上位騎士隊長の暗殺を図った第四騎士隊長ニールの罪状は、騎士団長の裁可を仰ぐまでもなく絞首に相当するものだった。
それでも慎重派である副長ラスタは丘上会議開催地であるミューズに早馬を走らせ、断罪許可の裁可を得た上で数度に渡る詮議を執り行った。
その頃にはやや冷静を取り戻したのだろう、ニールは所業を全て認めた。あのとき、彼の中には確かに狂気があったのだ。
ひとたび我に返れば逃れようのない罪に身を染めた己が残され、死を覚悟していたニールだったが、救いの手は意外なところから差し伸べられた。
議場での立場は暗殺されかけた当事者、不当な恨みによって葬られようとした第三騎士隊長カミュー自らが弁護に立ったのである。
彼は長年に及ぶニールの功績の逐一を挙げ、その上で死罪だけは容赦して欲しいと言上した。何れの要人も呆気に取られていたが、当人のたっての希望とあっては退け難いものがあったようだ。
斯くてニールには騎士団からの強制除隊のみという極めて穏便な裁決がくだされた。
議場を出るとき、ニールはカミューに一礼した。命を繋いでくれた青年に向ける、心からの謝辞であるようだった。
これによって空席となる第四騎士隊長の地位には、改めて第五隊長以下が繰り上がり、新任騎士隊長には現・第二部隊所属騎士ランベルトが進むことになった。
何れの騎士隊長らも漸く引継ぎを果たしたばかりの再移動に狼狽えていたが、やはり昇進である。議場を後にする男たちの表情には決意が漲っていた。
最後に残されたランドとローウェルは、並ぶカミューを窺って嘆息した。
「……まったく量りかねる。何故極刑を望まれなかった?」
ローウェルがむっつり問うと、カミューは艶やかに微笑んだ。
「あなたの言を借りるなら……進む階段を彼のような人間の穢れで染めたくなかった、というところですか」
虚を衝かれたように眉を寄せる男に向けて、続けて言い募る。
「……冗談です。そうまで傲慢にはなれません。逆の立場だったら……そう考えただけです」
ランドが苦笑して首を振った。
「君が邪魔者を葬って位階を望むと?」
「葬らぬまでも、同じ闇を覗かないとは限りません。もし、ひとりとして信ずる人間がなかったら……わたしとて同様だったかもしれないのですから」
するとランドは温かく目を細め、感慨深げに呟いた。
「……つまり、君には信ずるに足るものがある。早く我らもその中に入れて欲しいものだ」
それを聞いたカミューは咲き誇るような笑顔で返した。
「ご存知ありませんでしたか? わたしはとうにその心づもりだったのですけれど───」
───七年後───
赤騎士団長執務室の扉を開けた第一部隊長ローウェルは、そこではたと歩を止めた。
信頼する副長ランドが人差し指を唇に当てている。見遣れば、敬愛する赤騎士団長が豪華なソファに優美な肢体を投げ出して眠っていた。
「如何されました、ご気分でもお悪いのですか?」
声を潜めながら歩み寄った部下にランドは軽く首を振る。騎士団長を見下ろす柔らかな眼差しに在る含みを察してローウェルは眉を寄せた。
「ランド様、これは───」
「此度の品は快心の作だ。眠った後はすこぶる快調、お疲れも抜けよう」
吹き出しかけるのを辛うじて堪え、ローウェルは礼節を保った。
赤騎士団副長ランド。公に知られる趣味は盆栽であるが、裏の趣味は薬物調合。
虫も殺さぬ温厚な一面を持ちながら、ロックアックスの裏組織──勇猛なる騎士の街ゆえ、数こそ多くはないが──にも通じていてる。もっとも、これは彼自らが歩み寄った訳ではなく、たまたまつとめで関わった闇商人らがランドの誠実に屈したというのが本当のところらしい。
その彼が、薬草を入手しては様々な薬を処方しているのをローウェルは知っていた。今回はどうやら働き詰めの上官を案じて睡眠薬の類を調合したのだろう。
「カミュー様はご承知なのですか?」
「……何度お休みになられるようお勧めしても、聞き入れてくださらぬ。よって、強硬手段を取ってみた」
温厚な男は不穏なことを口にしていても、やはり温厚そのままである。ローウェルは溜め息をついて眠るカミューを見下ろした。
「……薬物への耐性は完全に失せたご様子ですな、良く眠っておられる」
「致し方あるまい。青騎士団があの有り様……これより先、カミュー様が更に忙しくなられるは必定。ならば休めるときに休ませて差し上げるのが部下のつとめと言えよう」
そのためにはたとえ薬を盛ってでも、と決然と言い放つ副長に微苦笑し、ローウェルは頷いた。
遠いあの日の誓いをカミューは守った。以来、一切の薬物を口にしていないがために、今こうしてランドの術中にはまっているのだ。
唐突な睡魔の訪れを訝しく思ったとしても、カミューはランドの横で眠ることを躊躇わないだろう。捧げられた誠実に信頼を返すことを決めた以上、たとえしてやられたと知っても苦笑して留めるに違いない。
やがて戸口の向こうに大声が呼ぶ。
「カミュー! いるか、カミュー?!」
ランドは吹き出してローウェルに命じた。
「予測通りだ……。入れて差し上げろ、カミュー様が目覚められてしまう」
扉を開けるなり、長身が転げるように飛び込んでくる。そこでローウェル同様、沈黙を懇願されて目を見開き、眠るカミューを見遣った途端に真っ赤になった。
「も、申し訳ない……、休んでいるとは知らず……何処か悪いのですか?」
いいえ、とランドは微笑んだ。
「マイクロトフ殿のため、今のうちに身を休めておられるだけ……どうやら決まったご様子と見える」
「え、ええ……あまりに急で、もうどうしていいのか……」
「ならば」
ランドとローウェルは並び立ち、マイクロトフに向けて深い礼を取った。
「これより先はマイクロトフ様とお呼びしましょう。青騎士団長ご就任、心からお慶び申し上げる」
旧・騎士団長の辞職に伴って、青騎士団上層部はそれぞれ位階を上げるための引継ぎ作業に入っていた。ところが、正式な就任を待たずして次の団長職に任ぜられていた副長が負傷事故にて、これまた騎士団を去ってしまったのだ。
そこで現時点での最高位階であった第一隊長マイクロトフが二位階特進というかたちで新たなる青騎士団長に就くことになったのである。
今朝方から設けられていた青騎士団の中央会議は彼の団長職への信任が主たる議案であり、それは滞りなく可決されるだろう───そう誰もが疑いを持たなかった。
二十五歳、青騎士団においては最年少の騎士団長誕生であるが、若年であることは昇進の妨げにはなり得ない。何故なら、既に赤騎士団長カミューが地位に年齢は意味を為さないという証を立てているからだ。
いずれ喜びの報を手に駆け込んでくるであろう青騎士団の若き指導者を予測しながら、敢えてランドがカミューを眠らせたのにはそれなりの理由がある。
マイクロトフという男の団長就任は、必ずや騎士団に新たな風を巻き起こすだろう。
それが良きにつけ悪しきにつけ、カミューもその渦に巻き込まれる。マイクロトフを心の片割れとさだめる彼は、これまで以上の責務や細心を孕むに違いないのだ。
せめてその前に少しでも休ませたい、そう願った男は年少の青騎士に厳粛に礼を払う。
「お……おやめください! そんな、おれなどに……」
つい先程まで所属こそ違えど上位者、そして同位の騎士隊長として向き合っていた男たちの変貌に仰天して、泡を食ったようにマイクロトフは叫んだ。だが、今度はローウェルが静かに言う。
「いいえ、これよりマイクロトフ様は一団の長。すぐに慣れましょう、……カミュー様もそうでおられましたゆえ」
「は、はあ……」
しかし、とマイクロトフは頭を掻いた。
「だが……何だか実感もなくて……。副長職を賜ったときも混乱していたというのに……」
カミューが予想した通り、位階を昇り始めてからのマイクロトフは尋常ならぬ強運に守護されているかのようだった。
十代を平騎士として過ごし、数々の武勲を立てている彼は仲間からの絶対の信頼を勝ち得ている。人柄への無条件の傾倒が後押しし、マイクロトフは位階を進み始めた。それはカミューとは異なる輝きであったのだ。
「……呆気なく騎士団長職が転がり込んできたというのはご不満ですかな?」
ランドが微笑みで揶揄すると、今ひとつ否定し切れぬ表情でマイクロトフは黙した。
「運も力量の一つですぞ。それに……我々はマイクロトフ様の団長ご就任がとても喜ばしい。卒爾ながら、我らにも打算がございますからな」
「打算……?」
はい、と思慮深げな瞳が瞬く。
「我が赤騎士団と並ぶ青騎士団の頂点に、我らの騎士団長が心許す御方が立たれる……これは未来の騎士団にとって喜ばしいことと存じますな」
「左様。我がマチルダ騎士団は強固な二枚岩を有することとなる。カミュー様にとっても実に心強きことと思われます」
マイクロトフは照れたように笑った。
「足を引っ張ることにならないと良いのですが……」
───まことに、頼みます。
図らずも二人の赤騎士の心中は一致した。
そこでソファに眠る青年に視線を落とした男は幸福そうに言う。
「ずっとカミューの隣に並ぶ日を夢見ていました。これでやっと遠い誓いを果たせる……」
わたしの隣にいる───そう言ったな?
ああ。おれは───おまえの横に立つ。
遠い日に交わした約束は今も胸に鮮やかだ。
昇り詰めた位階の頂点、けれどそれは己ひとりで勝ち得たものでは決してない。
支え合う友であり伴侶である互いの存在、そして見守ってくれる誠実な騎士たちの存在、目指す先に希望の輝きが在ったからこそ掴んだものなのだ。
マイクロトフはゆっくりと身を屈めて眠るカミューを覗き込む。
おそらくは自身に比べて多くの闇を見てきた筈の赤騎士団長。それでも今、彼はこうも光の中で安らいで眠ることが出来る。それは信頼と絆に守られている己を信じているからなのだろう。
「……闇を生まない光となることは不可能でしょうか?」
ふと呟いたマイクロトフに、赤騎士たちは顔を見合わせた。珍しく深い物思いに耽っている新・青騎士団長を好ましげに見詰め、やがてランドが答える。
「些か逆説的なご助言なら差し上げられましょう」
真摯に瞬いたマイクロトフは、穏やかで優しい祝賀に包まれた。
「闇を生まぬ光はございませぬ。なれど、闇をも照らす温かく大きな光を目指すことは出来る筈……カミュー様も常にそうして戦っておられるのです。我がマチルダ騎士団を輝ける未来にお導きくださいますよう、青騎士団長・マイクロトフ様の行く先に幸多からんことをお祈り申し上げる───」
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END