シネマ・フィロソフィア 3.11“戦争の記憶と 3.11の記録”

『土と兵隊』['39] 監督 田坂具隆
『花と兵隊』['09] 監督 松林要樹

 県立大学文化学部 哲学・倫理学研究室の有志が“戦争の記憶と 3.11の記録”とのタイトルの元にちょうど70年の時を隔てた2作品を並べた企画上映を観て来た。松林監督のトークも構えた非常に刺激的な催しで、セレクトされた2作品の絶妙さに感心した。松林監督の相馬看花』『祭の馬を上映してきた縁から、昨今の情勢を鑑みて松林監督の5年前の作品『花と兵隊』を上映しようとなったときに、タイトルの連関で『土と兵隊』を取り上げた気がしないでもないが、戦時の兵隊を生々しく描き出して、ドキュメンタリーとも見まがうかのような戦時の劇映画を並置したのは、戦後東南アジアに残留して根付き60余年を経た“未帰還兵”を捉えたドキュメンタリー映画を戦後70年のいま観るうえで非常に有効だったように思う。両者に共通していたのは、皇軍兵士の負った苦難の厳しさと重さだった気がする。

 四方田犬彦が『日本映画史100年』(集英社新書)にただひたすらに連日の行軍を続け、落伍者の続出にもめげず死に向かって邁進する日本兵たちを描いた。…敵であった国民党や中国共産党の軍隊が登場することはなかった。辛苦に絶えて自己犠牲を辞さない無名の日本人の肖像を描くことだけが、監督の主眼だったのであり、われわれはこうした道徳主義を、日本のファシズムに特有の美学であるとみなすことができる。P99~P100)と記してあった『土と兵隊』は、この時期の日本映画は戦闘の悲惨さと兵士たちの辛苦を強調するあまりに、もしアメリカ的な文脈で見るならば、ほとんどが反戦映画として受けとられることだろうP100)というルース・ベネディクトの見解を引いたうえで、日本の映画人たちは戦争の悲愴美を強調することで、国民に兵士たちへの感謝と共感を促し、国策に協力しようと考えていた。…敵を醜悪な悪として描く必要は、あえてなかった。味方である皇軍の艱難の映像を通して、天皇の恩に報いるという道徳的なメッセージの方が、はるかに重要とされていたのである。P100)と述べているのを読んで以来、とても気になっていた作品で、思いがけなく観る機会が得られて非常に嬉しかった。

 確かに、ひたすら軍靴の響きが残ってうんざりする行軍のさまが描かれ、画面以上に砲撃音や銃声の夥しい作品だった。驚いたのは、エンドロールを眺めていたら1968年と映し出されたことだったが、松林監督の話によると、戦中版を30分カットした戦後版とのことだ。映画は女性の化粧と同じで、編集やポストプロダクションでいかようにも変わるのだが、30分もカットされた部分があるとなれば、そこに何が映っていたのか大いに気になるし、抑制された画面と対照的に過剰なまで強調されていた効果音がもたらす厭戦感がオリジナル作品にもあったのか、知りたいように思った。

 戦後版を観た限りでは、僕はアメリカ映画で育ったからか西洋人でもないのに“反戦映画”ないし“厭戦映画”のように映って仕方なかった。もっとも僕は、「海ゆかば」の曲で始まり終わった本作の「海ゆかば」を聴いても、軍歌として響いてくる以上に「水漬く屍、草生す屍」までで気持ちが止まるほうだから、当時の日本人のメンタリティは想像すら及ばないのかもしれない。

 そのようなことを思っていたものだから、『花と兵隊』を観た後の監督トークで、本作でも最も異彩を放っていた藤田松吉さんを観たインド人が日本の軍人そのものだと感じたという話と併せて、(いまの日本人である)自分と話しても殆どコミュニケーションが取れなかったと言っていたことがとても興味深かった。

 また、『花と兵隊』を観ていたときに「花」というのは天皇のことだったのか、と思ったのだが、監督トークでは、未帰還日本兵を支えた妻のことだという話があった。本人がそう言ってるから仕方ないのだが、僕は上述のベネディクトの著作『菊と刀』の置き換えのように思える『花と兵隊』のほうが本当ではないかという気がしてならない。

 戦死病死餓死によらず生存しての未帰還兵が総勢で何人いたのか知らない。僕のなかでは、やはり昨年亡くなった小野田元少尉の存在が突出しているが、本作のいずれの未帰還兵の話を聞いても、その苦難が偲ばれ、松林監督言うところの妻の支えを得て、タフに生き伸びてきたことに敬意を覚えた。家族を得ることの幸いが身に沁みてくるような作品だった気がする。
by ヤマ

'15. 7. 4. あたご劇場



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