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『相馬看花 -第一部 奪われた土地の記憶-』['11] 『祭の馬』['13] | |||||
監督 松林要樹 | |||||
高知県立大学哲学・倫理学研究室のメンバーによって構成されているシネマ・フィロソフィア 3.11 の第7回上映会は、第1回上映会でも上映した『相馬看花 -第一部 奪われた土地の記憶-』(監督 松林要樹)と、その第二部に当たる『祭の馬』(監督 松林要樹)だった。映画作品そのもの以上に、この2作の上映に合わせて発刊したパンフレットで“表現”としてのドキュメントについて考えていることが目を惹いた。 一年余り前の第1回上映会での『相馬看花』第1部を観逃していた僕としては、ちょうど好都合だったわけだが、故あって第2部『祭の馬』から先に観た。今回の被災では、今までになく、牛やペットの犬猫を中心に動物の被災問題に光が当たっていたような気がするが、『祭の馬』の“徹底的に馬に焦点を当てた捉え方”には、いささか意表を突かれたような気がしていた。 ところが、第1部を観てみると、その最後に出てきていた“相馬野馬追”を受けての第2部だったことが判り、ほとんど馬の登場しなかった第1部で捉えられていた生死の分れた被災者の姿や、非日常が日常となった被災者の“生き様と言うよりも生き延び様のようなもの”を第2部の馬たちがシンボリックに体現していることに驚かされ、それによって、第2部の最後に出て来た“去勢”の触発してくるイメージの豊かさに恐れ入った。 第1部と第2部とでは、まるでタッチが異なる作品ながら、アプローチは全く同じとも言え、しかも個々に観ることと合わせ観ることで映り方が異なってくるというわけだ。つくづく“表現”というものの奥深さというか、豊かさというものに思いを馳せさせられた。 そのうえで、パンフレットの中段に掲げられていたのが、いま世界を騒然とさせている「シャルリー・エブド」問題にも通底する「『美味しんぼ』問題から考える表現の自由」を巡る対話であり、その前段には、シネマ・フィロソフィア 3.11 が上映した本作の松林監督、『遺言』の豊田監督、『フタバから遠く離れて』の舩橋監督という、それぞれ昭和50年代、昭和30年代、昭和40年代生まれの監督への4つの同じ問い掛けに対する回答が掲載されていたから、なおさら興味深いものとなっていた。 4つの同じ問は、Ⅰ:カメラを向ける倫理、Ⅱ:ドキュメンタリー映画における真実性について、Ⅲ:ドキュメンタリー映画における物語性、Ⅳ:映画を作った動機、来場された方へ となっていて、各監督が真摯な回答を寄せていて興味深く読んだ。 J.S.ミルの『自由論』を援用しての表現の自由についての考察については、大学生としてもっと深掘りしてもらいたくは思ったが、企画としては、実に好もしくまたタイムリーだと感心した。 | |||||
by ヤマ '15. 1.16. 県民文化ホール・グリーン | |||||
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