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『切腹』['62] | |||||
監督 小林正樹
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十二年ぶりの再見だが、やはり本作は凄いと改めて思った。前回観たときに「斎藤勘解由の側から捉えると、大いに趣の異なる物語になってくるはず」と記した部分は、そうすれば確かに運びは違ってきたとしても、斎藤勘解由(三國連太郎)の苦衷そのものは、本作でも余すところなく十二分に描かれていると思い直した。 すっかり思惑を外され追い詰められて脂汗を流している勘解由の姿に、つくづく三國連太郎は上手いものだと感心した。千々岩求女(石浜朗)が最もやりたくなかったはずの高家へのタカリに追い込まれたように、ひとかどの人物であったことの窺える風情の勘解由なればこそ、最もやりたくなかったはずの公文書の偽造にまで手を染めてしまう失態に追い込まれ、屈辱に塗れていたエンディングが、とても利いているように感じた。御上のものする史書とはそういうものなのだろうという気持ちが、自ずと湧いてくる。個人の日記とは違うのだ。個人の日記ですら、有り体とは異なる虚飾が入り込みがちなのだから、体面や面目、権威付けを求めずにいられない立場にあれば、尚のこととしたものだろう。 五人で観賞した後に「津雲半四郎は、何を意図して井伊家に乗り込んだと観たか」と問うてみたら、なかなか面白かった。無論たった一つの動機だけで行なったはずもないのだが、最も強い動機が何だったと観るかは、半四郎をどのような人物と観るかという各人の半四郎観に直結しているように思うから興味深かったのだが、いろいろ出てきて愉快だった。 先ずは、過酷で無惨な最期を遂げさせられた求女の仇を討ちに行く恨みという尤もな意見が出てきて思惑通りだったのだが、次に出てきたのが、関ヶ原合戦の生き残りたる荒らぶる武士【もののふ】の魂の“自己表現としての闘い”に挑んだというもので、なるほど面白いと思った。確かに仲代達矢演じる半四郎は、気合と気魄に満ち満ちていて、圧巻だった。だが、僕は少々趣を異にしていて、半四郎に最も強かったのは、自分が娘婿に迎えた求女の名誉回復だという気がしている。 十二年前の日誌にも綴っているように「己が身代わりとも言える形で殉死した親友の遺児でもある娘婿の求女が大小を売り渡し竹光を腰にしていたことも知らず、自身が大小とも真剣のまま保持していたことを悔やみ恥じた」わけで、自分こそが、井伊家の庭先に座して彼が繰り返し言っていた“上っ面の飾りでしかない武士の面目”に囚われていたことを悟り、慙愧の念に堪えなかったに違いない。だからこそ、十一年前の芸州広島藩福島家転封の際に「己が身代わりとも言える形で殉死した親友」千々岩陣内(稲葉義男)と弓稽古を共にした際に、鳶が鷹を産んだと褒めそやした求女が、家族のために疾うに大小を手放し、町人に混じって人足仕事を求めることさえ厭わぬ覚悟に至りつつもなお矜持は失っていなかったことを目の当たりにして、断腸の思いであるとともに、娘婿をそこにまで追いやっていたことに気づいていなかった己が迂闊さを許しがたく、井伊家家中に娘婿の実相を分からせたくて乗り込み、死に場所を求めたように思う。 娘婿はこれ以上の仕打ちはないほどの辱めと苦しみを負わされるべき不逞の輩などでは決してなく、自分など及びもつかない去私を果たした見上げた男だったとの思いが「追い込まれた求女が逃れようのない切腹の期に及んでなお一日の猶予を求めたことに対し、武士の面目よりも残した家族への仕舞いを念じたことを誉めた半四郎」の姿に滲んでいたように思う。そして、とことん追い詰められれば、人品骨柄によらず人はどうなるのかを思い知らせたかったのだろう。 もとよりそのような顚末など知りようもないままに半四郎に思い知らされた勘解由からすれば、降って湧いたような災難という外ないのだが、事程左様に“人が人の心底を慮ることの至難”こそが人の真実であり、何か事件が起こるとろくに調べもせずに軽々しい決めつけを撒き散らすようなことが横行しているネット社会に晒されている今、本作のような映画こそは、より多くの人に観られ、語られるべき作品だと改めて思った。 高家の家老ながら勘解由は、一介の食い詰め浪人に脂汗を流すまでに追い詰められ、思い知らされていたのだから、見事に半四郎は本懐を遂げたわけだが、勘解由の前で金打を返したとおり、最後に切腹をして果てた彼の姿を観ながらも、迷うことなく天晴れとは言い難いものが残る作品だったところが大したものだ。見事だと思う。 そして、苦境に追い込まれ、悲痛な姿を露わにしながらも決して見苦しくない最期を遂げていた求女を演じ切った石浜朗が実に天晴れだった。求女も半四郎も、勘解由も彦九郎(丹波哲郎)も、そして転封に処されて切腹を余儀なくされていた福島正勝(佐藤慶)も含めて、皆人が心のなかで「こんなはずではなかった」との不本意を抱えつつ洩らすことさえできずにいる物語だったように思う。 | |||||
by ヤマ '22.10.24. あいあいビル2F | |||||
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