『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』['82]
『男はつらいよ 柴又慕情』['72]
『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』['74]
『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』['73]
 監督 山田洋次

 先ず「あじさいの恋」を観て「これは、ダメだ」と思った。意を決して上京してきた、小学生の子持ち寡婦のかがり(いしだあゆみ)に、あのような形で恥ずかしい思いをさせるのは、かなりの悪趣味でいささか鼻白んだ。念の入ったことに、予め人間国宝などと勿体をつけた陶芸家の加納作次郎(片岡仁左衛門)に「いつも引いてばかりじゃダメだ。人生には、自分の想いを全身でぶつけて当たらなければいけないときがある」などと説教させておいて粉砕するのだから、タチが悪い。

 そもそも、丹後での別れの朝をあのような形で迎えていて、かがりが上京してくる運びが無理筋なのだが、それは作劇上の已む無さと了解したとしても、不成就の運び方が、いくら薄幸の似合う女優だからといって、あんまりだ。あのシチュエイションで甥っ子を連れてデートに現れる不作法は、己が負い目とか衒いでは済ませられない失礼だと思う。作中で唯一あかるい華ある赤い服を着て、紫陽花の咲き並んだ石段で待っていたかがりの落胆の表情が、哀れでならなかった。丹後で泊まった夜に寅次郎の寝所に上がっていくかがりが口実のように抱えていた娘のランドセルの色と同じ鮮やかな赤の服を着せていたことに嘆息した。それでもズルズルと酷な時間を重ねた挙句、遂には「今日の寅さんは私の知っている優しくて面白い寅さんと違う」との恨み言を口にさせたりする。これを喜劇とする心境には流石になれない。加えてそれを、寅次郎(渥美清)が別れた後で落涙していたと満男(吉岡秀隆)に告げさせることで、観客に了解させようという魂胆が気に入らなかった。

 そうやって二度も手ひどく踏み躙られた女性が、今度は改めて旅の途上にある寅次郎をもてなす心持ちで待つというような手紙を出すなどということはあり得ない気がする。少なくとも、僕の持つ女性観のなかでは、あり得べくもない手前味噌な妄想だと思った。寅次郎のあの仕打ちは、負い目を感じながら暗黙の婚約を反故にしていた蒲原(津嘉山正種)とも大して違わない非道だという気がするからだ。

 また、作次郎作を騙って陶器の路上販売している姿を加納が観止めて、寅次郎との再会を喜ぶ図というのにも違和感しきりだ。これは怒りを買って当然の振舞いだ。もはや目がくらんでいるとしか言えないまでの寅次郎への惚れ込みようにしても、かがりへの中途半端な執心にしても、この加納という老人の人物像が腑に落ちてこなかった。これなら、夕焼け小焼けの画伯(宇野重吉)のほうがずっといい。

 他には、オープニングクレジットでのアニメーション:白組という表示が目を惹いた。四十年近く前から改名することなくやっていることになるわけだが、僕は斯界に明るいほうではないので、少々驚いた。


 いしだあゆみの「あじさいの恋」の裏袋に入っていたのは、ちょうどその十年前の作となる吉永小百合の「柴又慕情」だった。おいちゃんが松村達夫になった最初の作品だったようだ。そのことよりも興味深く目を惹いたのが、本作も「あじさいの恋」同様に、マドンナを演じる女優の持っている個性を最大限活かした点で通じていて、それゆえにその作品基調があまりに対照的に感じられたことだった。本作のマドンナである歌子(吉永小百合)に対して“不仕合せの陰”が添えられていたから、尚更に際立ってくるものがある。若き日の吉永小百合は、やはり明るく爽やかなオーラが圧倒的だと改めて思った。

 とりわけ魅力的だったのが、江戸川べりの土手の草むらで源公(佐藤蛾次郎)を交えて三人で遊んでいるなか、シロツメクサの花冠を頭に載せた歌子が少しおどけて見せる変顔の愛らしさだった。冒頭の夢シーンで寅次郎が長い爪楊枝を咥えていたから、中村敦夫の演じた木枯し紋次郎がテレビで流行った、僕が中学生の時分の作品なのだが、あの頃、吉永小百合はいったい幾つだったのだろう。僕より随分と年上の大人だと思っていたのに、還暦を過ぎたこの歳で観ると、えらく若々しく、むろん年上ではあるけれどそんなには離れていなかったのかと驚いた。

 やはり寅次郎には、振られるまでもなく破れる独り相撲の失恋が似合うとつくづく思った。浅丘ルリ子の演じたリリーと同様に、歌子もまた再度登場する作品があるのだそうだが、歌子にはリリーのような離婚はさせていないのではないかと思った。また「あじさいの恋」の作次郎に当たるのは、歌子の父親である小説家を演じた宮口精二なのだろうが、いささか地味に感じられたのは、彼の持ち味を尊重すればこそのものだったのかもしれない。両作には、陶芸家という共通項があることも含めて、この同封は絶妙のカップリングだと改めて感心した。


 続いて観た「恋やつれ」は、「柴又慕情」の続編だと聞いて繰り上げて観ることにしたものだ。珍しく冒頭の寅次郎の夢に吉田義夫が出てこないと訝しんでいたら、電車のなかで眠っていた寅次郎の隣席に腰を掛けて武智豊子と二人で挟んでいるという趣向だった。この夢世界から現世界のほうに現れ出たような人物というのは、まさに吉永小百合のことなのかもしれないと、本作を観終えてから思った。

 二週間ほど前に観た寅次郎と殿様の鞠子(真野響子)と同じく、歌子が若き未亡人となっていたのだが、前作での父親(宮口精二)の強硬な反対による恋路の邪魔立てどころか、夫との死別に加えて婚家で受けている抑圧といった定番の“不仕合せの陰”を負わされていても、良くも悪くも生活感のまるでない吉永小百合が演じると、ちょっとした笑顔を見せるだけで屈託のない明るさが放射されてしまう。改めて稀有な個性の女優だと驚かされたからだ。

 とりわけ本作では、寅次郎が独り相撲の結婚を夢想するもう一人のマドンナ絹代(高田敏江)が配されていて、歌子と対照的なまでの生活感を印象づけているから尚更だ。寅次郎の恋愛遍歴のなかでも、絹代には結婚に寄せた想いで言えば恐らく最右翼の一つに数えられるはずの直截的な思い入れが語られていながら、寅さんシリーズのなかではマドンナの位置づけさえも与えられてなかったりするのではないかと思われるほどに生活感が強調されていた気がする。この生活感というものこそが、それを全く感じさせない対照的な歌子を演じていた吉永小百合という女優に対する作り手の女優観のキーワードのように感じられた。

 とらやで交わされた遣り取りのなかでは、タイトルの「恋やつれ」のみならず、労働者やつれやら何やら様々なやつれが取り沙汰されたりしていたが、いかなる「やつれ」であれ、最もそれとはイメージ的に縁遠いものが吉永小百合という女優の持っている華だったような気がする。本作出演時が二十代最後だったと思しき吉永小百合は、それゆえに四十路に入って『夢千代日記』を得るまで、三十代では使いにくさが先立って作品に恵まれなかったのだろう。当時、こともあろうに『青春の門』での炭鉱夫の妻などという、最も似つかわしくない役処を演じて玉砕したことが尾を引いていたような覚えもあって確かめてみたら、奇しくも本作の翌年に撮られた出演次作だった。

 それにしても、'70年代前半の寅次郎には後のような暑苦しさがなく、むしろマドンナたちのほうが寅さんを“都合のいい女”ならぬ“都合のいい男”扱いしているようなところがあって、ずいぶんだなぁという気がしてこないでもない。寅次郎はそれで悦に入っているようなところがあるのだから、応分と言えば応分なのかもしれないが、あまり趣味のいい話ではないような気がする。


 それからすると「忘れな草」では、リリーが随分と寅をダシにとらやに甘えていても、寅を“都合のいい男”扱いしているようには映ってこない。さらには、出し抜けに寿司屋の石田(毒蝮三太夫)と結婚しながら「ホントは一番好きなのは寅さんよ」などと抜け抜けと公言してさえも、むしろそのほうが本心のような気がしてくる。浅丘ルリ子がいいというよりも、やはりリリーのキャラクターがいいのだろう。敵わないなぁとばかりに頭を掻く毒蝮三太夫が微笑ましいものの、早々に離婚してしまうことを既に知っている目には少々哀れっぽく映ったが、いい作品だと思った。

 そのように感じたのは、観た順がちょうど反対で、ハイビスカスの花から相合い傘ときての本作となった奇遇ゆえかもしれないが、これまでに観た9作での最上位は望郷篇だから、宮崎晃が脚本に参加している作品が僕には好いようだ。寅が暑苦しくないし、作品世界に漂うペーソスの程がいい。

 そして、久しぶりに聞いた「二級酒でいいよ」が耳に残った。日本酒の好きだった亡父がよく酒の等級を口にしていた覚えがあって懐かしかった。僕はあまり酒を飲まないからよく知らないが、二級酒というのはまだあるのだろうかと思ったが、どうやら随分前から等級制が廃されているようだ。それはともかく本作では、さくらを演じている倍賞千恵子がとても魅力的だった。満男を連れて歩いているシーンが何度か出てきたり、汽車に乗って北海道に迎えに行ったり、最後の駅の食堂のみならず、けっこう出番が多く、法事で吹き出す場面でもひときわ目を惹いていたように思う。

 とりわけ駅の食堂でポケットの千円札を探しながら兄の財布に幾枚か差し込む姿が心に残る。無造作に折り畳んでいた裸銭を探し出して俯き懸命に皺を伸ばしながら「もっと持ってくればよかったね」と呟く姿が、リリーが悪態をつきながら母親(利根はる恵)に路上で金を渡していた場面と呼応して、とても味わい深かった。

by ヤマ

'19. 4.15. WOWOW録画
'19. 4.20. NHK BS2録画
'19. 4.21. DVD
'19. 4.24. NHK BS2録画



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