PHANTOM・27-2


たとえ相愛だったからといって、今ここで疲弊し尽くした青年の肌を欲するのは道に外れた行為ではないかと考えていた。それがカミュー自身の回復に繋がるのだと示唆されても、逆に愛情が手段になるようで躊躇われた。
けれど腕の中に納めた琥珀に同じ熱が燃えているような、そんな期待に誘われて、マイクロトフは寝台に乗り上げる。カミューは僅かに身を竦めたが、押し止めようとはしなかった。代わりに、彼らしからぬ細い声で言う。
「わたしが怯んでも、気にしないでくれ」
本気で拒んでいる訳ではないから───そう続いた言葉の奥の傷を思い、マイクロトフは顔を曇らせた。
「心はおまえを求めても、身体が従わないかもしれない。そのときは無視してくれ、……頼むから」
この提案には流石に考え込むマイクロトフだ。あんなことがあった後では詮無き懸念かもしれないが、そう言われたところで簡単に了承出来る問題ではない。
「そう言われても、だな……」
深刻な面持ちで言葉を探し、けれど叶わず途方に暮れる。そんな男を見守っていたカミューが苦しげに顔を背けた。
「……初めてなら良かった」
「何がだ?」
するといっそう小さくなった声が続ける。
「おまえが……初めてなら良かったのだけれど」
「カミュー」
険しい顔でマイクロトフは遮った。
「おまえは悪い夢を数に入れるつもりか? それは許し難いぞ」
「マイクロトフ……」
つ、と頬を伝った掌が掬い上げるように顔を上向かせる。真っ直ぐに交わった瞳が醸す熱は、死した暴行者からは決して伝わらなかった、生きた情愛だ。叱責とは裏腹に、触れるくちづけは泣き出しそうなほど温かい。心通わせたものと交わす抱擁はカミューの躊躇を押し流すまでに強かった。
首筋へと降りた唇が、湿った温みと、火の点くような痛みを落としていく。そのまま被さる男の重みによってカミューは柔らかな敷布に倒された。寛げられた衣服の内に忍び入る呼気の激しさが、魔性の愛撫に勝る勢いで昂ぶりを呼び寄せる。
「……それに」
洩らし掛けた独言をカミューが耳聡く聞き止めた。
「それに?」
窺うように問われた男は一呼吸置いてから不敵に笑んだ。
「それに、おれは死霊如きに負けるつもりはない」
たとえ技巧などなくとも、想いの深さで凌駕する。
傷つけるために抱くのではない。満たすために抱き締めるのだ。それがカミューにとって、初めての行為でなくて何だろう。
幼げに瞳を揺らす青年の唇を塞ぎ、隙間なく密着した全身で温もりを分かつ。覗いた白い胸元に暴虐の幻を見ることは最早なかった。生きて脈打つ鼓動を伝うように舌を這わせ、震え戦いた肩を掴み締め、薄闇の中で凝った胸の尖りを撫で上げる。
仄かな快楽の喘ぎは、更に片側を舐ると顕著になった。己が上げさせた愉悦の響きに気を良くして、マイクロトフは熱心に愛撫を続けた。
カミューは、予想された嫌悪や拒絶が沸くどころか、悦びに支配される身体に狼狽えるばかりだった。どちらかと言えば荒っぽい、けれどマイクロトフらしい侵略が下肢に及ぶ頃には、戸惑いも羞恥も入り込む余地を失っていた。
厚手のカーテンは日中から開け放たれたままだ。遮られることなく、月明りは男の体躯をカミューの瞳に映し出す。時折、身を起こして案じるように覗き込む伴侶の姿を。
眼差しに映らぬ悪夢ではなく、願いが作り上げた幻でもなく。
生きて未来を共有する男。その現実に昏い影は皆無だった。
忘れ去れぬ苦悶の記憶が時としてカミューの体躯を竦ませたが、それも反射でしかない。熱い掌に触れられるたびに溶け出し、やがて彼は一切を忘れた。
何一つ隠さず、すべてを互いの前に曝け出す。
カミューには、かつて幾人もの乙女と過ごした筈の時間がこれほど神聖なものに思えた刹那はなかった。彷徨いの果てに最後の一人と対峙した、そんな心地でもあった。
この粛然をさだめと呼ぶなら、唯一の相手と交わす最初の瞬間。押し入る苦痛にすら歓喜が零れた。
「大丈夫か?」
額に汗を滲ませて仰け反るカミューを低い慰撫が呼ぶ。見上げれば男らしい眉が困惑げに寄せられていた。そこでカミューは何時の間にか流れていた涙に気付いて、苦しい息の中から笑みを洩らす。
「……心は満たされているよ」
良かった、と知らず呟いてマイクロトフは苦笑した。
「無理に事を進めるつもりはなかったが、やはり強引だったかもしれない」
「そういう感想を……いちいち述べないでくれ」
心から訴えたが、マイクロトフはお構いなしだ。
「参った、もう少し自制が働かせられると思っていたのに。駄目だな、おまえを前にして理性など保てそうにない」
どうせ保てぬ理性なら、何故ここで取り戻す───カミューは泣き笑いそうになる。
身体を繋げたこの状態で、何故この男は生真面目に己を顧みたりしているのか。体内を浸食する圧迫に慣れる猶予を与えられた気はするが、この展開は歓迎出来ない。
「カミュー、本当に大丈夫か? このまま続けても構わないか?」
「……黙って続けろ、馬鹿」
唸るように吐き出して、カミューは目前の男を抱き締めた。

 

愛している。
無骨で融通が利かず、何処までも一本気な男。
誠意と信念だけですべてを圧倒し、運命さえも跪かせるであろうマイクロトフ。
幾分外れた生真面目さすら、慕わしく、愛おしい。

 


「つらかったら言ってくれ」
律儀に前置きしてから、彼はゆっくりと律動を開始した。これ以上ないほど深くカミューと触れ合っているのだと思うだけで弾けそうになる欲を必死に叱咤しながら。
美貌の赤騎士団長は、今や烈火の化身のようだった。四肢の隅々までもが灼熱を孕み、重なるマイクロトフの肌を焦がす。
マイクロトフは知らなかった。
体温が低そうに見える親友の肉体が、こんなにも燃え盛る熱を秘めていたとは。狂おしげに震える白磁の頬が、これほどまでに魅惑的だったとは。
忘我の快楽の渦中に、ふと死せる騎士の言葉がちらつく。己が身を失った赤騎士ヘインは、血の通ったマイクロトフの肉体を欲していた。そうしたところでカミューの心など与えられぬと知りながら、それでも諦め切れなかった男の渇望。焦がれた人と体温を重ねる至福を知った今なら、その執着を理解出来るような気がした。
───愛していたのだ。
人道に背いた子殺しに手を染め、まして手段を誤ったままカミュー手に入れようと足掻いた騎士。だが、彼がカミューを愛していたこともまた、紛れもない真実なのだ。
けれど、決して同じ轍は踏むまい。
情愛は免罪になり得ない。カミューの、カミューたる意志を捩じ伏せて己の欲望を貫こうものなら、それは愛とは呼べなくなる。
だから最後の自制に努めようとした。拒絶を示されたときには、何としても己を止めようと。
なのに、形良い唇から洩れるのは自身の名だけだ。甘く切ない、官能を煽り立てる吐息めいたカミューの声。
これと同じ声を、あの異質の空間で聞いた。消え行く幻の青年が最後に口にした優しい囁き。マイクロトフ、ただ一言に込められた万感の想いを受け取った。依然として理解の範疇を超えているが、クロウリーが言ったように、あのとき二人の意識は確かに繋がっていたのだろう。
「……カミュー」
その情熱は暴虐には当たらぬ、そう赦された気がした。本能の命じるまま、組み敷いた身体を侵していく。
「好きだ、カミュー」
滴り落ちる汗が白い胸に弾け、カミューのそれと混じり合ってたゆたう様が、清廉を裂いて淫靡を映した。苦痛とも愉悦ともつかぬ表情となった青年が無意識のように浮かべる抵いをくちづけで封じながら、極みを目指して突き上げを繰り返す。
彼のすべてに触れようと我武者羅に弄る指先が、いつしか核心を捉えていた。優しいとは言い難い、荒々しい行為ではあったが、それは切なげな喘ぎを絞り上げ、マイクロトフの掌にあえかな反応を落としていく。
ああ、とこれまでにない切迫した響きに陥落の訪れを悟った。追い上げる手を止め、マイクロトフはきつくカミューを抱き締めて囁いた。
「……ずっと共に在る」
恋慕の海に溺れながら、カミューも男を抱き返した。もはや掠れた声は言葉を返せなかったけれど、同じ想いを伝えるため、なお深くマイクロトフを迎え入れようと身を揺らし、逞しい背を掻き抱く。
窮地の中で、けれど迷わず辿り着いた真実に感謝して、そうして二人は焔色の堰を超えた。

 

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うーむ。
何故うちの青は
最中にアレコレ会話を仕掛けるのか。

1.気を逸らして自らの暴発を防ぐため
2.先に言い訳しておこうという保身の術
3.取り敢えず話し掛けるのを礼儀と思っている

あ、ちなみに「暴発」とは、とっとと達っちまう、の意。
「やめれ」と言って止まらないのは「暴走」。
何て暴れん坊な青。

……あんまりな後書なので伏せてみました(笑)

 

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