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『峠 最後のサムライ』['19] | |||||
監督・脚本 小泉堯史
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一ケ月前に観た『トップガン マーヴェリック』と同じく、二年前の公開予定がコロナ禍で延期になり、満を持して公開された堂々たる作品なのだが、先に公開されながら大ヒットを遂げて今なお上映中のトム・クルーズ映画に対し、現代の名優たる役所広司が見事な胆力と柔和を湛えて幕末の傑物たる河井継之助を演じた本作は、早々と本日が最終日となり、からくも滑り込んで観ることができた。 僕の愛好する緑を美しくスクリーンに投影してくれる小泉作品を観るのは、昨年になってようやく観た『博士の愛した数式』['05]以来で、スクリーン観賞となると『蜩ノ記』['13]以来となる。 最後に古今和歌集から引いて継之助が遺したとして映し出される「形こそ 深山がくれの 朽木なれ 心は花に なさばなりなむ」のとおり、実に凛とした佇まいと心映えの美しい“漢”の姿が描かれていたが、どうあったところで最後は、忠義と面目に縛られ、戦闘によって多くの人を死なせてしまうサムライの厄介さが印象深かった。額装された書でも台詞でも繰り返された「常在戦場」がそのことを象徴していたように思う。 一際目を惹いたのは、佐幕派の長岡藩家老の職にある苦衷を抱えるなか、幼馴染の長岡藩士(榎木孝明)に告げる「この時世の中、日本男子たる者がことごとく薩摩、長州の勝利者におもねり、争って新時代の側につき、侍の道を忘れ、行うべきことを行わなかったら、後の世はどうなる。」との川べりに腰を下ろして交わした語らいのなかでの台詞だった。時あたかもメディアが「アベ一強」などと煽り立てていた最中に製作された作品だけに、薩長のろくでもなさへの追従に憤慨する継之助の姿に、作り手から投影されたものがあるような気がしてならなかった。 また、深山、竹林、築山と場を変えつつも、僕の好きな緑色を美しく見せてくれるばかりか、妻おすがを演じた松たか子も、幼い時分から継之助が可愛がってきた旅籠の娘を演じた芳根京子も、歳の頃合いに応じた美しさの粋を捉えて撮られていて、気持ちが好かった。 推薦テクスト:「お楽しみは映画 から」より http://takatonbinosu.cocolog-nifty.com/blog/2022/07/post-f56b6f.html | |||||
by ヤマ '22. 7.21. TOHOシネマズ5 | |||||
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