騎士団の居城奥深くにて執り行われる中央会議。
団長以下、副長、十名の騎士隊長の参席によって懸案を審議するこの場は、文字通り各騎士団における最高会議であった。
主に城の西棟に拠点を置く赤騎士団は、差し込む暮れゆく陽光に染め上げられる一室を議会の場とさだめている。この日も、視界を鈍く揺らめかせる陽炎の如き紅の光が居並ぶ要人たちを包んでいた。
騎士団長を上座に戴き、その横に座する副長が議事進行の一切を取り持つのが慣しであるが、彼は細長の円卓上を回されてきた紙片に目を通すなり満足げに頷いた。
「カミューを除いた騎士隊長・有効票のうち、信任8、不信任1───」
声にならぬさざめきが男たちの間を過ぎる。続いて副長は紙片を置いて真っ直ぐに傍らの騎士団長を見た。
「わたしも信任に票を投じます。ご裁可を……モウル様」
呼ばれた騎士団長は背もたれに深く身を沈めたまま、ゆっくりと顔を上げた。視線が円卓に席を置く一人の青年に投げられ、それは舐めるような吟味となる。凝視に耐えかねたように青年が僅かに俯くと同時に、重々しい宣言が為された。
「……良かろう。第五部隊長カミューを第三騎士隊長に任ずる。月末に予定されているジョウストン丘上会議の準備のため正式な昇任式は来月に持ち越すが、これに備えて直ちに引継ぎに入るよう」
主命を受けた青年は深く一礼したが、横に座る第四隊長の戦慄きを見逃すほど歓喜に酔い痴れることは叶わなかった。
この秋、それまで第三騎士隊長を勤めていたユルゲンスが職務を辞することになった。長く騎士団に貢献してきた男であるが、年齢的なものからくる限界を感じての辞意表明であった。
これにより、第三騎士隊長の地位が空席になる。よって後任者を決議するために設けられた中央会議であるのだ。
上位隊長職に空席が生じた場合は下位の騎士隊長がそれぞれ繰り上がるのが通例で、この議会も当初はそれを確認するために召集されたものと何れも疑わなかった。
だから、退官するユルゲンスが己の穴を埋める指揮官を自ら指名したとき、誰もが驚きを隠さなかった。
これはしかし、彼にとって認められた権利であるのだ。およそ慣例には珍しいことではあるが、決して不当な議案ではなかった───通常ならば新たに位階を一つ上げる筈だった第四隊長ニールを飛び越えて、第五隊長である青年が指名されたことを除くなら。
騎士の位階は実に複雑な要素をもって変移する。一般騎士の場合、騎士団最高位である第一部隊に配備されることが最大の目標となるが、日々の行動やつとめへの姿勢を厳しく吟味されるため、所属部隊の変動は激しい。
一方、騎士隊長職は一騎士団に僅か10名という限られた椅子である。ひとたび隊長職に任ぜられれば、平騎士への降格は殆ど有り得ないが、逆に上位に進むことが難しい位階とも言えた。つまり、戦没、あるいは今回のように退任者が出ない限り滅多に空席が生じないのである。
今回の仕儀はユルゲンスよりも上位にあるものはともかく、下位の騎士隊長らにとっては降って沸いた僥倖、上官の死を伴わない、手放しで喜ぶことの出来る昇進となる筈だった。
第四騎士隊長ニールにとって目前まで迫っていた昇進は、だがとんだところで待ったをかけられた訳である。恨みがましく議案発起人であるユルゲンスを見遣る瞳には暗いものがあった。
それでも彼は表向き平静を保った。後任として個人の指名が為された以上、それは信任決議を要するのだ。未だ若い青年騎士隊長が、敢えて自身を飛び越えて位階を納める確固たる理由など皆無。いずれの騎士隊長も同調して不信任票を投ずるに違いない、そう考えたからである。
だが───
信任は為された。
これまで一位階下だった青年を、これからは上位として見なさねばならない。幾つも年下の相手に頭を下げねばならなくなったのである。
「第五部隊長以下は、第六隊長ローウェル以下がそれぞれ繰り上がる。空いた第十部隊長職には先の裁決に基づき、第一部隊所属騎士シュルツが任官。以上、質疑あらばこの場で述べておくよう」
副長は一同を見回した。束の間ニールに目を止めるが、敢えて黙したまま、一同が沈黙をもって否を示すのを待った。
「……では、これにて中央議会を散会とする。一同、つとめに戻るよう」
億劫そうに立ち上がった騎士団長に副長が続いて議場を出る。他の騎士隊長らはそれぞれユルゲンスに慰労を贈り、彼を囲みながら退出していった。
優美極まりない所作で席を立とうとしたカミューは、それよりも早く立ち上がった男が低くうめくのを耳にした。はっとして窺おうとするよりも早く、呪詛にも似た響きが耳を打つ。
「……グラスランド人風情の若造が───」
憎々しげに吐き捨てたニールは、カミューが向き直るよりも早く背を向けていた。憤懣遣る方ないといった歩調で議場を去った男を見送る琥珀が微かに細められる。それを察したのか、もう片側に位置していた新・第五隊長ローウェルが小声で囁いた。
「気になさることはない。他人を貶めることでしか己の鬱憤を晴らせぬ輩など、気に止める価値もない」
「ローウェル殿……」
きっぱりとした言い様に思わず苦笑が洩れる。
「辛辣ですね」
「だが、本当のことです」
屈強の体躯、険しい面差しの騎士は冷めた目でニールの消えた戸口を睨み据えた。
「甚だ遺憾ながら、わたしも同感だ」
不意に背後から呼ばれて振り向くと、それまで気配を感じさせなかった第二隊長が間近に在った。
「ランド隊長……」
丁寧に礼を取るカミューを見詰める灰色の瞳は何処までも穏やかで温かい。
「君の功績は誰もが承知するところだ。何ら後ろめたく思うことはない、ニールもいずれ己の暴言を悔いる日が来よう」
「………はい………」
「では、失礼するよ。カミュー、君の第三騎士隊長就任を心より祝福する」
「ありがとうございます───」
未だ若き青年に預けられた責務を拭おうとするかのように優しく肩を叩いて、第二部隊長は部屋を出て行った。
礼をもって見送ったカミューとローウェルは再び重い沈黙に包まれる。やがて切り出したのはやはりローウェルだった。
「己の部隊を託すに、ユルゲンス殿はあなたを選ばれた。そして我らが賛同した───ご不満か、カミュー殿?」
そこでカミューは小さく笑んだ。
「不満、……という訳ではありません。ただ……」
「……ただ、若干十九歳の身で十五も年長のニール殿の得る筈だった位階を簒奪したことには自責を覚える、……とでも?」
ローウェルはにやりと唇を曲げた。
「あなたが第五隊長の位階を得てからおよそ二年、領内農民の暴動の鎮圧、異常発生した魔物の討伐、功績を挙げればキリがない。それをご存知だからこそユルゲンス殿はあなたをご指名になられたのだ。その間、ニール殿が目立ったはたらきを残せなかったことも、誰もが知る現実というもの」
「………………」
「年齢で実力を測らぬ、それが騎士団員に課せられた定義。まして出自など、何ら意味を為さぬ。あなたは彼に対して憤っても良いのだ、カミュー殿」
「───でも」
そこでカミューは軽く肩を竦めた。
「あなたにそこまで言われては……わたしには何も言うべきことが残されていない」
それを聞くなり、ローウェルははたと瞬いて破顔した。
「それは失礼した」
「ただ……ニール殿の心情は理解しているつもりです。彼の前で声高に昇進を誇る気にはなれない」
それを聞いてローウェルは束の間黙した。何事か言わんと口が開きかけては閉ざされる。漸く洩れた言葉は淡々とした呼び掛けだった。
「行こう、カミュー殿。そろそろ従者が議場の整理にやって来る」
促しに、並んで議場から伸びる廊下を進む。二人は暫し無言だったが、少ししてローウェルが調子を変えて切り出した。
「……『彼』に知らせなくて宜しいのか?」
「え……?」
「部隊の方にはわたしから一言申し入れておく故、伝えてこられたら如何だろう」
男の示唆する人物を思い当ててカミューは淡く微笑んだ。
「確か今日は休暇を取得していたと……それに、そうそう急いで伝えることでもないでしょう」
「───あちらはそうは思わないと存ずるが」
見下ろす男の目元は常に冷静であまり感情を露にしない。けれど今、年下の上位者を見詰める眼差しには柔らかな情が溢れていた。それに気付かぬまま、カミューは呟く。
「今すぐ顔を合わせれば……余計な詮索を招きそうです。あれは鈍そうに見えて、なかなか油断のならない男なので」
「なるほど」
ローウェルはくす、と笑いを零した。
「あなたはそうやって身を守っておられる訳か」
「身を守る……?」
そう、と軽く頷いて視線を逸らす。
「敵対するものだけが己を脅かす訳ではない、それをあなたは熟知しておいでだ。けれど『彼』は、そんなあなたのすべてを受け入れようと務めていると思われるが」
カミューは歩を止め、まじまじとローウェルを見詰めた。僅かながら怪訝を浮かべ、小首を傾げている様は珍しく年相応なる姿だった。
「意味が分かりかねるのですが」
「……申し訳ない、実はわたしにも良く分からぬ」
笑みを納め、厳しき表情で向き直った男は静かに告げた。
「ただひとつ言えることは……いずれ手に入れる輝かしき未来のため、あなたは迷ってはならぬということ。他者を超えて進むことに思い煩う必要はない、カミュー殿」
男が見詰める未来、それはカミューを頂点と戴く騎士団の姿である。
明白な言及こそ避けているが、日頃言葉の端々に滲むそれにカミューは常に困惑を覚えた。彼が自身に求めるものを量りかね、感謝よりもむしろ戸惑いが勝るのだ。
「……わたしは、わたしに出来ることを為すだけです。力量以上のものを求めようとは思わないし、人としての節も忘れたくない。そうまで肩入れしてくださるのをありがたくは思うけれど……あなたのそれは、現首脳たる方々への不敬にも受け取れます、ローウェル殿」
「ならばわたしを捕縛なさるか」
「……そうしたくはありません。では、失礼」
言うなり、カミューは軽く一礼して足早に歩き出した。位階的には上回りながら、年長者である下位騎士隊長への礼を忘れぬ振る舞いに、見送る男の口元に苦笑が浮かぶ。
ほっそりした後ろ姿が回廊を曲がるまで見送っていたローウェルは、ふいと横に並んだ男に表情を引き締めた。それまでとは比較にならない重い声が言う。
「聡い上に、自衛にも秀でておいでに見えるが……惜しむらくはあの無欲さといったところでしょうか」
「そうだな」
傍らの男は静かな眼差しを伏せた。
「崇高であるがゆえに陥り易い穴とも言えよう。無欲なるものは無欲ならざるものの恐ろしさを知らぬ」
「───如何様なる手立てを?」
ローウェルは声を潜めて慎重に返答を待つ。相手は束の間思案した後、彼に劣らぬ低音で返した。
「わたしも可能な限り、網を張る。位階が変じて慌しかろうが……果たせるか、ローウェル?」
はい、と新第五隊長は丁寧な礼を払った。
「我が誇りに懸けて……第四隊長ニール殿の動向から目を離さぬこと、慎んで拝命致します───ランド様」
NEXT →