支配の行方・2
連夜の訪問に、さすがにカミューは微かに眉を顰めた。
それでも無言で身体をずらし、マイクロトフが入室するのを待って扉を閉めた。
空間が閉ざされるなり激しくカミューを抱き竦め、荒々しくくちづけた。常に余裕のないマイクロトフの求愛ではあるが、今夜はまた別のものを感じ取ったように、カミューはほんの僅かに身を固くした。
「────誰だ」
きつく耳朶に歯を立てて詰問したマイクロトフに、カミューは怪訝そうに眉を寄せる。二人に関係が出来てからというもの、私的な会話は殆ど失われていた。第三者の前で変わらぬ親交を演じる反動か、二人になると途端に言葉が死に絶える。こうして部屋を訪れても、生じる会話はまったくなく、それが当たり前と過ごされてきた。
訝しげに見上げるカミューの目に、明らかな戸惑いが浮かんでいた。マイクロトフは久々に見る彼の感情の欠片に陶酔しながら、なおも強く問い掛けた。
「あの男は誰だ?!」
「あの男…………?」
あくまで不審そうなままのカミューに苛立ち、抱き締める腕にいっそうの力を込める。強靭な筋力に押し潰され、カミューは苦しげに息を弾ませた。
「中庭で!」
乱暴に捕らえた顎を揺さぶりながら、マイクロトフは吐き捨てるように言い放った。
「男と一緒にいただろう! あれは誰だ!!」
いつもほとんど無抵抗のため、こうした乱暴を受けることはなかったカミューが、怒りを過ぎらせたように睨めつけてくる。燃える琥珀を心から賛美して、マイクロトフは一瞬の悦びを得た。
「────おまえには関係ないことだ」
冷たく答えたカミューの首を掴み、僅かに締め上げた。苦しげに歪んだ顔も、この上なく美しく見える。
「関係ない──だと? 本気で言っているのか」
「は、なせ……」
次第に切迫する呼気への渇望か、カミューの額に汗が滲んだ。
「言え! あの男は誰だ?! おまえの何なんだ!」
「ぶ、かの……弟、だ……」
力で従えられることへの不満と屈辱も露に、カミューは切れ切れに答えた。自らの首に掛かったマイクロトフの手を外そうとする白い手の甲には、血管が浮かぶほど力が入っている。
その手にくちづけた夜を思い出し、ようやくマイクロトフは力を緩めた。途端に通った空気に咽て、カミューは軽く咳き込んだ。呼吸を整えながら荒い仕草でマイクロトフを押し退けようと腕を突っ張る。それを許さず、目前に曝された細い首筋に唇を押し当てた。
「部下の弟、だと……?」
「──────そうだ」
「それがどうしておまえと一緒に居たりする?」
彼はしばらく考えるように黙したが、首に当たる歯の圧力が次第に強まるのを恐れたように低い声で切り出した。
「──郷里から兄への荷物を届けにきた。だが、生憎本人が任務で城を出ていたから、代わりにわたしが相手をした……それだけだ」
「……相変わらず親切なことだな」
マイクロトフは再び捕らえた顎を固定して、琥珀の瞳を覗き込んだ。そこにはまだ、微かな怒りが燃えていた。それでも普段の凍てついた眼差しよりははるかに慕わしい。
「誰にでもそうやって愛想を振り撒いて──不実を重ねるわけだ」
「不実……だと?」
「あの男がおまえを欲しがったらどうする?」
カミューは不快そうに顔を背けようとした。それを逃がさず引き留めると、華奢なつくりの顎が痛みを覚えたように戦慄いた。
「誰も見るな、笑い掛けるな!」
「────そうしてわたしを束縛するのか」
彼は嘲笑めいた笑いに唇を歪めた。
「おまえに指図される謂れはない」
煌めく目がマイクロトフを射抜く。
「誰もがおまえと同じだと思っているのか。欲しがったら、だと? おまえのように力で押さえつけて、わたしを抱くとでも?」
今度こそはっきりとカミューは声を上げて笑った。笑いながら泣いているように見えた。
「くだらない。そうやってわたしを縛り上げ、すべてから遠ざけて手に入れたつもりか? 生憎だな、マイクロトフ。わたしはおまえになど支配されない。おまえはこの身体を自由にしている、それ以上に何も望むな」
「カミュー!」
突き放すようなカミューの宣言。だが、それも悲鳴に聞こえた。マイクロトフは唇を塞ごうとしたが、珍しく彼は抗った。
「わたしを好き勝手に扱いながら、この上何を望むと言うんだ!」
「おれは」
マイクロトフは口篭もった。
何を望むか、だと?
────決まっている。
「………………おまえのすべてを欲しい」
「これ以上? わたしから何もかも奪っておいて、残っているものがあるとでも思うのか」
「心が」
切ない願望。思わず洩れた魂の叫び。
「────おれは、おまえの心が欲しい……」
「心……だと?」
カミューは一瞬目を見張り、すぐに息を殺して笑い出した。
「わたしの心などお構いなしに犯したおまえが、今更心を求めるだと? 笑わせるな」
「わかっている!」
マイクロトフは鋭く遮った。
「おまえの信頼を裏切った以上、それを求めるのは間違いだとわかっている。だが、望むのをやめられない。怒りや憎しみだろうと構わない、おまえの心のすべてを手に入れたいだけだ!!」
束の間、カミューは言葉を途切らせてマイクロトフを見詰めた。やがてその目が静かに伏せられる。
「────それは無理だ、マイクロトフ」
彼は小さく息を吐いた。
「…………何もない」
秀麗な額に垂れ落ちた髪が表情を隠す。
「わたしには……何も残っていないよ」
マイクロトフが頬に手を当てて顔を上げさせると、虚ろな視線が見返してきた。
「裏切られたあの夜に────わたしの心は死んだんだ。おまえが何を求めているのか知らないが、今更やれるものなど残っていない」
さっきまでの怒りの影はすでにない。一瞬の感情に火が点いても、あくまで残り火に過ぎないのだろう。彼の表情は死人のそれに等しかった。
「──だが……」
マイクロトフは昼間見た表情を思い出していた。
あの慕わしげな眼差しは? 安らいだ微笑は?
あれは感情の死に絶えたものの顔ではなかった。
自分に似ているという青年に向けていた瞳、そこには確かに────「……何もない、そう言うなら──」
マイクロトフは荒々しくカミューをベッドに突き倒した。衣服をずらして覆い被さる。
「……おれで満たせば良いということか」
親愛を蘇らせることが不可能ならば、憎しみだけでもいい。それならばまだ可能性が残されている。彼の心から締め出されるくらいなら、醜い楔となって存在を主張するしかない。
支配者としての役割も放棄しようとしているカミューを、再び蘇らせる手段。
マイクロトフは本能的にそれを知っていた。暴かれた裸身に丁寧にくちづけを落とす。いつにない慈しみに溢れた行為に、カミューが微かに身を震わせた。
乱暴な行為なら無視できる。それがマイクロトフのやり方だと諦めているから。ほとんど凌辱に等しい夜を、これまでカミューは無表情に受け入れてきた。どれほど手酷く攻め立てようと、哀願ひとつ洩らすことなく。
殊更優しく肌を行き来する指先に、カミューは困惑も露に身を捩った。続いて伝い這う唇に、苦しげな息を吐く。
「────あ……」
拍子のように洩れた声を、きつく唇を噛むことで殺した彼に、マイクロトフは柔らかなくちづけを与えた。休む間もなく弄り続ける掌に緊張し切った反応が返ってくる。
「……好きだ、カミュー」
優しいくちづけの合い間に低く囁くと、はっきりとカミューが戦くのがわかった。なめらかな首筋を唇でなぞり、先刻の暴力で薄く残った指の跡の周囲を丹念に舐め、焦がれるように吸い上げる。いつものような切羽詰った所有印を刻むのとは異なる、甘い痕跡を残すための行為に、不意にカミューは総毛立った。
「い、やだ……」
どれほど乱暴に抱いたときにも洩らされることのなかった拒絶が口の端に浮かぶ。マイクロトフはそれを無視して磨き抜かれた象牙のような肌に触れ続けた。
下肢に降りた掌が緩やかに彼を包み込むと、それは顕著な反応を窺わせた。掌の中で重みを増した彼に、マイクロトフはうっすらと満足した。
同じ男だ、生理的な反応は理解できる。触れていれば、どれほど心が拒んでも、いつかは陥落する。それは彼の愛撫に慣れたカミューの哀しい性であり、感情とは別物だとわかっていた。
だが、今夜はどうだろう?
ほとんどろくに触れもしないうちから、さながら彼の訪れを待つかのように痛々しく張り詰めたカミューの熱。
「おまえが好きだ、カミュー…………」
「──────やめろ」
握り込んだ彼を丁寧に愛しながら、マイクロトフは執拗に囁き続けた。
「誰にも渡さない、おれだけのものだ」
「…………っ……」
溢れ出る先走りに、湿った響きが耳を突く。
「憎んでくれ、心のすべてをおれで埋めてくれ」
「マ、イクロトフ……っ」
「好きだ、カミュー」
全身を激しく震わせながら、カミューは背が浮くまで反り返った。きつく閉ざされた目許は赤く染まり、長いまつげに薄く水膜が広がろうとしている。
極限まで高まった鼓動の上にくちづけて、マイクロトフは追い込みに入った。決して手荒くならないように細心の注意を払いながら与えられる情熱に、カミューは鋭く叫んだ。
「嫌だ、────!」
見開かれた瞳から涙が溢れ出た。刹那、彼はマイクロトフの掌に放出していた。昨夜も散々搾り取られた所為であろうか、やや薄いそれを秘所に施す。
「──おれを憎め、カミュー」
猛った欲望を押し込むと、カミューは乾いた悲鳴を飲み込んで逃れようともがいた。
「それでもおれは────おまえを愛している」
「言、うな……!」
「カミュー?」
カミューは片腕で顔を隠した。
「同じ声で────同じ顔で!」
なおも小刻みに痙攣するような腕を取り、強引に引き剥がして顔を覗き込む。
久々に見る涙、それは感情が残る何よりの証ではないか。
絶句するのと同時に、唐突にマイクロトフは理解した。
昼間見た、カミューの静かな微笑み。
見知らぬ青年に与えられていた、親愛を込めた眼差し。
それはかつての自分への友情を捨て切れない彼の、回顧の姿だったのだと。
あの青年の後ろに、彼は自分を見ていたのだ。まだ友として横に並んでいた頃のマイクロトフの誠実や友愛、そうしたものを懐かしく思い描いていたのだ。
裏切りにあってさえ、彼はマイクロトフを葬り去ることができなかった。それほどまでに彼の中で親友の存在は重かったのだ。
あの夜、暴かれた友の顔に絶望した。それでも長い間育んだ友情の前に、殺意さえ押し殺した。マイクロトフはそういう男だったのだと自らに言い聞かせ、納得するよう努めもしたのだろう。だからこそ、その後の強引なだけの要求にも身体を投げ出し、耐えてきたのだ。
いたわりを込めた優しい愛撫、真摯な求愛。そこにはかつての友の姿がちらつくのだろう。常に信頼を裏切るまいと努めてきた、親友マイクロトフの面影が。
それは凌辱じみた交合よりも、はるかに彼の心を苛む行為なのだ──。
「──カミュー、好きだ……」
「………………聞きたくない」
緩やかな抽挿を開始すると、すでに慣れた身体が柔らかくマイクロトフを締め付けてきた。
「────愛している」
「嫌だ」
絡みつく柔襞の燃えるような灼熱に目眩を覚え、引き寄せられるように頬を伝う涙にくちづけると、それもまた同様の熱を帯びていた。
「おまえだけを生涯愛し続ける、おれは誓う」
「嫌だ、嫌だ、嫌だ────!!」
壊れたように拒絶だけを吐きながら、カミューは幼げに首を振り続けた。我武者羅に逃れようと身悶える彼をきつく抱いたまま、幾度もくちづける。
「──……嫌だ………………」
なおも優しく刺激され、カミューは全身を強張らせてうめいた。開かれていた目が閉ざされると、またも汚れなき涙が零れ落ちていった。
「…………カミュー…………」
「…………………………」
太い指で涙を拭う。カミューは顔を背けた。次第に強まっていく突き上げに、時折息を飲み込みながら。
やがて──────
小刻みに震える腕がのろのろと上がり、緩やかにマイクロトフの背に回された。
「……愛…………、してなど…………欲しく、ない────」
自らにこそ言い聞かせているかのような、掠れた響き。
「わたし────は…………」
言葉とは裏腹に、次第にきつくマイクロトフを拘束する腕。
それが激しくなる男の動きを抑えるためのものなのか、あるいは他に意味があるのか、マイクロトフには判別できなかった。
それでも初めて己に回された腕の縋りつくような強さと儚さに、これまで覚えたことのない甘い情動を揺さぶられ、彼はカミューを求め続けた。
「────マイクロトフ……!」
最後の瞬間、濡れた声で呼ばれた名はマイクロトフの心を深く貫き、いつまでも消えることはなかった。
行為の激しさからか、ぐったりと眠り込んだカミューの頬に残る涙の跡をマイクロトフは静かに見詰めていた。
こうして無防備に傍らで眠る彼を見るのも久しぶりだ。汗に濡れた髪を掻き上げ、できるだけ楽なように体勢を整えてやると、改めて寝顔に見入る。
────あの抱擁は何だったのだろう。
まるでカミュー自身、二つの感情に引き裂かれているようだった。
痛ましい顔で吐き出された拒絶、そして切ないほどに震えていたしなやかな腕。
今はその意味を知りたくない。できることなら、望みを持っていたかった。
カミューの中に未だ燻る友愛と信頼────
取り戻すことはできずとも、形を変えることはできないだろうか。
支配や隷属などではなく、別の結末を望むことは罪だろうか。
眠るカミューを見詰めたまま、彼は密やかなくちづけを青白い頬に落とした。
どうか、その束の間の平安なる夢の中で、自分が温かく微笑んでいるように。
そして、彼が穏やかに笑み返しているように────。
← BEFORE END
ううむ、やはり消化不良気味……。
脱力状態のときに抱えたキリリクの上、「円満解決・求む」な声があったため、ますます収集不能に陥ってしまった哀れな見本……。
もはや「青赤」とは言い難し(死)。相変わらずシリアスにスランプ続行中だし、前半一括消去事件もあったいわく付きの代物ですが、許していただけますか、すずしろ様??
あんまり「えらい目」に遭ってない気もちらほらしますが……(苦笑)