平成29年度優秀映画鑑賞推進事業 Wプログラム
文化庁・東京国立近代美術館フィルムセンター
『張込み』['58]松竹 監督 野村芳太郎
『悪い奴ほどよく眠る』['60]東宝 監督 黒澤 明
『黒い画集 あるサラリーマンの証言』['60]東宝 監督 堀川弘通
『白い巨塔』['66]大映 監督 山本薩夫

 正午から21:00までの長丁場だったけれども、全く飽きさせない見事なエンタメぶりに、さすが橋本忍【脚本】だと大いに感心した。どれも監督が違い、松竹、東宝、大映と製作会社が違っていても、いずれの作品にも通じる骨の太さと人間観察に観応えがある。
 四作品とも名高い作品だが、僕がスクリーンで観たことがあるのは、かつて自分も運営に携わっていた高知映画鑑賞会が '81年に県民文化ホール・グリーンで上映した『悪い奴ほどよく眠る』だけだった。
 登場人物がやたらと煙草を吸っている場面だけでなく、いろいろな点で今の映画にはなくなっているものがぎっしり詰まっていて、実に興味深かった。


 最初に観た松竹映画『張込み』は、僕が生まれた年の製作となる作品だが、オープニングタイトルがなかなか現れないままに、東京発鹿児島行きの蒸気機関車による急行列車に横浜から乗り込んだ満員の汽車の旅が延々と映し出される、当時は珍しかったであろう作品だ。かなり異色のオープニングが目を惹くわけだが、それに相応しい異色ぶりが印象に残る刑事もので、殺人事件とその犯人を描いた物語ではなくて、東京で強盗殺人事件を犯したと思しき青年(田村高広)が郷里の佐賀に残したあと今や歳の離れた子連れ銀行員横川(清水将夫)の後妻となっている嘗ての恋人さだ子(高峰秀子)を、若手刑事の柚木(大木実)とベテラン刑事の下岡(宮口精二)が二人で張り込むなか、柚木が我が身にも切実さを増してきている“結婚と女性”という問題に想いを巡らせるという物語だ。

 日常と非日常、生活としがらみ、貧困と空虚といったことを想いつつ、柚木は、満員の夜行列車のように延々と留まることなく息苦しさとともに走り続ける生の時間においても、都会から離れるに従って席も空き、映る景色も異なってくるように、変えられるものはあると思い至ったように感じた。相対する男によって全く異なる顔を見せる女に衝撃を受ける柚木の姿が若々しく好もしかった。生活を変えることについての答えを出すべきタイミングを逸してしまうことが、とんでもない遣り過ごしに繋がることを目の当たりにして、踏み出す決意を固める若者の姿が微笑ましかった。

 そのような変革の意思に目覚める若者の姿が称揚されるなか、殺人という罪さえも“過ぎてしまったこと”として犯人に対する励ましをベテラン刑事が口にするような映画は、今の時代では考えられないものだと痛撃された気がする。下岡刑事が伴侶に選ぶべき女性像について語る台詞も、今の時代だと作り手が怖気づいて避けてしまうのではなかろうか。だから、映画がつまらなくなるのだと改めて思った。


 次に観た東宝映画の『悪い奴ほどよく眠る』のような形で政治家や官僚、リベート企業を“巨悪”とする映画作品も、すっかり影を潜めるようになってきた気がする。タイトルの「ほど」という副助詞が実に利いていて、本作で直接的に描かれる一番“悪い奴”である岩淵開発公団副総裁(森雅之)が電話口でぺこぺこしている相手の政権与党総裁の座を狙っているらしき実力者は、その姿形どころか声さえも現れずに、眠ったままだ。

 そして、かつて観たとき以上に印象深かったのが、岩淵の娘佳子(香川京子)の悪意なき思慮のなさだった。岩淵の女婿となった西幸一(三船敏郎)が非業の死を遂げるのも、直接的にはそれによるものだったわけだが、『張込み』のさだ子にしても、本作の佳子にしても、また『黒い画集』の千恵子(原知佐子)にしても、目を惹く女性に対するそのような造形が目に付いた気がする。時代のなせる業なのか、橋本忍の個性なのか、興味深いところだ。もっとも『黒い画集』では、梅谷千恵子以上に、小林桂樹の演じた石野管財課長の思慮のなさが際立っていたから、あまり目立たない面もあったが、そうは言ってもかなりのものだったように思う。

 それにしても、鮮やかな導入部だった。少々説明過多になっている部分を撃ち抜くウェディングケーキの仕掛けが強烈だった。三井弘次の演じる新聞記者がまた、お約束の役どころで笑える。『張込み』からわずか二年後とは思えぬ豪勢なパーティだったが、格差は昔からあったということだ。しかし、それが拡大のほうに向いているか、縮小のほうに向いているか、という矢印の向きの違いというのは、社会心理的には大層大きく、右肩上がりだった昭和三十年代半ばには、今の時代のような閉塞感には囚われていなかった気がしてならない。


 この『悪い奴ほどよく眠る』と同じ東宝の同年作品『黒い画集』では、昭和35年当時、月給5万5千円に年2回のボーナス40万円で年収150万というのが、東京での中堅企業の四十代サラリーマンとして比較的恵まれた位置にある者の稼ぎであって、都心まで通勤1時間ほどの郊外に核家族四人で暮らす庭付き一戸建てを持ち、山手線管内のアパートに部下を愛人として囲うくらいの余裕がある経済状態の具体的な様子を描いていた点が興味深かった。愛人に電気炊飯器は買ってやれていても、テレビまでは買うに至らずぼやかれていて、アパートも新大久保の安アパートだった。株などもやって小金を稼いでいたようだから、本作で語られた貨幣価値は、今のちょうど10分の1程度に当たる気がした。それからすると、災難が及ぶのを避けて千恵子を転居させたはずの引越し先アパートの隣人森下(児玉清)の悪友松崎(江原達治)から、不倫ネタを会社にばらすと脅された5万円を3万円に値切っていた相場も「大学卒業も控えてるんだから程々にしとけよ」と森下から諭されていた相場感として、そのくらいなのだろうと納得感があった。

 とはいえ、その3万円だか5万円で命を落としてしまう羽目になるのだから、なんとも情けない話だ。だが、命まではなくさなかった石野は、ある意味、それ以上に苛まれていたかもしれない。まさに浅はかな“自分ファースト”が招いた身の破滅であって、殺人事件の被疑者とされた杉山(織田政雄)の求めた証言に応えたうえで警察に事情を含めて秘匿を要請していれば、難なく回避できた禍であることが明白なだけに、情けなさが募った。


 プログラムの最後を締めていた『白い巨塔』は、言わずと知れた田宮二郎の代表作であるばかりか、幾度もドラマ化された大ヒット作だ。改めて観直しても強烈なキャラクターが目白押しで、やはり面白い。財前五郎の愛人ケイ子を演じた小川真由美がなかなかよくて、太地喜和子や黒木瞳のケイ子よりも本作のケイ子が僕は気に入っているのだけれども、今回キャラクター的に最も目を惹いたのは、滝沢修の演じた船尾教授の器の大きさだった。






プログラム一覧:「優秀映画鑑賞推進事業HP」より
http://www.omc.co.jp/film/program.html
by ヤマ

'17.11. 5. あたご劇場



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