正しい対・ネクロード戦


ふと、ネクロードの指先が光った。懸念された、即死効果の高い術と察したカーンが鋭く叫ぶ。
「気をつけてください、強力な魔法が来ます!」
───とは言われても、何をどう気をつければ良いと言うのか。
アンバランス状態から回復するや否や、吸血鬼の指が真っ直ぐに己を指しているのに気付いたカミューには、ただ全身の気を張り巡らせて衝撃に備えるより、すべがない。閃光が空を裂いた次の瞬間、彼はぱったりと地に倒れ付していた。
「カミューさん!」
「畜生、イキナリかよ!」
ナナミとビクトールが叫ぶ。やはり本日の赤騎士団長の運の悪さは並ではない。
「『気合』をかけますか?」
年少ながら少年を一同のリーダーと認めて問うたカーンに、だがウィンは首を振る。
「ち、ちょっと待って」
彼の視線の先を追った一同は硬直した。倒れた青年の傍ら、仁王立ちの青騎士団長がぷるぷると震えている。憤怒のあまり真っ赤に染まった顔で、彼は低く呻いた。
「おのれ、吸血鬼。よくも、よくもカミューを……」
逞しき体躯から吹き上がる闘気の渦に圧倒され、カーンはウィンに小声で尋ねる。
「……彼は『怒りの紋章』を……?」
その紋章は常に興奮状態を保つ効果を持つ。これまで行動を共にしてきたカーンにも、意味なき問いと分かっていた。ここまでの道程で屠ってきた魔物たち。マイクロトフは闘志こそ旺盛であったが、決して度を越した興奮に支配されてなどいなかったのだから。
乾いた笑いを洩らした少年が弱く首を振りながら応じる。
「ええと、何と言うか……まあ、いつもあんな感じ、とでも言うか……」
それより、と幾分表情が引き締まった。
「カミューさんを復帰させるのはもう少し後にしましょう」
「しかし……」
炎天下のカエルもどきに倒れている青年。その端正な容貌と優美な物腰を慮れば憐憫をもよおさずにはいられぬカーンだ。出来れば早いところ戦線復帰させてやりたいといった困惑を、ウィンはあっさり一蹴した。
「カーンさんも言ってたじゃないですか、どのみち『気合』じゃ完全回復させられません。次に魔法を受けたら、たちまち戦闘不能になっちゃいます。だから、もう少し寝ていて貰いましょう」
「しかし、そうなるとこちらの戦力が……」
するとウィンは明るい笑顔で言い放った。
「大丈夫、カミューさんがああなったからには周りが二倍働きますよ」
はあ、と生返事を零して視線を戻せば、成程、マイクロトフの猛攻が吸血鬼を襲っている。その闘魂たるや、下手に近寄れば味方でさえ斬りつけかねない苛烈であった。
「最高なる友、我が半身を傷つけた罪、身をもって思い知れ!」
片や、床上の赤騎士団長が力なく呟いている。
「すまない、マイクロトフ……どうか、わたしの分まで頑張ってくれ……」
マイクロトフの横で、『それよか、その最高の友が回復されずに転がされているのを気にしろよ』と小声で突っ込んでいたビクトールも、そんなカミューの健気な言葉を聞けば、やはり同様に奮い立つ。
「おうよ、カミュー! ここは任せて、安心して寝てろ!」
故郷の村の恨みとばかりに、傭兵は重い剣戟を見舞う。更にナナミも、底光りする目で吸血鬼を睨んでいた。
「ちょっと、カミューさんの顔に傷でもついたらどうしてくれるのよ! 同盟軍の女の子を代表して許さないんだから!」
棍を振り回して敵をボカボカと殴りつける勇ましさ。ネクロードは女性に集中攻撃を仕掛けるという話だが、今のところ、逆に手痛い砲火を浴びている。
「……ね? 大丈夫っぽいでしょう?」
少年ににっこりされて、カーンも漸く同意を浮かべた。
「では、一刻も早くカミューさんを復帰させられるよう、奴を一気に弱体化させましょう」
言い置いて詠唱を開始したのは、生を司り、アンデッド系の魔物に無比なる効力を発揮する『破魔』の魔法だ。バンパイア・ハンターから放たれた神秘の光がネクロードを取り囲み、次いで輝きを増しながら打擲の牙を剥く。魔物は、剣による攻撃には及ばぬ痛苦を受けたようによろめいた。
「いいぞ! カーン、今のをもいっちょ、派手に頼むぜ!」
ビクトールの景気良い檄に苦笑するが、もとよりカーンもその心積もりである。『破魔』の発動は二度が限度ではある。回復の手立てが不足している以上、一気に畳み込むのが最良の策だ。
それに、やはりいつまでも赤騎士団長を放置しておくのも気の毒である。せめて闘いが終結したとき、一同並んで喜びを分かち合いたいものだ、カーンはそう考えた。
彼が再びの呪文詠唱に入ろうとする間に、ネクロードが全体魔法を放った。けれど、此度もまた『守りの霧』の全面発動である。薄気味悪く飛翔する光の渦は、仲間の一人として傷つけられずに飛散した。
「おー、今日はホントにツイてるなー」
信じられないといった面持ちで傭兵は口笛を吹く。口調の裏には、皆がツイている中で唯一ツイていない赤騎士団長への深い同情があった。もっとも、倒れ伏している当人は口を開く気力すらなく、生憎と感想を述べることも出来なかったが。
マイクロトフが狂おしげに唇を噛んだ。
「カミューが……道半ばで倒れたカミューが、おれたちを護ってくれているのです。何としても、彼の心に報いねば!」
その言い方では、まるで死んだみたいじゃねーか───と思ったビクトールだが、何しろ青騎士団長は相棒と違って弁術が巧みとは言えぬ男だし、その上たいそう激昂しているから詮無き発言だろうと、自らを無理矢理納得させる。
再び発動した『破魔』の直撃を受けてネクロードは足元をふらつかせた。
「ようしっ、効いてる! かなり弱っているぞ!」
傭兵が喜色を浮かべると同時に、少女が必死の眼差しでウィンに詰め寄った。
「ウィン、カミューさんを復活させてあげて!」
「え、でも……」
義姉の訴えは少年を瞬かせた。
蘇生魔法は、施したところで全快癒時の半分にも至らないのだ。すかさず回復魔法を掛けてこそ万全であり、そして一同には『優しさのしずく』がたった一つ残るだけなのである。
幸い、まだ一度も実行されていないが、シエラが語った女性への集中物理攻撃を展望に入れて、ナナミ用として魔法を温存しようと結論づいていたではないか。
義弟の懸念を、だがナナミは鋭く退けた。
「大丈夫、わたしは元気だし……いざとなったらカミューさんに『優しさのしずく』を使えばいいから!」
それでも躊躇していると、彼女は地団駄を踏んで叫んだ。
「駄目なの、カミューさんが気になっちゃって、集中出来ないの!」
少女の布陣位置はカミューに近い。だが、一応は仲間の邪魔にならないように、戦闘不能に陥った時点で隊列から少し離されているカミューである。ウィンは心持ち首を傾げた。
「……別に踏んだりしないと思うけど」
「そういう問題じゃないの、士気に関わるんだってば! 伸びてるカミューさん、格好良くないんだもん」
朦朧とする中、少女の主張を聞き止めた赤騎士団長が、伏したまま無念そうに唸った。
「も、申し訳ありません、レディ……」
「ナナミさんもこう言っておられることですし、やはり復帰していただいた方が良いのでは?」
カーンも囁く。
「マイクロトフさんのキレっぷりは見事でしたが……そろそろ鎮火傾向にあるようです」
それは事実だった。周囲の空気を紅く染めるほどだった憤怒が、緩やかにおさまろうとしている。一瞬の激怒に身を任せた男に訪れたのは、これまた大仰な失意だった。
「大切な友を護れず、戦闘不能に陥らせるとは……おれは何と不甲斐ない男だ。カミュー、おまえを失っては……おれは、おれは……おれは!」
そこでウィンが呆然とした。
「───そうか。マイクロトフさんって、怒り易いけど、冷め易くもあったんだっけ……」
そこに気付いてしまっては、仲間の提案を受け入れるしかない。ウィンは素早くカーンに向き直った。
「それじゃ、宜しくお願いします」
「心得ました」
仄かに笑んでカーンは蘇生魔法の詠唱に入る。仲間の復帰が近いという現実に奮起したのか、残る仲間たちの覇気は増し、もはや好き放題といった様相でネクロードを袋叩きにしていた。
「痛い、痛いじゃありませんか! ちょっとあなた方、大勢でよってたかって……卑怯ですよ」
たまらず泣き言を吐く吸血鬼だが、そんなぼやきもマイクロトフの一閃で掻き消される。
「黙れ! 数々の非道、そしてカミューに与えた屈辱……貴様に卑怯呼ばわりされる謂れはない!」
「そんなぁ。最初の方はともかく、後の方はそちらの都合でしょうに……」
「ごちゃごちゃ煩せーんだよ、さっさと往生しろ!」
「く、悔しい……『月の紋章』の力を封じられていなければ、あなた方なんて……」
「ふーんだ、悔しかったらシエラさんに文句言えばいいじゃない」
哀れ、攻撃を繰り出す暇もなく立て続けに痛手を受けるネクロードを震撼させる魔法が発動した。『気合い』の波動に打ち据えられた青年が、ゆるゆると身を起こしたのだ。ただでさえ劣勢を強いられている吸血鬼は、敵戦力の一端の復活に蒼白になった。
完全時の半ばにも満たない回復しか行われていないためか、あるいは恥辱の体験が為せるのか、カミューの気配は陰鬱気味で、美貌は寧ろ凄味を増している。凍り付いた笑顔がネクロードを一瞥した。
「皆様、ご迷惑をお掛けしました」
「だ、大丈夫ですか、カミューさん?」
今更のように、彼が離脱している間の己の発言を思い返したウィンが恐々と問う。だが、カミューは何ら頓着していないふうに軽く頷いた。
「ええ、休ませていただいた御蔭で、たとえ攻撃魔法を受けても、直ちに戦線離脱とならない程度には気力が充実しております」
「そ、そう……」
この瞬間、何とはなしに今後の赤騎士団長への言動には気をつけようと決意してしまうウィンであった。
「待っていたぞ、カミュー!」
歓喜も露にマイクロトフも叫ぶ。
「おまえが再び横に並んでくれるときを、おれは心から待っていた!」
「……まあね。闘い半ばで倒れはしたが、幸いにも死んだ訳ではなかったからね」
朦朧としつつも、それなりに会話を覚え止めているのがカミューらしい。ちくちくと針を向けるものの、肝心な相棒はまるで気付かない。今はもう、青年が立ち上がった喜びしかマイクロトフにはないのだ。
「さあ、これで全員揃った。終わらせようぜ!」
ビクトールの力強い宣言に、一同は武器を握る手に力を込めた。

 

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アプ前チェックで目を通してみたら。
主人公、何気なくヒドイやん……(笑)
次回にてキリキリ決着です。

 

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