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同窓生の独り言 |
■同窓生の皆さんの独り言コーナーです |
■2014/03/29【長澤和枝】 | ■2013/06/12【佐藤 力】 |
■2012/11/14【奥山欣哉】 | ■2012/04/22【村岡幸弘】 |
■2011/09/07【奥山欣哉】 | ■2010/06/24【佐藤力】 |
■2010/06/12【武吉敏子】 | ■2009/12/06【田村俊彦】 |
■2009/11/03【奥山欣哉】 | ■2009/10/25【本間直光】 |
■2009/11/03【奥山欣哉】 | ■2009/08/16【佐藤誠(油戸)】 |
■2009/07/24【田村俊彦】 | ■2009/06/01【奥山欣哉】 |
「浅草寺の枝垂桜」(長澤和枝)2014.03.29
長澤和枝です。ひと足早く花見に行って来ました。
都内で一番好きな桜の名所は千鳥ヶ淵ですが、昨年行ったばかりなので
今年は事前に浅草寺の枝垂桜が、もうすぐ満開という情報を入手していたことも
あって、浅草方面に行って来ました。
ついでと言っては何ですが、初めてスカイツリーの展望台からの眺めを観てきました。
あいにく春霞で富士山や遠くの山々は見えませんでしたが、お天気が良かったので
東京の街並みを遠くまで望むことができました。
隅田川公園のソメイヨシノは、まだ2分咲きといったところでしたが、日当たりの良い場所では満開になっている樹もありました。もうシートを敷いてお弁当を広げている人達もいましたよ。
浅草寺の特別展示館と庭園では枝垂桜が丁度満開で、とても綺麗でした。
初めて訪れたのですが、人ごみの仲見世通りとは別世界の、静かで「知る人ぞ知る」
穴場といったところでしょうか。回遊式になっていて、ゆっくり散策できますよ。
仲見世通りや浅草寺境内は中国人観光客が大勢いて、以前の賑わいが戻ってきたようでほっとしました。
これから各地で次々に桜が満開になることでしょう。
寒い寒い冬でも確実に春は訪れるものなのですね。
皆さんもお花見を楽しんでください。
(写真クリックで拡大)
<管理人>
和枝さんの投稿が最終となってしまいましたが、満開の”枝垂れ桜”が最後の華を飾ってくれて嬉しいですね。今年は見られなかったけれど
来年には見に行こうと思ってます。ありがとう!
尾瀬一人旅(佐藤力)2013.06.12
先日、6月4日に、尾瀬ヶ原の水芭蕉を訪ねて来ました。
(写真クリックで拡大)●左⇒右、左⇒右、左の順です
<管理人>
久しぶりの独り言、ありがとうございます。超大作なので掲載の仕方を試行錯誤して、掲載が遅くなってしまいました。ごめん。しかしながら、力さんの行動力には感心
させられます。原発問題での仕事のうっぷんを吹き飛ばす勢いですね。還暦時代万歳・・・・!
これからも投稿宜しくお願いします。
「27年前にタイムスリップ」(奥山欣哉)2011.11.14
先日の平日に,つくばエキスポセンター内のプラネタリュームを見に行って来ました。
なんでも世界最大級のプラネタリュームということなので、ついつられて行ったような次第です。
もっとも,興味があるのは私ではなく,妻の方なんですが、私はというと,場内が暗く物静かなのにかまけて,
ついウトウトと宇宙を船出している感じでいい気持でした。プラネタリュームは地球から宇宙を見たものですが,今度は世界で初めての宇宙
体感ツアーが楽しめるスペースボールが出来たというので,是非ともこちらは見たいと思い,早速,年末分のチケットをゲットしました。
当時博覧会の建設中の時に来たことはあったのですが,その面影は思い出しても出て来ないくらい変わっていました。今では,電車
の「つくばTX」が出来,きれいな街並みで国の文教施設も数多く,いい街の雰囲気でした。もっとも,私には似つかわしいとは思いませんが。
紅葉には少し早かったのですが,たまの夫婦二人での慎ましいお出かけでした。
(写真クリックで拡大)
<管理人>
筑波と言えば、筑波万博の時にお客さんを連れて、当社のブースを案内した時以来行ってないなぁ・・・。筑波にあるプラネタリュームが有名なのは知っていましたが
、あそこまで足を運ぶとなると、よほどの決心がいるんだよな・・・。久々の投稿、ありがとう。今度は私と一緒に行きましょう・・・・。”つくば”だけに竹馬の友と・・・。なんちゃって!
上記掲載写真の左は欣哉さん撮影ですが、右側はWebから拝借して掲載しました。
懲りずに、これからも投稿宜しくお願いしますよ・・。
「地元も頑張ってるぞ!」(村岡幸弘)2012.4.22
ご無沙汰し ております、村岡です。
一般公開向けの文章なので硬くなりごめん。
先月、木曜フォーラム実行委員会と(財)庄内地域産業振興センター共催で講演をお願いした、早稲田大学の遠藤功教授がレギュラーを勤めておられる
NHKラジオあさいちばん「ビジネス展望」で加茂水族館と村上館長の話が紹介されました。
★話の概要 ★
古くて、小さくて、交通の便も悪いところにある*水族館にもかかわらず、クラゲ展示数世界一でギネス認定されたり、開館以来の入場者数も、新記録を達成できたことを紹介して、
それができた理由として
1)他との差別化戦略徹底
2)サンゴ から出てきたクラゲを見つけ育て展示数を増やしていった現場力
3)仕事の自由度
(創造力は 自由から生まれるので、現場を信頼し、管理は必要最小限とすべき)
の3つであると話されていました。
*先生の話が伝わりやすいように書かせてもらいましたので、水族館関係者の方にはこのような表現をお詫びいたします。
一部の方に は、ご連絡差し上げていましたが、実は、先月のご講演の翌日、先生の「地元の現場力がある企業をみたい」とのご希望にこたえて、
1)ルネサス山形セミコンダクタ
2)加茂水 族館
の2か所を ご案内した所、いずれも事の他喜んでいただけたようでした。
空港への車の中で、リップサービスもだいぶあったのかとは思いましたが、先生には「初来鶴で したが鶴岡に大変ユニークで現場力のある企業や経営者
の多い事に驚きました。」「最近の地方出張では久しぶりに感動しました!」
とまで言っ ていただけました。
■現場通信vol.104鶴岡探訪 2012.03.19
vol.104はここをクリック!
■現場通信vol.105イントロダクション合宿の最後にある「今週の出会い」マッチオコシ2012.03.26
vol.105はここをクリック!
他にも
1)知り合いの出版社を紹介するので加茂水族館の本をDVD付で出版したらどうかとか、
2)機会があれば加茂水族館の事例を他でも紹介したいとか、
3)早稲田の学生を連れて鶴岡を再訪したい
という話までありました。
今回、その 一つが本当に実現したことになります。
本日先生のホームページを見たら、村上館長と遠藤先生の交流はその後も熱く続いている ようでした。
そこにもまた加茂水族館と村上館長との交流の話が載っていましたので下記します。
(時間がたつとバックナンバーに移動するようでしたのでご注意ください)
■現場通信vol.108村上館長からのお手紙2012.04.16
vol.108はここをクリック!
蛇足ですが、遠藤先生は、手紙と一緒にギネス認定記念の花を加茂水族館に送られたそうです。
このような心温まる交流のきっかけをつくらせていただいたものとしても大変嬉しく思うとともに、
ご支援・ご協力いただいた地元の企業経営者の皆様や加茂水族館の皆様、案内を手伝っていただいた市役所関係者
に心より御礼申し上げる次第です。
鶴岡市や地元企業、加茂水族館の宣伝になる情報と思いますので、本情報をお知り合いの方にもご紹介いただければ
幸いです。
<管理人>
幸弘、久しぶりです。地元の産業発展・活性化のために頑張ってますねぇ。去年、私も寄らせてもらったのですが「庄内地域産業振興センター」は
庄内の産業発展のために色々な支援活動をやっていることを知りました。我々も微力ながらお役にたてる事がないものだろうかね・・。
ちなみに、幸弘がいる(財)庄内地域産業振興センターもクリックしてみて下さい。
「・・・乗り遅れた一コマ」(奥山欣哉)2011.9.7
過日,25分の1の旅行をして来ました。
その時はまだ,世の中が震災の影響で自粛ムードだったので,投稿するにはぴったりの時期でしたが,いつ投稿しようか思案していて、自粛というか、忘れというか、
今はその自粛にも乗り遅れた感じで,ただの間伸びした,的を得ない「独り言」になってしまいました。(私らしいかな)
しかし,25分の1と云いながら,どれも作品は精工に作られていて,結構見どころもありました。それが,世界遺産の建物であれば尚更でした。
しかも、世界1周がたったの2時間くらいでした。(それって何だいってか?)また、日数も費用は25分の1以下でした。(自粛旅行には持って来いでした)
その建物の中に,鶴岡の「田麦俣の多層民家」があり驚きでした。その驚きが覚めやらぬ間に投稿をしたかったのですが、前述のごとくです。
写真を撮って来たのですが,自粛続きで頭脳まで自粛してしまって,どこに行ってしまたやらで,掲載が出来ません。(私らしいってかい?)
25倍して,本物を見られるのは,果たしていつのことやら。日数の25倍なら簡単ですが,費用の25倍となると・・・。そうだ!25回行けばいいんだ。
いつになっても,(幾つになってもでした)このアホサ加減のままです。
案欣短の「東武ワールドスクェアー」散策でした。
その後は、日光江戸村で江戸を満喫したというわけです。
可愛いもんでしょう。家族3人の一泊大旅行でした。
<管理人>
久しぶり(一年ぶり)の投稿に感謝しております。25分の1の世界1周でも、家族3人で旅行出来ることが何よりも大切なんだよな・・。
ところで、折角撮影した写真を紛失したとのことでしたので、誰かのHPから拝借して掲載しておきました。これでいいのかな?
これからもどしどし投稿(独り言)おねがいしますよ・・・!私も横着せずにがんばります・・・・。
日本百名山への挑戦(佐藤力)2010.6.24
先日、一彦に「日本百名山の登頂記録」を見せたら、銀鱗HPへの掲載を強いられお言葉に甘え投稿した次第です。
■登ろうとしたきっかけ
何か自分「自身への挑戦」を考えていた時、競技性は無いが簡単には達成出来ない日本百名山登りを思いついた。しかし、自分一人での百名山制覇は絶対に自信があり挑戦には値しないと思い直し、
ならば夫婦で百名山を制覇してみようと挑戦のハードルを高くしてみた。姉さん女房への手厚いサポートや荷物持ち、途中で喧嘩などはしない・・・等々、挑戦に値するには十分なテーマだと思った。
■印象に残った山と理由
やっぱり自分が子供の頃から見ていた「鳥海山」に登頂出来た事が、一番印象に残っています。この時は、20歳になった息子も一緒に登りました。
しかし、それ以来息子は一緒に山登りをしてくれません。
■お勧めの山
「白山」をお勧めします。白山は日本三名山の一つであり、また、私たち湯野浜のお寺の宗派も曹洞宗です。
この本山が白山の近くにある永平寺です。私は永平寺の参拝を済ませてから白山の登頂を行います。
■エピソード
屋久島にある宮之浦岳に登頂した次の日に、往復8時間の行程で縄文杉を見学しました。言葉では言い表せませんが、その偉大さにはすごく感動しました。
<管理人>
一口に「挑戦」・・と言っても、”言うだけ”と”やり遂げる”のとでは大違いで、日本百名山制覇の偉業は誰でも出来るものではないと思いHPへの投稿をせがんだ次第です。
このパワーと優しさが、実業家としての成功に導いたのかも知れませんね・・・。あっぱれ!です。
憧れの人(武吉敏子)2010.6.12
同窓生の皆さん、HP上で行方不明扱いになっていました武吉敏子です。ご無沙汰してます。
今まで隠れていた訳ではないのですが、先日(6/7)、いたずらに携帯で初恋の人(?)を探していたら、この銀鱗44会に出会いました。
なんと、そこには、40年ぶりの懐かしい名前がぎっしり、ただただ感動し瞬時に中学生に戻った思いでした・・・。
実は、初恋の●君の名前を検索していて、この思わぬ発見に巡り合えた訳で、本当に嬉しい限りです。これもきっと●君のお陰と感謝しています。
奥山欣哉くんに卒業の時に書いて頂いた、《元気にすこすこ、のびのびと生きえ》というさりげない言葉は、人生で何度も思い出させて頂いき、私を勇気づけてくれています。
村岡幸弘君に書いて頂いた《人に信頼される人間になろう、それには何事も誠意ですよ》・・・安知君に頂いた《少女よ大志をいだけ!》・・・。
私はそのほか多くの同窓生の卒業サインに、何度も勇気を得ることが出来たのです。本当に感謝しています。
随分前に田舎を離れ、一人、神戸での辛いスタートでしたが、沢山の良い人の中で、貧乏していても精神的に苦労のない幸せな今に至っています。
でもクラスで仲間外れの生徒達に優劣の関係なく接してくれてた●君の姿にずっと憧れていて、片思いですがいまだに何度も心が熱くなります・・・。
そして、今でも遠くから幸せを祈っていたいのです。
50歳を境に体にも変化がでるから、体力的に不安になりますが、みんな頑張ってるから嬉しいです・・・。
まだまだ、まだまだ、これからが一番素晴らしく心を豊かにして生きて行けるんだと思います。
現在は、夫、長男と3人暮らしです。苦労をかけた次男は2月に結婚しました。1日一食を親子で10年以上耐えたおかげで、たくましく優しい男になりました。
いつ、おばあちゃんになるか楽しみです。今の夫ですが18年間の波乱の末にやっと一緒になりました。●君の面影に惹かれて出逢った彼は思った通りの人でした。
私は友達をつくれなくて、個人的に仲良くしてた友人が少ないのですが、乙女時代は睦子さんや和歌子さんに憧れていました。
なぜって、差別なく接してくれてたから、私もそう生きようと憧れてました。美しい、いねさんの強い心や、章子さんの優しい人柄にも憧れていましたよ・・・。
結局、みんなに憧れていたみたいです・・・。
神戸では職場も近所も”トシちゃん”のニッネームで呼ばれてます。誰もが優しくなる、笑顔と誠意ある生き方を目指してこれからも頑張ります。
<管理人>やっと合流してくれたので、同窓生の皆んなも喜んでくれると思いますよ。書けないような苦労の数々をお聞きしましたが、今は元気でやっているようなので、本当に安心しました。
ところで乙女心は永遠と言いますが、幸せ者の●君っていったい誰だろうか気になりませんか?残念ながら、私でない事は分かりましたが・・・・。
京都・紅葉と高揚(俊彦)2009.12.06
皆様ご承知の場所ばかりですが、お調子馬鹿トッツの案内に一寸お付き合いください。
今年は中々寒くならないので紅葉というより枯れ色が多かった気がします。左は、ご存知の東福寺回廊です。左下の中庭も中々綺麗ですが、何せ人が多くてゆっくり見る感じでは無いのが残念です。
その一員に私もいるわけでなんとも複雑です。
右下は圓 光 寺中庭ですが、今年の紅葉はいまいちのようです。インターネットで見る写真のほうが綺麗で掲載するのが恥ずかしいようです。
紅葉の後の私のお決まりは錦市場です。お土産から、食べ物なんでもありでここは長い距離を歩いても疲れません。市場と名の付く所は無条件で好きです。京都らしいかわいいお店もあり、女性の方は飽きないと思います。
メインイベントは、祇園で一寸呑んでみようかと言うことで冨田屋という御茶屋さんに友人に連れて行っていただきました。やはり一見さんは入れないということでかまぼこ屋の友人にお世話になった次第です。
舞妓さんといっても、子供ですからそう面白くは無いです。彼女は孝鈴さんといって17歳だそうです。舞妓さんになりたくて川越から来たそうですよ。
正確に言うと舞妓さんではなく見習いさんだそうです。見習いさんは上唇に紅をつけないんだそうです。正面から見ると上唇が無いようで何か変なんですよ。
友人曰く芸子さんを呼んだほうが断然面白いとの事ですが、芸子さんを呼ぶには二階の座敷に上がりますからまるで時代劇のお代官様になってしますので小生千両箱は持ち合わせていないのでご辞退しました。
見習いさんとは言え話し方とか、おしろいの香等もあって舞妓さん気分は十分で一寸は高揚したかな?お茶屋さんに勤めている方がご年配ですが元芸子さんでうんと気を使ってくれて話も面白く楽しい時間でありました。
酒田あたりでも同様でしょうが、舞妓さんは夜の仕事ですから昼に舞妓さんの格好で歩いているのは殆ど一般の体験かPRのアルバイトのようで偽者さんらしいです。ご注意ください。
(管理人です)この時期に、京都の「紅葉」を満喫した上に舞妓さんに「高揚」したとは、微妙な親父ギャグをかましながら何んと幸せ者なんだろう。うらやましい!。ところで京都には”私用”で行ったのかなぁ?・・・いやいや、「公用」であって欲しいものです。
先月のとある日,ひたち海浜公園に行って来ました。
コキア(写真)というホウキ科の植物のお祭りをやっていました。
(残念ながら写真には夫婦は写っていません!)平日ということもあってか周りを見ればご年配の方々で,もうじき手が届くくらいの年恰好でしたが,我々(女房共々)も何の違和感も覚えることなく共有の時間を過ごすことが出来ました。戸惑うことなく納得でした。(はたから見たら皆同じに見えるのでしょう)
ラーメンにハム焼きをほお張りながら心地よいひと時を過ごしました。
それから大洗,那珂湊で魚を購入し,岩牡蠣を食し,最後は回転すしで一日が終わりました。
茨城というと社会人とスタートの地なので,なんか親しみが湧き,身近に感じるんです。漫才ではないですが,茨城と栃木のどっちが都会かなんて具合ですので,僕にピッタリの地域なんでしょう。スタートは東海村でしたから,水戸,日立などは行動範囲でした。
長女は住んだこともあり,名前まで地名を拝借しちゃいました。本当はこんな「小さい秋」なんて言わず海外旅行とまでは行かなくともせめて国内の温泉旅行でも行けたらいいのですが,こんなので幸せを感じている「ちいさな僕」でした。
(管理人です)朝日新聞の一面にこの花の写真が掲載された時「不思議な花だなぁ・・」と何気なく思っただけなのですが、さっそく鑑賞に行く行動力には敬服しました。良く見える様にクリック拡大にしておきました。
この間は関東以南地域の同総会に飛び入り参加しまして大変お世話になりました。何回やっても同総会は良いもんだの。
左の写真は、我が愛船「光漁丸」です。知人勧められて「光漁丸」(クリック)のYAHOO!ブログを開設してもらいました。始めたばかりなのでまだまだこれからですが、出来る限り情報掲載に頑張ってみます。
ちなみに、自己紹介の欄にはこんな感じで書いてます。
「山形県鶴岡市加茂で漁師を本職として営んでおります。遊魚船としても出船いたします。本物の漁師と一緒に日本海で大物とのやり取りを楽しみましょう。普通の遊魚船とは一味違った釣りを楽しんでください。」
暇な時にでも覘いて見て下さい。
右の写真は昨日の夜に電気釣りで釣った鯛とブリだども、まだまだこんなもんじゃ満足さいねもの〜!同窓生で釣り好きの方がいたら男女問わず遠慮なく声を掛けてくださいよ。旬な魚をクラーボックスから溢れるくらい持たせてやっからの。
(管理人です)直光のブログは生活が懸かっているので、長続きしてくれると思ってます。同窓生一同を代表して、ブログ大成功とお祝いの気持ちを込めまして、「大漁旗」と「船長のイラスト」を贈呈致します。
私の名前はミイです。中々の美人でしょう?私はまだ小さい頃、ある冬の日に物置の隅に隠れていました。見つからないようにしていたのですが、
女『ね〜、何か居るよ〜!見て〜猫みたい!』
男『どれどれ、ん〜猫が居るな。』、『野良だから捕まえられないよ!』
え〜〜!私のこと野良なんて失礼ね。見せもんじゃないよ!
男『かまわなければ、そのうちどっか行くよ。』
女『でも、寒いのにかわいそうでしょう。』
男『絶対ミルクやるなよ』、『飼って面倒見るならあげてもいいが』、『飼えなかったら、絶対やるなよ!』
女『わかったわよ』
おいおい!私にはかまわないでよ。まったく〜!人のことだとおもって好き勝手言ってら〜。男の方はミルクはやるなだと??冷たい奴だな。ちぇっ風が収まったら出て行くか?おお〜寒〜い!男は一件優しそうな眉だったが、案外あれが危ないかも?
可哀想にあの女もだまされたんだろうな?あの眉にハハハ。ゴソゴソ、ゴソゴソ・・んっ!誰か来たぞ、あっ昨日の女だ、何するんだろう?
『ミー、ミー、ミー』・・・
もしかして私の事?ミーは無いだろ!私は蝉じゃないって〜の。しかも、ありきたりな名前でボキャブラリーの少ないこと。ミルク置いてきやがったが、危ないな〜?罠かな?呑んだとたんバタンキューだったりして?
呑むのはや〜めよっと、・・・それにしても寒いな・・・我慢して寝るか。
次の日
『あれ!一滴も飲んでない』『ミー、ミー、ミー』・・・だから、私蝉じゃないって言うの!グ〜〜、しかし腹減ったな、呑んじゃおうかな、あれれ!ミルクもって行ったよ。ふ〜惜しかったかな?
ゴソゴソ、???おや〜、またミルク持って来たぞ。オオ〜煮干の匂いだ〜!テンパリそ〜!新しいミルクに変えてきたんだ、ん〜いい香り・・グ〜〜〜ゥ・・呑んじゃおうかな?食っちゃうかな?
ミルク変えていくなんて悪い奴らじゃないようだな、よ〜し誰も居なくなったら呑んじゃえ。決めた。
そしてある日、
久しぶりに男の声がした。
男『あれ〜ミルクがあるじゃないか?だめだよ。』、『ず〜とやってたのか?』
女『一寸だけ』
男『一寸じゃないだろ?』、『餌もあげたんじゃないの?』
女『だって』・・・・・・・お、お、お〜一戦始まるかな?
男『しょうがない、餌をあげたなら家に入れなさい』
女『捕まえられないよ』
男『まったく〜!!!!』
変な展開だぞ!クウウ〜!、痛〜、引っかきやがった。この〜こら〜しばくぞ〜!
・・・ってさっきから散々しばいてるだろ?結局は捕まりましたが、暫くは家の中の物陰に隠れていました。
ミルクと煮干を用意してくれるのだが、夜食べては昼は隠れる生活をしていました。それでも女は毎日毎日『ミー、ミー、ミー』・・・って私もうミーに決定かよ???
私の意見は???・・まあいいか!というわけで、女の実家の一員井上ミイになった次第です。今じゃ時々男の家に遊びに行くんですが、壁で爪をとがさせてもらうんだ。ガリガリ、ビリビリとあんたもやって見る楽しいよ!そうそう右上の写真よ。
男の方は単身赴任で普段あまりいないようだし、開脚〜で寝てても安心だし、あ〜いい気持ちだ。飼い猫も悪くないな〜。それにさ〜、最近私の格が上がったようで、うふふ〜。女が言っていた内緒の話だけどさ、一に子供、二は母親、三が友達・・・四私だって!
可哀想に男は番外らしいよ。し〜っ!何よりもおばあちゃんが優しくて捕まってよかったよ。それに比べ男は変なの、私に妙な紙をくっつけて『当たりますよーに!』・・だって!。私は置物じゃありません。当たるわけ無いじゃない。
ミィちゃんは家に来る前に隣の縁の下で生まれたらしい、そこで殺虫剤をかけられたので声が出ません。うちに来た時は空気の漏れたような音で声になっていませんでした。でも、ず〜と呼んでいるうちに、一生懸命答えようとしたのでしょうね!今は小さいけどミャ〜ン、って喋るんですよ。かれこれ5歳になります。
普段家に居ないので帰った時は久しぶりなので最初ギャ〜ォって吼えられるけど可愛い娘ですよ。
<オールキャスト>
私:ミイ
男:俊彦
女:男の妻
おばあちゃん:妻の母
油戸の佐藤誠が写真を送ってくれました。8月8日に油戸の夏祭りがあって、敦子さんと京子さんが、フラダンスを披露してくれた時のものだそうです。誠からのメールのやり取りを整理して、誠の代理で投稿します。
8月8日(土)に油戸の夏祭りがありました。本当は翌日の9日(日)だったのですが、赤川の花火大会と重なり前日に繰り上がってしまいました。本音は、”赤川花火大会の方をずらせ!”言いたいところですかね。
夏祭りは神事とは関係なく、住民の親睦と融和が目的で、若い人からお年寄りまで誰でも気軽に参加して楽しいひと時を過ごしましょうというものです。ちなみに、加茂の夏祭りは、漁協の脇で準備していたのから察すると8月14日に開催されたと思います。当然、湯野浜にも夏祭りはあると思いますが、いつの開催かわからなくてごめん。
夏祭りの当日は、定番の盆踊り大会から始まり子供達の花火大会や灯篭流し、出店もあるので子供はカキ氷、大人は生ビールでグビーッと一杯!。地元でしか味わえない、人間味が溢れる夏の夜のひと時ですね。
その時のアトラクションの中で、「フラダンス」のイベントコーナーがあり、我が同窓生の敦子さん、京子さんが日頃の練習の成果を2人でフラッてくれました。実は、フラダンスショーは地元で大変人気があり、この日も別の地区からのお呼びを終えてから駆けつけてもらった次第です。その関係で、油戸にはこのトップダンサーの2名しか来れませんでしたが、敦子さん、京子さんありがとうございました。
観客の老若男女は大喜びで、あちこちでフラッシュがたかれフラダンスは大盛況、その時に撮った写真の1枚(クリック拡大)を投稿します。本人達からの写真へのコメントは、「ところどころ問題あり!くれぐれも踊り子は、遠めに眺めて下さい・・・」とご謙遜されてました。年齢の割には?結構いけていると思うんだけど、そう思ってるのは俺だけ・・・?
地元の同窓生も、銀鱗HPの「新橋でのこの指止まれ!」や「投稿」で、元気で活躍している皆さんを拝見していますが、地元諸も負けずに頑張ってますよ〜。
今回『サード・三番・奥山』の欣哉に続き3人目の独り言を書きました。
この写真今から21年前沖縄県石垣島に住んでいた頃です。それはそれは、海に親しんでいました。・・他は言っても海以外何にも無いところでしたから当然ダイビングや釣りをする訳です。
中でも夢中になったのが釣りでした。沖縄は、砂場が多くリーフなるさんご礁に囲まれていたので磯釣りよりも船釣りが中心でした。当時デジタルカメラは持ってなく、まぐれヒットがあった場合のみこうして写真に撮っていました。
この写真以外にも手のひらサイズの小魚釣りやイカ釣り等何でもやってた次第で、この頃が人生で一番釣りキチ症候群にかかっていたと思います。
沖縄の大物釣りは、運任せなところもあり、釣り方には賛否両論があるのも事実ですが、私はそれなりにドキドキしてました。先ず餌になるムロ鯵やグルクンと言う20〜30cmの小魚を沿岸近くで沢山釣りイケス(バスタブ)に生かしておき、ポイントに移動します。
多くは西表島近くの潮の流れが良い場所に向かいます。さて、いよいよ生きた魚を針にぶら下げ糸を50m位だして泳がせます。『ギィ〜〜〜〜〜!』突然リールが鳴り出すと船上は今までの長閑な世界から一変して闘いの場になります。
引き寄せては戻し、戻しては引き寄せて15分くらいの格闘で何とかなったのが右の磯マグロです。上は鰆がつれた時ですがこの時は、ロウニンアジを狙っていたので言ってみれば鰆は外道でした。
ところがところが、すし屋に持参して『半身をあげるから持込ませてくれ』とお願いし、白子を湯通ししてポン酢で食べたら、美味いのなんの、ほっぺが落ちそうで、一気に主役に躍り出た鰆君でした。
勿論、坊主(何にもつれない日)やバラシ(せっかくかかったのに逃がした)事の方が圧倒的に多いのは言うまでもありません。人生とよく似たりで、悔しくも寂しげに帰港した日々は数え切れないです。
くどくも同じような写真を並べましたが、3枚目の写真は私の好きな写真なんです。釣った魚ではなく、一寸恥ずかしいがこの写真の自分の顔が気に入っているんです。自己満足しています。最後に庄内の小波渡四島での黒鯛釣りです。一彦は堤防の落としこみで釣っている様ですが、私も非常に興味がありやってみたい釣り方です。
こちらは、庄内の完全ふかし釣りです。今回の写真の中で釣りの醍醐味が一番あったのがこの黒鯛釣りです。
それは黒鯛を釣りたくて前の晩から作戦を考えて見事的中したからです。これこそ大小に関わらず釣りの楽しさでしょう。
大物の写真は取り込んだとき『釣れて良かった〜』と言う気持ちで、偶然性が大きいですが、しかし、この黒鯛は本当に『やった〜!』と言う気持ちで満ち足りていました。
僕の住む埼玉県三郷市はJR武蔵野線「三郷」で、隣の駅が千葉県であり、県境の町です。
周りは住所が早稲田という名前からして田園風景です。写真の向こうに見えるのが武蔵野線の江戸川に係る鉄橋です。普段通勤に使っていて左端が千葉県、右端が我が埼玉県です。
江戸川の河川敷は僕が毎週野球をやっているホームグランドです。今日は(平成21年5月31日)生憎の雨で試合は中止でしたが、一人写真を撮りました。まさしく一人で、背景が悪いだの、被写体がいまいちだのと独り言を言いながら、通りすがりの人がこの親父なに一人でポーズをきめて写真を撮っているんだと不思議がられての撮影でした。
あえて正面は撮りませんが、背番号は3番です。「3番、サード、長嶋」に憧れて野球を始めた野球少年には夢のような背番号でした。中学ではおろか、硬式でも1度も手にしたことのない攻守でしたので、せめて草野球ではと思い手に入れた「3番、サード、奥山」です。この河川敷には野球場、サッカー場、ラグビー場のほか、ゴルフの打ち放しもあり、たまーにですが、ゴルフの打ち放しをしています。これもまた、なかなか思うようにスコアが伸びて行かないもどかしさのあるスポーツで、孤軍奮闘いている今日この頃です。
人生50年とは言ったもので、もう55,6年ですが、体のどこかと言うか、あっちこっちにガタがきているのも確かです。毎年、一回は人間ドックを受診していますが、近年はすんなり「A」の正常ということもなく、受診の度に再検査だの、様子観察というような備考付きの結果を貰っている始末です。健康マニアではないですが、タバコは吸わない、酒の量は少なめ、毎日の1時間の通勤歩行、週1の野球、月1のゴルフと我ながら健康には注意してのドックの結果ですから、注意をしなかったらどのような結果になるのだろうかと思うと空恐ろしい気もして来ます。とは言え、せめて平均寿命までは頑張らなくてはと思い、こっちに健康の話、あっちに健康の本があれば、耳も目も使って役に立てたいと思っていますよ。それでなくても昨年は首のヘルニアで一年間病院通いでした。これだって、老化の始まりとか言いますね。でもまだまだ弱音を吐く歳でもないし、漸く今年になり回復しましたので、野球にゴルフにめい一杯遊ぼうとしています。みんな健康でいようね
それと、もう一つ親バカならぬジジバカですが、孫が徒歩5分にいるので、毎度遊びに来ては癒されているのも幸せを感じるひと時です。こんな独り言でした。
画像が小さくてすみません(管理人)