品だとは思えなかったが、三十八年前のリバイバル公開時に、僕が参画する前の高知映画鑑賞会の例会作品に取り上げたとき、地元の興行組合からクレームがあったと後に聞いたことのある曰く付きの作品でもある。高く評価されることの大きな要因は、ドラマ的な部分ではなく、視覚効果を含めた映像構成の部分によるものなのだろう。青い服でサンフランシスコ・ベイに飛び込んだマデリンがファーガソンに助けられて彼の部屋で介抱を受けた際にまとっていたガウンの赤、マデリンの愛車の色と揃いの濃い緑の服、ジュディがマデリンに似せた装いを求められて困惑していた服の灰色、ジュディがマデリンであることをファーガソンが確信することになるルビーと思しき宝石のペンダントの赤などの色遣いの鮮やかさが印象深い。ファーガソンの確信は、ジュディがマデリンにしか教えていなかった“スコッティ”という愛称で呼んだことからだろうと観ていたら、有無を言わさぬ赤いペンダントが出てきて、やはりヒッチコック作品なれば、台詞より映像だよなと納得した。

 ひと月ほど前に『ナイアガラ』を観て想起した本作での教会の木造階段は、下を覗き見てきたす“めまい”の部分を除けば、やはり引用に近い重なり具合だと思った。高所でファーガソンが見舞われるめまいは御免蒙りたいが、彼が職務を忘れて魅せられるマデリンへの目の眩みのほうは、それ以上に危うく強烈なものだったように思う。ファーガソンからすれば、彼女を用済みとしたエルスターの気が知れないに違いない。
by ヤマ

'23.12.30. BSプレミアム録画



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