高知あだたん映画祭
“オルタナティブ・マスターピース”
 https://moak.jp/event/performing_arts/_adatan_film_festival.html
一日目
◎アンダーグラウンドのジャンヌ・ダルク
バーバラ・ルービンとニューヨーク・
 アンダーグラウンドのビッグバン
['18]
監督 チャック・スミス
◎アンダーグラウンド傑作選
『パワーズ・オブ・テン』['77] 監督 チャールズ&レイ
 ・イームズ
『燃え上がる生物』['63] 監督 ジャック・スミス
『午後の網目』[43] 監督 マヤ・デレン
『快楽殿の創造』['53] 監督 ケネス・アンガー
『ドッグ・スター・マン:序章』['61] 監督 スタン・ブラッケージ
『波長』['66-'67] 監督 マイケル・スノウ
『スコピオ・ライジング』['63]中途切上 監督 ケネス・アンガー
『ルシファー・ライジング』['80]見送り 監督 ケネス・アンガー
二日目
◎メカス、ウォーホル 2人の巨匠
『リトアニアへの旅の追憶』
 ['72年〔1950年~1972年〕]見送り
監督 ジョナス・メカス
『チェルシー・ガールズ』['66] 監督 アンディ・ウォーホル

 初日の午前中に観たバーバラ・ルービンの生涯を追ったドキュメンタリー作品(Barbara Rubin & The Exploding NY Underground)が思いのほか面白かった。十七歳で薬物依存症更生施設を出てきた彼女をアンディ・ウォーホルに紹介したのは、当時のニューヨーク・アートシーンに大きな足跡を残しているジョナス・メカスだったようだ。ファクトリー界隈のアンダーグラウンド映画の隆盛は彼女の存在なくしてなかったとメカスが語るほど、多くの作家に刺激と勇気を与えたというバーバラ・ルービンの名を僕は知らなかったが、本作には登場しないファクトリーのミューズとして名高いイーディよりも、バーバラのほうがずっと魅力的に感じられた。

 標題になっている「アンダーグラウンドのジャンヌ・ダルク」というのは、バーバラがファクトリーを去る際に彼女が自分の作品を託していったメカスの言葉だったように思うが、なかなかいい。'96年の特別上映会メカスの旅/1996年・春の際に、当地にも訪れたことのあるメカスが亡くなる前年に、こうして彼女の足跡を再認識する作品が撮られたのは実に幸運だった気がする。

 三十五歳という若さで亡くなっているとチラシにあったから、イーディー・セジウィックと同様にオーバードーズで夭折したのだろうと思っていたら、実に意外な最期で、五人目の子供の出産時に起こった悲劇だったようだ。映画には、彼女が遺した子供の誰も登場せず、親族は従妹と叔母だけだったのが残念だったが、ディズニーと組んで露骨にポルノ的な非ポルノを撮るなどという途方もない企画に挫折して、同棲していたゲイ詩人アレン・ギンズバーグとも離れ、ファクトリー界隈を去ってからの彼女のほうをむしろ知りたいように思った。

 とはいえ、午後に上映された『燃え上がる生物』(Flaming Creatures)に触発されて18歳の彼女が撮り上げ完成させたという『地上のクリスマス』(「Christmas On Earth」or「Cocks and Cunts」)['63]には度肝を向かれた。大写しにした女性器に多重映写で、全身を白や黒で塗り立てた女性のヌードや絡みを彩色して重ねた挑発的でシンボリックで触発力に富んだ映画作品の一部に圧倒されながら、編集も彼女自身が行っていたという全編を観てみたいように思った。ウォーホルの撮った映画『キス』['64]には、ナオミ・レヴィリを相手に延々と熱っぽく絡むバーバラが映し出されていたが、実にアクティヴだった。

 午後のアンダーグラウンド傑作選の8作品の半分は既見作だったが、久しぶりに観ると妙に新鮮だった。解説に来高していた映像作家の中島崇によれば、アンダーグラウンドと一括りにするよりも、美術同様にモダニズムの次代におけるポストモダンとしての実験映画として見るほうがよく、そのなかにはアンダーグラウンドフィルム、コンセプチュアルアートフィルム、ファウンドフッテージフィルム、構造映画、日記映画、フィルムマテリアル、宇宙映像、ジェンダーフィルムと各種あるとのこと。むろん横断的に越境している作品もあっての便宜的カテゴリーに過ぎないと付言していたが、それで言えば、ジェンダーに分類されていた『午後の網目』(Meshes Of The Afternoon)は '09年、アンダーグラウンドに分類されたケネス・アンガーの3作品は '96年、フィルムマテリアルのドッグ・スター・マン:序章は '00年に観ている。

 最初に観た宇宙映像のパワーズ・オブ・テン(Powers Of Ten)は初見なのだが、当日配布された日本語訳にシカゴの湖畔、10月のとある午後、のんびりとしたピクニックの光景。この光景を1メートルの正方形で囲み、10秒ごとに10倍ずつ離れて見ていくと、視界は10倍ずつ広がっていく。…と記されたナレーションと共に始まった本作は、何かの劇映画でこれと同じような視覚効果を施したものを観た覚えがある気がした。

 『燃え上がる生物』も観賞記録には残っていないながら、♪アマ・ポーラ♪や♪支那の夜♪の曲の流れに覚えがあり、観ているのかもしれないと思った。これぞアンダーグラウンド映画ともいうべき上映エピソードが午前中に観たドキュメンタリー映画のなかで紹介されていたが、なるほどフィルム缶を取り換えて持ち込んだ映画祭でのゲリラ上映に対して、オランダ当局が上映差し止めを言ってきたのも無理からぬところがあるような作品だった。音声とイメージのモンタージュ効果によって強姦のドキュメントのようにも映る、いま観てもかなり強度のある場面に驚いた。当時アメリカの各州で上映禁止となったとチラシにも記されていたが、映画祭でも差し止められるような作品が一般公開を禁じられるのは、いかにもありそうなことだ。

 午後の網目は、ジェンダーに分類されたことが成程と思えるような、まさしく女性性を前面に押し出したような映画で、八十年前の作品だとは思えない緊迫感とインパクトを備えていた気がする。これが戦時中に撮られた映画なのかと、日本の1943年のことを思うと絶句するほかないのだが、エンドクレジットを眺めていたら、音楽:イトウテイジと日本人名が出てきて、更に驚いた。

 構造映画の『波長』(Wavelength)は、成程これが構造かと思わされる構成の作品で、最後が海になるとは到底思えない形で始まった映画の構造に感心した。途中で部屋が変わっているような気がしたのだけれども、寄る年波からくる集中力の衰えのせいで、どこで変わったか思い当たらなかったのが残念だった。窓ガラスから透けて見えていた看板文字のようなものが消えた辺りからではないかという気がするが、その時点での気づきが得られていないのが悔しい。

 そして、'96年四月の“マジック・ランタン・サイクル”9作品の上映会以来、四半世紀ぶりに再見した『スコピオ・ライジング』(Scorpio Rising)の冒頭からのゲイ・カルチャー風味満点のフェティッシュな画面を追いながら、中途退場して定例のバドミントンの練習に市営体育館へと向かった。当地上映済みのケネス・アンガーではなく、高知では上映されないまま気になっているイアン・ケルコフの作品であれば、バドミントンのほうを見送った可能性が高いけれども、彼の作品だと'90年代になるので、今回のプログラムから見送られたのかもしれないなどと思った。


 翌二日目は、午前中に上映されたメカス作品を'96年に観ているのでパスして、午後から出向いた。もとよりウォーホル作品だから、ある程度の覚悟はしていたものの、若くて好奇心旺盛の時分ならともかく、今の僕には、けっこうキツイ四時間だった。自堕落と尊大な物言いの交錯した登場人物たちの繰り広げる時間に少々辟易とした。

 面白かったのは、上映後の中島崇の解説で、本作の本邦初上映は、自分が映写した草月ホールだと思うが、そこはそこそこのキャパがあったけれども、それ以後は、そう大きな会場で上映されていないはずなのに、何かの折にアート系の関係者にアンケートを取った時、ほとんどの人が観ていると回答してきて驚いたという話とともにあった、今回のチラシにも記されているチェルシーホテルの各室を2面スクリーンに映し出すが、確かに専らそう言われていることではあるけれども、観てもらった皆さんにはお分かりのように、どうみたってチェルシーホテルよりは、むしろファクトリーの溜まり場のようなところで撮った部分のほうが多そうなことだ、との指摘だった。そして、そういったことが、いかにもウォーホル現象として、作品に似つかわしいと面白がっていたことだった。

 暗に示されていたのは、ある種の領域における人々にとって本作は、ウォーホルの描いたキャンベルスープ缶やマリリン、エルヴィスのごとく、誰もが知っているものとして存在しつつも実物に直に接して、きちんと“知っている”人は、存外少ないというか殆どいないことが、今なお「チェルシーホテルの各室を2面スクリーンに映し出す」といった言説がそのまま流通していることから窺えるということなのだろう。なるほど、評価の部分も含めて、まさしくウォーホル現象として、彼の代表的な映画作品ということに異議はないなと得心した。

 また、ウォーホルによる映画についての有名な言葉として映画をリュミエールの時代に戻すこと、それが我々の使命だというのを教えてくれた。なるほど、上手いことを言ったものだ。中島氏は、意外と繊細な部分もあるのですがねと付言したうえで、それ以上は言及しなかったが、“こんなただの撮りっ放しのように見える(手抜き)映画”を作品として公開することへの回答レトリックとしては、さすが超一流だと感心した。


公式サイト高知県立美術館


by ヤマ

'22. 7. 2,3. 美術館ホール



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