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『愛と哀しみの果て』(Out Of Africa)['85] | |||||
監督 シドニー・ポラック
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五ヶ月ほど前に『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』['18]を観た流れで録画してあった積年の宿題映画だ。先ごろ『激流』['94]を観て改めて感心したメリル・ストリープの主演作品ということで、観てみた。 ロケーションというよりも撮影が実に素晴らしい映画だったように思う。後に作家となるデンマーク女性のカレン・ディネーセン(メリル・ストリープ)が忘れがたい出会いを果たしたデニス・フィンチ・ハットン(ロバート・レッドフォード)からもらった格別のプレゼントとして偲んでいた「神の眼から見た世界」を目の当たりにした複葉機での飛行というのは、今だとさしづめ宇宙飛行になるのだろう。先ごろ観たばかりの『ウェールズの山』['95]は、1914年のウェールズが舞台だったが、本作は、1913年のケニアが舞台になっていて、どちらも直接的には描かれない“英国の影”が大きく射している物語だったように思う。 若いフェリシティ(スザンナ・ハミルトン)から“群れない”自立した女性として憧れの眼差しを向けられていたカレンが果敢に生きた“出エジプト記ならぬ出アフリカ記”とも言うべき物語を観ながら、『ウェールズの山』にも感じたようなダイナミックな人間観に基づく描出を感じたことが印象深かった。1913年にケニアを訪れた際には婚約者のブロル・ブリクセン男爵(クラウス・マリア・ブランダウアー)を訪ねて行っただけで女人禁制を理由に立ち入りを拒まれたクラブから、農園も処分してケニアを離れる際にはクラブ員一同から一杯おごらせてほしいと招き入れられるに至っていた“カレンの生き方”に対するリスペクトの籠った脚本だったように思う。 参戦を余儀なくされた世界大戦に対して「傲慢な大国の内輪もめ」と言い放ち、ケニアの子供のために学校を開いたカレンに「彼らを小英国人にしてはならない」と諫めていたデニスは、冒険家でありながらモーツァルトの音楽を愛好する読書家で、愛と自由についての認識も深い魅力的な人物として登場していたから、確かに主軸は、人妻カレンとデニスが互いに惹かれながらも節度を守りつつ、時間を掛けて寄り添っていき潰えた悲恋物語なのだろうが、男女の関係としては、恋人ハンスとの間に芽がないとみるや旧知の弟ブロルのほうに対して、資産を餌に結婚を持ち掛け男爵夫人に収まったカレンに放蕩で得た梅毒を感染させた夫ブロルとの人間関係のほうが、むしろ興味深かった。 ブロルは、デニスのようにカレンにコンパス【方位磁石】も蓄音機も与えなかったから、生きる指針も心地よい陶酔も与えられなかったわけで、そればかりかデニスと暮し始めたカレンに対して、新たな玉の輿をみつけるや離婚を求めに来たことを忽ち見透かされるような男だったが、デニスの最期を告げに来たカレンから「騎士の心ね」との言葉を掛けられることが皮肉には映らないような人物だった気がする。聞くところによると、原作と映画は、かなり違うらしい。やはり“カレンの生き方”に対するリスペクトの籠った脚本だったようだ。 また、この“騎士の心”というのは、直訳ではなかったように思うが、女人禁制としていたクラブの件を踏まえての字幕訳なのだろう。デニスの親友バークレー(マイケル・キッチン)がカレンに言った「この先は魔界」となるという、デニスがカレンの屋敷に移り住んできた夜の場面での双方の昂ぶりのほどを伝えていた「じっとして(Don't move)」「してられないの(I want to move)」の妙訳にも感心した。 そして、アフリカの地を立ち去る際にキクユ族の居留地確保に奮闘したカレンの行動に対して、彼女の望んでいた“物心ついてから後の子供にも学校で学ばせること”に同意した族長の洩らしていた「英国人は文字を読めて、何を得たのか」という台詞が印象に残った。先輩の映友女性が「男女の関係のはかなさ、切なさが強く出た物語なので、若い人は理解できないかもしれない。」と記していたが、とても行間の豊かな作品だったように思う。年若いときに観ると、デニスとの関係にしてもブロルとの関係にしても、カレンの心境を測りかねて、三時間近い長尺に倦んでしまうかもしれない。 推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/4438925709540311/ 推薦テクスト:「銀の人魚の海」より https://blog.goo.ne.jp/mermaid117/d/20211012 | |||||
by ヤマ '22. 2.20. BSプレミアム録画 | |||||
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