誇り在る闘争


目に染みるほど鮮やかな紺碧に高い太陽が燦然と輝いている。
ロックアックス城内で最も広大な敷地を為す中央騎馬闘技場には、満を持して居並ぶ勇壮なる騎士たちの姿があった。いずれの顔にも気高い決意が漲り、張り詰めた空気を放ちながら微動だもせずに刻を告げる声を待っている。
闘技場の右左翼に対峙する赤・青両騎士団員の総数、百あまり。選り抜かれた屈指の戦士が自団の威信を懸けて戦いに臨まんとしているのだ。
左翼に陣取った赤騎士団の人垣の中で普段通り悠然と軍馬に跨がるカミュー、そして傍らに位置する第一部隊長ローウェル。二人の視線の先に列を正した各部隊選出の団員たちは息さえも潜めている。やがて手綱を操り、数歩馬を進めた第一隊長が出陣前の口上を取った。
「我が赤騎士団、そして選ばれし者たちに剣と誇りの加護あらんことを」
一斉に平伏する赤騎士の中から第二部隊長アレンが進み出て、背後の騎士らを振り返った。
「良いか! 我らは全赤騎士団員の誇りに懸けて、この一戦に勝利せねばならぬ!」
おお、と勇んだ雄叫びが上がる。
「今日、この日のために我らが心をひとつにして重ねた鍛練、我が赤騎士団の総力を青騎士団に存分に味わってもらおうぞ!」
更に大きくなった鼓舞が飛び交い、あたりは騒然となった。日頃礼節に厚く、沈着を旨とする騎士であるが、この一瞬だけは高揚と闘志に酔い痴れて気勢を上げるのだ。
そこへ青騎士団からの伝令がやってきた。戦いの火蓋が切って落とされる刻限だ。
ちらと右翼に布陣する青騎士団員を見遣る赤騎士たちの瞳に、得も言われぬ闘気が過った。
「カミュー様」
アレンが恭しく呼んだ。
請われて馬を進ませた端麗なる赤騎士団長は、即座に静まり返って威儀を正す忠実なる部下たちの前に立ち、形良い唇を綻ばせる。
唯一絶対なる主君の檄を聞き洩らさんと呼気を飲み、瞬きもせずに待つ彼らに向けて穏やかな声が命じた。
「…………転んで怪我をしないように」

 

 

 

 

厳粛なるマチルダ騎士団・騎馬闘技場。
その中央には長い一本の綱がひっそりと横たわっていた。

 

 

 

◆        ◇        ◆

 

 

 

数日前のことである。
城内の食堂は夜食を取る騎士たちで賑わっていた。
大抵の騎士は自団の仲間とテーブルを囲むことが多いのだが、その日は混雑していたこともあって、各騎士団員が混じり合うかたちで席を取っていた。
その中で赤・青両騎士が騒ぎを起こしたのである。
日常、個々の騎士団長が親しいこともあって円満な関係を保っている両騎士たちは、所属を越えて談笑し合い、楽しいひとときを過ごしていた。が、夜勤組ではなかったことで酒が入ったのがまずかったらしい。
最初はほのぼのとした自団長自慢に過ぎなかった。
『カミュー様の御命令なら苦しいつとめも極楽気分』だの、『マイクロトフ団長とご一緒ならば早朝訓練も何のその』だの、互いに敬愛する主君が如何に素晴らしいかを披露し合うに過ぎなかったのだ。
どのあたりから状況が変わったのか、後に詰問を受けた当事者らにも分からなかった。
気づけば『マイクロトフ様のように猪突猛進な御方が団長では苦労するな』だの『カミュー様のお部屋が赤騎士からの恋文で埋まっているとは本当か』だのといった方向へ、更には『青騎士団は早起きと力押し以外に能があるのか』『赤騎士団から悪巧みと馬を取ると何が残るだろう』まで発展した。
私闘を禁じた騎士の教えに背く行為こそ踏み止まったものの、入り乱れて鼻息荒く睨み合う様はガマ同士の喧嘩の如きであったという。
互いに引かない意地の張り合いを仲裁したのは、たまたま食堂に訪れた青騎士団・第一部隊長メルヴィル、そして赤騎士団・第二隊長アレンという男たちであったが、これが更なる騒動の発端となったのであった。

 

 

 

 

 

 

赤騎士団長・執務室。
急遽招集された全騎士隊長の見守る中、報告を受けた騎士団長カミューは物憂げに髪を掻き上げた。
「……で? どうしてそこで勝負ということになるんだい?」
「は、はあ……その、何と申しますか……」
第二隊長アレンはおずおずと、やや口籠りがちに頭を垂れる。
「売り言葉に買い言葉、……とでも申しましょうか……」

 

 

共に上位階にある男たちの出現に場が納まるかといえば逆だった。
それぞれの部下たちが我先にと主張の正当性を訴え、あまりの勢いにアレンが圧倒されている間にメルヴィルは薄い笑みを浮かべて言い放ったのだ。

───みな、己の所属騎士団への誇りと自信を譲らない。これはどうやら納まりがつかぬ様子、ならばいっそ青・赤両騎士団いずれが秀でているかを決しようではないか。

 

アレンは戸惑った。
確かに他騎士団合同による軍事演習は恒常的に行われている。しかしそれは騎士団長相互の合意の許に決議され、更には白騎士団長の裁可をも得て執られる訓練なのだ。とてもではないが、一部隊長の判断で決定されるべき類のものではない。
自見解を述べたところ、メルヴィルは苦笑った。

───何も全団員を動員しての大掛かりなものとは言わぬ、個々に代表を選出するかたちで競えば良い。
我が青騎士団長も訓練には変化が肝要と常々仰せである。大々的でなくとも、他団と武力を交えることは歓迎なさるであろう。

 

 

「……嘘だな」
騎士隊長の一人が小声で呟く。別の一人も同意した。
「ああ、そこのところはメルヴィル殿の創作だな。あのマイクロトフ様が斯様に深慮なる御言葉を洩らされるなど、疑わしい」

 

 

それでもアレンが躊躇していると、唆すように青騎士隊長は続けた。

───このところ時世は落ち着いているが、いつ戦火が上がるとも分からない。画一化された訓練だけでなく、多様な戦法に身を馴染ませておく必要もあろう。
闘技の手法、選出人員数などはすべてそちらに一任しよう。それが言い出した青騎士団の譲歩ということで、如何か。

 

 

「それで受けられたのですか、アレン隊長」
「少々軽はずみでございましたな……」
非難を浴びたアレンは憮然と首を振った。
「わたしとて、事態は重々承知していた。そこまでは何とか堪えたのだが……」

 

 

最後にメルヴィルは駄目押しのようににやりとしたのだ。

───もっとも、そちらの団長殿が青騎士団との勝負を怖じられるというなら話は別だが。

 

 

「何ですと?!」
「ううむ、それは信じ難き暴言!」
そこで赤騎士隊長らはそれまでの沈着を投げ捨てることとなった。
彼ら赤騎士にとって敬愛する自団長への侮辱は何を置いても許すまじき罪業である。半ば掴みかからん勢いをもって、彼らはアレンに詰め寄った。
「そこで黙って退かれたのですかっ!」
「然様、これは我が赤騎士団総員に向けての侮辱でもありますぞ!」
非難轟々の輪の中央、第二隊長は拳を高々と突き上げた。
「だから受けてしまったのだ! 我らがカミュー団長はマチルダ史上最年少にて位階を極めた類稀なる気高き騎士、青騎士団如きに怖じて勝負を避ける御方にあらず。其を侮辱せしめたるは言語道断、よって赤騎士団の総力をもって雌雄を決すべく勝負を受ける……そう返してやった!」
「ようしっ、よくぞ仰いました、アレン殿!!」
「ついでに『私闘厳禁』の掟に触れぬ程度に足でも踏んで差し上げれば、なお宜しかったのですが!」
「むっ、それは気がつかなかったぞ……不覚!」

 

異様な熱気に包まれている男たちを見守っていた第一隊長ローウェルはひっそりと溜め息をついた。
現在、赤騎士団副長ランドは不在である。同位階である青騎士団副長ディクレイと共に長期休暇を取っているのだ。二人は個々の家族を伴い、マチルダ領内にある小さな村の温泉で和やかな休日を過ごしている頃だった。
温厚にして理性的である彼を欠いた今、この妙な勢いを止められるものはない。本来ならローウェルの役目なのだろうが、困ったことに彼自身もまた、カミューが持ち出されたあたりで拳を震わせてしまったのだから。

 

「よりによってカミュー様を交渉の材料と為すとは……メルヴィルめ!」
「『殿』をつけろ、『殿』を。他団の騎士隊長とは言え、礼節にもとるぞ」
「しっ、しかし……」
「やられたな、これは……。カミュー様の御名を出されてはアレン殿でなくとも退くわけにはゆかぬ」
ぎりぎりと唇を噛み、騎士隊長らは縋る眼差しで愛してやまぬ騎士団長を見遣る。それまで無言で事の経過を聞いていたカミューであるが、初めて小さく微笑んだ。
「メルヴィルは朴訥なる青騎士団には珍しく策士らしいからね、アレンを手玉に取るくらいは訳ないだろう」
それを聞いてアレンは悄然と項垂れる。
「まことに申し訳もなく……しかし、わたしはただ……」
「まあいい」
カミューは両手を重ね合わせて背もたれに沈んだ。
「受けてしまった以上、今更退くことも出来まい。それこそ『逃げた』と吹聴されそうだ。わたしもメルヴィルに同意するよ、自団内での訓練は単調になりがちだ。経緯はどうあれ、他団と競うことは無益ではない」
「カ、カミュー団長……」
感激して平伏するアレンに更に柔らかな声が問う。
「アレン、諍いを起こした騎士の処分は?」
「はい、酒に酔って騒いだ経過は甚だ遺憾ながら、つとめ明けだったことや最後まで暴力には及ばなかったことを割り引いて各人十時間の自主鍛練追加を命じておきました。軽かったでしょうか?」
いや、と満足したようにカミューは首を振る。
「では、おまえも十時間の追加自主鍛練に励むといい。少しは忍耐と沈着の糧になるだろう」
一瞬悲しげに顔を歪めたアレンだが、すぐに思い直したように礼を取った。
「何事もカミュー団長の仰せのままに!」
重々しく頷いて赤騎士団長は表情を引き締めた。
「さて、どうしたものだろうね。対戦の諸々はこちらに任されたが……日々のつとめに支障ない程度となると……」
意見を求めるように視線を送られたローウェルは暫し鑑みて口を開く。
「対戦手段にも拠りましょうが、もし各部隊から人員を選出するとなれば混合部隊……改めて指揮系統より組まねばなりませぬ。限られた日数で部隊を纏め上げるとなれば至難、あまり多くを導入するのは避けた方が宜しいかと」
思う通りの展開を述べた第一隊長にカミューはにっこりした。片手でペンを弄びながら一同を見回す。
「ならば対戦方法から決めよう。何か案はあるかい?」
「やはり我が赤騎士団の得意とする騎馬戦が宜しいのではないかと」
一人が提案したが、すぐに反論が為された。
「いや、メルヴィル殿のことだ。こちらの得意戦法で応じたとあれば『やはり赤騎士団は馬以外に能がない』と嘲笑されるだろう」
「……仰りそうですな」
腕を組んで考え込んでいたアレンが、ふと気づいたように顔を上げる。
「此度の件、それが理由ではないだろうか」
騎士隊長らは怪訝そうに眉を寄せた。もう一度思案した上で自説に確信を持ったのか、今度は一同を眺め遣りながら彼は説く。
「今年に入ってから青騎士団と合同演習は行われていない。昨年末の最後の演習時、野外騎馬戦において我らが大勝したではないか。あのときのことを根に持ち、遺恨を晴らそうとしているのでは?」
一斉に男たちは顔を見合わせた。それから誰からともなく小声の同意が洩れ始める。
「……ありそうですな」
「メルヴィル殿は絶対に根に持つ御人です」
「あのときはマイクロトフ様もたいそう悔しがっておられたからな」
カミューはそこでくすりと笑った。
「あれは夜間演習だったしね……赤騎士団が負ける要素は何もなかった。負けていたら、わたしの方こそ根に持っていたさ」
その言いようにたちまち朗らかな空気が広がる。一人が鷹揚に言い放った。
「ならば此度は騎馬戦は除外致しませんか?」
「賛同する。それに先程ローウェル殿が仰せのように、混合部隊で臨むには今一つ相応しくあるまい。あれは各部隊にて緻密に鍛え上げられた技と経験があってこその戦法ですからな」
第六隊長シュルツが進み出た。
「『駆け当て』などは如何でしょう?」
『駆け当て』───騎士の間でそう呼ばれるのは、予め印をつけておいた的の横を馬で走り抜け、過ぎる一瞬に剣で一閃、より正確に印に傷を入れられた者が勝者となる技能勝負である。
暫し一同は考えた。それならば選出する騎士の個人技、新たに混合部隊を鍛え直すという手間は省ける。ただ、最初に誰かが言った『馬以外に能がない』という文言が引っ掛かり、即座に賛同し難いものがあった。
「……ここは騎士としてまっとうに剣技勝負というのは?」
「それでは芸があるまい」

 

無言の第一隊長はそこでも嘆息した。
───別に誰も勝負に芸など求めていないのだが。

 

「そうだな、剣ならば騎士団創立記念祭で対戦することもある訳だし、もっと何かこう……目新しいというか、メルヴィル殿をあっと言わせるような勝ち方をしたいものだ」
次第に何処か外していくような部下たちの意見に憂慮したローウェルはカミューを窺った。
「こうしていても容易に決まりそうにありませぬ。ここは各々思う対戦手段をひとつずつ挙げ、カミュー様に決定していただくというのは如何でしょう」
「そうだね」
微笑んでカミューは書類の山から一枚の紙を取り分けた。その紙に十本の縦線を記した上でペンを添えてローウェルに差し出す。
「では、おまえから順に希望戦法を書き込んでいってくれ。出来るだけ重ならないようにね」
「……アミダですか」
「わたしも今のところ、これといって強い希望はない。ならば何に決まっても同じだ。いっそ公正でいいだろう?」
受け取りながら苦笑して、早速男は意見を書き込み、次位階のアレンに渡した。
「おっ、ローウェル殿は体術勝負をお望みでおられますか」
「……いちいち読み上げるな」
「は、はい。では以下、前者の希望は内密ということで」
彼は第三隊長以下を見据えながらペンを走らせた。
次々に回されていく紙面であるが、徐々に速度が遅くなっていくのは決めた勝負方法が前者に先を越されて書かれてしまったからだろう。
第六隊長ほどに至ると、更に困惑ぶりが顕著となった。

 

「うっ」
「ど、どうしたシュルツ」
「ウォール隊長……気が合いますな」
第四隊長と同意見であったらしい。頭を抱え込む男をすまなそうに見詰め、第四隊長ウォールは首を振った。
「すまぬ……より良き手法を搾り出してくれ」

 

下位騎士隊長らは意見が重なるだろうことを予期していたようで、『こうなったら紙面を見てからにするか』と言わんばかりの諦め顔だった。
最後に、叙位されたばかりの最年少の騎士隊長が苦虫を噛み潰すが如き表情でペンを取り、思案した上で何事かを記して紙の下方を折り畳んだ。何やら躊躇する様子で作り終えたアミダを睨み、それから恭しくカミューに戻す。
「では、決議する。これにてさだめられた手段には如何なる異論も挟むことなく、個々の誠実をもって了承に臨むように」
「委細承知にございます」
代表して礼を払ったローウェルの声を合図に、カミューは十本の線を見詰めて考え込んだ。やがて選んだ線を細身のペンが辿っていく。
「さて……どうせなら、わたしが考えてもいなかったような対戦方法にあたるといいな」
ペンを進めながら言った騎士団長を、上位騎士隊長は微笑みをもって、下位騎士隊長は幾分引き攣り気味に見守るのだった。
やがて線の階段を滑り落ちたペン先が止まった。騎士隊長らは執務机に躙り寄りたい心地を抑えて定位置を保ったまま固唾を呑んだ。
書面に落とされたままの琥珀の眼差しが僅かに細められ、それからゆっくりと上がった美貌が一同を見る。
「……変わったものに決まったよ」
騎士隊長らは身を乗り出した。
「仰ってください、カミュー様」
「たとえ如何なる戦術であろうと、我らは一歩たりとも退くことなく全力にて臨みますぞ!」
「然様、これは我が赤騎士団の威信を懸けた戦いなのですから!」
そこでカミューは肩を竦めた。
「威信を懸けてくれるのはありがたいのだけれどね……」
男たちに見えるように、しなやかな指先が紙片を摘み上げる。紙いっぱいに記された公正なるアミダ籤を凝視した一同は、そのまま呆然と硬直した。

 

下方にて丸印で囲まれた部分に書かれた文字は、『各団五十人選出対抗・綱引き』であった。

 

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赤騎士団
嗚呼 赤騎士団
バカばかり 
(字余り)

……本日の一句。

 

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