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『男はつらいよ 知床慕情』['87] 『続 男はつらいよ』['69] 『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』['81] | |||||
監督 山田洋次
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寅次郎(渥美清)が北海道の牧場で嬉々として、武骨で頑固者の獣医(三船敏郎)の手伝いをしていた「知床慕情」は、高校時分の映画部長からの宿題ディスクのうち、北海道の牧場の労働に耐えられなくて寅が寝込んでしまった「忘れな草」の裏袋に入っていたものだ。 おや、寅次郎の夢から始まらない作品もあるのか、と思いながら観始めたら、オープニングだけではない異色作だった。なにせ寅次郎が暑苦しくないどころか、粋に見えてきたりして驚いた。寅さんものとしてはどうなのかといった意見があるかもしれないが、定番の寅さんらしくない寅さん映画のほうが厭味がなくて、僕には好もしく映ってきた。 とらやでの全くの役立たずぶりが念入りに描かれていた最初のほうとまさに対照的な、知床の地での寅のお役立ちぶりが何とも新鮮で可笑しかった。三船敏郎の役者としてのキャラクターがよく活かされていたような気がするが、それ以上に淡路恵子がよくて、マドンナ役の竹下景子よりも印象深かったように思う。普段の寅さんの“邪気の無い粗忽者”の役処を担っていたのが船長(すまけい)だったように思うが、割といいアンサンブルだった気がする。 その一方で、なぜタコ社長(太宰久雄)に娘(美保純)がいるんだ?と怪訝に思ったが、他作でその顛末が示されているのだろうか。満男よりも五歳以上は年上のように感じたが、タコ社長の娘なのに子供時分には登場しなかった理由が何なのか、ちょっと気になった。 この「知床慕情」の約二十年前になる映画版第二作『続 男はつらいよ』では、寅次郎が三十八歳となっていて、満男がまだ一歳にもなっていない感じだったから、役者がみな揃いも揃って若々しいことに驚いた。おまけに冒頭の夢では、寅が生き別れた母を慕っている様子が描かれていたから、作劇上の必然性もあるわけで、「そうか、これが端緒になってルーティーンが始まったのか」と得心した。その伝で言えば、先に観た後年の作品のゲストの役柄が画伯や高名な陶芸家、作家とか獣医だったりするのも、みなこの坪内(東野英治郎)“先生”から始まっていたのか、と少々癇に障っていた寅さんシリーズの先生繋がりがすとんと腑に落ちた。また、'60年代のラブホテルのバイブベッドとネオン風呂のチープさが物珍しくて面白かった。 それにしても、恩師から励まされて幼い時分に生き別れた母親の菊(ミヤコ蝶々)に再会して傷つけられ、掛け替えのない恩師の思い掛けない死に巡り合わせ、フーテンの旅暮らしから初めて見つけたように感じていたであろう居場所を追われる失恋の痛手と、寅次郎が三度も涙する映画だとは思わなかった。冒頭、夢から覚めた寅が布団に籠った己が屁の臭気に「おっふ!」と洩らした一言が、奇しくも前日に観た『斉木楠雄のΨ難』を思わせて可笑しかった他愛無さからすると、まさしく「男はつらいよ」に他ならない寅の見舞われる試練だったように思う。 そのうえで、気を取り直して母親に寄り添っていた最後の場面が実に好もしかった。恩師の境遇を知り、再会の縁を得たことを無にするでないとの師の教えが、単に教えに留まらぬ師の真情を映したものであることを学んだ寅の“師への返答”として、とても美しく映ってきた。師の教えを実践することが師への恩返しなのだと寅は考えたに違いない。英語の先生なのに漢詩の素養を蓄えていることが、あの時代の老教師だと何ら違和感がないことに感慨を覚えた。東野英治郎の風貌も作用しているとは思うが、それだけではないものがあるような気がする。漢詩には若い時分に心惹かれるものを感じていたこともあって、思いのほか沁みてきた。やはり宮崎晃が脚本に参加している時期の作品が僕には合うようだ。 マドンナ役であった佐藤オリエが出てくると何とも60年代を感じさせられるのは、やはり『若者たち』['67]の威力だ。序盤の別れ際に妹さくら(倍賞千恵子)に五千円札を握らせていた寅さんには意表を衝かれたのだが、夏子(佐藤オリエ)の支払いを制止した際の財布に五百円札しか入っていなくてバツの悪い思いをしていた。寅の財布の五百円札ぽっきりの始まりもここにあったようだ。 ミヤコ蝶々を観たのは、何十年ぶりになるのだろう。実に見事な速射砲の減らず口だった。口数少ない風見章子との対照が利いていて、鮮やかな存在感を発揮していた。この後、寅と菊の母子関係はどうなったのだろう。聞くところによれば、「奮闘篇」に再登場するらしい。きっとまた「ばばぁ!」「なにゆうてけつかんねん!」と丁々発止、やっているのだろう。 最後に観た「浪花の恋の寅次郎」は、「続 男はつらいよ」から十二年後の作品だったが、奇しくも同じく“生き別れた肉親との再会”がモチーフになっていた。また、リリーを演じた浅丘ルリ子の貫禄を感じさせる存在感とは対照的に、まだ初々しさを残しつつも、僕が見せてもらった範囲では、マドンナとして双璧を為すほどの印象を残してくれた松坂慶子の魅力が素晴らしかった。とりわけ、京都のグランドホテルならぬ大阪の新世界ホテルの安宿の窓辺に腰掛けて彼女が口ずさむ♪星影のワルツ♪が絶妙だった。 一人残された部屋で目覚めて置手紙をしてそっと出て行った彼女の姿に「殺生な…」と呟いていた、安宿暮らしと思しき老人(笑福亭松鶴)の声は、ふみの心中の代弁だったのだろう。そういう意味では、翌年作の「あじさいの恋」にも通じているように映る部分がなくもないわけだが、寅に後押しされて勇気を出して会いに行った実弟の思い掛けない夭折に衝撃を受け、大事な御座敷に穴を空けるわけにはいかずに出たものの中座して、酒をあおって訪ねてきた状況というのは、やはり「あじさいの恋」とでは事情が違う。だから、寅が恰好をつけたのも只の意気地無しではないようには思う。 とは言え、一人残して放置するのは随分な仕打ちだし、ふみの受け取った誤解に対しては「男は引き際が肝心よ」などと強がらずに、旧知の宿屋の倅(芦屋雁之助)の忠告に従うべきところに他ならない。そうすれば、東京に出てきたふみとの再会によって思わず寅次郎自身が愚痴っていた“惨めな思い”を味わうことはなかったのだろうが、この行き違いが生じなければ「男はつらいよ」にならないのだから仕方がない。 それにしても、リリーといい、おふみといい、なぜ結婚相手は寿司屋なのだろう。宿題をくれた映画部長によれば、松坂慶子はもう一作登場するらしいのだが、リリーと同じく、ふみも離婚しているのだろうか。それとも、またぞろ歌子(吉永小百合)のように死別しているのだろうか。 松坂慶子については「我が“女優銘撰”」には『道頓堀川』『卓球温泉』『大阪ハムレット』を挙げているのだが、やはり若い頃だと、この時分が最も艶やかで美しかったように思う。まさに竜宮城の乙姫さまにも相応しい魅力を振り撒いていた気がする。 | |||||
by ヤマ '19. 4.27. WOWOWシネマ録画 '19. 5. 1. DVD観賞 '19. 5. 2. DVD観賞 | |||||
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