『休暇』
監督 門井肇


 裁判員制度の導入によって一般人にとっても他人事ではなくなってきたからか、一時期の扇情的な厳罰化を求める傾向が少し影を潜めているような気がしている。先進国では殆どなくなっているらしい死刑制度の是非については、裁判員制度問題を機に問い直そうとする動きもあったが、鳩山現総務相が法務相だった時分に連発した死刑執行がむしろ機先を制した形で、この問題についての論議が高まることなく、世の中は雇用と経済の問題一辺倒になっている。そんななか、死刑を課し、執行するとは、どういうことなのかを問い掛ける映画が現れてきたのは、とても意義深いことで、そこのところがどのように掘り下げられているかが、今回の僕の一番の注目どころだ。
 裁判員どころではない。直接、死刑執行補佐を務める刑務官の物語だ。元刑務官がアドバイザーに加わっているとのことで、真実味が備わっていることが期待される。死刑が確定した後の死刑囚の様子を最もよく知るはずの刑務官は、裁判官ではないから量刑自体に対する判断を下す立場になく、法務大臣ではないから執行判断をする立場にもないと思うのだが、されば、法務大臣は何に基づいて刑の執行を判断しているのだろう。そんな僕の疑問に応えてくれる場面があるようには思えない映画なのだが、死刑という刑罰について思いを新たにするだけの何かを触発してくれる作品になっているのは、間違いないという気がする。都会に住む信頼できる映画好きの友人がおくりびとを追いやって、昨年観た日本映画の第1位に選出していた作品だ。万難を排して観ようと決めている。
と鑑賞前に上映会主催者からの求めに応じて寄稿していた作品だ。商業メディアが刑務官に目を向けるのは、常に虐待とかいった不祥事に対してであって、彼らの職務そのものではない。だから、この作品において描かれていた刑務官の日常が、“三年半ぶりの死刑執行”という彼らにとっての非日常を中心に置きながらも、決してぶれることなく“日常を見つめる視線”で捉えられていることに感心させられた。

 だが、僕が特に感銘を受けた視線は、刑務官平井透(小林薫)と再婚した美香(大塚寧々)の連れ子達哉に向けられていた眼差しだった。同僚上司の顰蹙を買いながらも結婚式の翌日に死刑執行の支え役を務めることによって一週間の特別休暇を得ることで、新婚旅行に充てた子連れの温泉旅行に出掛けるわけだが、母の再婚によって新しくできた父親なる男に対する距離感をどう取るかにおいて、母親を意識して“母に先んじて懐くこと”を注意深く避けつつ、且つ新しい父親に嫌われてはしまわないよう絶妙のポジション取りをしながら、徐に接近していっている姿の捉え方が見事だと思った。だからこそ、達哉の夜尿が、父ではない男と母の大人二人の男女の間に挟まれて寝る緊張感が招いたものであることがよく伝わってきたし、眠れぬ夜を椅子に凭れて明かした透が、そんな達哉を慮って夜尿に対して静かに抱き締め「ごめんな」と囁いた言葉が沁みてくると同時に、彼がそのように少年の気持ちを汲み取った態度を取ることができたのは、まさしく彼が新妻に告げられないような尋常ならざる形での休暇取得で以って新婚旅行に充てたことで、普段以上に内省的な心的状態にあったからだという気がしたのだろう。

 そして、自分が布団のなかで目を閉じている間の息子への対応の仕方に、初婚の夫の本気と誠実を感じ取り、それまで、表現に乏しい男の心境を量りがたく感じてきていたことの窺える美香のなかで、自分のほうが積極的に選び進めてきた再婚の誤りのなさへの確信を得たことに力づけられて、自分のほうがリードし続けないと「待ち」では進展しない透との関係に対して踏み出す意思を固めることができたように思う。だから、翌宵は、達哉とは布団を並べない寝間支度をしたわけだが、母からそれを告げられたときの達哉の開放感と安堵感の描出がなかなか効いていたように思う。

 結局、達哉の透に対する馴染めなさの表出というものは、言葉では新家族三人のなかで誰よりも積極的でありながら、オーラ的にはむしろ最も構えと無理が先立っていたと思しき美香のもたらしていたものだったような気がする。息子の布団を別の間に移した寝床のなかで「前の夫のことを何も訊かないし、私たちを一度も名前で呼んでくれない」と零した美香の恨み言に対し、安っぽい馴れ馴れしさよりも慎重な気遣いが必要だと感じていたであろう透の覚えた心外感が巧みに捉えられていたが、大人の男女には子どもの持っていない秘策というものがあって、二人だけの床を並べても自分から手を出してはこない夫の掌を取って美香が自分の胸の膨らみに押し当てることから始められる急速な進展が可能だ。翌朝になって、達也の視座からすれば、前夜から一晩の延長線上では測りがたいほどの接近を遂げていることに、少々面食らいつつも緊張からの開放に喜んでいる少年の面持ちが的確に捉えられていた気がする。

 少々疑問に感じたのは、刑務官は公務員なのだから、今の時代の話であれば、何も絞首刑の支え役を買って出なくても、普通に結婚休暇は与えられるのではないかということだった。吉村昭の原作を少し調べてみたら、昭和49年の短編集に収録されている作品のようだが、その時点での同時代という設定だったのだろうか。




参照テクスト:掲示板談義編集採録



推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20080610
推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0906_1.html
推薦テクスト:「北京波さんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=846236081&owner_id=1144031
推薦テクスト:「大倉さんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=836704015&owner_id=1471688
by ヤマ

'09. 3.14. 自由民権記念館・民権ホール



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