『彼とわたしの漂流日記』(Castaway On The Moon)
監督 イ・ヘジュン


 英題の“月への漂流”というのは、高2で中途退学している若い娘(チョン・リョウォン)の三年間の引き籠りのことを指しているのだろうが、借金返済がままならなくなり途方に暮れて投身自殺を図ったサラリーマンのキム(チョン・ジェヨン)が都会の真ん中で見舞われた物理的に断絶される漂流との対照と交感によって、彼女が引き籠ってネット上のバーチャルな自己実現と月面観察に明け暮れている生活が、まさしく“魂の漂流”であることを感得させるように描き出していた気がする。

 キムの流された漢江のパム島が、注文次第ではジャージャー麺の出前が届けられもする街なかの大河川の無人島であるように、彼女の漂流も都会のなかの無人島だったからこそ、彼女は、キムの発したHELPの文字がHELLOに変化したことに感応したのだろう。そして、漂流なればこそ、そのなかでの孤独死もある一方で“奇跡の生還”も必ず起こり得るわけだ。

 目の前に大都会の高層ビルを眺め、遊覧船の乗客と手を振り合うことはできても、泳げない身の上では脱出の叶わない無人島であることやそこで孤独に苛まれつつも何処か安心できる落ち着きのよさを得て生き延びていることの奇妙と滑稽の描出がそのまま引き籠りのアナロジーになっているところが秀逸で、主演のチョン・ジェヨンが通じているだけで、監督・脚本とも違うけれども、四年前に観たトンマッコルへようこそを髣髴させる不思議な感じがなかなか興味深い作品だった。そして、人生における苦難からの救いの鍵についての想いを促してくれる佳作だったように思う。

 ジャージャー麺は僕の“希望”だからと彼女からの差し入れを断ったキムが、苦労して作り上げた手製のジャージャー麺を涙しながら食べるシーンが素敵だった。無人島を追われて再び63ビルを目指すキムには少し違和感を覚えたが、居場所を追われるというのは、そういうことなのかもしれないなと思わぬでもない。少なくとも彼女は、そのことを感知したからこそ、一般人立入禁止の鳥獣保護区のパム島を追い出されたキムを追い探したのだろう。

 そしてそれは、彼女にとってキムの存在が、無人島における彼にとってのジャージャー麺と同様のものになっていたからに他ならないのだろう。キムが好物とさえ自覚できないほどに馴染んでいたジャージャー麺を与えられるばかりで自ら作り上げることが無人島に来るまでなかったように、彼女は人との関係について、与えられるものを受け取るばかりで自らの手で作ろうとすることがなかったのかもしれない。キムから問い掛けられた「WHO ARE YOU」に応えられないでいた彼女が重ねられた「WHY」に対して、遂には昼間に外に出るばかりかバスを駆け足で追ってまでして名乗りを果たしたのは、そういうことだった気がしてならない。そして、それこそが“魂の漂流”からの生還の鍵となるものだということなのだろう。卓抜したアイデアのストーリーだったように思う。
by ヤマ

'11. 1. 3. あたご劇場



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