KATOAYUの全国鮎友釣漫遊記

プロフィール


■性別:男
■血液型:A
■住所:静岡県藤枝市、2002〜2009年は転勤の為茨城県牛久市に7年間在住
■趣味:魚釣、温泉、以前は登山もよく行ったが、最近は体力の衰えで中断
■釣歴:約50年、鮎釣歴 約30年(友釣歴25年)
■ホームグランド:安倍川水系 藁科川、茨城県在住時は久慈川、那珂川へ

■マイブーム:鮎シーズンオフのアオリイカエギング


鮎友釣に魅せられたきっかけ

 私の鮎友釣りは父親の遺伝ではないかと思っています。自営業であった父親は鮎釣シーズンになると岐阜、長野を始め中部地方の有名な河川を釣り歩いていたそうです。商売を母親に任せて1〜2週間家を空けることはよくあり、帰ってくると大きな鮎が食卓にのぼる事がよくありました。鮎が食べられる事自体は嬉しかったのですが、それ程裕福な家庭ではなかったので母親が苦労しているのを見ていて、子供心に鮎釣にはよい印象を持っていませんでした。又母親の魚嫌いもこれが原因ではなかったのかと今でも思っています。
 私自身は魚釣りは既に小学生の時に友達と名古屋市近郊の池、川で鮒、ハヤ等を釣っていた覚えがあり、その後中学生の時に数回父親と海釣に一緒に行った事は覚えいいますが、鮎釣自体は一度も釣れて行ってもらったことはありませんでした。高校、大学時代にも時々は海、川釣を楽しんでいましたが、それ程のめり込む程ではなく、本格的に釣をする様になったのは、静岡へ就職してからです。静岡は海、川が近くにあり、色々な釣が楽しめます。静岡市近郊の丸子川でハヤ釣をしていると傍で釣りをしていた子供達が「おじさん、何を釣っているの?」と聞いてくるので、「ハヤだよ。」と答えると、「鮎が釣れるのに、何故釣らないの。」と言うのです。その時はこんな小川で鮎が釣れ、しかも餌で釣れるとは思ってもなく、よく見ると茹でシラスで子鮎を次々と釣っていました。私は鮎釣と言えば父親がやっていた友釣りしか頭になく、こんな手軽に鮎釣りが楽しめるのかと感心し、鮎の餌釣りを始めたのが、私の鮎釣との出会いです。その後、安倍川下流での餌釣り、毛バリの流し釣りを経て、毛バリを使った石川釣で鮎釣を楽しんでいましたが、子供の時の記憶から「友釣り」だけには手を出さないと心に決めていました。
 ところがある日、安倍川下流の深瀬で朝から鮎の餌釣りをしていたのですが、この日は川は完全に澄み、苔の付き具合が良く、餌釣りには全く不向きな日で、昼までやっても子鮎が数匹の釣果でした。周りのテトラポットや大石には型の良い鮎がギラギラと苔を食み、近くに来る鮎を追っ払っているのが見えましたが、餌には見向きもしません。何とかあの見えている鮎を釣りたいと言う釣人の闘争心が子供の頃からの決心を簡単に覆しました。当然この辺りは餌釣り区域ですから友釣りの人は殆ど居ませんので早速近所の釣具店に行き、鼻環と掛針を購入し、餌釣りに使用していた4.5mの渓流竿と道糸0.6号の先に結び、鮎釣本で見たのを思い出しながら、餌釣りで釣れた小さな鮎を鼻環に付け、テトラに付いている鮎の近くに泳がすと(泳がすと言うよりテトラの上から落とし込む感じ)、直ぐに縄張り鮎が簡単に釣れました。しかも餌釣りではなかなか釣れない大きさの18cm級です。釣れた鮎を囮にすると数十メートルのテトラや周りの大石に着いていた鮎が次々と釣れ、鮎の友釣りを本格的に初めてからも経験したことのない様な入れ掛かりでした。夕方に帰る頃には全て18〜20cmの30匹近い鮎で魚籠が一杯でした。
 こんな嘘みたいな出来事が私を鮎友釣りにのめり込ませる事となったのです。こんなに簡単にしかも型の良い鮎ばかりがたくさん釣れる友釣りの面白さを知ってしまい、次の週末には本格的な友釣り道具を揃えて釣行に行く始末でした。それ以来、この禁断の経験を再び味会う事を夢見つつも、流石にサラリーマンでしたので仕事第一に土日釣行だけ、偶には有給休暇を使って解禁日に鮎友釣りに通っていました。
 それも昨年に定年で退職を迎え、長年の頑張って働いてきたご褒美として、鮎シーズンには友釣りに、オフシーズンは近郊の海でその時期に釣れる魚を釣って楽しみたいと思います。特に鮎釣に関しては念願の平日釣行に精を出し、全国の鮎友釣りで有名な河川に通いたいと思っています。私の腕ではそれ程釣果は期待できませんので、釣果はあまり気にせず、人との出会い、自然を楽しみたいと思います。