『キャロル』(Carol)
監督 トッド・ヘインズ

 クラシカルな設えで始まった物語に、これは一体いつ頃の話なのだろうと思っていたら、アイゼンハワーの就任祝いを報じるテレビ画面が現れたから、'50年代前半のことだと判った。道理で、テレーズ(ルーニー・マーラ)の恋人を自認するリチャード(ジェイク・レイシー)にしろ、妻キャロル(ケイト・ブランシェット)を愛していると自身では本気で思っているらしい夫のハージ・エアード(カイル・チャンドラー)にしろ、実のところ心根の悪い人物ではないようなのだが、さざなみのトムが無神経呼ばわりされる今どきなれば、無神経では済まずに悪者にされかねないくらいの勘違い男だったことにも納得のいく気がした。

 ハージとの間にもうけた6歳の娘リンディを熱愛しながらも夫との暮らしが耐えがたくなっているキャロルなのだが、その原因の一つは、10年に及ぶ結婚生活が破綻する前に既に終えていたというレズビアン関係を幼馴染の親友アビー(サラ・ポールソン)との間で結んでいたことがハージの知るところになったことのようだった。だが、それはきっかけに過ぎず、本質は別なところにあるように感じた。「愛している」と執着しつつも、一向に彼女自身を真っ直ぐに見つめようとはしないハージの向い方には、恋人リチャードから求婚されながらも気のはやらないテレーズが、恋人に対して漠然と感知していたものと同質のものがある。そのことがきちんと描かれている点が重要だ。

 車での逃避行を観ながら、テルマとルーズならぬ『テレーズとキャロル』の顛末がふと過ったが、車上という非日常から降ろされた後はそれぞれ別の途を歩み始めることになる展開のなかで、夫からは“治療”として心理療法師にかかることを余儀なくされ、テレーズとのことを親友に「後悔している」とまで語らせたりする物語をトッド・ヘインズが?と意外に感じていたら、キャロルの覚悟の申し出をテレーズがスルーした後に、納得の結末が待っていた。時間の長短ではない“特別な濃密さの共有”によって残るもののことを思い、キャロルの呼び出しに応じたテレーズの見送りに“女性ならではの転身の潔さ”を感じつつも、何だか割り切れない思いが湧いていただけに、大いに感興を覚えた。無言で交わされる両女優の視線の捉え方が見事だ。自身がゲイであることを公表しているトッド・ヘインズの監督作品なら、こうなって然るべきとは感じつつ、原作の結末はどうなっていたのだろうかとも思った。

 また、自分がピアノで弾いた♪Easy Living♪をキャロルが気に入ったことを察して、テレーズがテディ・ウィルソンとビリー・ホリデイの名の記されたレコードをプレゼントする場面が目を惹いたが、これも原作にあるものなのだろうかと思ったりもした。

 女性市場であることが顕著になった近頃の映画では、ベッドシーンも主に男の側の露出度ばかりが目立つ傾向にあるなか、ルーニー・マーラの豊かな裸身と細やかな艶技が丁寧に撮られていたことを新鮮に感じるとともに、レズビアンの性愛シーンなれば男の側を映しようのないことに思い当り、妙に可笑しかった。そして、ゲイのほうでは歳の差カップルが普通にあるように感じるなかで、レズビアンだとちょっと珍しいような気がするのは単に僕の知見の狭さなのかとも思った。

 でも、こういったことを依頼のあった地元紙への掲載稿に綴ると、客層のメインターゲットである中高年女性からは顰蹙を買うかもしれないので、止めておいたほうがいいのだろう。




参照テクスト:高知新聞「第180回市民映画会 見どころ解説」『性的弱者描く普遍的作品



推薦テクスト:「ケイケイの映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20160212
推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1950313990&owner_id=3700229
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