彼らの選択
「あ……っ」
鋭い律動に突き上げられていた青年の唇から、ほのかな吐息が零れた。揺り動かされ、それは立て続けの喘ぎとなる。
「マ 、マイクロトフ……」
呼び掛ける声に煽られたように、男の動きがいっそう激しくなった。滴る汗が青年の胸に落ち、自身の汗と混じり合う。
男の息は荒い。全力で追い込みに入るその表情は苦痛をこらえるように歪み、さながら青年を食らい尽くす獣のようだ。技巧などなく、ただ勢いに任せて自らを押し進める男に、まったく余裕はなかった。
「あ……、ま、待て────」
「だ、駄目だ、もう……!」
青年の必死の制止も空しく、男が吠えた。刹那、男は全身を震わせて夥しい愛情を迸らせていた。そのまま青年に覆い被さり、絶え入るような息を吐く。もう一歩のところで頂点を極め損ねた青年が、それでも優しく男の髪を撫でた。
無理もない。マイクロトフは彼と関係するまで、唇さえ他人に与えたことのない堅物だったのだ。彼自身、同性と肉体を交えたのはマイクロトフが初めてである。互いに慣れない行為なのだ。多少の弊害は覚悟している。
「す、すまない……カミュー……」
困惑し切った男が呟いた。
彼もまた、自分の抑制が思うように働かないのを苦く思っている。だが、愛しい相手を腕にした途端、理性も思考も吹っ飛んでしまうのだ。
未だに男に抱かれることに慣れ切ることの出来ない恋人が、それでも次第に快感を覚え始めている。
苦痛ばかりではない、甘い悲鳴が洩れるたび、目眩がするほどの喜びを感じる。だが、それが彼の頂点をますます引き寄せてしまうのだ。
────今夜もまた負けた。
恋人よりも格段に早く到達してしまったマイクロトフは、しょんぼりと恋人に目を向ける。カミューは微笑んでそれを迎えた。誰よりも強く逞しい青年剣士が自分の上で叱られた子供のように縮こまっているのが可笑しかったのだ。
その笑みに励まされたように、マイクロトフは眦を決した。
「もう一度、いいか……?」
カミューはやや呆気に取られた。
……これで何度目だと思っているのだろう?
だが、逞しい腕に抱き込まれては到底抗うすべはない。
「あ、待て、こら……」
形ばかりの抵抗も、男の意欲の前には無力だ。再び身体を割り開かれ、溜め息混じりに男を迎え入れたとき、それでも彼は固く男を抱き返していた。
「おまえのところに問題児が入ったというのは本当か?」
気怠い心地に包まれて横たわっていたカミューは、背後から囁かれた声に苦笑した。マイクロトフはいつもこうだ。情事の後、余韻を味わうこともなく延々と会話を紡ごうとする。
「耳が早いな……今朝のことだぞ?」
答えると、マイクロトフは忍び笑った。
「赤騎士たちがえらく憤慨して噂していた。『何故カミュー様は、あんな奴をお引き受けになったのか』、とな」
「あんな奴、か……」
カミューは息をついて仰向いた。
「まあ……問題児であることは確かだな」
見守るマイクロトフに一度微笑んでから、彼はゆっくりと語り始めた。
マチルダ騎士団領。
ここには白・赤・青の三つの騎士団がある。
カミューは現在、史上最年少の赤騎士団長に任ぜられて半年ほどが過ぎていた。ちなみにマイクロトフは青騎士団の第一部隊長である。
この地には騎士団を目指す者のための士官学校があるが、そこはマチルダ出身者のみ入学を許され、また、非常に規律が難しいことで知られていた。生徒は在籍しながら同時に騎士団にも所属するという変則的な立場に置かれ、剣技は勿論、学問や礼儀作法までを厳しく叩き込まれる。
士官学校は騎士団から独立した組織となっているが、あくまでも建て前に近い。士官学校で剣技を指導するのは騎士団から派遣される騎士であり、また、士官学校から毎年多額の資金が騎士団に流れている。言ってみれば、持ちつ持たれつの両輪のようなものだ。
在籍するのは主に貴族や騎士の親族を持つ者が多い。大概は礼節を重んじる、扱いやすい少年のはずなのだ。ところが、ここに一人の異端児がいた。
マチルダ騎士団を事実上統括するのは、最高位階である白騎士団長である。現白騎士団長はゴルドーという人物だが、この男の前にその地位に就いていたのが、ルチアスという男である。
騎士は若くして命を落とすものが多く、殊に団長ともなると悠々自適の隠居生活を送ることは極希である。ルチアスはそういう人物だった。
さて、このルチアスには息子がいなかった。娘に養子をもらって跡を継がせているが、娘婿は騎士になるほどの剣腕を持っておらず、また娘の希望もあって学問を修めていた。
ルチアスはそれを不満に思い、自分の身内を騎士にしたいと希望した。そこで彼は弟夫妻の息子に目をつけ、士官学校に推薦したのだった。
ミゲルというその少年は、確かに剣技ではルチアスの血を受け継いでいたようだ。入学当初は誰からも将来を属望され、実に大切に遇された。ところが、特待生として騎士試験を受ける少し前あたりから事情が変わってきたのである。
彼は次第に優等生の顔を崩していった。剣の腕では相変わらず右に出る少年はいなかったが、学問や礼節における成績は下降の一途を辿り、遂には士官学校の教師がサジを投げるまでに至ってしまった。
ミゲルがどうして変貌したかは謎である。ただ、あちこちで諍いを起こし、教師に刃向かい、騎士団の上官に礼を欠いては評判を落とすばかりだ。
何よりも眉を顰ていたのがゴルドーと士官学校の校長である。
何故ならば、退いたとは言えルチアスはかつての統括者、今をもっても絶大な権力を持っている男なのだ。その甥である少年を他の少年と同格に扱うことが出来ないのである。
普通ならとっくに除籍されていても不思議でない行状の数々を、それでも黙認せざるを得なかったのは、ひとえにルチアスの存在があったからだ。
騎士試験を受ける時でさえ、ミゲルの態度は改まらなかった。最終試験の試合の際には、相手を完膚なきまでに叩きのめした。
そこまではいい。すでに勝敗の決まったところで相手を殴る蹴るとあっては、到底騎士として叙位出来ようはずもない。
少年が未だに従騎士のままなのは、そういう理由であった。
ルチアスの希望もあって、彼は身柄を最高位である白騎士団に属していたので、ゴルドーは日々苛立ちを募らせていた。
自分を騎士団長に指名してくれたルチアスの手前、ミゲルを除籍することもできず、それでいて毎日のように騒ぎを起こす問題児に手を焼いて、とうとうお手上げ状態になったのだ。
もともと問題事の嫌いな男である。自分が尊崇されないのも耐えられない。彼はミゲルの態度の端々を憎んだ。
勿論、少年の言動をルチアスに逐一報告してはいた。しかし、そのたびに説き伏されて閉口していたのだった。
今回、ようやくルチアスにミゲルの所属を変えることを認めさせ、ゴルドーは上機嫌だった。
割りを食ったのは赤・青両騎士団である。
青騎士団は長きに渡って後進を導いてきた団長を失って一年に満たず、未だに模索を繰り返している。
現団長のコルネは人柄的には温厚な人物だが、偉大な指導者の陰での存在が長かったためか、部下に対して今一つ影響力が薄い。
一方の赤騎士団はカミューが団長となって半年あまりである。
けれど彼は副長であったときから部下にとってカリスマ的な存在だった。部下たちは最年少でこの地位に就いた青年を崇拝しており、団の運営は非常に円滑に運んでいた。
いずれにせよ両騎士団とも、この時点でゴルドーが投げ出した問題児を受け入れるのは喜ばしいことではなかったのである。
ゴルドーに引き摺られるようにして二人の団長の前に現れた、十七歳になる従騎士ミゲル。
言動は駄々っ子のようだが、その風体はすでに十分に大人のものだった。堂々とした体躯、ふてぶてしさの滲み出る、だが精悍な顔つき。
即座にコルネは引き受けを拒否する方に傾いた。
彼は控え目ながらも、青騎士団がまだ前団長喪失から立ち直り切っていないことを訴え、また、礼節に劣る従騎士を指導するのにカミューほど適した人物はいないだろうと示唆した。
実際、カミューは礼儀・節度において右に出るものはいないほど秀でた青年だ。巧みな弁舌、優雅きわまりない物腰。彼ならば『士官学校の暴れ馬』と異名を取る男を一端の騎士まで導くことが出来るだろう────と。
最年少であるカミューには、二人の団長に逆らうことは到底出来なかった。ここで自分が引き受けなければ、あるいはミゲルの将来は潰れる可能性もある。何と言っても彼は冷徹な表情の裏に、意外なほどの部下思いの心を持っているのだ。
カミューはミゲルに興味を持った。
士官学校の報告では、少年の剣技の成績は抜群だった。実際にその目で見たわけではないから何とも言えないが、ミゲルの体格や動作からいけば、確かに期待できるものがある。
それに何故か、ミゲルは年下の見習い騎士や従者に絶大な人気があった。ただ荒くれた少年なら、こういうことはないだろう。上官や教師には見せないミゲルの本質が、少年たちを引きつけているのに違いない。
もう一つ、誰も知り得ないカミューの本質も働いた。
彼は常に柔軟に物事を流してきた。誰もが彼を優れた政治家であると判断する。特別阿るわけでもないが、彼はゴルドーに大変気に入られていたし、ほとんど年上ばかりである部下にも決して反感を持たせたりはしない。
巧みに人を操り、上手に世間を泳いでいる赤騎士団長。しかし実は、彼は誰より負けん気が強いのである。
白・青両団長が、測るような目をしているのを敏感に感じた。最年少で地位を極めた彼に、果たして問題を解決する力があるのかと値踏みする視線を。
────ならば応じてやると、思わずにはいられなかった。
そして何よりもミゲルには、カミューの愛する男の匂いがした。
上辺の礼節を通さない無器用さ、他者に阿ることをせぬ一本気さ。
どこか苦笑を禁じ得ず、結局ミゲルを引き受けたのである。
無論、彼の部下たちは面白くなかった。
最愛の団長が面倒を背負い込んだ────それが団の規律を損なうことを恐れ、カミューが尻拭いをする羽目になるのではないかと案じ、最終的には憤りとなって噂に花が咲いたのだ。
マイクロトフはそうした噂を聞きつけたわけである。
詳しい事情まではわからなくても、カミューが面倒に巻き込まれるのではないかという本能的な懸念だけは生まれ、いつもなら聞き流す噂話に顔を突っ込み、しまいに眉を寄せたのである。
「……大丈夫か?」
「何がだ?」
案じるように囁いた男に、カミューは朗らかに返した。
「その……相当な問題児だと聞いた。上位の者でも構わず殴りつけたり、命令をサボって平然としていたり……普通ならすぐにでも除籍になるような奴だそうじゃないか」
「まあな……それだけ前白騎士団長のご威光が強いということだろう。士官学校長にもお会いしたが、何とか無事に騎士に仕立ててくれ、でなければルチアス様に顔が立たないと泣きつかれた」
笑ったカミューに、意外なほど真剣な顔のマイクロトフが言い募った。
「騎士を目指す者の風上にも置けない奴だ。まったく、何だってルチアス様はそうまで身内にこだわるのだろう? 第一、そいつは騎士になりたくないのではないか?」
カミューも考え込んだ。
────そうは思えない。
確かに礼節や忠誠といった騎士に不可欠な要素は著しく欠いている。けれど、その剣腕は確かに優れているらしい。ミゲルを引き受けると決めてから、急遽情報を集めたが、入ってくる話はいずれも彼の見事な剣捌きを挙げていた。
天性の素質はあったとしても、努力なしに開花させるのは難しい。要するにミゲルは剣技が好きなのだろう。ただそれが、騎士になるということに結びついていないだけで。
だが、士官学校に入ったときには紛れもなく特待生の扱いを受けたのだ。最初から暴れ馬だったわけではないらしい。
だとしたら何らかの理由があるのだろう────礼節や忠誠に意味を見出せなかった理由が。
「……まあ、ゆっくりやるさ。このところ出兵もないし、正直退屈していたところだ。ここらでわたしの真価が試されるのも悪くない」
「カミュー……無理はするなよ」
マイクロトフは囁いて、柔らかく唇を落とした。
「おまえは何でも自分一人で背負い込もうとするから……心配だ。何かあったら、いつでも言えよ? どんなことでも力になる」
カミューは思わず吹き出しそうになった。
────この、あらゆることに無頓着な男に案じられるなんて。
マイクロトフがこうした気遣いを見せるまで成長したとは。
身体を震わせて笑いを堪えている恋人に気づいて、マイクロトフが渋い顔になった。
「……おい」
「わ、わかった。困ったことが起きたら、相談することにする。まあ……
、この手の問題でおまえに頼るようになったら終わりの気もするが……」
「カミュー……おまえなあ……」
「団内の問題くらいは自分で納めてみせるさ。でなければ、おまえの『ただ一人の相手』である資格もなかろう?」
カミューはマイクロトフの頬に手を伸ばした。応えるように再び唇が重ねられ、隙間から熱い吐息が洩れた。
「おまえと共にあるために……わたしはわたしの出来ることをする。心配しないでくれ、マイクロトフ」
それでもマイクロトフはまだ案じていた。
カミューは確かに何でも上手くやってのける。自分などより余程器用だし、端から見れば悩み事など無縁であるかのように瓢々としている。
だが、彼は思考で生きている人間であり、時には理性に縛られて身動き出来なくなる危うさを持っている。そのことを、ただ一人マイクロトフは知っているのだ。
「───忘れるなよ。おれの手はおまえのためにあることを……」
念を入れて言い聞かそうとする恋人に、カミューは艶やかな笑みを見せた。形良い唇は、男の激しい情熱によって塞がれた。
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それにしても説明くさい始まり方……。
しかもピロートークだったりするあたりが……(死)
次回副題は「赤騎士団の楽しい日常」(笑)
寛容の間に戻る
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