狂乱の過ぎ去った後に残ったものは、疲弊し尽くした肉体と荒廃した意識だけであった。
カミューは静かな息を吐いていた。あれほど体内を暴れ狂った快楽の波はすでに引き、薬の支配下からは抜け出したようだったが、穏やかに上下する胸元には男が残した所有の痕跡が夥しく舞い飛んでいた。
小さな窓から差し込む細い光が、寝台を柔らかく包む。
登城の刻限はとうに過ぎているようだ。
だが、マイクロトフには行動への意識が働かなかった。
全身から力が抜けている。恋人の肉体を堪能した疲労と、心に穿たれた行き場のない空虚が彼を支配している。
どれほど愛技を尽くしても、どれほど深く繋がり合っても満たされない。肉欲は一瞬の情熱で満たされる。だが、続いて沸き起こる新たな欲望に終わりはみえない。
愛しても愛しても足りない。
奪っても奪っても足りない。
片時も傍から離れず、夜も昼もなく抱き締め続けても、多分それは満ちることのない願望なのだろう。
「……行かなくて……いいのか?」
叫び疲れて掠れた声が問うた。
久方ぶりに発せられた日常的な言葉は、ひどく違和感を帯びていた。
「おまえと離れたくない」
「つとめを───放棄するのか……?」
重ねて尋ねた声は優しくマイクロトフの耳を打った。
「わからない……もう……」
マイクロトフは重い身体を引き摺るようにして寝台に起き上がり、カミューを見下ろした。彼はここしばらくなかったほど、真っ直ぐにマイクロトフに視線を当てていた。そこには憤りはなく、ただかつてのような静けさが漂っていた。
不思議だった。
何ものにも屈服させられることを望まぬ青年が、これほどまでに意思に反して従わされ、狂態を強いられた。にもかかわらず、彼はマイクロトフを穏やかに見詰め、琥珀の瞳を逸らそうとしない。
その中にあるものは不透明な感情ばかりだ。マイクロトフには推し量るだけの力が残っていなかった。
「騎士の誇りも、つとめさえ……些細なことに思えてくる。おれはおまえの傍に居たい。片時も離れたくない、常にこうして抱き締めていたいんだ」
マイクロトフは腕を伸ばし、横たわるカミューを抱き起こした。力なくもたれてくる痩せた背を撫で、かろうじて残っていたローブを引き上げて裸体を包む。
「何が正しくて間違っているのか……もう、そんなことはどうでもいい。ただ、おまえとこうしていたい。なあ、カミュー……おれは狂っているのだろうか? 己の願望のためならすべてを踏み躙ることすら厭わぬおれは」
「マイクロトフ……」
「愛しているんだ」
汗に湿った髪を撫で、冷えた頬にくちづけて。
「どうしていいかわからぬほど……おれにはもう、どうすればこの感情が満たされるのかわからない。教えてくれ、カミュー」
憑かれたように呟き続けるマイクロトフは、ふと首筋に温かな雫が落ちるのを感じた。肩口に埋まるカミューの吐息は柔らかく甘く、触れる唇は微かに震えていた。
「わたしの、所為か……」
彼は小さく言った。
「わたしが……おまえを追い詰めたのか」
「カミュー……?」
「一度だけだ、聞いてくれ」
くぐもった懇願に、マイクロトフはそっと頷いた。
「わたしは……常に思っていた。互いを選んだその日から……わたしたちはひとつなのだと……たとえ離れて生きようと、呼び合う心が再び互いをひとつに結ぶ、そう信じ続けてきた」
「……………」
「わかってくれると思っていた」
なめらかな掌がゆっくりとマイクロトフの背を撫でた。なだめる優しさに溢れた行為に、マイクロトフの心が澄んでゆく。
「二人にとって何よりも大切だった騎士団を守り、その未来のために道を開くこと。わたしの願いはおまえの願いでもあると……わたしは思った、思い込んだ」
「カミュー……」
「二人にとって良かれと信じて……言葉になどしなくても、思いは同じであると……だが───」
カミューはそっと身を起こし、間近にマイクロトフを見詰めた。
美しい琥珀は慈しみと情愛をたたえて濡れていた。いたわるような掌が、男の硬い頬に触れる。目の端で鬱血した手首を捉えたマイクロトフは、その傷跡にくちづけた。
「わたしがおまえを……壊してしまったんだな……」
彼はマイクロトフの頭を胸に抱き入れた。耳に響く小さな鼓動に、マイクロトフはゆっくりと目を閉じた。
「───愛しているよ、マイクロトフ」
切ない、哀しげな響きが言う。
「おまえが大切だ……生涯賭けて、おまえだけを想っている」
どれほどその言葉を欲したことだろう。
「……もう二度と……離れようなどとは思わない」
待ち望んだ愛の誓い。
なのに何故、そんなに遠く聞こえるのだろう。
「わたしたちは……永遠に一緒だ」
顔を上げたマイクロトフの目には、許しに満ちた恋人の笑みが映る。
何と長いこと、その笑顔を見失っていたことだろう。
ああ、だが。
何故、おまえは泣いているのだろう───カミュー。
腕に包んだ肢体が次第に熱を帯びてくる。
なおも緩やかに男の背を行き来する青年の右手の甲に浮かび上がった紋章の影。手首に残る縛めの傷の色に似た、炎を模る聖なる陰影が真紅の輝きを増していた。