街を木枯らしが駆けていた。
ただでさえ冷えて見える石造りの街。秋口までは豊かな緑がそれを感じさせなかったが、すっかりと葉を落とした木々が寒々とした気配を煽り立て、立ち尽くすカミューを震わせた。
おとなしく従っていた馬が通り抜けた北風の強さに低く鼻を鳴らして踏鞴を踏む。それを宥めながら幾度目か分からぬ溜め息をついた。
待たされるのは初めてだ。一つ年下の少年は約束事には厳しい節度を守る。普段はほんの僅かカミューが遅れただけでも、責め立てる真似こそしないが、不満そうな表情を見せるのだ。
彼に言わせれば『遅れただけ一緒に過ごす時間が減る』ということらしいが、もともと時間に煩い質なのだろうとカミューは解していた。
十五歳───半年前に正騎士の叙位を受けたカミューはその年の騎士試験の主席である。新任騎士としては異例の待遇で赤騎士団の精鋭第一部隊に配属され、まずは順調に騎士生活を滑り出したところだ。
騎士団には珍しく異邦の出自である彼は、他の騎士仲間と殊更深く交わろうとしなかったが、唯一例外があった。青騎士団・第三部隊所属騎士マイクロトフである。
騎士試験における模擬戦で戦った相手はロックアックスに在る騎士士官学校の特待生で、大方の同期叙位者よりもひとつ年少だった。
この年頃の一年は大きい。けれどマイクロトフは年少であることを忘れさせる長駆と剣技によって模擬戦を勝ち抜き、最終試合でカミューと一戦を交えたのである。
故郷の草原で生きるために剣を振るってきたカミューには恵まれた境遇で剣に打ち込んできたロックアックス在住の子弟には負けられない矜持、そして我が身への自信があった。けれどマイクロトフの剣腕はその自信を脅かすほどに優れたものであったのだ。
互いの意地を懸けての勝負は長引き、やがて相手の腕力に負けて利き手を痛めたカミューは、しかし最後の一瞬で勝ちを譲られた。
矜持を傷つけられて不快を覚えたものの、マイクロトフの言い分はあっさりとしたものだった。特待生として試合数を優遇された身では真の勝負とは言えない、よって再戦を希望する、と。
騎士団の要人たちが見守る試合が将来にも関わる重大なものであることは彼も知っていた筈だ。にもかかわらず自らの価値観に従って平然と負けてみせる不敵さ、それ以上におおらかな笑顔に意表を衝かれた。
その後、マイクロトフの言う公平な状況下による対戦に臨んだカミューは、勝利の愉悦と一人の『友人』を得ることになった。
この歳で面と向かって『友達になりたい』と言われるなど、考えたこともなかった。
彼の裏表ない真っ直ぐな気性を好ましくは思っていたけれど、自らとは異なる剣捌きに感服してはいたけれど、友情というものが申し込まれて始まる類の関係とは思えなかった。立ち交わるうちに自然と芽生えてくる親愛、それが友情なのではないかとも考えた。
首を傾げながらも生真面目な少年を傷つけることを恐れて了承してから半年。空いた時間に城内で会話したり、彼の苦手とする政治学の解釈を伝授してやったりと、一応の交友は続いている。
それでもカミューには常に一抹の疑問があった。
言葉を交わせば交わすほど、自身らが両極にあることを感じる。騎士団という世界に崇高な理想を抱くマイクロトフに比べ、カミューは然程夢を見ていない。だから彼が騎士の在り方に熱弁を振るうたびに暑苦しく思うことも多々あった。
カミューは現実主義者である。冷淡とまではいかないにしろ、利にならぬものに我慢して付き合うほど人が好い訳でもない。してみると、マイクロトフとの関係は何なのだろうとしみじみ悩むこともある。
今日とてそうだ。
久しぶりに二人の休日が揃ったことを知り、マイクロトフはいとも嬉しげに遠乗りを申し出てきた。
何もこんな真冬の時期に、と思わないでもなかったが、答えも待たずに楽しげに計画を展開する彼の勢いに負けた。
寝床から起き出すのも億劫な寒い朝、震えながら支度を整えて待ち合わせの場に向かってみればマイクロトフの姿はない。
ややむっとしたものの、大概は自分の方が待たせていることを思い出して、木枯らしに吹き晒される苦難と戦い始めたのである。
見上げた空は暗い。
寒い上に雨でも落ちてきそうな塩梅だ。
到底遠乗り日和とは言えないし、待つのも限界である。いい加減義理は果たしただろうと馬の手綱に手を掛けたとき、人気のない通りを疾走してくる騎馬が見えた。
「カミュー!」
吹き荒ぶ風に短い黒髪を乱した少年が馬上から呼ぶ。もう少し早く帰ってしまえば良かった、束の間そう過るのを押し殺して口元に笑みを浮かべた。
「すまない……待たせてしまって!」
馬を止めるなり、転げるように駆け寄ったマイクロトフは目前で深々と頭を下げた。
「今日は冷えるな、寒かっただろう。本当にすまなかった」
「いや……」
言い訳めいたものもせずにひたすら陳謝する少年を見ていると、胸の奥で何かが燻る。くどくどしく遅れた理由でも説明してくれれば非難のひとつも口に出来ようものを、こうも必死に詫びられるばかりではそれも適わない。
ともかく会えて良かったのだろうと思い直して帰宅を告げようとした。
「マイクロトフ、今日は……」
「ああ、晴天に恵まれずに残念だったな。では行こう、カミュー」
言うなり彼は自馬に向かい出す。最後まで話を聞け、と背中に言い掛けたカミューだが、ふと振り返った満面の笑顔に口籠った。
「叔母上が弁当を作ってくれたんだ。豪勢だぞ、楽しみにしていてくれ」
折角の弁当も、こんな日に屋外で取るのでは味を堪能出来ないのではないか───心中呟いたカミューはもう一度小さな溜め息をついて鐙に足を乗せた。
マチルダ騎士団領は領土を山岳地帯と森林に囲まれている。最東に在る森は隣国ハイランドとの境界を為し、同国の侵攻を食い止める巨大な森林地帯であった。
マイクロトフが立てた遠乗りの計画は、その国境の森への路を行けるところまで行くというものだった。
カミューとしても草原育ちの身から乗馬は好むところであり、晴天ならば寒さを忘れて心地良い解放感を味わうことが出来ただろう。
しかし、どんよりと曇った空から雨が落ちてくるのではないかと気遣いながらではそうもいかない。少し前方を走るマイクロトフの背を見遣って洩らした吐息は白く凍った。
雲に覆われた空では日の高さを確かめることも出来ず、どれくらい走らせた頃であろうか、馬の脚がやや鈍ったときに初めて声を掛けてみた。
「マイクロトフ、少し休まないか?」
だが、先を行く少年は答えない。怪訝に思って馬に鞭を入れて、改めて呼んだ。
「マイクロトフ! 馬も疲れてきたようだし、ここらで休息を……」
そこでカミューはぎくりとした。横に並ぶまで分からなかったが、マイクロトフの顔は真っ赤なのだ。その上、俯き加減で殆ど馬の首にもたれそうなほどだ。
「マイクロトフ?!」
慌てて馬を寄せて手綱を掴むと、代わりにといった様子でマイクロトフの腕はだらりと落ちた。
細心を払いながら互いの馬を止め、更に手を差し伸べて肩を揺らすと同時に彼はぼんやりした目を向けてきた。
「あ、……カミュー……」
「『あ』じゃないだろう、どうした? 気分でも悪いのかい?」
唇を噛んで首を振る少年に苛立ち、そのまま額を探ると今度こそカミューは唖然とした。ひどい熱である。いつからなのか分からないが、よくぞ落馬せずにここまで来たと呆れるほどだ。
「何をやっているんだ、おまえは……具合が悪いならどうして早く言わない?」
「大丈夫だと思ったんだ……」
「大丈夫じゃないだろう」
言いながらカミューは四方を見回した。走った時間や方角を考慮した上で、ここからロックアックスへ戻るよりは街道の村を目指す方が早いと判断する。それから外套を脱いで、マイクロトフの身体を覆った。
ふわりと布に包まれた途端、少年は真っ赤な顔で言う。
「駄目だ、カミュー……風邪をひいてしまうぞ」
「すでに熱を出している人間に言われたくないな」
そのまま自らの馬を降り、手綱を伸ばしてマイクロトフの馬の鞍に括り付けた。軽やかに背後に飛び乗るカミューを少年は虚ろな眼差しで振り返る。どうやら外套を返そうとしているらしいのを見て取り、きつい口調で叱り飛ばした。
「いいからそのまま羽織っているんだ、脱ごうとしたら馬から落とすからな」
「……それは酷いぞ」
力なく笑って少年は首を振った。そうしている間にも額は玉の汗を浮かべている。一度だけ指先で拭ってやると、カミューは馬に鞭を入れた。引き摺られて進み出した自馬も、やがて速度を上げる。
二頭の馬は類稀なる手綱捌きを操る若き赤騎士の支配のもと、枯れ野をひた走った。
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