「七月十一日附

 皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。小生も、今のところ至つて元気に勤務して居ります。環礁に来てより半月程になりますが、デツキに出るたびに南洋の陽に焼かれるので小生の顔と腕は土人のようにすつかり黒くなりました。父上母上、お願いした書籍並びに衣料等有難う御座いました。どうも一旦洋上に出てしまうと色々と物入りで、どれも大変重宝して居ります。
 さて、今艦上ではいたつて興味深き出来事が起きて居ります。丁度、昼食が終わつてラムネでも一本呑んでやろうかと思つていた頃、水兵が上甲板へのラツタルをやたらバタ\/と上り下りするので、通りかかつた信号兵をつかまえて訊いてみたところ「難破船であります」との由。これはいかん、傷病者がいたら即刻救助して手当せねば、そもそも生存者は居るのかなどと思い巡らせながらラツタルの手摺を掴んで上つていくと、すでに左舷中央のあたりで甲板士官をはじめ数人が保護索の上から身を乗り出すようにして指差したり話し合つたりして居ました。小生も海上に目を凝らすと、成る程夏の海水浴場で見かけるゴムボオトの余程大きくて空気の抜けかかつたような奴が遠く波間に見え隠れして居ます。蟹眼鏡を覗いていた甲板士官が「友軍だ、小型救命艇だ」と云い、艦橋で舵を切つたらしくボオトはどん\/近付いて来ました。
 彼我の距離が数百米になつた所でカツタアを下ろすと、高波のせいでかなり難儀しているようでしたが無事救助できたらしく艇はじきに戻つて来ました。「日があるときに通りかかつたのが運がいい、もし夜だつたらそのまま素通りだ」などと掌砲長が云うのを聞くうちに、舷下に着いたカツタアの中を覗き込むと、横たわつている数名の被救助者が皆水泳着姿の妙齢の少女ばかりなのには吃驚しました。艇を引き上げるやいなや、とにかく医務室へということで皆で下甲板へ運び下ろしましたが、鱶の居る南大洋で二回も泳いだ(乗艦が沈没した)という掌砲長などは、他人ごととは思えぬのか「頑張れ、頑張れ」とその間しきりに声を掛けて居りました。
 二つずつの寝台と診療台とに寝かせて、「軍医長お願いします」と云うので早速診てみると矢張皆熱中症の症状がありました。看護兵に製氷機の氷で氷嚢を作らせ、生食を口に含ませたり脇下や大腿部を冷やしてやつたりしているうちにうち二人ほどは意識がはつきりしたようで、何処にいるのか分からないという風で目をキヨロ\/させて居ります。あとの二人はかなり衰弱していて、余程長い時間海の上を漂流していたのかと察せられました。
 目を覚ました少女の一方に官姓名を尋ねると、少尉水無月青葉と答え、驚いたことに沈没する巡潜から泳いで脱出して来たと云うではありませんか。もともと潜水艦には我が将兵の内でも特に精鋭を配するのが常ですから、斯くも幼く芙蓉のごとき外見でも神経はよほど強靭なのだろうと思いました。だが聴診器を耳に水泳着の肩紐を下したところ「アツ」と云つて目の下を紅らめるところなどは、全然市井の女学校あたりの一少女と変わりなく、こちらも婦人を診るのは医局以来ということもあつてか動揺を隠すのに一寸苦労致しました。もう一方の少女は榊悠良少尉と云い、こちらは長身で眼に意志の光がありました。両名とも、鈴谷少尉と秋水上水―これはあとから分かつたあと二名の名前です―は無事ですかとしきりに尋ね、力を振り絞つて上半身を起こそうとするので、「大丈夫、寝ているだけで数値は安定して居る」と看護兵曹と二人で寝台に押さえつけて置くのに難儀しました。
 時折氷水を呑ませながら話を聴いてみると、水無月少尉らの乗艦は敵艦の執拗な攻撃を受け、乗員のほとんどが戦死しながらも粘り強く反撃し、遂にこれを撃沈せしめたとのことでした。そして同艦が故障により浮上できなくなつたため、身一つで艦のハツチを潜り出て凡そ六〇米上の海面まで浮かび上がつたとのこと。どのくらい時間がかかつたかと訊くと、分からないが二五〇位まで数えたところで息苦しさの余りもう数えられなくなつたとのことで、看護兵曹は「凄い、並大抵のことぢゃありませんよ」としきりに感心して居りました。小生と違い駆逐隊勤務が長く事故も多く見ている兵曹なのですから、この感慨は真実なのでしょう。能く肺塞栓を起さなかつたものですが、榊少尉と秋水上水には気圧差の影響が大きかつたのか鼓膜に裂傷が見られたので先ずクロロアミノフエン点耳し感染予防と致しました
 水無月少尉たちの漂流していたのは海戦のあつた日から計算すると丸四日間で、脱出時に海水をたくさん呑んだせいで三日目の夜にスコオルに遭うまでは喉がひどく渇いて苦しんだとのことでした。乗艦が沈むという異常の事態であり、さぞ何も持ち出せなかつたのだろうと思つていましたが、意外にも両少尉は或る通信装置のような物の名前を口にしました。途中重みで救命艇がしなつて沈みそうになつたので止むを得ず海に一旦投下してきたということでしたが、口振りからすると余程重大な戦略物資のようでした。そこで、病状の伝達も兼ねて看護兵を副長のところに報告に遣つたところ、暫くして副長ばかりかdg司令部の参謀長や先任参謀までが佩刀をがちやつかせてドタ\/と医務室に這入つてきたのには閉口してしまいました。
 「そのウンデイヰネ号の乗員が云つていることは本当かね」赤ら顔の先任参謀の中佐が尋ねます。小生は聞いたとおり報告しているだけで本当もへちまも無いものですが、さらに「詳しく聴取したいから直ぐ全員幕僚公室に連れてくるように」と参謀が云つたのにはいささかカチンと来て仕舞いました。この参謀は折に触れこう高圧的な物言いをするので元々乗員の間の評判は悪るいのです。小生は答えました。「参謀、彼等は敵潜二艦を沈めるという大武勲の後で、さらに四昼夜も呑まず食わずで漂流して疲れ切つて居るのです。十分に恢復するまでは、たとえ司令官閣下の御命令でも動かすことは出来ません」
 思いがけぬ抵抗に赤ら顔の参謀殿は鳩が豆鉄砲を食らつたような顔をして居りましたが、新米軍医中尉と謂えども医務室では一番のAutoritätです。こうなつたら一歩も引かない気構えでしたが、参謀長が横合いから「そうか軍医長済まなかつた、では行こう○○君」と場を収めて出て行つて呉れたのでヤレ\/と思いました。水無月榊の両少尉はキヨトンと小生の顔を見て居りますし、看護兵曹の方と云えば如何にもすつとしたという風情で後ろ手に閉めた扉を背にニヤけて居ります。その対比振りが可笑しくて、小生がプツと思わず噴き出すと釣られて両少尉も笑い始めます。彼女らにとつて本当に久方振りの笑いだったでしようが、それは真に銀鈴を打ち振るような麗らかな笑い声でした。
 その内に残りの二人もやつと目を覚まして呉れました。鈴谷少尉は色白くやや控えめな印象で、本人の云う機関科将校というよりは予科のあの白亜の図書館のような処で純文学でも読んでいるのが似合いそうな風です。そして秋水上水に至つては、他の者より年少ということもあるでしようが、全体に圧迫すれば折れてしまいそうな華奢な造作で、海軍は能くもこんなか弱き少女までつかまえて水兵にして仕舞つたものだと思いました。折りしも、或る娑婆の中等学校などでは教師が卒業生全員を陸海の少年兵に志願させたなどと聞くにつれ、本来学園にて愉快に青春を謳歌すべき年齢の者が、何故戦場にて此処まで労苦を味わなければいけないのかという思いがして居ります。殊に秋水上水は、榊少尉と共に艦外の千尋の深さの海中に息を止めながら潜つて行つて注水弁の修繕まで遣つてのけたとのこと。「苦しくは無かつたかい」と思わず愚問を発すると、「ハイとても苦しかつたです」との至極素直な答えが返つて来ました。恐らく、今も彼女らと同等の幾百という少年少女たちが、幾多の前線に散らばり、同様に従容として決死の任務に就いていることでしよう。
 日が没して、南洋固有のむつとする暑気もようやく収まる時刻となりました。主計兵曹が特別配給と称して卵と濃縮牛乳を付けてくれた夕食も終わり、今や四少女は小生の居る勤務机のすぐ向こうの寝台ですや\/と寝息を立てて眠つて居ります。蓋し小生がして遣れることは、いづれ再び斗いに赴くであろうこの美しき戦乙女たちに、暫しの休息と心の平安を与えて遣ることだけかも知れません。しかし、なればこそ、小生は存分に彼等の力になつてやりたいと思つて居ります。
 舷側に開いた窓からは、夜風に乗つて泊地から微かに甘い果物のような香がして来ております。明日給糧艦が入港するそうで、この分ではこの便りも案外早く御手元に届くことでしょう。それでは、皆様御身くれぐれも御自愛下さい。

軍艦テイル・ナ・ノグ艦上 第一士官次室              慎 一」