『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(The Imitation Game)
監督 モルテン・ティルドゥム


 ナチスドイツの使ったエニグマという暗号機には聞覚えがあったものの、アラン・チューリングという“人工知能の父”とも呼ばれているらしいイギリスの天才数学者については何も知らなかったので、国家権力というものの酷薄さのことを含め、大いに感じ入るところのある作品だった。とりわけ、精神病患者へのロボトミー手術と双璧を為すような、同性愛者への強制ホルモン接種などという驚くべき非人道的な施術が行われていたことが衝撃的だった。

 異端者、異分子と見做されると、ある種、正義の装いの元にとんでもないことをしでかすのは、中世の魔女裁判のみならず、人間社会の根底に巣食っている病理だという気がする。「暴力的にふるまうと気持ちよくなるのが人間なんだ」などという恐るべき言葉がアラン・チューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)の口から一度ならず繰り返される本作は、“普通でない突出を抱えた者の悲劇”の様相を描き出していたように思うが、同調圧力が高まり、KYが疎まれ、世の中の不寛容が更新されつつある今、アランの悲劇を決して昔の出来事とはできなくなっているような気がした。

 MI6のミンギス(マーク・ストロング)にエニグマ解読のあと抱いた不審感から、アランにすれば不本意とも思える婚約解消を持ち出してまで守ろうとしたジョーン・クラーク(キーラ・ナイトレイ)との関係は、もし機密保持のための国家命令としてチームの解散が求められなければ、続いていたのだろうか。およそ駆け引きとか装いとかには疎いアランが、彼女から平手打ちを食らう挑発をするほどに懸命だったことが印象深かっただけに、アランが1954年に享年41歳で自殺により没したとクレジットされていたことに関して、アランが8分掛かるパズルを5分40秒で解いた彼女との再会が及ぼした影響というものがあったのかどうか気になった。史実はともかく、本作の作り手たちが敬意を払いつつ美化を排して誠実に描き出していた人物像における心象はいかばかりであったのかとついつい思いを巡らせた。

 戦後その功績が秘匿されチームが解散しても、一応アランはそれなりの公職か教職には就いていたようだが、クリストファーしか友達のいなかった十代同様に、仲間と呼べるものはなく、孤独な生を過ごしていたようだ。孤独というやつはホントにいけないと、改めて思った。

 ベネディクト・カンバーバッチがなかなかの好演で、8月の家族たちで演じたリトル・チャールズに、それでも夜は明けるで演じたフォードを足し合わせた感じで、まさに嵌まり役だったように思う。不遜と不安を併せ持ち、情に囚われないというか情状を酌量する力が余り備わっていないパーソナリティをそれが地であるかのように的確に演じていたような気がする。





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by ヤマ

'15. 5.14. TOHOシネマズ4



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