『レインツリーの国』
監督 三宅喜重


 予想外に気持ちのいい作品で、驚いた。予告編を観たときに感じていた、どうして西内まりやをこんなに野暮ったくしているのだろうという部分に対して、実に納得の顛末が与えられていて得心できた。障害者を描いた作品としても、啓発映画にありがちな視点とは逆に、むしろ障害を負ったことで生じた人見利香(西内まりや)の囚われの超克や踏み出しこそが、“レインツリーの国(ときめく歓喜)”に辿り着くのには必要であることを描いていたように思う。障害者の晒される差別や痛みを描いている部分の及ぼす作用が啓発映画とは違った映り方をしてきて、かなり新鮮に感じられた。

 その超克のためには、相手に犠牲を強いているのではなく相手との寄り添いなのだと芯から思える向かい方で接してくれる相手が必要なのだということが素直に伝わってきたように思う。上から目線で臨まれているのではないか、同情を買っているにすぎないのではないか、といった思いから解き放たれるためには、他者以上に、自身がままならない障害をきちんと受容できなければならないということだ。そして、髪を切るということをこれだけ素敵でシンボリックな場面に仕立て上げていることに感心した。これから利香は美容院で髪をカットするたびに、この日を思い出して“レインツリーの国”へと束の間旅立てるようになるに違いない。こういうことに優る贈り物というものは、ないように思った。

 有川浩の原作ものらしく少々遣り過ぎ感の拭えないエピソードづくりが少々目立った気がするが、そうは言っても、利香が「伸さんのような性格になりたい」とこぼす伸之(玉森裕太)が父親の件があるまで、こうではなかったという圧巻の試練の克服というのは肝心な点だと思う。利香から感心される“伸さんの辛抱強さ”がシンプルに彼の善良さに因るのではなく、彼自身が受容し難い受容を果たして育んだものであることを示して、きちんと納得感を与えていたところに感心した。

 そういった作劇に、理不尽とも言える「人生のままならなさ」を前向きに受け入れることが求められるのは、別段、障害を負った人々だけの問題ではないという視座が窺えるような気がした。そして、その視座こそが障害者と健常者の相互の共感の基盤となり得る根本認識なのだということが、作り手の立脚点なのだろう。それによって得るべき“辛抱強さ”や伸之の言う「けっきょく俺は、めんどくさいほうが好きやねんな」といった感性がダサいと蔑ろにされ、失われ、快適さやシンプルさが過剰にもてはやされている現代に対して、本作が一石を投じる形になっていることにも好感を抱いた。

 有川・三宅コンビでは、阪急電車 片道15分の奇跡での相武紗季の演じた役どころのようなキャラの味の良さを本作で、森カンナがミサコを演じて醸し出していたように思う。
by ヤマ

'15.11.22. TOHOシネマズ7



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