閉じた世界で見る夢は・6


 

片足に足らず、両腕の自由さえ奪われた身体には、到底男の強い手から逃れるすべなどなかった。
ローブの裾を左右に割り広げたマイクロトフは、鎖を引いてカミューの脚を引き寄せた。硝子の小瓶の蓋を歯で開けて、ゆっくりと粘ついた液体を指にすくい取る。続いて片手でカミューの身体を転がし、伏せさせた。
大きく開かれた下肢の狭間に差し入れた指に乗る、ひんやりした感触に、秘所を突かれたカミューは竦み上がった。
「や……嫌だ、マイクロトフ!」
「大丈夫だ、習慣性のある薬物ではないようだから」
くすりと笑ったマイクロトフは、そのまま指に力を込めた。ぬめる液体の助けを借りて押し入った体内は、蕩けるように熱く指を締めつけた。
「……っ、く……」
「冷たいだろうが、すぐに温まる……ここは熱いからな」
浅い息を繰り返して体内の異物に馴染もうとするカミューの習慣。その息遣いは弱々しい啜り泣きにも似ている。マイクロトフは続け様に液体を施した。噎せ返るような甘い香りが周囲に充満し、飲み込みきれず溢れた粘りがゆっくりと太腿を流れ、敷布に染みを作った。
「んっ……う」
執拗に粘液を塗り込める指先に、淫りがましい湿った音が立て続けに上がった。やがて指が性感を高める動きに変じると、カミューは薄茶の髪を乱して敷布にのたうった。普段ならば混じる痛みも潤いの前には無縁だったらしく、零れる喘ぎを殺そうとしてか、カミューはローブの襟を噛み締めた。
充分に解した頃合をみて、マイクロトフはようやくカミューを解放した。濡れた指をカミューのローブで拭うと、そのまま立ち上がって踵を返す。
「マイクロトフ……?!」
思わず、といった調子で洩れた声に振り返り、微かに笑んだ。
「すぐ戻る」
「……っ」
見開かれた琥珀に縋るような色が浮かんでいる。マイクロトフはそのまま無言で部屋を横切り、隣室から椅子を運んできた。眉を寄せるカミューに軽く肩を竦め、寝台から少し離れたところに背もたれを前にして腰を下ろす。観察に入ったのだと気づくなり、カミューは羞恥と憤慨に声を上げた。
「マイクロトフ、おまえは───!」
「折角の元・白騎士団長ご推奨の効能とやらを見せてもらおうと思ってな」
「…………っ」
「強情で意地っ張りなおまえが、自らおれを求めるほどに効き目があるのか……小難しいことばかり考えているおまえが、我を忘れて溺れるほどの代物なのか。興味があるだろう?」
くっくっと笑いながら彼は背もたれに両腕をつき、顎を乗せた。その間にも手の中で小瓶を弄び、残った薬を揺らしている。
「おまえは……」
掠れた声が呼んだ。マイクロトフは瓶からカミューに目を移した。
「ん?」
「おまえは……わたしが憎いのか?」
意外な言葉に眉を寄せて見詰めたカミューの額には、柔らかな髪が張りついている。ほのかに汗ばみ、弾む息を抑えようと試みているらしい姿は妖艶で隠微だった。
「何故……おれがおまえを?」
訳がわからないといったふうに首を振る男に、熱に浮かされたような視線が突き刺さる。
「この仕打ちを……憎しみ以外の何だと言う……?」
「わからないな、カミュー」
マイクロトフは溜め息をついてカミューを見返す。
「憎む? おれがおまえを……? こんなにも愛しているのに。何故そんなことを考えるんだろうな」
薄く微笑んだ唇には、カミューの知る男とは微妙に異なる影が息衝いている。
「おれに一言もなくマチルダを去ることを決めたから? おれの想いを振り捨てたから? ああ……だがな、カミュー。それでもおれはおまえを愛しているよ、おれのすべてをかけて」
漆黒の瞳は穏やかな狂気を浮かべていた。次第に苦しげに眉を寄せるカミューに手を差し伸べることもなく淡々と紡がれる言葉、だがそれは紛れもないマイクロトフの真実でもあるのだ。
「それより……どうだ、カミュー?」
不意に立ち上がり、静かに寝台に近づく男にカミューは消え入ろうとするかの如く身を縮こまらせた。予感と共に細い肩を掴み、荒々しく上向かせる。
「やめろ!」
悲痛な叫びに予感は確信へと変わり、マイクロトフは下肢にまとわりつくローブを引き剥いだ。屈辱と苦悩のうめきを洩らす青年は、何とかして男の目から我が身を隠そうと足掻いたが、鎖を引かれて開かれた箇所は室内の冷気に無残に晒されることとなった。
「…………」
マイクロトフは半ば感嘆を込めて息を吐く。触れるまでもなく屹立した情欲は、新たな刺激を求めて涙を溢れさせていた。
「なるほど、たいした効き目だな……どんな感じだ?」
答えられよう筈もなく、カミューは頑なに目を閉じて唇を噛み締める。そこから細い血が滲み出るのを目にしたマイクロトフは、寝台に座り、細い顎を捉えて血を舐り取った。優しく唇を伝う舌の感触に、カミューは肌を泡立てた。
「感じるか?」
はだけた胸元、陶器のようになめらかな肌に慎ましく存在する隆起を指先で軽くなぞると、カミューは堪え切れずに声を上げた。刺激に固く満ちた突起を指で挟めば、なまめかしく肢体が揺れた。
「薬とは便利なものだな、こうも容易く身体を素直にさせるとは」
呟いて、下肢に目を向ける。
「心もこれくらいに素直になってもらいたいものだが……」
己の欲望をこれ以上晒すまいと下肢を隠そうと身悶えるカミューを片手で押さえ込み、再び視線を青褪めた貌に戻す。そこでマイクロトフは、初めて尋常ではないカミューの汗と震えに意識を止めた。よもや薬が合わなかったのかと眉を顰めて瓶を握り、硝子に貼り付けられた成分表を検めるなり失笑した。
「すまん、カミュー……どうやら量を誤ったようだ」
施した薬物は適量の倍を超えていた。
「まあ、害はないだろう。少なくとも多用しなければ……」
気楽な調子で言ってから彼はカミューの髪を撫でた。そんな僅かな接触ですら今のカミューには震え上がるような快感らしい。
「こんなことでは駄目だな……もっと注意深くならねば、おまえの望むような立派な騎士団長とは言えない」
皮肉混じりの戯言に、カミューは目を閉じたまま答えなかった。
「欲しいか、カミュー?」
核心には触れず、内股を緩慢になぞり上げてマイクロトフは耳元に囁く。
「触って欲しいか?」
「───殺せ」
低い声が呟いた。悲憤に掠れた声には、これまでマイクロトフの聞いたことのないものがあった。
「カミュー?」
「殺してくれ、いっそ……」
愛する者の変貌に耐えかねて洩れた言葉。マイクロトフは微かに目を細め、首を振った。
「そんなことが出来る筈がないだろう? 何故そうもおれを拒む? ほんの少し正直になれば楽になるものを」
「…………」
「強情だな、相変わらず」
決して屈することのない誇り高き姿こそ、愛した青年である。だが、狂気を道連れにするマイクロトフには苛立ちを掻き立てるばかりの拒絶だった。
「ならば……好きにしろ」
マイクロトフは再び椅子に戻った。
考えてみれば情を交わして数年、カミューから求められた記憶は数えるばかりだ。してみると、やはり想いの比重は明らかに異なっていたのかもしれない。それが彼にマチルダを、そして自分を捨てさせることを躊躇わせなかったのかもしれなかった。
故郷へ戻る決意の前には、重ねた肌も愛撫の熱も、何の歯止めにならず───敗れたのだ。
幾度となく耳にした歓喜の喘ぎも、目にした悦楽の涙さえ幻だったのか。そう思うだけで胸が焼ける。今、こうしてカミューに強いる恥辱を苛みとは思わない。これは愛を蘇らせるための再戦なのだ。
信じて止まぬ一念が理性から零れ落ちていることを、すでにマイクロトフは理解出来なかった。
「マ……イクロトフ───」
ふと、濡れた声が彼を我に返らせた。
「……頼、む……ああ……」
ぐっしょりと濡れた額に張り付く髪の間から、潤んだ瞳が見詰めてくる。陥落を厭い、それでも噴き上がるうねりにのたうつ苦悩する琥珀は壮絶なまでに美しかった。
「変になり……そうだ………」
「……おれに触れられるのは嫌なんだろう?」
逆襲とばかりに返すと、カミューは狂おしげに目を閉じた。椅子の上から眺め下ろすマイクロトフは、唇を噛み切って体内を駆け回る衝動を殺そうと試みるカミューの矜持に憎悪すら覚えた。
薬に侵され、思考すら朦朧としている様子を窺わせながら、尚も自らを制しようとする理性の強さ。その理性ゆえに彼は去ろうとしたのだ。騎士団の未来のため───マチルダの安寧のため。どう理屈をつけようと、彼にとって自分の存在が第一でなかったとカミューは宣告したのである。

 

許せない。
だが、愛している。
憤怒が深々と胸を抉り、けれど怒りのままに振舞うには愛が盾となる。

 

マイクロトフは歩み寄ってパイプに繋いだ手枷に鍵を入れた。片手だけを解放してやり、静かに言った。
「……自分でやってみろよ、カミュー」
残った理性を測るには最も分かり易い手段。予想通り、カミューは見開いた瞳に憤りを浮かべた。だが、それは揺れ動く欲情の波に呑まれ、みるみる溶け落ちてゆく。
「っぅ……」
失意と屈辱のもたらした薄い涙膜が琥珀を覆う。彼は自由になった片手をのろのろと己に伸ばした。躊躇いがちに我が身を握り込みながらも、マイクロトフの静かな眼差しに射抜かれていることで行為に没頭することなど到底出来ない。
身のうちに残るなけなしの誇りと、荒れ狂う快楽への切望が心を引き裂き、絶望の中で彼は愛した男の面影を探すようにマイクロトフを見た。

 

 

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