「…綺麗だよ、カミュー」
マイクロトフは己を見詰める琥珀に向かって心から賛美した。
「おまえは笑ってくれなくなったが……涙も美しいものだと教えてくれた」
マイクロトフはカミューの手に自らの手を添え、打ち震える欲情を優しく包んだ。緩やかに絞り上げると、仰け反った白い喉は激しく呼気を求め、乱れた四肢が敷布と擦れる乾いた音と重なった手元から響く濡れた音が、混じり合って淫らな音曲を奏でた。
「ん……ああ───」
理知的な瞳から次々に理性が剥ぎ取られ、快楽に溺れまいと足掻く意志が捩じ伏せられてゆく。胸の突起に舌を這わせると、カミューは身悶えて歓喜した。形良い爪先が敷布を走る。引き摺られた鎖がずるりとマイクロトフの横を移動していった。
「っ、……!」
迫り上がる頂点は呆気なくカミューを獣の領分へ突き落とした。しとどに濡れた己が掌を一瞥したマイクロトフは、陥落させた恋人を優しく見下ろした。
「早いな……これもみな、薬の所為か?」
濁った瞳を宙にさ迷わせるカミューは無論答えられない。そればかりか、放出してなお満たされぬ欲望に不自由な身を蠢かす。
マイクロトフは求めてやまぬ彼の体内に再び指を潜り込ませた。従順に受け入れ収縮を重ねる柔襞に、請われるままに抜き差しを繰り返す。
「指でなど……満足出来まい? 違うか、カミュー?」
耳元に甘く囁く声。穏やかで深い男のバリトン。
「愛している、おれのカミュー……」
刹那、カミューは涙を溢れさせた。とめどなく流れ落ちる透き通った煌めきに、マイクロトフはそっとくちづけた。
「マイクロトフ……」
「ああ」
「早く───早、く……」
「カミュー……」
長い睫毛が涙を弾き、覗き込んだ瞳にはマイクロトフ自身が映っていた。彼は、恋人の琥珀に反射する己の顔が涙を堪えているような苦しげな表情であるのを訝しく思った。
何故だろう?
望むまま、こうして愛する男に求められているにもかかわらず、どうして自分はこんな顔をしているのか。
悔恨とか苦悩とか、いっそ苦しんでいるのは自分のようにさえ見える。薬物で理性を飛ばし、薄い唇から唾液を伝わらせながら快楽の海に飲み込まれて苦悶しているカミューよりも───
カミューに望まれ欲されたかった。
カミューのすべてを奪い取り、その目に己だけを映させ、その肉体に己だけの烙印を押し、その心を己だけで埋めたかった。
今、おそらくカミューは自分以外のなにものも見えてはいまい。肉体は与えられる悦びへの期待に染まっていよう。
ひとり残されることを知ったあの日の悲憤さえ、この現実の前には色褪せる筈だったのに。
「マイクロトフ……ああ、早く……わたしを───」
微かに断崖の縁から我を取り戻しかけた彼を、なまめいた響きが遮った。見遣ったカミューは凛とした姿を思い出せないほど、しどけなく男を誘う貪欲な獣と化していた。切れた唇にこびりつく乾き始めた鮮血を舐め取る赤い舌先が、生き物の如くくちづけをねだっている。
「わかった───わかったとも、カミュー」
覆い被さるなり、カミューは待ちかねたように自由な片腕をマイクロトフの背に回した。唇を重ね、舌を絡めたときにはマイクロトフに過ぎった荒漠たる想いも四散した。
何を躊躇うことがあろう。
恋人が、己の存在だけに満ちるこのときを、どれほど望んでいたことだろう。カミューの脳裏から一切のしがらみを消し去り、燃え上がる想いの中で昇華させることだけを夢見たのではなかったか。
そのためだけに、この狭い閉ざされた世界を用意して、愛する者を繋ぎ続けてきたのではないか。
肌を傷つけぬようにと布を与えた足首とは異なり、手枷を施された手首は薄赤く裂傷を起こしていた。ふと痛みを覚え、マイクロトフは愛撫の手を止めて拘束を解いた。自由を得た両腕は、真っ直ぐにマイクロトフに向けられた。
愉悦───己を抱き寄せる恋人の腕、狂おしく背を掻き毟る恋人の指先。
それが掻き立てる激情は、彼を独占した愉悦ではないか。
他に何を思い巡らす必要があろう。
「愛している。おまえだけを生涯変わらず……カミュー」
「欲し……、マイ……クロト……、おまえを───」
みなまで言わせず、マイクロトフは滾る情熱でカミューを貫いた。
長く尾を引く歓喜の叫び。狂乱に巻き込まれて髪を振り乱し、カミューはしなやかな脚を男の腰に絡めて腰を浮かせた。よりいっそう深く男を飲み込もうと自らに痴態を強いて、それを甘受する美貌の騎士。
弾みをつけて突き上げるたびに交わった下肢から濡れた響きが零れ、揺れる鎖がマイクロトフを打った。
「……っ、あ……」
「言ってくれ、カミュー」
汗に湿った前髪を掻き分け、白磁の額にくちづけながらマイクロトフは囁いた。
「愛していると。おまえも……」
琥珀の中の自分の顔は泣き出しそうだ───マイクロトフは思う。ぼんやりと開いている恋人の瞳、そこにはもう自分さえ映されてはいまい。許容外の快楽に溺れたカミューには、言葉すら届いていないようだ。それでも彼は辛抱強く懇願し続けた。
「言ってくれ、おれを愛していると」
今も変わらず、二人の心は重なっているのだと。
息絶えた伴侶に寄り添い死をも恐れず受け入れた、前におまえが話してくれた鳥のように。
おれを得たことが生涯の至福であるのだと、おまえの言葉で、おまえの声で。
今、身体だけではなく、心からおれを求めているのだと。
───ああ、頼むから。
「カミュー」
肉体の限界を超えた青年は、半ば放心していた。情欲の炎さえ失った瞳が律動で虚ろに揺れている。
「カミュー……愛しているんだ」
抜け殻のようなおまえさえ。
「おれを拒まないでくれ」
もう二度と耐えられない。ひとり寂寥に置き去りにされることは。
「絶対に……離さない」
たとえおまえが解放を求めても。
「おまえは生涯おれのものだ!」
手折られた花が朽ちるさだめであるように、翼をもがれた鳥が生きてゆけぬように───意思を問わず服従させられる青年は、カミューであってカミューではない。
「……おれと一緒に堕ちてくれ」
この世の果てのその先の、暗く澱んだ楽園で。
────見果てぬ夢を紡ぎたい。