『下妻物語』をめぐって
飽きっぽい女のブログトライアスロン実験」:タンミノワさん
TAOさん
ヤマ(管理人)


  No.4542から(2004/06/11 11:46)

(TAOさん)
 ヤマさん、こんにちは。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、TAOさん。

(TAOさん)
 『下妻物語』、痛快な映画でしたねー。

ヤマ(管理人)
 思い掛けなく、やややって感じでした(笑)。

(TAOさん)
 広告出身の監督さんだからか、邦画では珍しい乾いたタッチが私のツボでした。

ヤマ(管理人)
 そう、そう、ドライでしたよね。特に回想物語の部分なんて、従前ならいかにもウェットになりそうなシチュエイションですからね。

(TAOさん)
 桃子が宙に浮かぶシーンなんてギャグみたいですけど、心理学的に見れば解離現象でしょう?

ヤマ(管理人)
 なるほどね、そう読みましたか。単なる漫画ってことじゃないわけだ。空を飛ぶことへの憧れとか、変身願望などの欲求というものは、現実から解き放たれ、離れたい心理の反映ですものね。

(TAOさん)
 ええ、そうだと思いますねえ。
 桃子が両親の離婚に当たって父親を選んだ理由を「そのほうが面白そうだったから」とサラッと言いますが、これも、関西人的サバイバル本能に加えて、この年頃の子供ならではの直感の強さで、これ以上母親に振り回されることを拒否するためだった気がします。

ヤマ(管理人)
 母対娘の葛藤って根深いんですね〜(笑)。父親といたほうが面白そうってのにしても、あの両親はともに面白いキャラでしたが、僕には後にビューティコンクールに出ちゃったってな母親のほうがキャラ的には面白いような気もします(笑)。でも、篠原も宮迫も生き生きしてましたね。

(TAOさん)
 もちろん父親とも距離を置くために、桃子は、ロココの要塞を築き上げ、ひとりで閉じこもるんですよね。
 これ、私にも覚えがありますよ。ロココではありませんが、中学から高校にかけて、プログレとグラムロック、少女漫画、戦前の探偵小説…ずいぶんと「お耽美」(笑)な要塞を築くことに夢中で、自分のなかではやたら充実した毎日を送っていました。

ヤマ(管理人)
 なるほど。その日々があっての今がおありのようで(納得)。

(TAOさん)
 ヤマさんじゃないけど、受験なんかよりそっちのほうがはるかに大事だと思ったし、その判断は今でもまちがってなかったと確信しますねえ(笑)。

ヤマ(管理人)
 こういう肯定感というか納得感って、とっても貴重な財産ですよね。

(TAOさん)
 ですから、桃子が宙に浮かぶシーンに端的に描かれた“意識を現実から解離させる反応”は、ほんとに自我を守るために起こるんだなあと実感しました。

ヤマ(管理人)
 このレベルにあるのは、生き延びるための切実な手立ての一つなわけで、もう願望の域を越えてるんですよね。その手立てのスタイルが、普通に容認されている領域を外れちゃうとけっこう難儀な思いをさせられたりもしつつ、切実なるが故にやめられなくて、非常に苦しい状況になってきたりするものなんでしょうね。


-------桃子のファッション-------

(TAOさん)
 ヤマさんはロリータファッションを初めてつぶさにご覧になったんですねえ。そりゃ驚いたでしょう(笑)。私も90年代半ばあたりかなあ、ビジュアル系バンドの台頭と共に、原宿あたりにあの手のファッションの女の子を見たときは、仰天しましたねえ。
 そのときはゴシックロリータと言って、黒のフリフリだったのですが。その後、和装も含めてさまざまに分化したようですね。

ヤマ(管理人)
 「ゴシックロリータの黒のフリフリ」とかは知らぬでもなかったのですが、あのロココ精神というのには、すっかりやられましたね(笑)。

(TAOさん)
 舞台が茨城県下妻ってところがまたね(笑)。それに、前世ではマリー・アントワネットだったなんて発言もあった深キョンのキャラを最大限に生かしてましたねえ。

ヤマ(管理人)
 そうそう。これにはホント、感心ものでしたよ。

(TAOさん)
 とにかくあのロリータファッションというのは、異性を意識したブリッ子文化とはちがって、男性の視線などはなから無視したところで、自己充足的なかわいらしさをナルシスティックに追求するものなので、

ヤマ(管理人)
 ここんとこ重要ですよね。
 桃子の自己完結的な世界観がイチゴとの関わりで一皮剥けるとこが妙に爽快でした。

(TAOさん)
 ヤマさんのいう「男前な女の友情」物語にはかぎりなくふさわしいのかもしれません。

ヤマ(管理人)
 依存型との訣別という点でね。

(TAOさん)
 ロリータとは微妙に違うんですけど、秋葉原にはメイド喫茶というのが何軒もあって、かわいいメイドの格好をした女の子のバイトを男性のお客が鑑賞するんですって。

ヤマ(管理人)
 それは知りませんでしたよ。むかし流行ったノーパン喫茶というのとは「女の子のナルシスティックなコスプレ願望」の充足という点で大きく違ってますね。見られる視線抜きでの話ということになりますから。

(TAOさん)
 この場合は、女の子のナルシスティックなコスプレ願望に加えて、異性に見られることによる満足もあるでしょうし、もちろんお客さんにとっても楽しいわけで、すごい商売を考えたものだなあと感心してます。

ヤマ(管理人)
 異性に見られることによる満足ってとこは、むかしのバイト嬢たちはどうだったのかな(笑)。

(TAOさん)
 もちろんあったでしょうねえ。ただ失うものも多かったでしょうけど。ある種の男の人って、自分も行くくせに、そういうところで働く女はキライ、みたいな恩知らずなことを平気で言うじゃないですか(笑)。

ヤマ(管理人)
 そういうふうに言う男にも、そういうところで働いたことがあるという女性にも、生身では会ったことがないのですが、恩知らず発言者というのは、いそうにも思いますね。でも、本音でキライなのかな? そうじゃないような気もするんだけど(笑)。キライだったら行かないですよ、やっぱ。

(TAOさん)
 「本音では好きな自分」がいやなんでしょうよ(笑)。だから、自分の代わりに女を見下すんでしょう。

ヤマ(管理人)
 それって、サイテーじゃないですか(笑)。

(TAOさん)
 メイド喫茶の場合には、そういう矛盾がなさそうだし、見る人と見られる人が距離を置いて別々に楽しんでそうな気がします。


-------女の子のヤンキー的物言い-------

(TAOさん)
 おっと脱線。ヤマさんが抵抗を感じたヤンキー的物言いなんですけど、たぶん、女の子への理想が崩れるからなんていう問題ではないですよね(笑)。

ヤマ(管理人)
 少し入っているかもしれませんが(苦笑)、女男に限らず、脅しや凄みってのが僕は生理的に嫌いなんですよね。むかし以上にその傾向が強まってきていて、近頃はヤクザものやチンピラものが気に食わなくてしょうがない(笑)。

(TAOさん)
 ははあ、それもわかりますねえ。私はこの映画ではさほど気になりませんでしたが、現実の場面で遭遇すると、とても気になるたちです。妹が若い頃、荒れまくって、対抗上、母も人が変わったようになったりしたので、体験的に感じたのは、たぶんああいう言葉というのは、相手への威嚇になると同時に、口にした本人をも傷つけてしまうんではないかと。その痛みが伝わるので、傍観者としても居心地がわるいんです。例の佐世保の事件の続報を聞いていても、痛ましい気がします。これは、女性にかぎらず、男性でも同様でしょう。

ヤマ(管理人)
 おっしゃるとおりですが、女性の場合、よけいにヤですね(苦笑)。
 それに「痛み」なら、まだしもですが、どうも強さやかっこよさと勘違いしている部分が昔より癇に障るんですよ。

(TAOさん)
 映画の作り手がそうだとアホかと思いますねえ(笑)。現実にやってるぶんにはむしろ哀れな気がしますけどねえ。

ヤマ(管理人)
 ですよねー。

(TAOさん)
 なかにはチンピラのかっこわるさや哀れさを確信的に自己陶酔してるような映画もあって、あれもやだなあ(苦笑)。

ヤマ(管理人)
 ナル系っていうのは、どのジャンルであれ、僕も苦手ですね(笑)。

(TAOさん)
 金子正次くらいにオレ様度が強いと感動してしまうんですが(笑)。また、ある種のプロの場合は、形式をなぞることで言葉の毒を緩和できている気がします。

ヤマ(管理人)
 あ、これが近頃のヤクザものやチンピラものでは、できてないのかも(苦笑)。

(TAOさん)
 素人が下手に口にしたり、文章にしたりすると、もろに毒にやられてしまう気がしますね。

ヤマ(管理人)
 昨今のヤクザ映画について、僕はこれに近い感じを受け取っているのかもしれませんね。


-------男前な友情-------

(タンミノワさん)
 ヤマさん こんにちわ。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、タンミノワさん。

(タンミノワさん)
 いろいろと拝読しました。

ヤマ(管理人)
 ありがとうございます(深々)。

(タンミノワさん)
 『下妻物語』は、意外に力のある作品なんですね〜。

ヤマ(管理人)
 そうなんですよ〜、ほんっと意外と(笑)。

(タンミノワさん)
 私もロリロリファッションに恐怖を覚える方なんですが「男前な友情」ってのは共感を覚えるとともに、それってことはやはり「友情」てのはそもそも男の専売特許なのかなあ、などと思ったりしました。

ヤマ(管理人)
 いや、男で成立しなくなってるから、こういう作品ができたんじゃないですかねぇ(苦笑)。

(タンミノワさん)
 でも、もともと「友情=男同士の」っていう定型があるので「男前の友情」って言葉も成り立ちますよね。友情といえば、男同士のモノ、みたいな。女同士の友情ってあまり、聞かないですもんね。絆、という言われ方はするかもしれませんが。

ヤマ(管理人)
 っていうか、友情にも癒しとか受け止めとか、いろいろあるなかで、男前ってのは、言わば侠気のような男気のことを言ってるように思いますよ。でもって、友情=男気ってわけでもないように僕は思うのですが、やたらと友情にこだわりたがるのが男に多いって傾向はありましたね。今はそれもどうなんだろうって気もしますが(笑)。
by ヤマ(編集採録)



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―