新年ということで、お正月らしい話題で。
おじさんと結婚して初めてのお正月。その頃はまだおじさんの実家が旅館をやっていたので、年末・年始も釣り客の宿泊がありました。洗っても洗っても次から次とおろされてくる食器を見ておばさんは半べそになり、義母は合間を縫っておせちを作り、何とも慌ただしい中でお正月を迎えたのを今では懐かしく思います。
元旦当日は床の間でお年取り(正月の儀式)をしておせちを食べます。その後は台所で雑煮を食べるのですが、その雑煮を見ておばさんはビックリ!!具がないのです。正確には角餅に水菜が入っているだけ。おばさんが食べてきた丸餅で具だくさんの雑煮と違いすぎて、まさに「所変われば」でした。
ここでひっかかるのは、「高知県の雑煮は角餅で具は水菜だけ」という公式を頭の中に入れてしまって良いのだろうかということです。香川県と言えばあん餅の雑煮で有名ですが、つい最近、ある情報誌で、高知県の中にも同じようにあん餅の雑煮を食べるところがあると紹介してあったのを見て驚いたばかりです。ひょっとしたら、その家族の先祖を辿っていくと元々は香川県出身で、それが代々伝わっていったのかもしれないとも思いました。
「○○地方の雑煮」と言っても、実際には自分の家以外の雑煮を食べた経験のある人はそんなに多くないのではないでしょうか?おばさんは、実家とおじさんの実家と、たった一度だけ京都のホテルで白みそ仕立てのこれまた具のない雑煮を食べたことがあるだけです。○○地方というよりも○○家の雑煮と言った方が適切かもしれませんね。
おせちにしても然りです。数の子、黒豆、田作り等、一般的なものはいわれもあり共通しているものが多いとは思いますが、おばさんの実家では、料理本に出ている筑前煮や紅白なます等は食べていませんでしたし、やはりおじさんの実家のものとも多少違います。
それで、先ほどのような公式を無意識に作ってしまうことはどうなのかと疑問に思ったわけです。おじさんがよく言うのです。「『自分を含めた狭い範囲の中での食生活や慣習=高知県あるいは日本人』と思いこんで伝えることは危険だ」と。
新年の決意ということも含めて、自分の見聞きしたり考えたことが多数派だと決めつけずに、柔軟な心を持って対応できるようになりたいと思っています。