PHANTOM


荘重なる騎士の街に、正午を告げる鐘が鳴り渡る。
城下の民が何ら変哲のない生活を満喫する刻限、穏やかな陽が走る雲の狭間に覗いていた。
日の半分を終えた人々のさざめきも、城の奥深くに用意された一画には届かない。あらゆる施設から極力遠ざけられた刑場で、今まさに一人の騎士が束の間の生涯を終えようとしているところだった。
男の名はヘイン、赤騎士団・第一部隊所属の騎士である。仲間であった赤騎士らに両脇を拘束されて引き出された顔は、幾許かの感情も伝えようとはしない。
既に骸の如き蒼白な頬、諦念が凝った緩慢なる物腰。空洞のような虚ろを湛えた瞳が、歩みの先に待つ死を見上げる。
木を組み上げて作られた絞首台。垂れた綱が初秋の風にゆらゆらと揺れていた。
騎士団の極刑には二通りの手法がある。
一つに斬首、更に重い刑罰として絞首。その者の血で剣を汚すことさえ忌まわしいとされる重罪人のみ、後者が執行されるのだ。
手法はどうあれ、死に行くものには同じとでも言いたげに男は薄く自嘲する。それでも確実に歩は進まなくなり、次第に追い立てられるようにして刑台に昇り始めた。
壇上から地を見下ろせば、見守る騎士の沈痛な面持ちが在る。何れも、久しく行われなかった極刑に思うところがあるのだろう。その中に望んだ顔がないのを口惜しく思いながら、男は首に回る綱を甘受した。
段下にて刑の執行を担う下位騎士が、ふと歩み寄った位階者に礼を払う。
「代わろう」
低く言った赤騎士団・第一隊長に騎士は目を剥いた。
「地位ある方のなさるつとめではございませぬ」
だが、彼は頑なに首を振る。
「部下の不始末は我が手によって幕を引きたい。代わってくれ」
困惑しながらも、騎士は退った。位階者の懇願を無下には出来ない。まして、極刑に処せられる人物の上官であった男の心情は一騎士にも理解するところだったからだ。
第一隊長ローウェルはすらりと剣を抜いて、地面に縫い止められている綱を一瞥した。これを断ち切れば足板が下方に落ちて、壇上の罪人を吊るすという代物だ。厳しくも痛みを湛えた眼差しが壇上の部下を見上げる。
「……言い残すことがあるなら、聞こう」
赤騎士は、彼を見ることもなく薄笑った。辛抱強く待っていると、やがて独言のような呟きが洩れる。
「どのみち死を賜るなら……いっそ本懐を遂げるよう試みれば良かった」
聞くなり、第一隊長の表情が険しさを増した。
二言は許さず、白刃が一閃する。支えを失った板が蝶番から折れ曲がり、布を締め上げるような不快な音と共に男は宙に舞った。
釣り上げられた魚じみた痙攣が、ゆるゆると弱まっていく。断末魔の呻きは皆無だった。
見守っていた数名の騎士がひっそりと目を伏せる。男の罪状は許し難きものなれど、一切の恐慌を見せなかった死に様に敬意を表したのだ。
そんな中でただ一人、自らの手で部下を黄泉路へ送った騎士隊長だけが暗い目で亡骸を睨み据えていた。
罪人の告解は、忌まわしき情念の澳火のようだった。得体の知れない嫌悪を掻き立てられ、陰欝な心地で剣を納める。
細い綱の先で緩やかに揺れる赤騎士───城は静かに、いつもと変わらぬ午後を迎えた。

 

 

 

 

「古式に則り、刑の執行を終えました。お改めください」
丁寧に机上に置かれたエンブレムを見た赤騎士団長カミューは小さく息をついて瞑目した。
「本意ではないが、監督責任に対する処分も行わねばならない。第一隊長ローウェル、二カ月の減俸を命じる」
「御意」
深々と礼を取った第一隊長にカミューは幾分表情を緩めた。
「おまえのことだ、自ら手を下したのだろう? 午後一杯の休養を命じよう」
「斯様なる御配慮は無用です、カミュー様」
厳つい顔に痛みを抱えたまま、男は首を振った。

 

 

数日前のことである。
領内における査察の任に臨んでいた赤騎士団・第一部隊は、隣国ハイランドとの国境を為す深い森の近辺で不審な一行を捉えた。
一見したところでは有り触れた家族連れであったけれど、この辺りには旅人が訪ねる村もない。僅かな談笑の間にハイランドの発音を認め、それは厳しい質疑と変じた。
多勢に無勢を見極めたのか、相手は同国の間者であると呆気なく白状した。森がマチルダ領への侵入路となるか否かを確かめるために赴いていたのだという。
ぺらぺらと任を洩らす様子から見ても、一同がハイランドで重きを為す存在には思えなかった。
間者ではあるが、軍人とも言えない。結局のところ彼らは家族ですらなく、金を積まれて視察を依頼された者の寄せ集めに過ぎなかった訳である。
第一隊長ローウェルはカミューの指示を仰ぐため、彼らを連れてロックアックスへ帰還することにした。しかし、この道中で忌まわしき事件が生じたのだ。
間者は四名。夫婦者を装った男女、その親の年頃である老人、そして十五、六歳ほどの少年。
老人の足を鑑みて途中幾度も休憩を入れて進んだため、夜が来て野営のはこびに至った。陣幕を張り、その一つに四人を籠めて見張りを置く。そこまでは俘虜連行の常道であった。
ところが、明けて陣幕内を覗くと少年がいない。即座に糾したが、残る三名は疲労困憊していたのか、熟睡していて気付かなかったという。
直ちに近辺の捜索が行われ、やがて少し離れた小さな木立ちの中で変わり果てた少年の亡骸を発見したのである。
少年の喉頸には締め上げられた跡がくっきりと残されていた。何よりもローウェルを暗澹とさせたのは、細身の身体に性的な暴行の痕跡が認められたことだ。
陣幕から少年を連れ去るなど、外部者には到底叶う所業ではない。それが可能なのは騎士、それも見張りとして置いていた者以外に考えられなかった。
追求に、赤騎士ヘインは罪を認めた。俘虜への暴行、及び殺人という騎士団内でも最も恥ずべき罪状に、だが彼は何処か壊れたように薄笑うばかりだったのである。
城に戻るなり詮議が開始された。
礼節を重んじる騎士団にて、敵兵や俘虜への暴行行為は極刑に値する。まして敵と見做すにはあまりに民間人に近しい未成年者を辱しめた罪は、もう幾年も詮議すらされたことのない悪行だった。
法議会はヘインの絞首を即決し、赤騎士団長カミューも彼に一切の弁明を許さなかった。斯くして、赤騎士団は実に久方ぶりに咎人を極刑に処すことを決議したのだった。
三名の間者の詮議も平行して行われたが、彼らはいずれも後腐れのない背景を選ばれたらしく、死んだ少年を含めて家族はなかった。それでも、数日を共に過ごした三名は互いに幾許かの情を移していた。
一応は間者としての自覚もあり、ある程度は危険も承知していたようだ。だが、礼節に名高いマチルダ騎士による暴挙は予想外であったと見え、彼らは死んだ少年を悼みつつ、終始言葉少なであった。

 

 

「三名は格別たる情報を入手したという訳でもないので、御指示通りハイランドへ送り返そうと手配したのですが、どうやら使い捨ての身であると気付いていたらしく、こうなった今は戻りたくないと……。もともと金を得た後は、同国外に移り住む心積もりであったようで」
副長ランドの報告を受けたカミューは、少し考えてから命じた。
「……希望を聞いて、添える限りで応じてやれ。真の遺族ではないにしろ、今後彼らが少年を弔う気があるようなら、相応の金も渡してやると良い」
「拝命致します」
重い口調の受諾に彼はゆるりと首を振った。
「たとえ間者であろうと、此度の仕儀は人道的に許されることではない。二度と再びこのような事態が起きぬよう、徹底的に薫陶し直さねばならないな」
疲れたように呟く上官の表情に、部下たちが改めて頭を垂れる。机上のエンブレムを一瞥したカミューは立ち上がって副官に言った。
「ゴルドー様への報告を済ませてくる」
「はい、カミュー様」
優美な姿が扉を出ていくまで、二人は背を正したまま微動だにしなかった。重苦しい空気を払うようにランドが息をつく。
「実に後味が悪い。我が赤騎士団にて絞首が行われるとは夢にも思わなかった」
「…………」
「如何した? カミュー様の仰せだ、おまえも少し休むが良い」
無言を続ける男を案じて副長は眉を寄せたが、次第にその面差しも強張っていく。
「……何があったのだ、ローウェル」
それには答えず、第一隊長は消えた赤騎士団長を追うかのように扉に目を当てたまま動かなかった。やがて洩れた声は掠れ気味だった。
「そうした風習の地に暮らしていた者たちなのでしょう、三名は少年を荼毘に付すよう希望致しました」
「うむ、詮議の場でも述べていた……故に、ロックアックスに戻る前に処置したのであろう?」
微かに頷いてローウェルは続けた。
「わたしも可能な限り、遺体を人目に曝したくなかったのです」
それは道理だ───ランドは顔を歪めながら思う。年若い少年が乱暴され、挙げ句、絞め殺されたなど、痛ましいばかりだ。葬儀の風習もあれど、同行者三名は暴力の傷痕も生々しい少年の肉体を長く現世に留め置くのは耐え難い、そんなふうに考えたのに違いない。
だが、第一隊長は依然険しい顔つきのまま握った拳を震わせた。
「……死の間際にヘインは口にしました。どうせ死すなら、本懐を遂げるべきだったと」
「本懐?」
怪訝そうに繰り返したランドは、続く部下の吐き出すような言葉に冷えた異物が胸に沈んでいく錯覚を過らせた。
「品格や知性は到底及びも致しませぬ。けれど、あの少年の容貌は───何処か似ていたのです、十代でおられた頃のカミュー様に」

 

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