| |||||
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』 (Killers Of The Flower Moon)['23] | |||||
監督 マーティン・スコセッシ
| |||||
ともに御年八十歳を数えながら、これだけの大作をものするスコセッシ&デ・ニーロの映画人魂に恐れ入った。ディカプリオもいい年ながら、苛立つほどにお馬鹿な小僧役をよく演じていて感心した。 アメリカ合衆国からはテキサスがまだ外国だった時分の設定だった『テキサス』['66]で、「地面を掘れば噴き出す石油が黒い毒水として疎まれていた」ことからすれば、1920年代には成金先住民を生み出す魔法の水となっていたことが、本作の字幕で“一人当たりの年間所得が世界最高額”と記されるだけではなく、当時の彼らの暮らしぶりを映した記録映像が、序章として映し出されていた。それらの映像は、NHKのBS世界のドキュメンタリーの『カラーでよみがえるアメリカ』シリーズの「大西部への道」だったか、「1920年代」だったかで、色付きで観た覚えのあるものだった。 最後のまとめ方には、三時間半近くかけてきて、最後をこういう形にするのかとその大胆さに驚きつつ、巧妙に決してノンフィクションではないと断りを入れたうえで、オセージでの虐殺事件そのものは、史実として残っていることとしていたように思う。アーネスト・バークハート(レオナルド・ディカプリオ)も、妻のモリー(リリー・グラッドストーン)も、弟のバイロンことブライアンも、叔父のビルことウィリアム・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)も、その後の消息が伝えられていたから実在した人物なのだろう。 受益権を有する先住民たちが続々と殺されていた事件のどこまでが、人々に自分を“キング”と呼ばせていたヘイルの行っていたことなのか判らないが、最後にFBIに逮捕されて裁判に掛けられる際に雇った弁護士の傍らに石油会社2社の重役たちが控えていたことからすれば、ヘイルだけの差し金による仕業ではないとするのが、作り手の事件に対する立ち位置なのだろう。劇場にあったTOHOcinemaMAGAZINの記述によれば、「様々な手段によって少なくとも60人が殺害された」とスコセッシ監督は語っているようだ。 それにしても、ヘイルの見立て通りの顛末になっていたことに半ば呆れながら、「アーネストの馬鹿が証言しなければバラ色だったのに」との余りの厚顔というか太々しさに、先ごろ辞任したばかりの衆院議長の面影が過った。直接知る人ではないけれど、伝わる人物イメージからは、年季により得た“世間に対する高を括った社会観と処世術”についてヘイルと同様の自信が窺えて、不快極まりないのだが、デ・ニーロが巧みにそれを滲ませていたように思う。ヘイルが口にしていた「おまえのためだ」という台詞は、僕も直に受けたことのあるものだが、それを冠して不本意を押し付けてくる者が本当に相手のことを思って言っていることは先ずなくて、むしろ有無を言わさぬ押し付けの証のような言葉だと思っている。それは、アメリカでも同じで人間に普遍的なものだということだ。フランス版の映画化作品をこのほど観たばかりの『アルジャーノンに花束を』['06]でも同じようなことが浮かび上がっていた気がする。 当時の白人の先住民に対する臨み方には、今なら時代錯誤というほかない酷いものがあったが、本当に虫けらほどの命にしか思っていない人々が大勢いたのだろう。それを踏まえたうえで敢えてアーネストのモリーへの想いを真摯なるものとしたために、先住民などどう処置しても構わないと考えているヘイルの側からしても、親子そろって倹しく暮らす家庭生活を守りたいと願うモリーの側からしても、どちらからもお馬鹿としか言えないような行動を重ねていたアーネストの苦悩について、ディカプリオは精一杯演じていたように思うけれども、少々無理があるような気もした。無理な役処であってもスコセッシからのオファーなら、ディカプリオとて断れないのだろうと思ったりした。 すると、旧知の映友女性が「レオは本当はプレモンスがやった、ホワイト役だったんだとか。犯人捜しのミステリー調で描く予定を、レオが今回の仕様に変更しようと進言したんですって。」と教えてくれた。「アーネストの頭の軽さは、矛盾した愛と殺意を共存させるため、編み出した造形かもしれないですね。」とも言っていたが、あっさり「少々無理がある」で済ませている僕と異なり、相当に愛ある好意的な観方だと感心した。 アーネストのモリーに対する部分はともかく、ヘイルに対するものについては、蛇に睨まれた蛙というか、不本意なことでも命令に従ってしまう人々のある種のリアリティを感じさせていて、なかなかに怖かった気がする。ヘンだと思ってもなかなか止められない“背を向けられない弱さ”というのは、カルト教団に入信した人というのは、こういう感じなのかと思わせるところがあった。ヘイルのほうに怖さを出すのではなく、アーネストをオカシくさせることで、ヘイルの怖さを滲ませる描き方が、的を射ていたように思う。 推薦テクスト:「ケイケイの映画通信」より http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20231023 推薦テクスト:「チネチッタ高知」より https://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/23103001/ | |||||
by ヤマ '23.10.26. TOHOシネマズ2 | |||||
ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―
|